第四章⑥ 命がけの治癒魔法
彼女は真剣な顔でうなずくと、深呼吸のように息を吸い込み、いつものおどおどした彼女からは想像できない、凛とした声で叫んだ。
「……リヒト・フェアハイレン!」
それが、集中させた自分のマナを、神聖魔法として起動する合図。
と、キルトの手に集まっていたマナがさらに発光し、クラリスのマナに誘導される形で一緒になってシアの体へと流れ込む。
次第にシアの傷口から出る血の勢いが弱まっていく。
が、完全には止まらない。
「……ダメ……足りない……間に合い、ません……頭も……」
クラリスが額に汗を浮かべながら、苦しそうに呟いた。
今キルトにわかっている限りでは、治癒の精度はおそらくマナの総量で決まる。この量は当然、治す傷の具合と比例する。
普段の治癒なら時間をかけることでその問題はクリアーできるが、今は時間との戦い。ましてや致命傷と思しきシアの傷口は、胸と頭の二箇所もあり、胸の傷は大きすぎる。
クラリスは今、キルトのマナを流用してもなお、必要量を満たせないのだ。
「なら、もっと足せばいい」
キルトは右手に集めているマナはそのまま、クラリスに任せ、空いている左手を、シアの頭部の傷口に当てた。
手順はもう、今見たことで思い出している。
右手だけではなく、左手にも、同じようにマナを集め、意識を研ぎ澄ませる。
「……リヒト・フェアハイレン」
そして、クラリスと同じように唱えると、今度は問題なく発動した。
腹部と同じように、シアの頭部から流れる血も、徐々に勢いを緩めていく。
これを止められれば、再生を始められる。
「なっ、シュバルツ殿、わかっているのか! そんなことをしたら……」
「うるせえ! 黙ってろ!」
イルムガルドの叫びを制すると同時に、体中から嫌な汗が吹き出て、視界がぐらつく。吐き気すら沸きあがってきた。
急激な自身の体内のマナの消失により、貧血状態のようになっているのだろう。
「うおっ……ぐっ……」
キルトは歯を食いしばり、限界までマナを注ぎ込んで、治癒に集中する。
「……もう、少し……っ」
「姫っ!」
同様に大量のマナを消費して、ふらついたクラリスを、イルムガルドが支える。
いざやってみてわかったが、この神聖魔法の治癒、やっている方はかなり辛い。
魔術のように大気中のマナを変換して使うのとも、機械剣のバッテリーのように、そこにあるものを引き出すのとも、これは根本的に違っていた。
念術のマナを練り上げる感覚は少し似ているが、あれは外部からの取り込みができる。が、こちらはいまのクラリスのように、集めた人のマナを誘導することはできても、絶対量は決まっている。
神聖魔法に使うのは、本来自分の命を支えているはずのマナなのだ。
流れ出る患者のマナの代わりに、自分のマナを押し込んでもたせる。ゆえに、やりすぎれば、治癒の使用者のほうも危ない。
呼吸が荒くなってくると、キルトの鼻に水の感触が現れた。どうやら血管が切れて鼻血が噴き出しているらしい。
正直、みっともないことこの上ないが、今はなりふりかまってなどいられない。
「ふぉおおおおおおお!」
絶対に助ける。その一心で、キルトは悲鳴を上げる体に鞭を打ち、雄叫びをあげた。
あまりにひどい傷だと、神聖魔法を以ってしても助けられない場合というのはあるらしい。なら、人の命そのものを支えるのには、一体どれだけのマナが必要なのか。
キルトとクラリスのふたり分で足りるのかどうか、それはわからない。
それでもキルトはやめない。目の前で知った顔に死なれるのは、最高に気分が悪い。
まだシアが知っているキルトの過去、ノアのことだって、詳しく聞けていない。
この騒動だって終わっていない。
今シアを、死なせるわけにはいかない。
徐々に朦朧として、意識が飛びそうになる。体が傾いでいるのか、気がつけばイルムガルドがクラリスとキルトのあいだに入り、両方を支えていた。
「いけ……ますっ! 助けられます!」
クラリスのその言葉が聞こえた瞬間、ついに待ちに待った傷口の再生が始まった。
先ほどまでの拮抗状態が嘘のように、みるみるうちに傷がふさがっていく。必要なマナの量を、クリアーした瞬間だった。
これで、シアは助かる。
そう思ったら、何やらプツッと嫌な音が聞こえた。
直後、キルトの視界はブラックアウトしてしまったのだった。
◆ ◆
こうして、シアは何とか一命を取り留めた。
シアは本来なら、本職の司祭が三人がかりでも助けられないほどのダメージだったらしく、命があるのすら奇跡だったらしい。
一方、過度のマナ不足に陥ったキルトは、こちらも司祭のお世話になってしまっていたが、ほどなくして意識は戻っている。
やっているときは気になどしなかったが、神聖魔法の使い手側が失ったマナというのは、休めば自然と回復していくものなのだそうだ。
しかし、キルトに遅れて意識を失ったクラリスから治癒を引き継いだ駐在司祭の話によると、シアの意識がいつ戻るかは、検討もつかないということだった。こんな重傷からの回復は、前例がないのだそうだ。
ともあれ、助けられた。それだけが幸いだった。
死んでいないのだから、シアもいつかは目を覚ますと信じたい。
状況が落ち着けば、自然と話はシアを襲ったのが誰か、という点に集まった。
この点、ルーファスとイルムガルドの答えは、雷華で一致していた。
というのも、警備隊が爆発のあった公園を調査したところ、念符がつけられていたと思しき手裏剣の残骸が、爆心地周辺でいくつも見つかったのだそうだ。シアの異様な傷は、爆発やそれによる飛来物によるものと判断され、証拠と結び付けられた。
念符を扱えるものは、オスローでは限られる。そして、目下最有力の容疑者は、この条件を満たす。
これにより、真相を知っている可能性の高いシアの意識が戻るのを待つ必要はなくなった。
本格的に雷華を犯人と断定した捜索が開始され、街中で忍姿が指名手配された。
また、晃国の武装の所持も全面的に禁止され、晃国独特の和装をする者は端から疑いをかけられることになってしまっていた。
キルトは何か重大なことに気づいたと思ったのだが、シアの治療後に目が覚めてからというもの、それが何だったのか、すっかり忘れてしまっていた。
ただ、結論には奇妙な違和感が残った。
あれから数日。シアは依然目を覚まさない。
メリルもクラリスも、まだ狙われる可能性があるため、外出を禁じられている。
キルトはメリルのワガママを聞いてやり、護衛の名目で警備隊本部に泊り込むことになっていた。
そんなある日、キルトが着替えを取りに自分の部屋に戻ったとき、事態は急変する。
ひとりになったキルトのもとへ、再び雷華と思しき人物から、レイラ経由で、日時と場所だけの、簡潔な伝言が届けられたのだ。
その時になってキルトはようやく、忘れていた大事なこと。
つまり、雷華は犯人ではないはずだ、ということを思い出したのだった。




