第四章⑤ 思い出せ
キルトはクラリスの部屋を出て歩きながら、シアの行きそうなところを考えていた。
まだシアはこの街の地理にはそれほど詳しくないだろうから、いる場所はある程度限られそうである。
最初に思いつくのは宿屋だ。オスローには、宿屋は数えるほどしかないので、探すのも大して苦ではない。
キルトはとりあえずはその線から潰して行こうと決め、教会を出た。
「あ、えっと、えとえと! 何だっけ、あ、キルトさ~ん」
教会の正門を潜ると同時に、妙に明るい声が聞こえてきた。首を巡らせると、手を振りながら走ってくるメイド……レイラの姿が見える。
意外と足が速いらしく、レイラはすぐにキルトの前までやってきた。
「……何か用か?」
まったく息を切らさず、笑顔を貼り付けたままのレイラが、どこかの軍隊のように格好つけて、ビシッと敬礼した。
「伝言のお言葉をお届けなのであります!」
妙に目をキラキラさせているレイラに若干呆れていると、さらに元気よく言う。
「メッセージでっす!」
「わかったから早く言え」
「自然公園に行け! ですっ!」
これまた非常に短い伝言だった。
キルトはその内容の短さに、イルムガルドが聞いたという伝言のことを思い出す。これは、もしかすると出所が同じかもしれない。
「……誰からだ?」
「よくわからない通りすがりの人ですっ!」
またもレイラが元気良く、良すぎるほどに、敬礼をし直す。
「ハァ?」
「私、掃除しておりましたところ、真っ黒でひじょ~にのびのびして動きやすそうな黒い黒装束を着て、お面的な仮面をつけた少女からいきなり頼まれちゃったのですよ~」
独特な口調でレイラがまくしたてたが、キルトはすぐさまその要点にピンと来る。
黒装束、仮面。つまり、雷華だ。
事の犯人と目される人物からの、思わぬ伝言。イルムガルドには冗談で言ったが、まさか本当になるとは思わなかった。
伝言からすると、これは自然公園で待っているということか。もし会えるなら、早々に真実を確認するチャンスが来たわけである。
「いいタイミングだ。あんがとな」
キルトは礼を言ながらレイラの頭をポンと軽く叩き、公園に向けて歩き出す。
と、警備隊本部に帰るのか、並んで歩き始めたレイラが、感電でもしたかのように突然ビクッとする。
「な、なんだよ……」
「すす、すいませんっ! 言い忘れたのでありますですがとにかく急げと申しておりましたなのですよ! 走ってください! 疾駆! ダッシュ! ゴーゴー!」
慌てて再びまくしたてたレイラは、今度はキルトの背を両手で押し始めた。
「そういうことは先に言えよ……わかった、わかったから押すな。走る、走るから」
キルトはぼやきつつも、レイラを置いて走り出した。
ゆっくりでも良さそうなものだが、わざわざ急げとはどういうことなのだろうか。
あの自然公園まではそれほど遠くない。走っていけばそうかからずに到着できる。
キルトは道行く人の波を軽快なステップで器用に避け、休みなく進んでいく。途中、キルトは自然公園で何があるのかを考えていて、ハッと気づいた。
先日のクラリスやシアが聞いた伝言が、今キルトが聞いたものと同じ発信源だとするなら……。
ともかく、自然公園に行けば何かがあると、キルトはさらに足を速めた。おかげで、時間をだいぶ短縮して中央公園の入口に到着する。
その瞬間だった。
ドーンと豪快に轟く音と共に、公園内からもくもくと煙が立ち上った。
「……は?」
一瞬何が起きたのかわからず、思わず足を止めて、煙を見上げる。
ここはオスローの街中。工房や工場ならまだしも、至って平和なはずの自然公園と爆発は、到底結びつくものではない。
爆発が起きる要素は……と、考えて、キルトはすぐに駆け出した。
戦闘だ。
普通街中で戦闘など起こらないが、今はキルトを巡る一連の騒動が起きている。
急ぐ必要性が、これか。
キルトは煙を目印にして爆心地にあたりをつけ、道を無視して、柵や芝生を飛び越え、一目散に向かう。
公園内はパニックになっているかと思ったが、一般人は誰もいなかったのか、爆発のあとは静かなものだった。それもまた妙な気はするが。
と、突然地面がごっそりえぐり取られるかのようにくぼむ。
そこにはクラリスと歩いたの散歩用のコースがあったはずだが、見る影もなくなっている。くぼみの周囲では、吹き飛ばされた木々がまだ火を残していた。
くぼみの中心近くには人が倒れている。
それが誰かを確かめるまえに、空から何かが降ってきて、キルトの行く手をさえぎるように地面に突き立った。
「……剣? って、おいおい……」
それは、見覚えのある剣。
シアの機械剣だった。
三人目の被害者。そんな言葉が脳裏をよぎる。
あれだけ大猿鬼を屠ってみせたシアが、不意打ちとはいえ負ける可能性。そうは言ってもまずないだろうと思っていたが、現実は目の前に突きつけられた。
周囲を見回し、ちょっとした気配も見逃さないように注意を払う。が、他には誰もいない。シアを襲った誰かは、すでにこの場を去っているらしい。
「シア! おい、生きてるか!」
キルトはシアに駆け寄りながら叫んだが、シアは意識がないのか、うつ伏せに倒れてピクリとも動かない。
彼女の体をよく見れば、頭部、腹部、腕部、脚部と、体のあらゆる箇所であの珍しい質感のボディスーツが裂け、血が滲んでいる。重傷そうなのは、とりあえず頭部と……
確認をしようと、シアを抱き起こしたキルトの背筋を、冷たいものが伝った。
血の量が、些か尋常ではなかった。
先日も大猿鬼にもろに殴り飛ばされたり、ツララに貫通されたりしたシアだが、この傷の大きさとは比較にならない。
シアはまるで正面から鋭利な刃で袈裟斬りでも受けたように、スーツが斜め一線で大きく裂け、その内の傷からは今も血がどくどくと流れ続けていた。
爆発でこんな傷ができるとは思えないが、とにかく重傷。
いや……これは致命傷である。
このままでは、間違いなく死ぬ。
見ただけでそうわかってしまうほどの傷。
「クソッ、しっかりしやがれ!」
キルトは服が血で汚れるのもかまわず、シアの背と膝の裏を持って抱き上げた。
これほどの怪我、ヒンメルライヒの教会に駆け込むしかない。たとえ駐在している司祭が手が離せない状態でも、今なら厳重に近衛隊に守られているであろうクラリスが、絶対に暇をしているはずだ。
助かると、信じるしかない。
来たときよりも遥かに早く、持てる力のすべてを出して、今来たばかりの道をとんぼ帰りし始める。気持ちが急く。
あっという間に自然公園を出ると、爆発の見物なのか、公園の周囲には人が集まり始めており、道が塞がれていた。
「どけええええええええええええ!」
キルトは喉が潰れそうなほどの大声をあげるが、人々は戸惑うばかりで、完全には道が開かない。人の群れに突っ込んだキルトは、衝突を避けるために速度を落とさざるを得なくなり、仕方ないとは思いつつも、舌打ちせずにはいられなかった。
一分一秒を争ういま、わずかなロスも避けたいキルトは、すぐに決断を下す。
「我慢しろよ……」
一瞬腕の中のシアを見下ろして呟くと、キルトは思い切り跳躍した。
集まった人々の頭上を豪快に越え、建物の壁を蹴ってさらに跳び上がり、屋根や看板、あらゆるものを中継点にして、地面に足をつかずに駆け抜ける。
途中で壁に足をかけたとき、次の着地地点がうまく見つからず、しまったと思ったが、瞬間、雷華との初対面で見た、あのマナを使った壁を歩く方法を咄嗟に思い出した。
練り上げたマナを、足に集めて、壁に張り付かせるように。
念術とはいえ、武器と同じ。扱えるのなら、思い出せるはずだ。
記憶をたどって実践したそれは、意外とすんなりできてしまった。
おかげでそこからは壁を歩けたので、難なく進んで行けた。
やがて教会がある大通りが近づいてくると、キルトはようやく道に着地し、ラストスパートとばかりに教会に駆け込んだ。
警備していた近衛隊員がキルトに声をかけようとしたが、大慌てですごい顔をしているであろうキルトを見ると、すぐに引っ込む。
教会に入ると、ちょうどロビーで近衛隊員と話していたイルムガルドを捕まえられた。
イルムガルドはひと目で事情を察し、すぐにクラリスか駐在司祭を呼べと指示を出す。気に入らない奴だが、判断は正確だった。
「早く! 間に合わなくなる!」
シアの顔からはすでに血の気が失せており、体も冷たくなり始めている。
胴体の大きな傷口からは、まるで命そのものが流れ出すかのように、依然として血があふれ出ていた。
キルトはシアをロビーの長椅子のひとつにシアを寝かせると、その命をつなぎとめるように、咄嗟に傷口を押さえる。
あっという間に両手がシアの血で染まる。
まだか、まだかと、神聖魔法の使い手の到着を待つ。
こんなとき自分が治癒魔法を使えたらと、キルトは歯噛みして……思いついた。
とにかくシアを運ぶことに焦って失念していたが、武器や道具の扱い、魔術、念符と、どういうわけかこの手のことで、今までキルトにできなかったことはない。ついさっきも、一度見ただけの雷華の念術を再現できたではないか。
「使え……るんじゃないか?」
神聖魔法も、このあいだの大猿鬼討伐で少しだけ見ている。条件は同じ。
思考が高速で脳を駆け巡る。あの日、クラリスがシアにかけていた治癒を思い出す。
自分のマナを手のひらに集中して、相手に注ぎ込むように送り出していた。同時に、マナを身体細胞の活性化、再生に作用させていた。使うのは外部のマナではなく、自分の中にあるマナのみ……。
工程を、漠然とイメージする。原理なんて詳しく知らないが、キルトはただ、できそうだ、と思った。
シアの傷口に当てている手に意識を集中し、記憶の中のクラリスを真似る。集まったマナが淡く発光を始める。
「シュバルツ殿……まさか……」
キルトの行動に気づき、イルムガルドが呟いた。
しかし、キルトはそれ以上できない。まだ何かが足りていない。キルトの記憶にあるのは、途中と、終わりだけ。どう始めたらいいのかが、うまく思い出せなかった。
「クソッ……ダメなのか……」
と、その時だった。
キルトの手に、すっと別の手が重なる。
ふと顔を上げれば、すぐ隣にクラリスがいた。




