第三章⑥ 一難去って
今まさに落ちかけている陽が、空を茜色に染めていた。
強い光があるわけではないが、途中でメリルの作り出した灯りが消えてからというもの、暗い洞窟内で戦い続けていたため、思わずまぶしさを感じて目を瞑る。
「……お疲れさま」
声に振り向くと、メリルが腰に手を当て、膨れっ面で仁王立ちしていた。
次いで周囲を見回すと、やや離れた木陰に、寝かされているシアと、治癒の神聖魔法を今もかけ続けているクラリスの姿がある。
「キーくん、ボクが言いたいこと、わかる? もしかしたらキーくんが戻ってこないんじゃないかって、すごく心配したんだよ? ねぇ、キーくん、ボク、そんなに邪魔だった? まさかあんなことされるなんて……」
「悪かった、悪かったよ。大事だからこそ、妙な問答をすっ飛ばして帰って欲しかったんだ」
「ボクが……大事?」
「ああ、そうだよ。だから細かいことはあとにしてくれ。さすがに疲れた」
キルトは歩きながら、折れた機械剣を持ち上げて見せた。
両手足の輪の魔石はとうに割れ、雷華から補給された魔石の数々も、数個を残してほとんどが割れている。
途中で魔石が割れたリングを捨てるのすら面倒になったキルトの手首には、リングだけの残骸がいくつもあった。
しかし、その代わりと言ってはなんだが、洞窟にいた大猿鬼は一匹残らず潰してきた。
総数にして約二百。ゼロが一個足りなかったという冗談にしては、ひどいものである。
最終的に何とかできたが、たとえキルトの全力だったとしても、雷華の補給がなければ、武器切れで途中でやられていただろう。
群れのボスと思しき碧眼の大猿鬼がどこにもいなかったのが気がかりではあったが、ともあれこれで、討伐は完了……のはずだ。
「シアは大丈夫なのか?」
「ん、平気みたい。ホントに頑丈な人」
予想外に想定外と不意打ちとピンチが重なった討伐だったが、初めから自分がもっとしっかり戦っていれば、シアが大怪我をすることはなかったかもしれない。
治療を受けているシアを見て、キルトは安堵すると同時に、少し心が痛んだ。
が、そもそもこれはシアが言い出したことなのだし、自分は乗り気ではなかったのだし、メリルとクラリスというイレギュラーもいたのだからしょうがない! と、キルトは数多の言い訳を心に投げつけて痛みを薄める。
結果的に犠牲は出なかったのだから、もうこれでよかったことにしよう。
それもこれも、一番の窮地をフォローしてくれた雷華のおかげである。自分を狙う暗殺者に感謝するというのも変な話だが。
「……雷華は?」
自分の過去や雷華の謎の行動など、聞きたいことはたくさんあるのだが、当の雷華の姿は、去り際の宣言どおり見当たらなかった。
「あの忍者なら、どっかいっちゃったよ。ねぇキーくん、あの人誰? 何なの?」
「俺にもよくわからん。一応、俺を狙う暗殺者、みたいな?」
「……面識、あったんだ?」
「このあいだ襲われた? ってか会った」
「暗殺者だよね? 命狙われてるんだよね? どうしてすぐ教えてくれなかったの? ボクとの約束はまた忘れちゃったの? ボクの心配なんてどうでもいいの?」
「……わからないことが多すぎたんだよ。いろいろわかってから話そうとおも……いや、まあ、その……悪かった。すいません」
こうなるのが面倒だったから、と答えたいところだったが、言い訳を聞くメリルの顔がどんどん険しさを増したので、思わず途中で謝った。
疲れているところに、さらなる面倒を呼び込みたくなかった、というのもある。
「んもう……。で、その暗殺者が、どうしてキーくんを助けるの? 絶好のチャンスじゃない。わけわかんないよ」
まったくもってそのとおり。同感である。
キルトは歩きながら話した。
「気まぐれくの一の考えることなんてわかんねーよ……」
「くの一って……じゃああれ女なの!? 何それ、そんなの聞いてないよ。ねえキーくん、ボクの目を見て話して? 何でそのくの一のこと黙ってたの? 嘘ついたらヤだからね?」
メリルはキルトが何か隠していると疑っているのか、ジト目を向けてくるが、そう言われても、これ以上答えようがない。
「わかんねーもんはわかんねー。嘘じゃねえって。……いや、本当だって。ああもう……クラリス、おつかれさん」
と、ちょうどクラリスたちの前につき、またクラリスも魔法の手を止めたので、キルトはここぞとばかりに、自分もどかっと座り込んで話題を切り替えた。
「……お、おかえり、なさい。その……お、お風呂に……えと、食事でしょうか? それとも……あのっ、わ、わたっ……」
「は?」
「キーくん答えちゃダメだからね! 最後のだけは絶対ダメ!」
「だから何を言って……」
「わー! わー! ダメ! ストップ~!」
どうやら理解できないのは雷華の行動だけではないようだった。
クラリスはまたどうしてここで妙な話をし出すのか。
メリルもメリルだ。睨んでくる視線が痛い。
「いや、……はぁ、もういいや。勇者様が起きたら帰るぞ。どのくらいで起きそうだ?」
メリルの怒りという危機を感知し、キルトは早々に再び話題をチェンジした。、
「あ、その、そろそろ、だと思います……」
言うや否や、クラリスの体がぐらりと傾く。キルトはとっさに手を伸ばして、クラリスの体を支えた。
「疲れたか?」
「……い、いえ、そんな。まだまだこれくらい、大丈夫です。……妻の、たしなみですから……あ、あのっ、わたくし、少しでも、お役に立てたでしょうか?」
「あー、うー、まあ、あはは」
背後から痛烈な視線を感じるので、キルトはすぐにクラリスの背を樹に預け、質問には笑顔だけで答えてお茶を濁した。
治癒、祝福と、確かにクラリスのおかげといえる部分はあるが、実際のところは……だからである。気を遣ってやることも考えたが、そうすると背後の小さな鬼神の怒りに火がつきそうだった。
「……あれ、あたし……魔獣は?」
と、ややあって、寝かされていたシアが呻いてから、頭を振って上体を起こした。
「もう全部終わった。安心しろ」
答えてやると、シアが何やら変なものでも見たかのような、どぎまぎしたような、不思議そうな目をキルトに向けた。
「え、ノ、ノア……? そっか、あたし、またお前に助けられて……」
「助けたのは俺じゃないぞ」
シアは妙に元気がなく、いつもの彼女らしくない。どこか傷が治りきっていないのか、それとも、退路確保の失敗に罪を感じてでもいるのか、よくわからないが、とにかく様子がどこか変だった。
よく見れば頬は上気しており、呼吸も少し荒くなっている。
「そうやっていつもはぐらかして……。ハハ、何だか、体が熱いな……」
と、いきなりシアがぐらついた。キルトはついさっきのクラリスのように、手でシアの腕を取り、崩れるのを止めてやる。
「なぁノア……」
シアが消え入りそうな声で呟いた。
彼女は崩れかけている上体を起こさず、それどころか、支えているキルトの胸元に飛び込んで、キルトの胴に手を回した。
……あれ?
「あたし、そんなに魅力ないか?」
「ハァ?」
いきなり事態が変な方向に転がり出した。
何? どうして? またなの? 何ですぐこの手の理解不能な展開になるんだ?
「ちょっと! キーくんから離れて!」
怒り狂ったメリルがシアをキルトから引き剥がそうとするが、シアは力の入れすぎでキルトが苦しくなるくらい、がっちりとキルトの胴にしがみついて離れない。
「あたしの裸見たくせに、あたしの、気持ち、知ってるくせに……」
「え、ちょ、ハァ!?」
驚き戸惑い慌て取り乱すキルトをよそに、シアは顔を上げ、ぶっ飛んだ話を続ける。至近距離で目が合う。
「ノア、あたしはお前に言いたいことが……いや、お前が何もしてくれないなら、いっそあたしが……!」
「待て、待て待てストップ落ち着け! クラリス、本当にこいつ大丈夫なのかよ!?」
強引に体を押し付けてくるシアの顔を手で押さえながら、キルトは叫んだ。
「あ、あの、わたくしの治癒は……その」
申し訳なさそうに、恥ずかしそうに、クラリスが指を口にかぶせて視線を反らす。
「おまえの治癒が何なんだよ!」
「どういうわけか、その……わたくしの深層心理が伝染してしまうとかで、感情が……昂ぶってしまうので……」
デートのとき、妙に加速していたクラリスの妄想、たまに飛び出す取り方によっては危険な単語に加えて、さっきのやり取り。思い当たる節は確かにあるが……。
「でもこのあいだ俺なんともなかったろ?」
「男性は、キルト様が……わたくしの、その、ハジメテだったので……ごめんなさい」
「え? ……は、はじ、はじめっ……って、キーくん!」
「メリル! お前は変な勘違いをするな!」
キルトの脳裏に、先日の映像がフラッシュバックする。シアにボコられてから目覚めたとき、イルムガルドが言いかけたこと。その意味が今ここに。
キルトは平気だったが、シアにはバッチリ副作用が発揮されているらしい。女性限定とか、そういうことか?
「わかった、わかったからシアを止めろ!」
「王族に側室はツキモノですから、……ちゃんとわたくしのところに帰ってきてさえいただければ、……わたくしはそれだけで……」
クラリスがもじもじとしながら、これまたとんでもないことを言ってのけた。
わたくしの深層心理が伝染? つまりそれ、発生源はクラリス。
ダメだ。こいつもダメだ。
「あたしはずっと……。やっと見つけたんだ……だから……」
「離れて! キーくんから離れてよバカ勇者! この、いい加減にっ……あっ、やめ……やめてっ……ダメっ、ダメだよ!」
「うおおっ!」
シアが完全に体重をかけてきて、キルトはついに押し倒されてしまった。
シアが四つんばいになって、キルトの上にのしかかる。
そして、徐々に顔と顔が近づいて……。
「イヤアアアァーッ! やめてーっ!」
「むぐっ」
両手で目を抑えたメリルが絶叫し、キルトのくぐもった呻きをかき消した。
その後、混沌極まる事態が収束したのは、どこからか事態を知って馬を飛ばしてきたイルムガルドが「破廉恥な!」とか叫びつつキルトをぶん殴り、気を失わせてからだった。




