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第一章① 記憶喪失の英雄

 時刻は昼下がり。外では人々が賃金を得るために真面目にせっせこ働いているとき、キルトは木造の家の二階にある、簡素で狭い自室に引きこもっていた。

 といっても、だらだら暇を持て余すわけではなく、至福の時を過ごしている。

 キルトは窓を閉め切り、何種もの金属を置いたテーブルに向かい背を丸めていた。


 手には西の魔導国家エルベリアの工作手袋。最下級の小さな魔石が埋め込まれたこの魔術アイテムを使えば、薄い金属程度ならハリガネのごとく自在に加工できるのである。


 キルトはいま、手元の金属細工に夢中になっていた。


 無数の穴を開けたリングに、紐ほどに細い棒状に加工した銅と銀、そして金を、慎重に編み込んでいく。

 手袋の魔石の力で、金属を糸のようにぐにゃりと曲げ、さらに編み込む。

 思い描く完成形は、三色の金属を綺麗に編んだリング。銅と銀はあくまでも下地で、金によって奇麗な模様を浮かび上がらせるのだ。


 キルトは一度深呼吸すると、まるで友の仇でも見るかのような鬼の形相になる。次いで、細い金の棒を手に取ると、ふっと息を止めて、編む作業を続ける。


 銅、銀、銅、銀、金。銅、銅、銅、銀、銀、銀、金。


 綺麗に模様が浮かび上がるように、編み込む順番を工夫する。今回描き出すのは、片翼の模様である。


「もう少し……よし……よし……」


 工作は順調に進み、いよいよ最後の編み込みを終える。高価な金によって、うっとりするほど綺麗な翼模様が浮かび上がり始めていた。


 あとはリングにある最後の穴に、編まれた三本を通して切断。わずかに余った部分を手袋の力で、溶け込ませるように接着すれば完成である。


 キルトは各金属のあまった部分を、指先で潰すように切断し、短くなった金属たちをリングの裏側へ。

 そして、これまでで最大の注意を払って、プルプルと震える指先で最後の仕上げ、そっと指で触れ、金属をゆっくり溶かすように接着を……。


「キーくん!」

「ほわぁ!」


 豪快に部屋のドアが開かれ、つい驚いてしまったキルトは手元が狂った。

 終わりが見えないよう自然にうまーく加工するはずだった金属を、リングごとぎゅっと押してしまう。おかげで、手袋の魔石の力がかかりすぎて、リングそのものがぐにゃっと逝ってしまった。


「ば、バカな……なんてこった……俺の渾身の力作がぁ……っ」


 キルトはこの世の終わりのような絶望した顔で、がっくりとうなだれた。

 未練がましく、ひん曲がったリングを元に戻してみたが、どこか歪みが残ってしまう。何より時すでに遅しなのは、模様のほう。


 金属を加工する魔術を、細工師の技量とセンスをもって行使した時に初めて実現する、あの思わず惚れ惚れするほど精緻(せんさい)な模様。先ほどまで実現されていたその模様は、かかりすぎた魔術の圧に押し潰され、見るも無残にぐちゃってしまっていた。

 こうなってしまっては、一度すべての金属を解いて分離し、整形し直し、再び一から始めるしかない。

 つまり失敗。ここ数日ぶっ続けで取り組んできた細工の苦労は、この瞬間なかったことになったのだった。


「め、メリル……おま、おま……」


 口をパクパクさせて、キルトは乱入者を非難しようとするが、ショックのあまり言葉にならず、首だけを向ける。

 やや青みがかった銀髪を、美しい球体の水晶飾りが赤と青の色違いで左右の髪を留め、サイドアップのツインテールにまとめている彼女は、メリル・アーティ。

 今現在、キルトとひとつ屋根の下で暮らしている少女である。


 身長はキルトの胸ほどまでしかないが、それは別段キルトが大きいわけではなく、彼女が小さいだけ。

 白いフリフリが末端に覗くかわいらしい黒いスカートは、妙に袖が長い上のシャツとセットのツーピース。ただし、胸元部分だけがインナーの白い生地を覗かせている。足にはニーソックスに見えなくもない、白黒縞々(しましま)のロングタイツにブーツ。

 白と黒と銀のコントラストに、赤い瞳のアクセント。メリルの容姿は綺麗な赤青の水晶飾りとも相まって、精緻(せいち)な人形のようにも見えた。

 が、実際はそんな綺麗なものではなくて、ちょっとおしゃれな子供、くらいだというのがキルトの感想である。


 見た目的には十二、三歳といったところで、感覚的にはすっかり妹分なのだが、どういうわけかこのメリル、普通に成人男子な外見をしているキルトの幼馴染であるらしい。


「キーくん、これどういうことなの!」


 メリルは銀髪を揺らしてキルトに歩み寄る。そして何を怒っているのか、すごい剣幕でテーブルに何かをバンと叩きつけると、ジト目でキルトの瞳を覗き込んだ。


「悪いがあとにしてくれ。今ちょっと取り乱してるんだ……」


 今にも怒り出してしまいそうな感情を、グッと抑える。

 手元の大惨事。これはミスだ。自分のミスだと言い聞かせる。


「え? ……あ……う……」


 しかしメリルは、キルトの手元を見るや否や、途端に勢いを失った。

 自分のせいで失敗した、と思っただろうか。

 実際そうなのだが、さきほどまでの強気な顔はどこへやら。


「……ご、ごめん、ごめんね? ボク、そんなつもりじゃなくて……」


 メリルは人が変わったように弱気になって謝り出した。

 今にも泣きそうな顔で、胸元のペンダントをぎゅっと握る。


「本当にごめん。許して。ボクが悪かったから。何でも、何でもするから!」


 答えずにいると、えらく大げさな謝罪がひたすら続いた。

 金属細工のこととなると、キルトはちょっとうるさい。それを知っているがゆえの、メリルの謝罪である。


 キルトは今はむしろそっとしておいてほしかったが、やがてメリルの目尻に涙が浮かび、雫がこぼれ始めると、逆に罪悪感で胸が痛くなってきて、ショックを封じ込めるように頭をひと掻きした。


「……まあ、いい。また作り直す。謝るなって。あ~、泣くな。もういいから。気にすんなって、な?」


 涙を指でぬぐってやると、ぐずっていたメリルは徐々に調子を取り戻し、顔色が明るくなっていく。

 普段から手の半分以上が隠れている長い袖で、最後にごしごしと目をこすると、手放されたペンダントの先端が、彼女の胸元に再びぶら下がった。


 そのペンダントには、材質こそ違うものの、今キルトが作っていたリングと同じように、三種の金属が編みこまれた小さな装飾がぶら下がっている。浮かび上がっている模様は星だが、それはまさに、今キルトが作ろうとしていた金属細工の類似品であり、ひとつの完成体だった。

 これもキルトの手によるもの……らしい。


「で、何なんだ?」


 落ち着いてから尋ねると、メリルが思い出したようにムッとした。とてもちょっとまえまで泣いていた人物の顔とは思えない。


「これ」


 頬をぷっくり膨らませ、片手を腰に当てて、メリルがテーブルを指差した。

 促されて視線を落とすと、一冊の雑誌があった。その表紙にはでかでかと、ポーズを決めるキルトの写真が載っている。何の雑誌だがわからないが、写真に重なってこれまたでかでかと、


【新興都市を護る噂の英雄。その正体がわかるのは本誌だけ!】


 などと書かれていた。


「ふむ、俺だな。で?」

「俺だな、じゃないよ! なんでキーくんが載ってるのかってこと!」

「……さあ?」


 言われてみれば、どうして自分の写真が雑誌の表紙などを飾っているのだろう。

 キルトは素直に疑問を口にしたが、メリルは怒り出してしまった。


「キーくんの写真だよ? わかんないわけないじゃん!」

「いや、もしかすると盗撮か何かかもしれん。そっくりさんという可能性も……」


 メリルが雑誌を取り上げると、パラパラとページを開き、キルトに突きつける。


「記憶喪失だって書いてある」


 思わず押し黙ってしまったが、キルトが記憶喪失というのは事実だった。


 瀕死の重傷を負って倒れていたところを、偶然見つけた幼馴染のメリルに助けられた、ということらしい。覚えてないからわからないが。

 まあとにかく、キルトは治療を受け、やがて意識を取り戻したが、そのときはもう自分が誰なのか、まったくもってさっぱりこれっぽっちもわからなかったというわけだ。


 キルトという名も、自分の境遇も、すべてはメリルやその周囲の人々から聞いて、新たに認識したものなのだ。


 それからしばらく経っても記憶が戻る気配は微塵もなし。自分のことがわからないという不安は、なんとも形容しがたい不思議な気持ちだった。


 しかし、なくなってしまったものをいつまでも嘆いていても仕方がない。

 キルトは前向きに、記憶のことを気にせず、メリルとともにオスローで新たな生活を始めた。案外人間というのは、記憶がなくても問題なく生きていけるものらしい。過去を気にしさえしなければ、だが。


 ちなみに、記憶喪失の影響なのか、キルトは時折何かをすっぽり忘れてしまったりすることがある。それが原因でメリルに怒られることも少なくなかった。


「キーくんのインタビューまで載っちゃってるんだけど、本当に覚えがないの?」

捏造(ねつぞう)という可能性も……?」

「じゃあこれなに?」

「……さあ?」


 メリルが指差した写真の中では、キルトがにっこり笑顔でピースしていた。

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