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侍に誘われて  作者: ゆず
第一章~侍に誘われて~
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九話『僕の色』

 切符を買って振り返ると、そこにはお鶴さんの姿がなくなっていた。今、さっきまで、確かにそこの壁に寄りかかって立っていたはずなのに。僕が慌てて周囲を見渡すと、駅の外から、お鶴さんの笑い声が聞こえてきた。


 駅の外に出ると、お鶴さんが、サラリーマンに何やら話しかけていた。話しかけられたサラリーマンは困惑した様子で、苦笑している。僕はお鶴さんに近付き、「すみません」とサラリーマンに頭を下げる。


「お鶴さん、切符、買いましたよ」

「あー、ありがとう。定期、早く買わないとな。えっと、いくらだったっけ?」

「いいですよ。ご飯、奢って貰いましたから」

「あんたって、バイトしてたっけ?」


 僕が「いえ」と言うと、お鶴さんは「じゃあやっぱり払う」と、鞄から財布を取り出し、切符代を僕へと渡した。


「それはあんたの両親のお金だから。これからあんたが自分で稼ぐようになったら、その時にあんたのお金で、高いお店に連れてってよ。焼き肉かお寿司ね」


 僕が「わかりました」と頷くと、お鶴さんは僕を指差す。


「酔っ払ってても、ちゃんと覚えているからな。約束だぞ」


 僕は「大丈夫ですよ」と苦笑する。あれだけ飲むんだから、その時はかなりの出費を覚悟しておかないとな、と僕はパスタとピザの詰まったお腹を、きゅっと引き締めた。


 改札を抜け、ホームに設置された寂れた椅子で、僕とお鶴さんは並んで座る。すっかり夜も更けた駅には、僕たち二人と鳩以外に誰の姿も見当たらない。朝の混雑時とは打って変わったホームの静けさの中に、言葉のないお鶴さんの鼻歌が小さく響く。


 結局、あれからお鶴さんは、もう一本ワインを開けて飲んでいた。計三本。さすがに未成年の僕でも、それが飲み過ぎなことくらいはわかったが、それでも気持ち悪くなったりしていないということは、かなりお酒には強い方なのだろう。


 程良く冷たい風が、火照った身体を冷ましてくれる。するとお鶴さんが、しおらしい様子で「ごめん」と呟いた。


「あたしの話ばっかり聞いて貰って」


 僕は「いえいえ」と首を振る。


「とても楽しかったですよ。ためになる話も、たくさん聞けましたし」


 お鶴さんは「そっか」と力なく笑う。


「実はあたしさ、オーディションに落ちたんだよね」

「……そうだったんですか」


 お鶴さんは「うん」と濁った都会の空を見上げる。


「まあ、オーディションに落ちるなんて、これまでに何十、何百ってあったことなんだけどさ。四年生になって、周りは就職とかの話ばっかりだから、何か焦っちゃったんだ。それで自分でも結構手応えがあったから、今回こそはって思ってたんだよね」


 お鶴さんは小さく息を吐く。


「でも、今回も駄目でさ。ちょっと落ち込んでたんだ。だから、気持ちを仕切り直すために、ちょっと飲んで色々吐き出そうと思って、あんたを誘ったんだ」


 お鶴さんは僕に顔を向け、屈託のない笑みを浮かべる。


「ありがとね。おかげですっきりしたよ。また明日から、あたしは走り出すから」


 僕は「頑張ってください」と、小さな拳を胸の前で作った。お鶴さんも同じように拳を作り、「おう」と僕の拳へとぶつけてきた。


 電車が通過するアナウンス。特急がホームを揺らし、耳の奥が細かく震える。


「あのさ、一ついい?」


 お鶴さんの問いかけに、僕は「はい」と首を傾げる。


「あんたはさ、同学年の人たちに変な目で見られたくないから、勧誘するのは難しいって思っているんでしょ?」


 僕は身体を小さくし、「そうです」と素直に認める。


「でも、だったらさ、もう遅いと思うんだよね」

「……どういうことですか?」

「だって、その授業で耕作と一緒にいるところ、みんなに見られたんでしょ。じゃあきっとあんたはもう、侍と一緒にいた奴ってイメージがついちゃってるよ」


 僕はその事実に、「あ」と思わず口が勝手に開いた。


「それに、同好会に入ったら、これから耕作とキャンパス内で歩く機会なんて、山ほどあるよ。あいつ、暇があれば構内にいるメンバーを探しているから」


 アナウンスが、僕たちの乗る電車の到着を告げる。お鶴さんは立ち上がると、一瞬よろめいたものの、しっかりとその足で地面を踏みしめた。


「だから、もしあんたがうちに入るのなら、そんな心配、しても無駄だと思うよ。大学でも、うちの同好会は変な奴らの集まりって有名だし」


 お鶴さんは、悪戯な笑みを浮かべる。


「ま、あたしはこれ以上何も言わないけど。あんたが自由に決めればいいことだから。ただ、あたしに一つだけ言えるのは、あたしは毎日がとても楽しくて、そして幸せだということかな」


 電車が到着し、空気音と共に扉が開く。お鶴さんは「よっ」と車内へと飛び乗ると、電車の窓に向かってモデルのようなポーズを取っている。疎らにいる乗客たちが訝しい目でお鶴さんを見るも、お鶴さんに一切気にした様子はない。


 僕はゆっくりと、車両の中へと足を踏み入れる。


 扉が勢いよく閉まり、電車はゆっくりと動き出した。僕はポーズを決めるお鶴さん越しに、窓の中にいる自分の姿を見つめる。


 お鶴さんに比べて、僕の色はとても薄く見えた。


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