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侍に誘われて  作者: ゆず
第一章~侍に誘われて~
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七話『部室にいたのは』


 そっとドアノブを下げてみると、鍵は開いていた。誰かがいるようだ。田畑さんだろうか、と中の様子を窺いながら、僕はゆっくりと扉を開いていく。知らない人だったらどうしようか。しかし、田畑さんがいたとしても、それはそれで困る。


 部屋を見渡してみるも、誰もいない。人がいないのに、鍵を開けたままにしていたのか。不用心だな、と思いながら僕が中へと入ると、突然、ソファーの背もたれから人の頭が出てきた。


「うわっ、びっくりした」


 僕は思わず大きな声を出すも、すぐに胸を撫で下ろす。そこにいたのは、眠たげな面持ちのお鶴さんだった。


「なんだ、あんたか」


 お鶴さんは天井へと腕を伸ばすと、大きな欠伸を見せた。腕を伸ばした時、お鶴さんのお腹が少し見え、僕は慌てて「あの」と視線を外す。


「な、何をされていたのですか?」


 お鶴さんは「あたし?」と目を擦る。


「いや、今日、二限にゼミがあったんだけど、めちゃくちゃ眠くてさ。ちょっと仮眠しようと思って来たら、こんな時間まで寝ちゃった」


 二限目が終わるのは、十二時過ぎ。現在、時刻はもうすぐで十八時半になる。ということは、少なくとも六時間近くもここで寝たということか。


「お疲れなんですか?」

「ん。いや、ただの睡眠不足なだけ。昨日の夜、映画を見始めたら止まらなくなってさ。完全な自業自得だから、心配しないで」


 お鶴さんは立ち上がると、冷蔵庫へと向かう。


「それで、どうかした? 神妙な顔してるけど」

「そんな顔、してますか?」

「うん。『悩み事があるんだけど、話を聞いてくれないかなー』って顔に書いてる」


 お鶴さんは悪戯に笑うと、冷蔵庫から牛乳を取り出し、腰に手を当てて豪快に飲み始めた。静かな部屋に、お鶴さんの喉が上下する音が響き渡る。


 牛乳パックを手にソファーへと座り直したお鶴さんは、「で?」と小首を傾げる。


「何かあった? 大学生活二日目にして、もう壁にでも当たったの?」

「いえ、大学の方はまあ、まだ戸惑うことも多いですけど、何となくやってはいけそうです。……そっちではなく、田畑さんのことで少し」

「耕作? 耕作がどうかした?」


 僕はお鶴さんから視線を外し、小さく頷く。


「もしかしたら、怒らせてしまったかもしれません」

「怒らせた? あんたが耕作を?」


 お鶴さんはなぜだか嬉しそうな様子で、身体を前のめりにする。


「はい。実は…………」


 僕が事の顛末を具に説明すると、お鶴さんは「なるほどねー」と牛乳を一口飲んだ。


「まあ、耕作には、あんたの主張は理解出来ないでしょうね。でも、大丈夫。別に怒ってはいないと思う」

「本当ですか?」

「うん。そんなことで一々、腹を立てたりするような奴じゃないから。でも、あんたに対する興味みたいなものは失ったかもね」


 僕に対する興味。元々、そんなものがあったのかどうかは疑問だが、もしそうだとしたら、僕はなぜだか、少し悲しい気持ちになった。


 お鶴さんは「耕作はさ」と人差し指を立てる。


「次から次へと、やりたいことが見つかるんだ。そして、大きなことから小さなことまで、どんなことでも、とりあえずはやろうとしてみる。で、思っていたよりもつまらなかったりしたら、すぐに冷めて次の興味のあるものへと移っていく。今回のあんたのも、それの一つってだけ。だから、別に怒ったり愛想を尽かしたりしたんじゃなくて、ただ、興味をなくしたってのが正解かな」


 お鶴さんは肩を竦める。


「まあ、だからむしろ、本来ならあんたの方が怒ってもいいのかもね。突然、耕作の自分勝手な思いつきに付き合わされそうになったんだから」

「いえ、僕が怒るだなんて……」


 そんなこと、考えもしなかった。しかし、よくよく思い返してみれば、確かに僕に非はないような気がする。それでも、僕はたとえそれに気がついていたとしても、怒らなかっただろう。なぜなら僕はこれまで、内側で怒りの感情が燻ぶることはあっても、それを表に出したことなど、一度もないからだ。


 お鶴さんは立ち上がって牛乳を冷蔵庫へと仕舞うと、「まあ」と柔らかい笑みを浮かべた。


「心配することはないよ。耕作は、何とも思ってないから」

「でも、田畑さんは、それが同好会に入るための試練だって」

「大丈夫よ。それもどうせ、思いつきで言ってるだけだから。明日になれば、きっとあいつだって忘れてるよ」


 忘れている。そうだといいと思う自分と、そのまま流してしまっていいのかという自分が、互いに争うこともなく、戸惑った様子で立ち尽くしている。


 僕は薄暗くなった窓の外へと視線を向けた。電線と木があるだけの、無骨な風景。そしてその手前には、半透明の僕の姿。そこにいるのはいつもと変わらない僕のはずなのに、どうしてかとても惨めに映っている。


 そもそも、僕は一体、何がしたいのだろうか。


 大学生活はまだ二日目。同好会のメンバーにも、二人しか会っていない。ここで辞めても、僕には何のデメリットもない。嫌だったら、辞めれば全て済むはず。だけど、辞めたいとは思わない。現時点では、この同好会に何の愛着も湧いていないし、居心地だって決して良くない。


 なのに、どうしてだろうか。


 ふと、ぽん、と肩を叩かれた。無意識のうちに下がっていた頭を上げると、お鶴さんが心配そうな目で僕の顔を覗き込んでいる。


「大丈夫? 何か今、めちゃめちゃ怖い顔してたけど」


 僕は「あ、いえ」と首を振る。


「ちょっとぼんやりとしていました」


 お鶴さんはじっと僕を見たあと、小さく息を吐いて腰に手を当てた。


「……あんた、夕飯はもう済ませた?」

「夕飯ですか? いえ、まだですけど」


 すると、お鶴さんはパン、と手を叩いた。


「じゃ、一緒に食べよっか。あたし、朝から何も食べていないから、お腹空いたんだよね。大学の近くに美味しいイタリアンの店があるから、そこに行こう」


 お鶴さんは薄手の上着を羽織ると、鼻歌を口ずさみながら部屋を出て行く。


 イタリアン。もしかして、と僕はある店を頭に思い描きながら、お鶴さんの背中を追いかけた。


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