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侍に誘われて  作者: ゆず
第一章~侍に誘われて~
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六話『侍からの指令』


 大学生活二日目。初日の緊張感に比べると、今日僕の内臓に圧し掛かるそれは、大したものではなかった。それよりも、昨日の野球による筋肉痛が酷く、一歩進む度に全身へと鈍い痛みが襲いかかってきた。


 昨日の僕がやったことと言えば、数回本気でバットを振ったことと、何度か走って、ボールを投げたくらい。そこまで激しい運動はしていないにも関わらず、ここまでの筋肉痛になるのは、やはり運動不足なのだろうか。


 大学からの最寄り駅を出て、僕は小洒落た飲食店が並ぶ小路に入る。小路には大学へと向かう学生の姿が多く見られ、初々しく強張った面持ちの学生から、気だるそうな様子の学生まで、それぞれの状況が窺える。


 今日、僕が取れる講義は三限目からなので、ちょうど今は昼食時となる。小路に並ぶ飲食店はどこも客で一杯で、中には列が出来ている店まである。


 ふと、前方で気になる光景を目にした。学生たちがある店を通り過ぎる度に、店内を二度見するのだ。一体、何の店なのだろうか。少しの好奇心を抱きながら、僕はその店へと近付いていく。


 その店の外壁は、緑、白、そして赤に塗られていた。おそらく、イタリアンだろう。入り口の前に、黒板の看板が立てかけられていて、本日のおすすめメニューが書かれている。道に面した大きな窓ガラスから中の様子を覗くと、やはりこの店にも、たくさんの客が入っていた。そしてそのほとんどが学生で、それも女性だ。


 しかし、みんなは何を二度見していたのだろうか。そう疑問に思った僕だったが、すぐにその理由がわかった。窓際、端のテーブル席に、この店の雰囲気にはとても似つかない姿があった。


 田畑さんが、一人で黙々とパスタを食べていたのだ。


 今日も昨日と同じ袴を着ていて、そしてやはり長い髪の毛は後ろで括られている。白皙の肌に、円らな瞳。そして、昼だからだろう。薄っすらと髭が生え、顔の輪郭と鼻の下を覆い始めている。


 田畑さんは丁寧にフォークへとパスタを巻きつけ、吸わずに上手に口の中へと運んでいる。しかし、そのほとんどが女性客である店内では、いくら品良く食べようが、その存在はひと際浮いて見えるし、実際に店内、外を問わず、注目を集めている。


 だが、当の田畑さんはそんな視線を一切気にする様子もなく、淡々とパスタを食べ続けている。とても真似出来ないな、と思いながら、僕は田畑さんにばれないように顔を背け、通り過ぎることにした。


 しかし、少し進んだところで僕は立ち止まった。昨日の田畑さんの言葉を思い出したのだ。


『明日、大事なことがある』


 一体、大事なこととはなんだろうか。店に入って、田畑さんに訊いた方がよかったか。一瞬、そう思ったが、僕は再び歩き出した。あの店に一人で入っていく勇気なんて僕は持ち合わせていないし、本当に大事な用事があるなら、会いにくるだろう。それに、僕は田畑さんと一緒にいるところは、出来るだけ人に見られたくなかった。変な人と一緒にいる変な人、なんて思われてしまっては、今後の大学生活に支障をきたすおそれがある。それだけは絶対に避けたかった。


 僕は腕時計に視線を落とし、まだ時間に余裕があることを確認すると、重い足を引きずるようにして、キャンパスへと向かった。




 田畑さんが来るとすれば、講義と講義の間か、それか五限目が終わってからだろう。僕はそう思っていたが、その予想は田畑さんには通用しなかった。


 四限目、一般教養の『哲学と宗教』の講義。僕が一番後ろの一番端の席でその講義を受けていると、突然、後ろから肩をとんとんと叩かれた。百人以上入る大教室だが、初回の講義とあってか、空席はほとんどない。僕は遅れてきた人だろうと思い、席を詰めてやると、「かたじけない」と聞いたことのある声が耳に入ってきた。


 見ると、隣に座ってきたのは、田畑さんだった。


「田畑さん、今、講義中ですよ」


 僕が小声で言うと、田畑さんは「見ればわかる」と鼻息を飛ばす。


「田畑さん、この講義、取っているんですか?」

「これは一体、何の講義だ?」


 その答えに、僕は「もういいです」と小さく首を振る。


「それより、何をしに来たんですか?」

「何って、昨日、大事なことがあると言っただろう」

「どうして今なんですか。敢えて講義中じゃなくても」

「問題ない。静かに伝える。講義の邪魔をするつもりはない」


 そういう問題じゃないだろう、と僕は周囲を窺う。やはり、田畑さんの存在に気付いた数人の学生が、こちらを一瞥したり、こそこそと何かを話したりしている。教壇を見ると、若い講師も明らかにこちらに視線を向けていたが、逃がすように視線を逸らした。絡んではいけないものだとでも思ったのだろうか。


 僕は音を立てず、深く息を吸った。きっと、出て行って欲しいと言っても、田畑さんは聞かないだろう。となれば、田畑さんにいなくなって貰うには、用件を終わらせるのが最も手っ取り早い。


「……で、その大事なことって何ですか?」


 僕は田畑さんの横顔を見た。その口許に、薄っすらとオレンジ色のソースがついているが、今は敢えて言わないでおく。


 田畑さんは「うむ」と腕を組むと、険しい表情で虚空を睨んだ。


「お主の同好会への入会の件だが、熟考した結果、まだ認めるわけにはいかないという結論に達した」


 僕は思わず、「はい?」と大きな声を出してしまい、すぐさま口を手で覆った。幸いにも講師の声と重なり、白い視線は浴びずにすんだ。


 僕は肩を狭め、田畑さんへと顔を近付ける。


「……それはどういうことですか?」

「考えたのだが、簡単に入会を認めるのもつまらないと思ってな。だからお主には、試練を与えることにした」


 つまらないから試練を与える。「えっと」と僕は首を傾げる。


「試練って、それはあの同好会に入るのに、皆さんやっていることなんですか?」


 田畑さんは「いや」と真顔で首を振る。


「初めての試みになるな」

「ちょっと待ってください。あの同好会は、『来る者拒まず』なんですよね?」

「ああ。だから、拒んではいない。ただ、試練を与えるだけだ」

「どうして僕にだけ、そんなものがあるんですか?」


 納得出来ずに食い下がると、田畑さんは「それは」と僕をじっと見返す。


「何となくだ。最近、ちょっと暇だからな」


 その、あまりに自分勝手な理由に、僕は閉口してしまって何も言い返すことが出来なかった。そして田畑さんは、僕のその沈黙を理解したものと受け取ったらしく、「しかし」と話を続ける。


「難しいことではない。ただ、新入生をもう一人、日本文化研究会へと入れるだけだ」

「新入生を入れるって、僕がですか?」

「他に誰がいるんだ?」


 つまり、僕が誰かを日本文化研究会に誘えということか。もっと荒唐無稽な無理難題を想像していた僕は、一瞬、簡単じゃないかと思ってしまった。しかし僕は、慌ててかぶりを振る。


「ちょっと待ってください。無理ですってそんなの」

「無理ではない。私なんて、適当に声をかけて部室に連れていくだけで、すぐに新入生を確保することが出来たぞ」


 それって僕のことじゃないのか。僕は「そうじゃなくて」と、小声ながらも張った声を出す。


「田畑さんは、そういうのが平気な人じゃないですか」

「そういうのって何だ?」

「その……、初対面の人に声をかけたりすることです」


 田畑さんはじっと僕を見たあと、「お主は苦手なのか?」と問いかけた。僕は視線を机に伏せながら頷く。


「はい。僕は昔から、極度の人見知りなんです。自分から人に話しかけるなんて無理ですし、ましてや同好会に誘うなんて……」


 すると田畑さんは、「だったら」と僕の肩に手を置く。


「尚更、試練として意味があるではないか」


 いや、確かにそうなのだが。僕が言いたいのはそういうことではない。


「僕にはそんなの、出来ませんよ」

「いや、頑張れば出来る。なぜなら、これだけ人数がいるんだからな。全員に声をかけて、一人でも入ると言えばそれでいいのだ。そんなに難しいことではないだろう」


 僕は一先ず、頭を整理することにした。おそらく、今、二人の会話は全く噛み合っていない。僕はその試練の遂行が不可能であると言っているのではなく、僕がそれをやることが精神的に難しいと言っているのだが、果たして田畑さんは、そのことを理解しているのだろうか。


「初対面の人に話しかけるのは、田畑さんにとっては簡単なことでも、僕にはとても難しいです。ですから、僕には無理です」


 僕がもう一度はっきりとそう伝えると、田畑さんはその大きな目をさらに見開き、そして僅かに眉をしかめた。


「どうして、初対面の人間に話しかけるのが苦手なのだ?」


 どうして。そう真正面から理由を訊ねられると、僕は答えに詰まる。そう言われてみれば、確かにどうして僕は、そういうのが苦手なのだろうか。


 僕は何とか、それらしい答えを絞り出してみる。


「……多分、恥ずかしいからです」

「どうして恥ずかしいのだ? ただ、話しかけるだけだぞ」

「突然話しかけたりしたら、変な人だと思われるかもしれません」

「お主は変な人なのか?」

「いえ。多分、変ではないです」

「だったら、心配ないではないか。お主は変な人ではないのだから」


 僕は深呼吸する。駄目だ。田畑さんのペースに飲み込まれていては、話が前に進まない。僕は一先ず、具体例を出してみる。


「えっと、例えば、僕がここにいる全員を、同好会に入らないかと誘ったとしたら、少なくとも今後四年間、僕にはそのイメージがつくじゃないですか。ここにいるのは全員、同じ文学部の同じ学科の学生ですから」

「どんなイメージだ?」

「手当たり次第に、同好会に誘ってきた奴、というイメージです」


 田畑さんは小首を傾げる。


「それで何か困ることでもあるのか?」

「……気分はよくないじゃないですか。後ろ指を差されたり、陰でこそこそと何かを言われたりするかもしれません」

「どうしてだ? もしそうだとしても、そいつらは同好会には入らなかった奴らだろう。そんな無関係な奴らに何と思われようと、私は気にしないが」

「それは、田畑さんだからですよ……」


 僕はそうは言ったものの、自然と語尾は小さくなっていく。田畑さんはしばらく宙に視線を浮かべていたが、やがて「わかった」と頷いた。


「そこまで嫌なら、しなくて構わない。無理を言って悪かったな」


 田畑さんは立ち上がると、講師に向かって一礼して教室を出て行った。常識があるのかないのか、わからない。多分、ないとは思うが。


 大教室に、妙なざわめきが起こる。


 多くの視線が僕へと集まっている。僕は耳が熱くなるのを感じながら、身体を小さくして、顔を伏せた。


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