四十一話『道』
僕は四季の中で、とりわけ秋が好きだ。過ごし易い気候に、美味しい食べ物。そして何と言っても、昼が短くなっていく様がいい。そう考えると、僕は秋が好きなのではなく夜が好きなのかもしれないと、一人カフェで本を開きながら考える。
窓の下には大きな交差点。信号が青になると同時に、四方で待機していた人たちが、一斉に流れ始める。全員がどこからか来て、そしてどこかへと向かっていく。
あの場所では今、多くの人生が交錯しているということになる。そしてそれを眺めている僕も当然、その中の一人だが、そのほとんどの人間とは、今後一生関わることがない。彼らは僕という小説の中だと、描写すらされない人たちなのだ。
「雨が降っていればいいのにね」
突然、耳元でそんな声がして、僕は持っていた本を落とす。振り返ると、大洞さんが悪戯な顔で僕を見下ろしていた。
「びっくりした。やめてよ、心臓に悪い」
大洞さんは僕の隣に座り、窓の下を覗き込んだ。大洞さんは髪を伸ばし始め、今では結構な長さになっている。
僕は女性の髪型に一切こだわりはないが、髪が長くなってから、大洞さんは色々な髪型をするようになり、それを見るのは少し楽しみになっている。今日はシンプルに下ろしてあって、それはそれで相変わらず可愛かった。
僕はそんな大洞さんの横顔に問いかける。
「で、何? 雨が降っていればいいって」
「だってほら、雨が降ったらみんな、傘を差すでしょ。そうなったら色んな傘が見られて面白いのに、と思って」
僕はじっと大洞さんを見る。その視線に気がついた大洞さんが、「どうしたの?」と小首を傾げる。
「……いや、大洞さんってさ、前から思ってたけど、結構子供なところあるよね」
「それってどういう意味?」
大洞さんが軽く僕を睨み、僕は苦笑する。
「褒めてるんだよ。いい意味でってこと」
「結構大人だと思うけどなー」
大洞さんは唇を尖らせ、小首を傾げた。その仕草もそうだよ、と僕は心の中で笑う。大洞さんは「まあいいけどさ」と息を吐くと、席を立った。
「じゃあ、早く行こっか」
「あれ? もう行くの? 一息つけばいいのに」
「いや、待たせちゃ悪いから」
「待たせるって、誰を?」
今日は二人じゃないのか、と僕は少しだけ落胆する。大洞さんは「うーん」となぜか考えるように視線を上に向けたあと、悪戯な顔を浮かべた。
「可愛い女の子だよ」
僕はそのわざとらしい感じから、何となく、その相手が誰か予想がついた。
待ち合わせの場所へと着くと、その人物は背筋をピンと伸ばして立っていた。遠くからでも、一瞬にして誰かわかるほど目立っている。そしてやはり、僕の予想は当たっていた。
大洞さんが得意気な顔を僕に向ける。
「今日は、ジャンヌさんも一緒ですっ」
「うん。そうみたいだね」
ジャンヌさんはセーラー服を身に纏い、じっと正面を見据えて待っていた。髪型はツインテール、足元はルーズソックス。鞄も、よく女子高生が持っているような黒い革の鞄という徹底ぶりだ。
「……で、どうしてジャンヌさんが?」
「今日は元々、ジャンヌさんと洋服を買いに行く予定だったから」
「だったら別に、僕のことを誘わなくてもよかったんじゃ?」
「そんなことないよ。男の子からの視点って大事だから」
その役目は果たして僕に務まるのだろうか。そう疑問に思ったものの、僕は「そっか」と納得しておいた。
ジャンヌさんの元に行くと、ジャンヌさんは「おはようございます」と律義に頭を下げて挨拶をする。そんなジャンヌさんを見て、大洞さんは「わあ」と目を輝かせる。
「ジャンヌさん、すっごく可愛いですよ」
ジャンヌさんはもげるのではないか、と思うほど、大きく首を左右に振る。
「いえいえ、ともえさんには全く敵いません」
「そんなことないですよー」
それは本気で言っているのか、それとも馬鹿にしているのか。だが、大洞さんはそういった冗談を言うタイプではないので、おそらく本気なのだろう。しかし、だとしたら一体、可愛いとは何なのだろうか。僕は哲学的に考えてしまう。
大洞さんがよく行く洋服屋へと向かうことになり、三人は並んで歩きだす。道行く人はまずジャンヌさんを見て驚き、そして次に大洞さんに目を奪われ、最後に僕を見てどうしてか失望するような顔になる。
変な恰好でもしてくるべきだったか、と思いながら、僕は眼鏡の位置を正そうとして、コンタクトレンズに変えたことを思い出す。
「ジャンヌさんって、コスプレが好きなんですか?」
僕が何気なく訊ねると、ジャンヌさんは「はい」と頷く。
「大好きです。多様な存在になりきることにより、新たな自分自身を発見することが出来ます。わたくしはぜひ、本多さんにもやってみて欲しいと思っています」
僕はそれに関しては回答せず、別の話題で誤魔化す。
「そういえば、ジャンヌさんがなりたいのは、忍者なんですよね?」
「そうです。わたくしは忍者になるために、日本へとやってきたのです」
それを聞いた大洞さんが、首を傾げる。
「でも、それにしてはジャンヌさん、滅多に忍者の恰好をしないですよね。凄く似合っていたから、もっとすればいいのに」
確かに、ジャンヌさんが忍者のコスプレをしているのを、僕は一度しか見たことがない。ずっと侍の恰好をしている田畑さんとは、えらく対照的だ。
しかしジャンヌさんは、「いえ」と首を振る。
「忍者は、忍者であることを他者に認知されてはいけません。忍者であることを知られてしまった時点で、忍者として失格なのです。ですから平素は、出来るだけ目立たぬよう、その名の通り、忍んでいるのです」
とても忍んでいるとは思えないが、その理屈はわからなくはない。
「そもそも、どうしてジャンヌさんは忍者になろうと?」
「きっかけは、日本のアニメです」
なるほど。おそらく現在、日本の文化で最も海外への発信力のある分野なので、そこが入り口であったとしても、なんら不思議ではない。
「それで、忍者のどこに憧れを?」
僕の問いかけに、ジャンヌさんは僅かに目を輝かせる。
「忍者の主な仕事は、情報収集、撹乱、そして暗殺などになります。そしてそれらは、成否が自らの命や戦局を左右する、極めて重要な任務ばかりです。しかし、その仕事は決して綺麗なものでも、目立つものでもありませんし、自分のためでもありません。そういった、いわゆる『影の役目』に徹している点に、わたくしは大いに惹かれたのです」
「縁の下の力持ちってことですね」
大洞さんの言葉に、ジャンヌさんは「そうですね」と頷いた。
しかし考えてみると、侍よりは忍者の方が、僕には合っているなと思った。もしこの社会において、表に出て自ら何かを成し遂げようとする人物が侍で、そしてその人物を影で支える人物を忍者とするならば、僕は確実に忍者になるだろう。
そういった意味で言えば、日本文化研究会には侍がたくさんいる。実際に侍になりたいのは田畑さんだけだが、ほとんどのメンバーは、自分のやりたいことに全ての時間を捧げ、全力で取り組んでいる。そして彼らを見ていると、僕はそれこそが正しい生き方ではないかと思うようになっていた。
だが、果たしてそうなのだろうか。
世の中には、前に出る人間もいれば、後ろに下がって彼らの背中を押す人間だって必要なはずだ。その背中を押す側でいることに信念を持っていれば、その立場は何ら恥ずべきものではなく、むしろ誇らしいものではないのだろうか。
いや、そもそも、それが何であれ、自分が誇れるのものならば、それでいいのではないのか。
僕はまだ何一つ、自分の中で核になるものを手にしていない。大きな夢はないし、やりたいことがあるわけでもない。それでも同好会に入って、自分に正直に生きる人たちと関わって、何にも縛られず純粋な気持ちで、『本多武蔵』と向き合えるようにはなってきた。
そして僕は今、薄っすらとではあるものの、僕が進むべき道が、いや、進みたい道が見えてきたような、そんな気がしていた。
「あの、すみません」
聞き慣れない声に、僕は顔を上げた。見ると、二人の中学生くらいの女の子が、僕たちの前に立っていた。
「写真、一緒に撮って貰ってもいいですか?」
彼女たちは携帯電話を掌に乗せている。おそらく、ジャンヌさんと撮りたいのだろう。田畑さんと一緒にいる時も、こういうことが稀にあるので、僕は慣れていた。
大洞さんが「ジャンヌさんだよっ」と嬉しそうに言うと、女の子たちは「あの」と照れ臭そうに大洞さんを見る。
「お姉さんも、よければ一緒に入って欲しいです」
「え? わたしも?」
「はい。お姉さん、凄く可愛いから……」
恥ずかし気に俯く女の子たち。それを聞いた大洞さんは、どうしてか僕を見る。
「聞いた? わたしのこと、凄く可愛いって」
「はいはい。今さらでしょ。ほら、僕が撮るから、並んで」
僕は女の子たちから携帯電話を受け取ると、照れる四人へとカメラを向ける。そして、僕がいなければこの写真は撮れないんだ、と、誇らし気にシャッターを切った。




