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侍に誘われて  作者: ゆず
第三章~カレー屋を救え~
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三十九話『予想外の結末』

 授業が終わると、僕たちは部室へと向かった。今日は二限目に講義を取っていないので、特に急ぐ必要はない。ただ、用事の内容がわからないのと、オムさんたちのことが頭の中にあるため、気持ちはどこか焦っていた。


 部室に入ると、そこにはソファーに腰かける田畑さんの姿があった。部屋にはなぜか、重々しい雰囲気が漂っている。


「あの、用事ってなんですか?」


 僕が開口一番に訊ねると、田畑さんは「まあ、とりあえず腰を下ろせ」と視線を落とす。僕たちは言われた通り、カーペットへと座ると、田畑さんの言葉を待った。


 田畑さんは僕たちを見つめると、すっと息を吸った。


「結論から言うと、もうお主らがあの店を手伝う必要はない」

「もしかして、やっと人手が見つかったんですか?」


 喜ぶ大洞さんに、田畑さんは「いや」と首を振る。


「そうではない。……もう、あの店はなくなったからだ」

「……なくなった? 耕作さん、何を言ってるんですか?」


 大洞さんが笑うも、田畑さんはじっと大洞さんを見返す。だが、田畑さんはそういった冗談を言う人ではない。当然、大洞さんもそれをわかっているため、次第にその顔から笑みが引いていく。


「……ちょっと待ってください。本当ですか?」

「ああ、事実だ。もう、あの店が開かれることはない」

「どうしてですかっ? あんなにお客さん来ていたじゃないですか。売上だって、かなりあったと思います。それに最近は、夜に千百円のメニューを食べに来てくれる人も増えたって、シンさんたちも喜んでいましたよ」


 身体を乗り出す大洞さん。田畑さんは「それは知っている」と頷く。


「だが、残念ながら、あの店はもう終わりだ」

「一体、何があったんですか?」


 僕は顎を引き、問いかける。田畑さんは少しの間を空け、ゆっくりと口を開く。


「二人は逮捕された」


 一瞬、僕は頭が真っ白になった。何も考えることが出来ず、耳の奥で、田畑さんの抑揚のない声が反響する。


「た、逮捕って……」


 大洞さんが漏れ出したような声を出す。


「そんな、どうして……」

「不法滞在というものだ。そして、不法就労でもある」


 不法滞在。法律などに疎い僕でも、名前くらいは聞いたことがあった。


「オムさんとシンさんが、不法滞在だったんですか?」


 僕の問いかけに、田畑さんは「そうだ」と頷く。


「そんな、嘘ですよね? そんなの、嘘ですよっ」


 大洞さんが身体を乗り出して田畑さんに詰め寄るも、田畑さんは「いや」と強い眼差しで大洞さんを見返す。


「嘘ではない。きちんと証拠を押さえた上で通報したからな。間違いはない」

「ち、ちょっと待ってください」


 僕は田畑さんに掌を向ける。


「通報したって、田畑さんがですか?」

「ああそうだ。調べたのは、私ではないが」


 田畑さんは顔を後ろへと向けると、「説明してやれ」と誰もいない場所へと声をかけた。すると、ソファーの陰から突然、真っ黒な服を身に纏った人物が、姿を現した。


 それは、忍者の恰好をしたジャンヌさんだった。


「ジャンヌさんっ」


 大洞さんは喫驚した表情を浮かべ、忍者姿のジャンヌさんを見上げた。ジャンヌさんは膝をつくと、頭を下げる。


「誠に申し訳ありませんでした。わたくしの真の姿を、皆様に黙っていて」

「もしかして、お鶴さんの言っていた忍者って……」


 田畑さんに視線を向けると、田畑さんは小さく頷く。


「ジャンヌのことだ」


 訊きたいことが多過ぎて、何も言葉が浮かんでこない。しかし、大洞さんは僕よりも落ち着いている様子で、「あの」と険しい面持ちで二人に向かう。


「どういうことか、ちゃんと説明してください。わたしたちが、納得出来るように」


 ジャンヌさんは「わかりました」と真っすぐ大洞さんを見返した。


「……事の発端は、とある情報をわたくしが入手したことにあります。それは、ある人物が外国人の不法就労を斡旋している、というものでした。そして、そこから調査していくと、その人物は、大学近くにあるインドカレー屋に、深く関わりを持っているということが判明しました」

「それが、『侍じゃ』ということですね」


 ジャンヌさんは僕に視線を向ける。


「その通りでございます。そしてわたくしたちは実態を探るべく、『侍じゃ』への潜入を試みたのですが、そこで思わぬ壁に当たりました。潜入しようにも、客足があまりに少なく、その方法が見当たらなかったのです」

「だから田畑さんは、僕たちに……」


 田畑さんは腕を組み、遠い眼差しを宙に浮かべる。


「そうだ。あの店について探るには、そこで働くのが最も効率がいいからな。そのためには、それなりに繁盛させなければならなかった。だからお主らには、あの店の客足を増やすよう頼んだのだ」

「でも、どうしてわたしたちだったんですか?」


 その大洞さんの疑問は尤もだ。どうして、僕と大洞さんが選ばれたのだろうか。僕たちである理由が、何かあったのだろうか。


 しかし、田畑さんは「何を言っている」と無表情で僕たちを交互に見る。


「それなら最初に言ったであろう。他の者は忙しく、手が空いていなかったと」


 要するに、ただ暇だった二人が選ばれたということか。しかし、そこまで正直に言って貰えると、却って不満を抱かなかった。


「それで、店にたくさんお客さんが来るようになったから、ジャンヌさんをお手伝いさんとして、潜入させたわけですか」

「その通りだ。おかげで、充分な証拠を手に入れることが出来、通報に至った。二人には誠に、感謝している」


 そんなことで感謝されても、どう反応していいのかわからない。それよりも、僕は最も気になることを、訊かなければならなかった。


「でもどうして、オムさんたちを通報したんですか? 見て見ぬふりだって、出来たと思うのですが」


 二人が今、どこで何をしているか、僕にはわからない。しかしおそらく、あのシンさんの人懐こい笑顔と、オムさんのシャイな笑みは、そこにはないはずだ。彼らが俯き、悲しんでいる姿を想像するだけで、僕は胸が痛くなってくる。大洞さんも僕と同じ気持ちなのか、鋭い眼差しを二人に向けている。


 しかし、田畑さんは毅然とした態度で、首を左右に振った。


「見て見ぬふりなんて出来るはずがない。全ては、あの二人のためである」


 その言葉を受け、僕は身を乗り出す。


「逮捕されることが、二人のためなんですか? 不法滞在だったかもしれませんが、それでも二人は、毎日とても幸せそうでした。どうして、日本が大好きで、一生懸命汗水流して働いて、あれだけ人のいい二人が、逮捕されないといけないんですか? それのどこが二人のためなんですか?」


 息する間もなくそう捲し立て、僕は肩で息をする。耳から上が、燃えるように熱い。こんなにも感情的

になっている自分に驚いているものの、止められなかった。


 そんな僕に、「本多さん」とジャンヌさんが低く、しかし穏やかな声をかけた。


「あのお二方は、騙されて日本に来られたのです」

「……騙されて?」


 その僕の問い返しには、田畑さんが「うむ」と頷く。


「日本に来ればこれだけ稼げる。来て少し頑張るだけで家族は貧しい思いをしなくて済むようになる、と言われ、彼らは連れて来られるのだ。そして何も知らない彼らは、不法入国者として日本に入り、そして安い賃金で労働させられている」

「じゃあ、二人は自分たちが不法滞在をしているとは思っていないんですか?」

「そうだ。彼らはただ、家族のために日本に来て、出稼ぎをしていると思っている。オムとシンも、大好きな日本で働けて、そして家族が幸せになれる、こんな夢のようなことはない、とジャンヌに言っていたそうだ」


 ジャンヌさんは沈痛の面持ちで俯いている。それでも僕は、まだ納得出来ない。


「しかし、騙されていたのに逮捕なんて、あまりに可哀想です」

「確かに同情はするが、それでも今のままだと、彼らはこれから先もずっと、不法滞在者という立場のままになる。今は問題がなくとも、その地位が不安定であるが故に、いずれ必ず困難に直面する時がくる」


 その言葉には、反駁の言葉が見つからなかった。


 シンさんもオムさんは、例え騙されていたとしても、違法な状態で日本にいるということになる。病気になっても病院には行けないだろうし、日本で幸せな家庭を築いたとしても、不法滞在者であることがばれてしまえば、その環境は瞬く間に崩壊してしまうだろう。


 つまりこのままだと、彼らは常に大きなリスクを背負いながら、生きていかなければならなくなる。それは果たして、本当の意味で幸せなのだろうか。その自問に、僕は答えを見出すことが出来なかった。


 田畑さんは双眸を細める。


「二人の『今』は、確かに幸せかもしれぬ。だが、『今』だけを見ている人間は未来に待ち構える落とし穴に気付かず、いずれ必ず、痛い目を見る時がやってくる。本気で『今』を生きたいのならば、それに伴うリスクと向き合わなければならぬのだ」


 その田畑さんの言葉に、僕は驚いた。僕はてっきり、田畑さんは目の前にあるやりたいことしか見えておらず、後先なんてこれっぽっちも考えていない人だと思っていた。それが田畑さんの生き方で、僕はどこか、そんな無鉄砲なところに憧憬を抱いていた。


 しかし、どうやらその僕の見解は間違っていたようだ。


 田畑さんはしっかりと先を見据えた上で、今を全力で生きている。


『今が良ければ、それでいい』


 僕は勝手に、そんな言葉越しに田畑さんのことを見ていたが、田畑さんはそんな浅い言葉の向こうには、いなかったのだ。


 大洞さんは「じゃあ」と窺うように二人を見る。


「オムさんとシンさんは、どうなるのですか?」


 ジャンヌさんは苦い表情を浮かべる。


「現時点では、彼らの状況がはっきりしていませんので断言は出来かねますが、いずれにせよ、おそらく彼らの母国へと帰されることにはなると思います。それが強制退去処分であれば、今後五年間は日本への渡航が禁止されます」

「インドに帰るということですか?」

「いえ、彼らはスリランカ人ですので、スリランカへの帰国となります」


 僕は「ええっ?」と大きな声が出る。


「オムさんとシンさん、インド人じゃなかったんですか?」

「はい。しかし、その部分に関しては特に大きな問題ではないかと。実際、インド料理屋の経営者の多くは、インド人ではありませんから」


 そうなのか。まあ、彼らは自身の口から一度も、インド人であるとは言っていなかったので、嘘をついていたわけではないが。


 それを聞いた大洞さんは苦笑する。


「……まあ、インド人でも、スリランカ人でも、オムさんとシンさんは、オムさんとシンさんだからね」


 田畑さんは「左様」と大きく頷く。


「どこの国の人間かどうかなんて、些末なこと。それにあの二人はまだ若い。人間、生きていれば、いくらでもやり直せる」


 そうだ。失敗しても、命を取られるわけではない。ここは戦国時代ではなく、失敗が許される社会。もう一度、立ち上がれる社会だ。


「きっとまた、二人と会えますよね?」


 大洞さんのか細い問いかけに、田畑さんは「勿論だ」と頷く。


「生きていれば会える。必ずな」


 僕はその言葉を信じることにした。大洞さんを見ると、どうやら大洞さんも現実を受け入れたようで、強い眼差しで僕を見返した。


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