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侍に誘われて  作者: ゆず
第三章~カレー屋を救え~
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三十六話『助っ人』

 二日目の朝、僕は開店準備中の『侍じゃ』に立ち寄った。時間はまだ八時半だが、既にキッチンからは、包丁がまな板を叩く音が聞こえてくる。


「おはようございます」


 そう声をかけながら覗くと、あくせくと働くシンさんとオムさんの姿が見えた。二人は手を動かしながら、「おはようございます」と笑みを浮かべる。


「今日は十一時前から、一時過ぎまで手伝いますので」

「助かります。ありがとうございます」


 今日は、一、三、四、五限の講義を受ける予定になっているので、空いているのはその時間となる。大洞さんも同じ講義を取ると言っていたので、それ以外の時間、残念ながら僕たちは手伝えない。


 最も忙しい十二時から一時まではカバー出来るが、昨日の様子からすると、三時近くまでは客足が途絶えないことが予想されるので、その時間、おそらく店を回すのは厳しくなる。


「でも、昨日田畑さんが言っていた助っ人って、いつ来るんでしょうね」


 僕がそう言った時、入り口の扉が開いた音が聞こえた。おそらく大洞さんだろう。そう思って僕がキッチンから出ると、そこにいたのは、田畑さんだった。朝なので、まだ髭は生えていない。


「あれ、田畑さん。お忙しいのでは?」

「ん。まあそうだが、オムとシンはいるか?」

「はい。ちょっと待ってください。呼んできますから」


 オムさんとシンさんを連れてくると、田畑さんは二人を見て頷く。


「では、昨日言っていた与力を、紹介する」


 田畑さんはそう言うと、後ろを振り返り、「入ってこい」と手招きした。扉の奥から、女の子らしい可愛い服が見えたかと思ったが、次の瞬間、僕は思わず絶句してしまった。


 入ってきたのは、あの、いつか僕がすれ違いざまに肩をぶつけた、スケートボードに乗り、メイド服を着た、体躯のいい外国人の女性だった。あの時と同じ服かと思ったが、よく見ると色が違っている。


「あの、まさかその人が……」


 田畑さんは「そうだ」と頷く。


「この店を手伝って貰う、ジャンヌだ」


 ジャンヌさんは一歩前に出て、うなじが見えるほど、深々と頭を下げる。


「ジャンヌと申します。不束者で、ご迷惑をおかけしてしまうこともあるかと思いますが、何卒よろしくお願いいたします」


 そのあまりに流暢かつ丁寧な日本語に驚きながら、僕は軽く頭を下げた。オムさんとシンさんも唖然とした様子で、「おねがいします」と答えるのに、少し間が空いていた。


 田畑さんはジャンヌさんの肩に手を置く。


「人手が足りるようになるまで、この店を手伝うよう言ってある。こう見えて、ジャンヌは有能だからな。おそらく、一人でも充分な戦力となるはずだ」

「いえ、わたくしはまだまだ未熟者ですので。ご迷惑にならぬよう、そして、皆さまから勉強させて貰いたいと思っております」


 その見た目でそこまで丁重な言葉遣いだと、却って恐ろしく感じてしまう。申し訳ないが、ジャンヌさんの見た目は、完全に悪役女子プロレスラーのそれだ。


 いや、そもそも女子なのかどうかも疑問だ。『ジャンヌ』というくらいだからおそらく女性なのだろうが、それが本名なのかどうかはわからない。無論、そんなことを訊くわけにはいかないので、僕はただただ、愛想笑いを浮かべておく。


 田畑さんは「では」と手を上げ、踵を返す。


「私はこれにて失礼する。ではジャンヌ。あとのことは、オムとシン、それとあとから来る私の許嫁に訊いてくれ。くれぐれも、粗相のないように」


 田畑さんはジャンヌさんの肩に手を置くと、そそくさと店を出て行ってしまった。


 何とも言えない沈黙が、インド歌謡を背景に流れる。ジャンヌさんは無表情で僕たちを交互に見つめ、オムさんとシンさんはライオンに怯える小動物のように、ジャンヌさんから視線を逸らし、落ち着かない様子で足を揺すっている。


 今、この空気を打破出来るのは、僕しかいない。


「あ、あの、ジャンヌさん。一つだけ質問、いいですか?」


 ジャンヌさんは鋭い眼差しを僕に向ける。


「一つと言わず、どうぞいくらでも」

「えっと、じゃあとりあえず一つ。その服は一体、何ですか?」


 ジャンヌさんは視線を下げる。


「この服ですか? 日本ではこれで接客をすると小耳に挟みましたので、着用して参りました」

「確かに、そういったお店はありますけど……」


 僕が苦笑いを浮かべていると、ジャンヌさんは眉間に皺を寄せる。


「もしかして、不愉快でしょうか? もしそうだとしたら、今すぐここで、引き千切って火をつけますが」

「い、いや、大丈夫です。不愉快ではないです」


 僕が慌てて否定すると、ジャンヌさんは「そうですか」と片方の口角を上げた。おそらく、微笑んだのだろう。オムさんとシンさんはすっかり怯えて、固まってしまっている。無理もない。僕だって田畑さんが連れてきた人でなければ、失禁の一つくらいしていたかもしれない。


 その時、店の扉が開き、「おはようございます」と大洞さんの声が聞こえた。大洞さんは入ってくるなり、ジャンヌさんを見て、「うおっ」と大洞さんらしからぬ悲鳴を上げる。


「びっくりしたー。えっと、この奇抜な方は一体?」


 僕が紹介するよりも前に、ジャンヌさんが半歩下がり、深々と頭を下げる。


「わたくし、このお店を手伝うよう命じられて参りました、ジャンヌと申します。何かと至らぬ点が多く、ご迷惑をおかけしてしまうこともあると思いますが、少しでも皆さまのお力になれるよう、粉骨砕身の努力を傾注いたしてまいりますので、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます」


 最早ビジネス文書のようなジャンヌさんの言葉に、大洞さんは「左様でございますか」とわけのわからない返事をし、同じように深く頭を下げている。


「ってことは、ジャンヌさんが、耕作さんが言ってた助っ人さんってこと?」

「さっき田畑さんが来て、そう言ってたよ」


 大洞さんは「へえ」とジャンヌさんをまじまじと見つめる。


「日本語、とてもお上手ですね」

「いえいえ、恐縮です」

「お上手ですよー。それと、このお洋服、とても可愛いですね」


 大洞さんのその言葉に、なんと、ジャンヌさんの顔が赤らんだ。


「そ、そんなことありません。大洞様が着用なさっている、そのお洋服の方がずっと可愛らしいと思います」

「えーっ。それはお洋服じゃなくて、わたしが可愛いんじゃないですか? とか言ってみたりして。そのお洋服は、どこで買ったんですか?」


 ジャンヌさんは服の袖を厚い指で摘まむ。


「これは購入したものではなく、自らの手で作成いたしました」

「ジャンヌさんが自分で縫ったんですか? それは凄いですっ。デザインも可愛いし、フリルなんかついていて、刺繍もとてもお洒落です」

「そ、そんなこと、ありませんよ」


 ジャンヌさんは両手を頬に当て、その大きな身体を小さくした。僕とシンさん、オムさんは呆然と、口が半分開いたままになっている。ジャンヌさんの振り幅が大き過ぎて、男三人は、全くついていけていない。


 大洞さんとジャンヌさんの会話はさらに盛り上がり、二人は女子高生のようにはしゃぎ始めた。どちらにせよ、初対面でそこまで仲良くなれるのはいいことだろう。本当なら放っておきたいところだが、残念ながらそういうわけにはいかなかった。


 僕は時間を確認し、「大洞さん」と呼びかける。


「そろそろ行かないと、一限目、間に合わなくなるよ」


 店の時計を見た大洞さんは、「わ、本当だ」と慌てる。


「じゃあ、ジャンヌさん、また時間があったらお話の続きしましょうね」

 ジャンヌさんは「ぜひ」と片側の口角を上げた。するとシンさんが、「あ、あの」とジャンヌさんにおそるおそる話しかける。


「ジャンヌさんは、おりょうりは出来ますか? ほうちょうは、使えますか?」


 ジャンヌさんは笑みを引き下げ、真面目な表情をシンさんへと向ける。


「自信はありませんが、ワニまでなら捌けます」


 ワニまで。一体、何からワニまでなのだろうか。むしろ、ワニを捌けて、何が捌けないのだろうか。そんな疑問を僕が抱いていると、「本多くんっ」と大洞さんに腕を掴まれた。


「早くしないといけないんでしょ。ほら、行くよ」


 大洞さんはオムさんたちを見て、小さく拳を作る。


「じゃあ、頑張ってくださいねっ。一限目が終わったら、手伝いに来るので」


 そのまま大洞さんに引っ張られ、僕たちは店を出た。ふと僕は、店の傍に立っている電柱に頑丈な鎖で巻きつけられた、スケートボードを見つけた。盗難防止のためだろうが、まるで捉えられた捕虜のような姿のそのスケートボードに、僕は戦慄を覚えた。



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