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侍に誘われて  作者: ゆず
第三章~カレー屋を救え~
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三十五話『一日目終了』

 お客さんが途切れる前に、用意していたカレーの材料が全てなくなってしまい、今日の営業は終了した。かなりの数を準備していたが、それでも足りなかったのは嬉しい誤算といったところだろう。並んでくれた人にはきちんと提供出来たので、誰にも不快な思いはさせなかったはずだ。


 時計の針は、四時半を差している。僕たち四人はぐったりと疲れ果ててしまい、田畑さんだけが、ピンと張った背筋でナンを頬張っている。


 僕が店を手伝ったのは三時間ほどだったが、体感的には、一時間も経っていないような気がした。あまりに忙しいと、時間の経過が早く感じるのかもしれない。しかし、それとは対照的に、身体はとても三時間働いただけとは思えないほどの疲労を訴えていた。


 テーブルに上半身を伏せていた大洞さんが、ゆっくりと頭をもたげた。その顔には疲れが見えるものの、何とも言えない清々しさのようなものも滲んでいる。そしてそれは、オムさんとシンさんも同様で、おそらく、僕も同じだろう。


 大洞さんは僕を見ると、頬を緩める。


「大成功だね。思い切って、限定にしなくてよかった」


 僕は「そうだね」と笑みを浮かべて頷いた。まさか、ここまで上手くいくなんて、やる前は思ってもいなかった。少しくらいお客さんが増えてくれれば御の字で、大方、残念な結果になるだろうと、内心では予想していた。


 いくら大洞さんの実家が老舗の割烹であっても、所詮僕たちは素人であり、ただの学生だ。そんな何の実績もない二人がいくら頑張ったところで、上手くいかないだろうと、そう決めつけていた。


 実際、上手くいかない可能性もあったはずだ。いや、むしろその可能性の方が高かったと思う。しかし、『侍じゃ』が元々持っていた魅力と、その他の様々な要因が上手く噛み合い、半ば偶然に成功したのだ。


 それでも、僕たちが成功したのは事実だ。


 やらなければ、今、僕が見ている景色は、見られなかったのだ。


 天井に向かって腕を伸ばした大洞さんが、「でも」と困った表情を浮かべる。


「忙しくなったのは嬉しいけど、ちょっと考えないといけないかも」

「考えるって、何を?」

「人手のこと。わたしたちがずっと手伝えるわけではないし、オムさんとシンさんの二人だけじゃ、今日の客数だと、絶対に回せないでしょ」


 確かにそうだ。今日も本来なら、僕たちは三限目から講義があったのだが、あまりに忙しくて出られなかった。まだ履修期間なので何とかなるが、本格的に授業が始まってしまえば、そういうわけにもいかなくなる。


 さすがに今日の客足が続くわけではないと思うが、それでもそれなりの客が来れば、オムさんたち二人では、やっていくのは厳しいだろう。


 大洞さんの言葉に、シンさんは「そうですね」と神妙に頷く。


「ささきさんに一度、相談してみます」


 佐々木さん。確か、この店舗を二人に貸してくれている人だ。人手不足を相談するということは、どうやら佐々木さんは、ただ店舗を貸してくれるだけの人ではないようだ。


 大洞さんは「でも」と険しい顔を見せる。


「それまではわたしたちが手伝うとしても、やっぱりわたしと本多くんだけじゃ、ちょっと厳しいよね。お鶴さんたちに頼むわけにもいかないし」


 それは間違いない。今日は偶然、田畑さんを捕まえることが出来たが、田畑さんがいなかったら、どうなっていたかわからない。


「田畑さんは、明日からは?」


 僕の問いかけに、田畑さんは「無理だ」と首を振った。その振動で、田畑さんの髭についていたナンの粉が、掃除の済んだテーブルの上に落ち、大洞さんが少しムッとして布巾を手に持つ。


「……どうして無理なんですか?」


 布巾でテーブルを拭きながら大洞さんが訊ねると、田畑さんは「忙しいからだ」と答え、手についた粉を掃ってテーブルへと落とした。それにはさすがの大洞さんも、「もおっ」と怒り、田畑さんへと投げるように布巾を渡す。


「自分で拭いてくださいっ」


 田畑さんは殊勝にテーブルを拭きながら、「だが」と一点を見つめる。


「それなら、何とかしよう」

「何とかしようって、どうやって?」


 田畑さんはゆっくりと、僕にその円らな瞳を向ける。


「一人、助っ人を呼ぶ。かなりの戦力になるはずだ」

「助っ人って……、同好会の人ですか?」


 僕のその問いかけには答えず、田畑さんはオムさんたちに視線を向ける。


「報酬を支払う必要はない上、朝から晩までこき使っても構わん。連絡しておくので、明日から来るはずだ」


 オムさんとシンさんは、「ありがとうございます」と頭を下げている。僕と大洞さんは視線を合わせると、互いに首を傾げ合った。一体、誰が来るのだろうか。しかし、誰であっても、人が来てくれるのならいいだろう。


 心地良い静寂と疲労が、同時に降りてくる。


 すると突然、オムさんは何かを思い立ったようにキッチンへと向かうと、五つのカップを手に戻ってきた。そして、それを僕たちに手渡すと、照れ臭そうに後頭部に手を当てる。


「あの、みなさん、本当にありがとうございました」

「本当にありがとうございました」


 二人は丁寧に頭を下げる。カップを見てみると、そこには紅茶のような飲み物、チャイが揺れていた。


 僕たちはカップを手に持ち、そして頷き合う。生温かいインドの風が吹く中、五人は小さな祝杯を掲げた。


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