三十四話『繁盛』
全身から噴き出す汗に抱かれながら、僕は『侍じゃ』へと小走りで向かった。文学部の他、法学部と理工学部も回ったため、一時を二十分ほど過ぎてしまっている。
キャンパスを出て、飲食店が並ぶ通りを歩くと、遠くに今まで見たことがない光景が広がっていた。なんと、『侍じゃ』の前に、人の列が出来ているのだ。店の前では、大洞さんが慌ただしく動いている様子が小さく見える。
僕は走って店に向かうと、「大洞さんっ」と声をかけた。大洞さんは顔を上げると、小さく親指を立てた。
「凄い人だね」
列は二列になっていて、中で食べるのを待つ人と、テイクアウトを待っている人に分かれている。ただ、テイクアウトを待っている人のほとんどが男子学生なのは、気のせいだろうか。
「僕も何か手伝おうか?」
大洞さんは店内を一瞥する。
「中が大変みたいだから、そっちお願い。外はわたし一人で大丈夫だから」
僕は「わかった」と頷き、開けた扉から店内へと入った。席はテーブル席、カウンター席共に全て埋まっていて、いつもは広く感じる空間がとても狭く見えた。キッチンから僕を見つけたシンさんが、僕を手招きする。
「シンさんっ、お客さん、たくさん来てますよ」
「とてもうれしいです。あの、すみませんが、これを運んでもらえませんか。あの二番のテーブルせきです」
僕は三つのカレーライスと、一つのナンが乗ったトレ―を渡される。一瞬、重さで落としそうになって肝を冷やしたものの、指示通り、二番席へと持っていく。すると次は、オムさんが「本多さんっ」と大きな声で僕の名前を呼ぶ。これまで、オムさんのそんな声を聞いたことがない僕は、驚きながらもキッチンの中にいるオムさんの元へと向かう。
「はい。なんですか?」
「カウンターのおきゃくさまが、お会計なのでおねがいします」
「わかりました。えっと、」
見ると、一人の男子学生が尻ポケットから財布を取り出し、五百円玉を指に挟んで待っている。僕は急いでカウンターの中に入り、百五十円を用意すると、男子学生、いや、お客様へと手渡した。
「ありがとうございました。またお越しください」
自然とそんな言葉が出た自分に、僕は驚く。男子学生が店を出ると、僕は皿を下げ、カウンターを丁寧に布巾で拭き、次に待っている客を呼び込む。忙しくなることを見越し、予め大洞さんとシンさんたちから接客の方法を教えて貰っていたのだが、本当によかった。もし教えて貰っていなければ、今頃大変なことになっていただろう。
絶え間なく続く客の波に四人が忙しなく動いていると、見慣れた姿が店の前に現れた。田畑さんだ。田畑さんはいつもの真顔で店の状況を眺めると、腕を組み、うんうんと満足気に頷いている。
「なかなか、繁盛しているではないか。どれ、私もカレーをよばれようかな」
すると、大洞さんが「耕作さんっ」と呆れたような声を出す。
「何を寝ぼけたこと言ってるんですか。耕作さんも手伝うんですよ。とりあえず、中に入ってください。耕作さんでも、皿洗いくらいは出来るでしょ」
すると田畑さんが大洞さんに押されて、店の中へと入ってきた。田畑さんは配膳する僕の姿を見つけると、「武蔵」と小さく手を上げる。
「カレー、一人前だ。ライスは大盛りでな」
「田畑さんはこっちです」
僕は田畑さんの袖を引っ張り、キッチンの流し場へと連れていく。そして、目まぐるしく動いているオムさんとシンさんに、「洗い物っ」と声をかける。
「このお手伝いさんがやってくれるそうですので」
二人は田畑さんを見て一瞬、驚いた表情を浮かべたものの、すぐに「おねがいします」と頭を下げた。
「はい、頼まれたんですから、しっかりやってくださいね」
田畑さんの背中に手を添え、僕はホールへと戻った。振り返って一瞥すると、田畑さんは袖を捲り、素直に皿を洗い始めていた。侍がインドカレー屋で皿を洗う姿は、何だか風情が感じられた。
その時、僕はふと、聞き覚えのある声を耳にした。
「やばっ、この子めっちゃ可愛くない?」
「うわ、顔ちっちゃ。ミカの鼻くらいしかないよ」
「あたしどんだけ鼻でかいんだよ」
ケタケタと笑う声。外に目を向けると、僕が最初に声をかけた、あの女子学生たちが来てくれていた。女子学生たちは大洞さんを見て、その容姿の良さに驚いている。
僕が彼女たちを見ていると、そのうちの一人が店内の僕に気がついて、「あ、あの人」と手を振った。突然のことだったので、僕はつい、手を振り返してしまう。それを見ていた友達が手を振った人を小突き、「お前ら付き合ってんのかよ」と冷やかしている。
大洞さんは振り返り、僕を軽く睨んだ。サボっていると思われたのだろう。僕は慌てて、布巾でカウンターを拭き始めた。




