三十一話『五百円』
「ごひゃくえんですか……」
案の定、オムさんとシンさんは絶句した。テーブル席に向かい合って座る僕と大洞さんは顔を見合わせ、苦笑する。半値以下にしろと言えば、そんな反応になるのも無理はないだろう。オムさんとシンさんは一点を見つめたまま、動かない。
時間は昼の十二時半。どうせなら客としてお金を落とそうと、僕と大洞さんは敢えて、昼食時に店へと来た。しかし今、店の中にいる客は僕と大洞さんの二人だけ。学部によってはまだ試験があるので、夏季休暇は言い訳にはならないだろう。実際、通りに並ぶ他の店は、普段ほどではないものの、それなりに賑わっている様子だった。
やがてシンさんが、引きつった笑みを浮かべながら、こめかみを掻く。
「あの、さすがにそれは、きびしいです」
大洞さんは「勿論」と、千切ったナンを一旦置く。
「このメニューで五百円が無理なのは、わかっています。なので、五百円で出せそうなメニューを、一緒に考えましょう」
その言葉に二人は安堵した様子で、「わかりました」と頷いた。その目には、強い決意が滲んでいる。二人も本気で、この現状を何とかしたいと思っているのだろう。そしてその気概は、しっかりと変化となって現れていた。
前回、大洞さんが注意した部分は全て、しっかりと改善されていた。店は隅々まで綺麗に掃除され、散見された刀や盆栽などは全てなくなっている。代わりに、インドのものなのか、見たことのない置き物や絵が飾られ、テレビで流れていた演歌もインドの音楽へと替わっている。雰囲気は、前回よりもずっとインドカレーを出す店のものになっている。
「あとは、集客をどうするかだけど……」
大洞さんが悩ましい様子で、水の入ったグラスを傾ける。それに関しては、まだほとんど決まっていなかった。シンさんに訊いたところによると、店の前でカレーを作るのは準備すれば可能だとのことだ。なので、前を通る人にカレーをアピールすることは出来るが、それだけで人が集まるかは疑問だ。
集客するには、何をすればいいか。僕はふと、サークルや同好会の、新入生歓迎を思い出した。
「あれじゃない? やっぱりベタだけど、チラシなんかを配ればいいんじゃないかな?」
しかし大洞さんは苦い表情で首を振る。
「それは、残念ながら出来ないみたい。わたしもそう思って調べたんだけど、どうやら大学がチラシの配布を禁止してるんだって」
「でも、お店のチラシとかクーポンとか、大学で配られてるの、貰ったことあるけど」
「四月の間は、無条件に認めているんだって。それ以外は、大学に申請して許可を貰わなといけないみたい。電話をしたら、事務の人が教えてくれたの」
わざわざ電話をかけたのか、と僕はその行動力に感心する。しかし、チラシが禁止となると、他にどんな方法があるだろうか。ここは普通の店とは違い、学生に来て貰わなければいけない。一般的な飲食店なら、サイトを作ったり、ネットを活用して宣伝したりすることが有効的な手段となるのだろうが、この店の場合、来て欲しい相手はすぐそこにたくさんいるのだから、直接宣伝した方が、効率も効果も高いはずだ。
直接か。僕はふと、至極古典的な方法が頭に浮かんだ。
「……禁止されているのは、チラシを配る行為だけだよね?」
「うん。そうみたいだけど」
小首を傾げる大洞さん。
「じゃあさ、直接学生たちに声をかけていけばいいんじゃないの? 大学の前でインドカレーの店をやっているので、ぜひ来てくださいって」
大洞さんは鳩が豆鉄砲を食らったような目で、僕とじっと見返す。
「……あれ? 僕、何か変なこと言った?」
大洞さんは「いや」と驚いたままの顔で首を振る。
「本多くんが、そんな提案をするとは思わなかったから」
僕は冷静になり、自分が言ったことを振り返ってみた。そして僕は、気がついた。自分で、自分の首を締めようとしていることに。
「あ。ちょっと待って。やっぱり、」
「わたしはいいと思うよっ」
大洞さんが、僕の腕に手を置いた。
「やってみようよ。後期の授業が始まったら、みんなに声をかけようよ」
「いや、でもやっぱり、」
「少なくとも、やらないよりは、絶対にやった方がいいよ。それで一人でもお客さんが来てくれるなら、やる意味があると思う。じゃあ、それは決まりね」
大洞さんは軽く手を叩くと、「よし」とカレーをつけたナンを頬張った。僕はどうしてあんなことを言ってしまったのか。悔恨の念が激しく押し寄せる。
大洞さんはナンを飲み込むと、「じゃああとは」とキッチンに視線を向ける。
「メニューが決まれば、大筋は見えてきそうだね」
キッチンの中では、オムさんとシンさんが真剣な顔を突き合わせ、おそらくメニューについて話し合っている。五百円以下で、学生を満足させられるメニュー。果たして二人は、それを考えることが出来るのだろうか。
テレビの中ではインド人が、驚くような息の合ったダンスを踊って、多分、エールを送ってくれていた。




