二十九話『指導』
「まず、このお店って普段、どれくらいのお客さんが来るんですか?」
僕が訊ねると、シンさんは視線を斜めに上げる。
「だいがくがある日は、おおくてこれくらいです」
手で二とゼロを示すシンさん。二十人。多くてそれならば、飲食店としてやっていける客数ではないだろう。
「じゃあ、ない日は?」
「五人くれば、いいほうです」
それでは閑古鳥すら鳴いてくれなさそうだな、と僕は苦笑が漏れる。
「えっと、あのメニューの値段っていくらでしたっけ?」
「ぜいこみで、千百えんです」
税込で千百円。実際に食べてから聞くとそう高いとは思わないが、しかしランチで、それも学生を相手に商売するには、千百円はあまりに高過ぎる。大学の中の食堂なら、カレーライスにカツ丼をつけても、千円いかない。値段は見直さなければいけないだろう。
「あと、わたしずっと思っていたんですけど、このお店の内装って、どういったコンセプトからなんですか?」
大洞さんの質問に、二人はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、目を輝かせる。
「それはもちろん、日本がだいすきだからです」
「日本のすばらしいもの、あつめました」
あまり口数が多くないオムさんまでが、前のめりになって答えた。
僕は改めて店内を見渡す。刀に手裏剣、演歌に盆栽に掛け軸。掛け軸はどう見ても日本のものではないような気がするが、その辺りは触れないでおくとして、納得は出来た。彼らはデザイン云々ではなく、日本のものをとにかく集め、飾っているのだ。
「じゃあ、あの店の名前も?」
僕の問いかけに、「そうです」とシンさんは大きく頷く。
「日本といえば、サムライとニンジャです。どちらもくっつけば、めちゃくちゃかっこよくて、つよいはずです」
忍者と侍を合わせているから、『SAMURAIJA』なのか。どうしてそう結合したのかは疑問が残るが、大した理由なんてなさそうなので、訊かないでおくことにした。
シンさんの説明を聞いた大洞さんは苦笑する。
「その気持ちは日本人としてとても嬉しいですけど、普通は逆だとわたしは思います」
「ぎゃく、とは?」
シンさんが首を傾げ、大洞さんは人差し指を立てる。
「だって、ここに来る人はみんな、インドカレーを食べたい、インドの世界観に浸りたい、と思って来店すると思うんですよ。だから本当は、日本のものではなく、インドのものを置くべきじゃないかな、と」
「でも、わたしたち、日本がだいすきなんです。それを、しってほしいです」
「勿論、その気持ちはわかります。でも、少しきつい言い方になりますけど、それはオムさんとシンさんの都合ですよね。……このお店、人がこない理由はたくさんあると思いますけど、一番変えないといけないのは、お二人の意識だと思います。『お客様にいかに満足して貰うか』。このお店に入ってからずっとお二人を見ていて、その意識が足りないんじゃないかな、とちょっとだけ思いました」
大洞さんは立ち上がると、「例えば」とカウンター席へと移動する。
「ここ、カウンターの上は拭いていますが、椅子にルーのあとが僅かに残ったままです。お客様はこういった、一見すると気付かないところまで見ているので、しっかり掃除しましょう。そしてメニューを運んでくる際、わたしのものをシンさん、本多くんのものをオムさんが運んできてくださいましたが、向きが上下バラバラでした。あれはナンが手前、ルーを奥で固定した方がいいと思います。あとは扇風機ですけど、」
「ち、ちょっと大洞さん」
僕は淡々と注意していく大洞さんを止める。
「もうちょっと、ゆっくりにしてあげないと。……ほら」
オムさんとシンさんは、口を半分開けたまま、固まってしまっている。それに気付いた大洞さんは顔を赤くし、「ご、ごめんなさい」と身体を小さくする。
「つい、熱が入っちゃいました。一気に言われてもわからないですよね。すみません。あ、じゃあ、紙に書いておきましょう」
鞄の中からルーズリーフを取り出した大洞さんは、そこに箇条書きで、今注意していったことを、平仮名で書いていく。それをじっと見ていたシンさんは、「すごい」と零れるように呟いた。
「……そこまでこまかいところまで、気をつかうんですね」
大洞さんは小さな笑みを浮かべる。
「そうですね。お客様に提供するのは、実は食事じゃないんです。来店されてから、お帰りになられるまでの、時間を提供するんです」
「じかん、ですか?」
オムさんが顎を引いて訊ねる。
「はい。お客様の時間をいただくわけですから、提供する側は食事を含めて、お客様がその時間を快適に過ごされるための空間、雰囲気、接客態度を意識する必要があるんです。……ってまあ、全部両親からの受け売りなんですけどね」
大洞さんは悪戯な顔で笑った。オムさんとシンさんの二人は、感心するように小さく何度も頷いている。僕も、その大洞さんの普段からは想像つかない姿に、驚きを隠せないでいた。
書き終えた大洞さんは、その紙を二人へと渡す。
「とりあえず、今すぐに改善出来そうな点は、これくらいでしょうか」
覗いてみると、ざっと箇条書きで二十ほどはあるだろうか。受け取ったオムさんとシンさんはそれを見て一瞬、息を呑んだものの、力強く頷いた。
「ありがとうございます。がんばります」
しかし、そもそもそこに書いてあるのは、来客者の心を惹きつけるものばかりだ。僕たちがしなければならないのは、いわゆる集客。この店に来たことがない人に、来たいと思わせる必要がある。
そのために、何をしなければならないか。僕は真剣に考えを巡らせるものの、さすがにすぐには思い浮かばない。色々と調べる必要も出てくるだろう。
とにかく、これは今日一日で解決する類のものではない。僕は二人に訊ねる。
「えっと、大学の夏季休暇中、お店は?」
シンさんが懐から手帳を取り出し、僕へと見せる。見たところによると、学部によっては試験のある八月二週目までは営業があり、そこから九月の頭、大学が始まるまでは休みのようだ。学生が来ないのなら、店を閉めるのは仕方がないだろう。
「じゃあ、この間にまた何回か来ようか」
大洞さんは「そうだね」と頷く。
「わたしたちはそれまでに、どうやってお客さんを呼ぶか考えよう。何時くらいに来れば、お二人は時間が取れますか?」
「いつでもだいじょうぶですよ」
シンさんは満面の笑みで答える。そんな清々しい顔をしている場合ではないのでは、と僕は思いながら、「じゃあ」と席を立つ。
「また来るので、その時はよろしくお願いします」
オムさんとシンさんに見送られながら、僕たちは店をあとにした。店から離れると、僕は深い溜息を吐く。
「……なんだか、大変なことになったね」
「でも、ちょっと楽しそうじゃない?」
大洞さんは目を輝かせる。僕は「そうだね」と言いながら、一体どこが楽しそうなのだろうか、と憂鬱になる。
それにしても、最近、大洞さんは少し変わったような気がする。元々、長い付き合いではないので、彼女のことをよく知っているというわけではないが、それでもやはりあの日から、確実に何かが違っているのは僕にもわかる。何が変わったかまでは、さすがにわからない。わかることと言えば、後ろで一つ結びにしていた髪型を、解いて下ろすようになったことくらい。
「じゃあ次の作戦会議、どうする? いつにする?」
大洞さんはまるで遊びの予定を立てるかのように、弾んだ声で僕に訊ねた。僕が首を捻って「作戦会議?」と問い返すと、大洞さんは「そうだよ」と胸の前で拳を作る。
「どうやってお客さんを集めるかの、会議をしないと」
「それはわかるけど、連絡はこれで出来るでしょ」
僕がポケットから携帯電話を取り出すと、大洞さんはなぜか軽く僕を睨む。
「……そうじゃなくて、こういうのはどこかで集まって、ちゃんと話し合わないと駄目なの。だから、いつにするって訊いたのっ」
そういうものなのか、と僕はその言い分に納得は出来なかったが、さっきの大洞さんの鋭い指摘を見ていたので、何も言い返せなかった。
「まあ、僕は別に、いつでも大丈夫だけど」
「じゃあ、また決まったら連絡するね。あ、そうそう。訊いてよ。昨日さ…………」
大洞さんの四方山話に耳を傾けながら、僕は遠くで揺らめく陽炎を見つけた。陽炎はその先に広がる景色を、怪しく隠している。
近付けば消える。そのことが頭ではわかっているのに、どうしてか、進むのを躊躇う僕が、ここにいた。




