二十五話『好きにならない理由』
噛むと、カリッという触感がして、僕は驚く。僕が口内でその正体を探していると、ベッドにうつ伏せで転がっているお鶴さんが、「その音はたくあんね」とこちらを見ずに言う。何でもかんでも揚げればいいというわけではないだろう、と思いながら、僕はたくあんフライを咀嚼する。
大洞さんは、僕の斜め前で、お鶴さんが残したヨーグルトを手に抱えている。ふと目が合うと、大洞さんは照れ臭そうに、にこりと微笑んだ。しかしその表情は、すぐに申し訳なさそうなものになる。
「……本当に、ごめんね」
「だから大丈夫だよ。怒ってないから、気にしないで」
大洞さんは小さく頷き、そっとヨーグルトを口へと運ぶ。その仕草が妙に色っぽくて、僕は今さら、緊張してくる。
互いに会話なんて出来ず、とりあえず、ついているテレビをじっと眺める。やっているのは、恋愛ドラマ。若手人気俳優が、若手人気女優と手を繋ぎ、河川敷を歩いている。僕はふと、野球をした小学生たちのことを思い出した。あれから野球をしていないのでわからないが、きっと彼らは今でも、あの場所でボールを追いかけているのだろう。
やがてドラマは、二人が思い出を語り合うシーンに入る。じっと見つめ合う二人。音楽はなく、風の音だけが響く演出がリアリティを醸し出している。僕はこのドラマを一度も見たことがないので話はわからないが、二人の雰囲気から、おそらくこれからキスシーンがあるんだろうな、と予想がついた。
その時、「そういえば」とお鶴さんが僕を見る。
「どうしてあんたは、ともえちゃんのこと、好きにならなかったの?」
僕は「はい?」と驚いたが、それ以上に、大洞さんが慌てふためく。
「ち、ちょっとお鶴さんっ……」
しかし、お鶴さんは構わず続ける。
「やっぱりよく考えたら、あんたみたいな童貞、ともえちゃんみたいな子とずっと一緒にいて、好きにならない方がおかしいもん」
「ちょっと、その言い草は酷いですよっ」
僕が抗議するも、お鶴さんは「で?」と悪い顔になる。
「どうして好きにならなかったのよ? ほら、早く言えよー」
大洞さんを一瞥すると、泣いて赤くなった頬と上目で、じっと僕を見ていた。僕は息を呑み、「そんなこと言われても」と狼狽する。そもそも、人を好きになる理由を問われるのならまだわかるが、好きにならない理由なんて。
しかし、考えてみると、意外にもあっさり見つかった。
「……僕が大洞さんのことを好きにならなかったのは、どうせ大洞さんは僕のことを好きにならないからです」
その僕の答えに、柔らかくなっていた空気が一瞬、張りつめたものになる。お鶴さんは小さく息を吐くと、呆れるような目で僕を見る。
「ともえちゃんより、あんたの方が重傷かもね」
「どういうことですか?」
「薄々わかっているくせに」
お鶴さんはそう言うと、「トイレ」と部屋を出て行った。
薄々。
いや、僕はちゃんと、わかっている。
ふと視線を感じ、僕がゆっくりと顔を動かすと、大洞さんが、とても切ない顔で僕を見ていた。二人の間には、音だけの風が虚しく吹いている。
「……本多くんはさ」
大洞さんの声が、ねっとりと耳にまとわりつく。
「もっと自分を愛した方がいいと思う。少なくとも、」
大洞さんはすっと息を吸う。
「……わたしは本多くんより、本多くんのことが好き」
僕の呼吸が止まり、頭の中が灰色になる。
その時、ぱんっ、と乾いた音が聞こえた。見ると、テレビの中で、俳優が女優からビンタを喰らっていた。一体、あの状況からどうやって。
色んな意味で僕が混乱していると、戻ってきたお鶴さんがドラマを見て、「ああ」と声を漏らす。
「やっぱり、そうなったか」
大洞さんも、「ですよね」と頷いている。一体、何が『やっぱり』で、何が『ですよね』なのか。僕は眉間の辺りが痛くなってくる。結局、ドラマはそこで終わり、ニュースへと切り替わった。
その時、僕のポケットで、携帯電話が振動した。親だろうか、と思って見てみると、田畑さんからメールが届いていた。意外にも携帯電話を持っている田畑さんだが、これまで一度も連絡を取り合ったことがないので、驚いた僕は急いでメールを開いてみる。
するとそこには、一切の絵文字などのない、淡泊な文字が並んでいた。
『全ての試験終了後、『SAMURAIJA』に集合されたし」
テレビでは、中国人窃盗団が宝石店に侵入し、三億円相当の宝石を盗んだ、というニュースが、粛々と流れていた。




