二十四話『美少女故の苦しみ』
大洞さんの本当の悩み。僕が混乱しかけていると、お鶴さんは人差し指を立てた。
「ともえちゃんが奴らに絡まれても、それをきっぱりと断れなかったもう一つの理由。それは、ともえちゃんが自分の評判を落としたくなかったから。だよね?」
大洞さんは答えず、じっと白いカーペットを見つめている。
「あたしさ、二人を見ていて、ずっと変な関係だなと思ってたの。なんかさ、普通だったら、モテない本多が可愛いともえちゃんのことを好きになって、ともえちゃんはそんな気はさらさらないって関係になりそうじゃん。この組み合わせだったら」
酷い言われようだな、と思ったものの、あながち間違ってはいないので、僕は否定できない。
「でも、実際は違うんだよね。本多はともえちゃんを全くそういう目で見てないし、それにともえちゃんはなぜか、本多を意識してる」
大洞さんが僕を意識。僕は喫驚し、思わず「ええ?」と声を出してしまう。そんな僕を、お鶴さんは冷たい目で見る。
「勘違いすんじゃないわよ。好きって意味じゃないから」
僕が「す、すみません」と謝ると、お鶴さんはふん、と鼻を鳴らす。
「ともえちゃんは多分ずっと、あんたが自分のことを好きにならないことが、気になってた。あんたが女として自分を見ないことに、苛立っていた。そしてついに、あんたに直接訊いてしまった。自分のことが、好きじゃないのかと」
僕はあの日の記憶を思い出す。囁くような大洞さんの声。柔らかく冷たい風。そして、胸の内側を叩く、僕の心臓。
「……やっぱり、起きてたんですね」
大洞さんが呟くように言うと、お鶴さんは口角を上げ、「くしゃみ、してあげたでしょ」と返す。一瞬、女の火花が散ったような気がして、僕は肝を冷やす。
「でも、どうして大洞さんは、そんなことを?」
僕が誰に向けてでもなく訊ねると、お鶴さんは「そんなの勿論、」と肩を竦めた。
「ともえちゃんのプライドが許さないからよ」
プライド。僕が大洞さんに視線を向けると、大洞さんは苦さと申し訳なさが混淆したような、そんな表情を浮かべていた。
「プライドって、それは一体?」
僕が訊ねると、お鶴さんはベッドから立ち、冷蔵庫へと向かう。牛乳パックを取り出すのかと思ったが、取り出したのはヨーグルトだった。
お鶴さんは折り畳みテーブルの前に座り、話を続ける。
「ともえちゃんは、自分が可愛いことを知っている。そして、大抵の男が、自分のことを好きになることも。まあ、ここまで可愛いんだから、それは無理もない」
確かに、よく考えるとお鶴さんの言う通りだ。大洞さんは、クラスで一番可愛い、レベルではない。街で一番、と言っても過言ではないくらいに、その容姿はずば抜けている。これで自分の『武器』を知らないなんて、それはいくら大洞さんでも有り得ないだろう。
お鶴さんは「だけど」と、スプーンの柄を手に持ち、ゆらゆらと揺らす。
「それはともえちゃんにとって、大きな自信であると同時に、大きなコンプレックスでもあるんじゃないかな?」
その問いかけに、ずっと視線を伏せていた大洞さんが、顔を上げた。そして、驚いたような表情でお鶴さんを見る。
「……どうして?」
お鶴さんは「チッチ」とスプーンを振る。
「あたしが昔、そうだったからよ」
お鶴さんはヨーグルトを口の中へと入れると、恍惚な表情を浮かべ、頬に手を当てている。僕はそんなお鶴さんに、「ちょっと待ってください」と訊ねる。
「僕にはさっぱり、わかりません。容姿がいいことがコンプレックスだなんて、そんなこと、あるんですか?」
「それがね、あるのよ。特に女の子には。ね? ともえちゃん」
そのお鶴さんの言葉に、大洞さんは長い間を空けたあと、「わたしは」と視線を伏せて、話し始める。
「……確かに小さい頃から、容姿を褒められることが多かったです。物心がついた時には既に、自分は可愛いんだってことを自覚していました。そしてそのことを、わたしは素直に喜んでいました。家族や親せき、御近所さんに学校の人、みんなが可愛いって言ってくれるので」
訥々ではあるものの、大洞さんは言葉を吐き出していく。
「しかし思春期になり、わたしはあることに気がつきました。周囲からわたしに対して向けられる言葉は、『可愛い』だけだということに。わたしはそれ以外の評価をされたことがほとんどありませんでした」
それは僕にも、何となくだがわかる気がした。思春期の時分に、相手、特に異性のことを中身で判断するのは、なかなかに難しい。実際、僕もそうだったし、周囲の男子たちもみんな、女子のことはほとんど外見のみで判断していた。そんな中で大洞さんのような可愛い子がいたら、その容姿以外に目がいかないのは、無理もないような気がする。
大洞さんは大きく息を吸い、話を続ける。
「いつしかわたしは、容姿のことを言われる度に、うんざりするようになりました。みんな口を開けば、呪文のように『可愛い』しか言わないんです。それは果たして、本当にわたしのことを見ているのかなって、疑問に思うようになりました。みんなが見ているのはわたしじゃなくて、この顔なんじゃないかって。ずっと、そのことで悩んでいました」
大洞さんは「でも、」と声を震わせる。
「そんなこと、人に言えないじゃないですか。『わたし、可愛くて悩んでいるんです』なんて。だから、どうすればいいのかわからなくて」
大洞さんの目から涙が零れ落ち、白いカーペットが優しく隠す。
「……それにわたし、本当に嫌な人間なんです。可愛いって言われることにうんざりしているはずなのに、それでもやっぱり、可愛いって言われるとどこか嬉しい自分がいて、男の子がわたしのことを好きになると、自分が認められているような気がするんです。自分の中の何かが満たされるんです」
お鶴さんはヨーグルトには手を出さず、柔和な顔で大洞さんの話を黙って聞いている。大洞さんは鼻を啜ると、「多分」と情けなく笑う。
「わたし、本当に容姿以外で、誇れるものが何もないんです。だから、それ以外のわたしを見て欲しいはずなのに、それがなくなっちゃったら、わたしは誰にも相手にすらされなくなってしまう。だから結局、そこに頼ってしまう自分がいて」
「だから、自分のことを好きにならない本多に、焦りを覚えたんだね」
「……本当、嫌な人間ですよね。ごめんなさい」
大洞さんはもう一度、僕に向かって深く頭を下げた。僕はそんな大洞さんを見て、不思議なものだな、と思った。
容姿はある意味、この上ない才能だ。人間、生まれた瞬間からその顔も身体も決まっていて、その容姿とは一生、付き合っていくことになる。当然、いい容姿を持って生まれた人間もいれば、悪い容姿の人間だっている。そして多くの人は、いい容姿になりたいと思っていて、少しでもそうなれるように努力をしたり、時にはメスを入れたりもする。
僕自身は客観的に見て容姿が悪い方の人間で、勿論、恰好いい顔になりたいし、もしいい容姿で生まれていたら、これまでの人生が大きく違ったものになっていたのではないかと思う。そしてこれまで僕は、顔がいい奴を見ると妬み嫉んでいたし、きっと楽な人生なんだろうな、なんて勝手に思っていた。
しかし今、そんないい容姿を持った大洞さんは、自身の武器の大きさに悩み苦しみ、涙を流している。才能を持って生まれることは良い面ばかりではないのだと、才能のない僕は今、大洞さんから学んだ。それでも、僕はイケメンになれる薬があったとしたら、迷わず飲んで塗って貼って目に差すだろうが。
お鶴さんはスプーンを手に持つと、ヨーグルトを掬い、大洞さんの口許まで持っていく。
「一口、あげる。はい、あーんして」
大洞さんは真っ赤な目でお鶴さんを見返し、素直に口を開いた。真っ白なヨーグルトが、滑り込むように大洞さんの口の中へと入っていく。お鶴さんはにこりと微笑むと、大洞さんの頭に手を置いた。
「あたしは、ともえちゃんが嫌な人間だとは思わないよ」
大洞さんは目を開き、「でも、」と小さく首を振る。お鶴さんはくしゃっと大洞さんの髪の毛を触ると、テーブルに戻ってスプーンをヨーグルトに差した。
「顔のいい奴らはさ、みんな、自分の顔がいいってことわかってるんだよ。あ、勘違いしてる奴らは別だよ。そうじゃなくて、本物の方。周囲から容姿を褒められて、ちやほやされて、そこにいるだけで異性が近寄ってくる人たちのことね」
きっと、あの金髪襟足なんかは、その『勘違いしている奴ら』なのだろうな、と僕はその表現に納得する。
「でも、自分の顔が他よりいいってわかってても、ともえちゃんの言う通り、そんなことは自分では言えない。謙遜を美徳とするこの社会でそんなことを言ったら、自慢や嫌味に捉えられちゃうから。特に、それが事実であれば、あるほどね。……まあ、あたしは思いっきり言ってたけど」
「自分で、ですか?」
僕が驚くと、お鶴さんは「そうよ」と頷く。
「さっき、あたしも昔そうだったって言ったでしょ。あたし、小学生の頃、めちゃくちゃ可愛くて、男女問わずにモテてたんだよね。でも、ある日ふと、もしあたしが可愛くなかったら、みんなはあたしと仲良くしてくれるんだろうかって不安になった。だからあたしは周りに、『あたしが可愛くなくなっても、あたしのこと好き?』って訊いて回ったんだ」
「なかなか、それは凄いですね……」
「ま、それはこんな性格だからさ。で、そしたら案の定、何だあいつってなって、無視されたり、仲間外れにされたりした。でも、案外どうってことなかったんだよね」
お鶴さんは歯を見せて笑う。
「そんな状況になって、辛くなかったんですか?」
お鶴さんは「うん」とあっけらかんと頷く。
「初めはさ、確かにちょっと辛かったんだけど、よくよく考えると、そういうことをしてくる奴って、あたしも別に好きじゃない奴なんだよね。で、本当に大事な友達なんかは、あたしのことを知ってくれてるから、それまでと変わらずに接してくれる。じゃあ、別にそれでいいやって思ったんだ。全員から好かれる必要なんてないし、別に関係ない人には嫌われてもいいやって。で、そう考えるようになると、生きるのが凄く楽になった」
ああ、だからお鶴さんは恰好いいのか、と僕は納得した。僕は、全員に好かれたいとは思っていないが、嫌われるのはとても怖い。一人の人間に嫌われると、まるでみんなが僕のことをそう思っているんじゃないかと不安になってくる。
だが、お鶴さんは違う。嫌われることを怖がらず、自分に正直に生きている。そしてそれは、お鶴さんだけでなく、田畑さんや他の同好会のメンバーたちも同じだ。彼らはいつも堂々としていて、自分に迷いがない。
それに比べて、僕も、そしておそらく大洞さんも、目に見えない何かに怯え過ぎているのではないだろうか。
僕は、とても大事なことに気付いたような、そんな気がした。
お鶴さんは大洞さんへとスプーンを向ける。
「ともえちゃんは、真面目過ぎるんだと思う。ともえちゃんが可愛いことは事実なんだから、それはもう両親に感謝して、割り切っちゃえばいいよ。……それに、多分、世間はそんなに甘くないよ」
お鶴さんの言葉を、大洞さんは真っすぐ正面から受け止めている。お鶴さんはスプーンを甘いヨーグルトの上へと下ろすと、ゆっくりと沈めた。
「確かに、顔がいいのは多くの場面でアドバンテージにはなるだろうけど、容姿は所詮、容姿でしかない。ちゃんと見る人は、本当のともえちゃんのことを、見てくる」
「……本当のわたし、ですか?」
「そう。容姿だけの人間なんて、すぐに沈んでいく。芯を持っていない人間は、相手にすらされなくなる。だから、心配しなくても、ともえちゃんはこれから、容姿以外のところをちゃんと見られるよ」
大洞さんは不安気な表情を浮かべた。お鶴さんは立ち上がると、ティッシュペーパーを手に取り、大洞さんの前で屈む。
「それに、あたしはともえちゃんのこと、ちゃんと見てるよ。ともえちゃんが馬鹿正直で素直で、とても優しくて、それでいて意外と気が強いことも、ちゃんと知ってる。それは本多もそうだし、きっと他にも、ともえちゃんのことを、しっかり見てくれている人はいるし、これからも出てくる」
大洞さんは僕に視線を向け、僕は小さく頷いた。お鶴さんは、ともえちゃんの真っ赤になった頬を指で撫でる。
「ともえちゃんのことを一番見ていないのは、もしかしたらともえちゃん自身かもしれないよ。……自分と向き合って、本当の自分を探す。大学の四年間って、あたしはそのためにあると思うんだ。だからまずは、ちゃんと心の鏡で、自分を見てみなよ。その上で悩みごとや相談したいことがあったら、いつでもあたしが受け止めるから、さ」
止まっていた大洞さんの涙が再び溢れ、その長い長い睫毛を乗り越える。そして大洞さんは顔をくしゃくしゃにすると、「お鶴さーん」とその胸へと飛び込んだ。
「げっ、ともえちゃん。は、鼻水」
そんなお鶴さんの声も届かないほど、大洞さんは声を出して泣いた。
その様子が、オーディションに落ちたあとのお鶴さんそっくりで、僕は思わず笑ってしまった。




