二十二話『相談』
「で、その相談をあたしに持ち込んだわけ?」
僕は正座をしながら、「はい」と小さく頷く。お鶴さんは「何それ」と呆れながら、僕の前へと胡坐を掻いた。手を合わせるお鶴さんに、僕は「あの」と一応、確認する。
「これは一体、何でしょうか?」
折り畳み机の上に並ぶ、二つのどんぶり。中身のわからない揚げ物が、粗雑に白米の上へと転がっていて、どんぶりの横にはソースと醤油、そしてマヨネーズが置かれている。
お鶴さんは「何って」と顔をしかめる。
「残りもの丼よ。冷蔵庫にあったものを、適当に揚げたの。心配しないでも大丈夫よ。あたしも食べるんだから、そこまで変なものはないから」
そこまで。僕は不安を抱きながら、とりあえず「いただきます」と手を合わせた。
お鶴さんに電話で今日のことを相談すると、とにかく自宅に来いと言われ、僕はこうして今、お鶴さんの下宿先のマンションへと上がっている。
間取りは十二畳ほどの1DK。トイレとバスは、おそらく玄関からの短い廊下にあったドアがそうだろう。僕は人生で初めて女性の部屋に入ったが、お鶴さんの部屋は一切の女らしさのない殺伐とした無骨な部屋で、必要最低限の家具と電化製品、そして夥しい量の映画のDVDがあるくらい。カーテンやベッドも青や黒ばかりで、まるで綺麗好きな男の部屋に入っているようだった。僕からすれば、変に緊張しないので有り難いが、女性としてはどうなのだろうか、とは思う。
当のお鶴さんは、どうやら卒論の作成に追われているらしく、すっぴんに前髪をヘアバンドで上げていて、よれよれのキャラクターが印刷されたシャツに、紐がほつれた短パンをだらしなく着ている。それでも、目鼻立ちの整った顔立ちと華やかさで、地味には感じない。強いていうなら、眉毛がないのが少し怖いくらい。
「あー、やっぱ美味いわ。揚げてマヨネーズとソースかけたら、基本、何でも美味しくなるのよ」
お鶴さんはそう言いながら、自作の丼を掻き込んでいる。僕もおそるおそる、お鶴さんと同じようにマヨネーズとソースをかけて食べてみると、確かに美味しかった。今のは多分、ハムだ。
お鶴さんは牛乳を飲むと、「まあ」と箸を僕へと向ける。
「あんたが驚くほど女の気持ちがわからないってのは、間違いないわ」
「やはり、そうですか」
「少しでも自覚症状があるなら、まだマシだけどね」
お鶴さんは残り少なくなったマヨネーズを振る。僕は箸を置くと、背筋を伸ばし、前のめりになって訊ねる。
「……えっと、僕は一体、何をしたんでしょうか?」
「何をしたっていうか、何もしなかったんじゃない?」
「何もしなかった?」
お鶴さんの言葉が理解出来ず、僕は上半身の位置を元へと戻す。お鶴さんは残っていたマヨネーズを全てどんぶりの上へとかけると、満足気な表情で「よし」とどんぶりへと箸を沈め、大きな一口分を掬い上げる。
「多分ともえちゃんは、あんたが何もしないことに、傷ついたんでしょうね。まあ、その気持ちもわからなくはないわ」
「では、僕は何をすれば、彼女を傷つけずに済んだのでしょうか?」
お鶴さんは上唇をマヨネーズで真っ白に染めながら咀嚼すると、「それは」とベッドの携帯電話へと手を伸ばす。
「本人に訊きなさいよ。こういう問題は、当人の間でちゃんと解決しないと、変な形であとが残るから」
お鶴さんは携帯電話を耳に当てると、「あ、もしもし」と笑みを浮かべた。まさか。僕の胃が俄かに収斂し始める。
「ともえちゃん。今、どこまで来てる? うん。そう、そのコンビニを右に折れて、五十メートルほど歩いたら、左手にマンションが見えるはず。そう、そこを右。で、エントランスで、部屋番号を入れてくれたらすぐに鍵を開けるから、そのまま部屋に入ってきて。部屋番号は二○三だから。はい。じゃあ待ってる」
お鶴さんは電話を切ると、何事もなかったかのように、残りのどんぶりを掻き込み始めた。僕は「ち、ちょっと」と意味もなく立ち上がる。
「大洞さん、今から来るんですか?」
「うん。もう少ししたら来る」
「……お鶴さんが呼んだんですか?」
お鶴さんは「うーん」と咀嚼しながら、首を傾げる。
「まあ、ここに呼んだのはそうだけど、彼女の方から、相談したいことがあるって連絡があったんだよ。あんたが来る少し前に」
「大洞さんもお鶴さんに相談、ですか?」
「そう。誰のことかって訊いたら、あんたのことって言うから。じゃあ、お互いで話し合って貰おうって思って、呼んだの」
大洞さんも、僕のことで相談。
『すみません。わたし、本多さんとはやっていけません』
ふと僕は、泣きながらそう訴える彼女の姿を想像してしまった。しかし、あながち間違いではないような気がして、鳩尾の辺りがきゅっと痛くなる。
お鶴さんは「ごちそうさまでした」と手を合わせると、コップに残っていた牛乳を一気に煽った。そして、立っている僕を見上げる。
「ってか、どうして立ってるの。落ち着かないから、座ってよ」
僕は「すみません」と謝り、とりあえず座布団へと戻る。そして箸を手に持ったものの、今、何かを口に入れるような余裕はない。
「あ、あの、大洞さんは僕がいることを、知っていますか?」
「知らないよ。だって、言ってないもん」
やはりそうか。僕はとりあえずコップに入った水を飲んでみるものの、上手く飲めなくて零れてしまう。狼狽する僕とは対照的に、お鶴さんはそんな僕を、どこか楽しそうな顔で見つめる。
「どれだけ慌てても、もう来るんだから、腹を括りなさいよ」
「いや、でも……」
お鶴さんは後ろに手をつき、息を吐く。
「女々しいわね。あれなんじゃない? ともえちゃん、ただ単純にあんたのその性格にムカついてんのかもね」
「そ、そんなことを言われても……」
性格なんて急に変えられるものでは、と思っていると、部屋に呼び鈴の音が鳴り響いた。お鶴さんは「お、来たね」と立ち上がると、モニターへと向かい、エントランスの鍵を開錠する。
「そのまま部屋に入っておいで。部屋の鍵、開いているから」
モニターの向こうに見える大洞さんは神妙な表情で頷き、階段の方へと向かっていく。僕はまた立ち上がり、部屋を右往左往する。どこか、隠れる場所はないだろうかと探していると、その姿をお鶴さんが笑う。
やがて、玄関の扉が開く音が聞こえた。玄関からこの部屋まで、僅か二メートルほどの廊下がある。たったそれだけの距離なのに、大洞さんの足音がなかなか近付いてこないように感じる。
しかし、その時はやってきてしまう。僕の視界に大洞さんの姿が映り、そして大洞さんは、部屋で棒立ちになっている僕を見つける。大洞さんは一瞬、息を呑むような表情を浮かべたものの、そこまで驚いた様子はなかった。
ベッドに腰かけていたお鶴さんは、「いらっしゃい」と悪戯な顔で笑った。




