十四話『少しの変化』
大学の前にあるコンビニでヨーグルトを買うと、僕たちはすぐに部室へは戻らず、意味もなくキャンパス内を歩いていた。大洞さんが、少しだけ散策したいと言ったためだ。
こうして二人きりで並んで歩くと、やはり僕は緊張する。どうしても、僕なんかが彼女の隣に立っていいのか、なんて卑屈な考えが、頭を過ってしまう。
「……あのさ、今さらだけどごめん」
ネガティブな思考から、ついそんな謝罪の言葉が自然と出た。大洞さんは「ん?」と丸い目で問い返してくる。
「いや、急に声をかけたりして。そういうのってほら、あんまりいいことじゃないと思うからさ。驚かせたかな、と思って」
大洞さんは「ううん」と小さく笑う。
「男の人に声をかけられるのって、よくあるから慣れっこだよ」
そうか。大洞さん程の容姿だと、そういうのは日常的に起こり得るのか。その事実一つだけでも、何だか違う世界に住む人のように思えてしまい、隣に並んでいるのに、とても遠くにいるようだった。
大洞さんは「でも」と顔を空へと向ける。
「……本多くんが声をかけてきたのは、正直驚いたよ」
僕は「え?」と空を見る大洞さんを見つめる。大洞さんは三日月のような目だけを、僕へと向ける。
「だって、声をかけてきそうにないから。だから意外だなと思って。ほら、声をかけてくる人って大概、自分に自信があって、下心も透けて見えてて、何て言うのかな、わたしに声をかけてきてるんじゃないんだよね」
大洞さんはそう言うと、くしゃっと笑う。
「あれ、何言ってるんだろうね、わたし」
大洞さんは真っすぐ正面を見ると、憂いを帯びた息を吐いた。その表情がとても切なく、そして艶やかだったので、僕は思わず呼吸が止まった。
「あのね、一つだけ訊いていい?」
大洞さんはそう言って、風に揺れる前髪をそっと耳へとかける。
「……どうして本多くんは、わたしに声をかけたの?」
僕はゆっくりと息を吐く。吐いた息は足元へと落ちていき、淡い影に吸い込まれる。
本当のことを言ってもいいのだろうか。しかし、もし本当のことを言ったら、彼女に嫌われるのではないか。折角入ってくれたのに、辞めてしまうのではないか。そんな考えが、僕の頭を巡る。
しかし僕は、汗が滲む間もなく、それを直感で決めた。
「大洞さんに声をかけたのは、田畑さんにそう言われたからだよ」
正直にそう伝えると、大洞さんは僅かに口角を上げ、ふっと軽い息を吐いた。
「そっか。そうだよね」
僕が「ごめん」と謝ると、大洞さんは「本当だよ」と呟くように言った。そして大洞さんは突然、「よしっ」と大きく頷くと、僕の手からコンビニの袋を取った。
「そろそろ戻ろっか。ヨーグルト、温かくなっちゃう」
僕は「そうだね」と頷き、踵を返した。
すれ違う人たちは、大洞さんと僕を見て、一様に驚きの表情を浮かべる。その裏に、男は嫉妬、女は軽蔑の色が透けている。
今日、僕はほんの少しだけど、変わることが出来たような気がする。それはきっと、僕にとってはとても大きなことで、大事なことなのだろう。しかし同時に、僕は一人の人間を傷付けたかもしれない。その真偽と理由は、今の僕にはわからないが。
僕はふと、今さっき、大洞さんが見上げていた空を見上げた。
無垢な青のずっと奥から、灰色の影が忍び寄っている。青はそれに気付く様子もなく、遮るもののない日向ぼっこを呑気に楽しんでいる。
まだ降ってもいない雨の匂いを、僕は想像してしまった。




