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侍に誘われて  作者: ゆず
第一章~侍に誘われて~
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十三話『大洞さんは即断する』

「……はい?」


 一瞬、時間が凍結したのではないかと思うほど、部屋に静寂が降りた。開いた口が塞がらないとはまさにこのことで、僕はわかっているのに、口を閉じることが出来なかった。


 その時、扉から誰かが入ってくる気配がした。聞き覚えのある鼻歌。お鶴さんだ。お鶴さんは入ってくるなり、「お?」と僕たちを見て眉をひそめる。


「何、この微妙な空気は。そして、この可愛らしいお嬢さんは誰?」

「私の妻だ」


 田畑さんの言葉を大洞さんは「違いますっ」と慌てて否定し、田畑さんに握られた手を解いた。僕がこの状況をどう説明しようかと考えあぐねていると、お鶴さんは顎に手を当てて、「なるほど」と頷く。


「……そういうことか。このお嬢さんは同好会の新人で、耕作に求婚を迫られているってところね」


 その恐るべき慧眼に僕は感心するも、一点だけ訂正する。


「あ、でもまだ、入ってはいないです。見学に来たってだけで」

「そう。じゃあもし入ったらよろしくね。あたしは四年生で、ハリウッド女優を目指している中沢鶴。みんなからは不本意だけど『お鶴さん』って呼ばれているから、あなたもそう呼んでくれていいわよ」


 大洞さんは一瞬、戸惑ったような反応を見せたものの、すぐに顔に笑みを浮かべ、お鶴さんへと頭を下げる。


「一年生の大洞ともえです。よろしくお願いします」


 お鶴さんは手に持っていた袋から、牛乳パックを二つ取り出すと、それを小さな冷蔵庫へと入れる。


「あ、求婚のことなら、気にしなくてもいいから。こいつ、自分の好みの相手を見つけたら、誰にでもやってるの。適当にあしらってればいいよ」

「失敬な。私は本気だ」

「知ってるわよ。あんたが本気じゃないことなんてないから。でも、だったら相手は一人に絞りなさいよ」


 お鶴さんがぴしゃりと言うと、田畑さんは黙り込んでしまった。大洞さんは部屋を見渡し、「あの……」とお鶴さんに向かって訊ねる。


「ここは、どんな活動をされているのですか?」

「あれ? 聞いてないの? 特に活動らしい活動なんてしていないって。まあでも、たまに人助けしたり、誰かが何かをやろうって言い始めたら、それに乗ったりはするけど」

「人助け、ですか?」

「そう。耕作がどこからか、持ち込んでくるの」


 大洞さんが「耕作?」と首を傾げたので、僕は「この人だよ」と田畑さんを指差す。


「この侍の恰好をしているのが、田畑耕作さん」

「え、えっと、本名ですか?」


 田畑さんは「本名だ」と頷く。きっと大洞さんも、その恰好と名前のアンバランスさに戸惑ったのだろう。


 今一つ、ここの雰囲気を掴めていない様子の大洞さんに、僕は説明する。


「ここはさ、まあ見ての通り、個性的な人が集まっているんだ。僕はまだ会っていないけど、忍者になりたい人や埋蔵金を探している人、野球未経験なのにプロ野球選手を目指している人なんかもいるみたい。そんな人たちが切磋琢磨して、目の前のことに全力で取り組める環境っていうのかな、それが整っているのがこの同好会……ですよね?」


 僕がソファーに腰かけたお鶴さんへと確認すると、お鶴さんは笑う。


「物凄く綺麗にまとめるとそうなるかな。まあ、実際は各々が好き勝手やっている中で、たまに耕作の人助けや我儘に付き合ってるってだけだけど」


 それを聞いた大洞さんは、僕に視線を向けた。


「なら、本多くんも何か、やりたいことがあってここに?」


 鋭利な質問に、僕は「いや」と首を振る。


「僕は、本当、何もないんだ」


 多分、振っても何の音がしないほど、僕は空っぽだ。


「……でも、だからこそ、僕はここに入ったんだ」


 そう。きっと今、僕はここに居るべき人間ではない。もしもこの場所が、来る人間を選び、精査していたとしたら、僕は真っ先に弾かれていただろう。しかし幸いにも、ここは来る者を拒まない。だから僕は、何かを見つけるまでは、いくら浮いた存在であったとしても、ここにいると決めたのだ。


 僕の答えに、大洞さんは「そっか」と小さく笑った。


 田畑さんはテレビを消すと、「ともえ」といきなり大洞さんを下の名前で呼ぶ。


「お主は別嬪だから、ここに入れ」


 苦笑する大洞さんに、お鶴さんが「入るなら」と、腕を伸ばし、入会届の紙を大洞さんへと手渡す。


「ここに名前書いてね。ちなみに、ここは入るのも辞めるのも自由だから、他のとこに入る予定がないのなら、入ってみてもいいかもよ。嫌だったら、辞めればいいだけだから」


 大洞さんはしばらく受け取った紙に視線を落としていたが、やがてまなじりを決したかと思うと、鞄からペンを取り出し、なんと早速、名前を記入し始めた。僕は呆気に取られ、お鶴さんは「いいねー」と小さく頷いている。


 大洞さんは、名前を書いた入会届をお鶴さんへと渡した。受け取ったお鶴さんは、含みのある笑みを浮かべ、僕を見る。


「どこかの誰かさんより、よっぽど男らしいね」


 僕は身体を小さくし、「すみません」と謝る。


「でも、本当にいいの? 無理矢理連れてきて、強制したみたいになったけど」


 僕が心配するも、大洞さんは「ううん」と首を振る。


「いいの。何だか面白そうだなって思ったから」


 確かに、僕に比べるとよっぽど男らしい。大洞さんは、どこかわくわくしたような表情で、田畑さんとお鶴さんに視線を向けている。


 僕はふと、田畑さんの刀を見て、あることを思い出す。


「そういえば田畑さん、さっきの英語の講義で、先生……名前は何だったかな」

「確か、マシュー先生だよ」


 大洞さんの助け舟に、僕は「そうそう」と頷く。


「マシュー先生が、ぜひ刀を見せて欲しいと伝えてくれって」


 田畑さんは「それは真か?」と僅かに目を開く。僕が「真です」と答えると、田畑さんは「左様か」と腰の刀に手を当てる。僕は話のついでに、ずっと気になっていたことを訊ねてみる。


「あの、その刀って本物なんですか?」


 すると、ソファーで寝そべっていたお鶴さんが噴き出した。


「本気で言ってるの? 本物の刀を持って歩いていたら、即刻、銃刀法違反でお縄だよ」


 僕は「そうですよね」と苦笑いする。


「じゃあ、模造刀ってことですか?」


 田畑さんは「そうだ」と大きな刀の方を、鞘から引き抜く。窓から差し込む陽光が刃に当たり、壁に長く細い光となって反射する。僕は本物の刀を見たことがないので詳しくはわからないが、相当精巧な造りなのではないかと思う。


 お鶴さんは身体をもたげ、ソファーの背もたれに顎を乗せる。


「しかもそれ、実はプラスチックなんだよ」

「プラスチックですか?」「プラスチックですか?」


 僕と大洞さんが全く同じ言葉で驚いた。互いに顔を見合わせ、思わず笑ってしまう。それにしても、一目見ただけでは、とてもプラスチックとは思えない。


 お鶴さんは、「模造刀でも」と人差し指を立てる。


「持ち歩いていたら、銃刀法違反に接触する場合もあるんだよ」

「そうなんですか?」

「うん。ちゃんと法律があるんだって。要は、他人を不安にさせちゃ駄目なんだろうね。偽物かどうかなんて、見ただけじゃわかんないでしょ。だから、耕作は大学の外に持ち出す時は必ず刀袋に入れてるし、それにこの辺りのおまわりさんはみんな、耕作のことを知っているから、プラスチックだってこともわかってる」


 野球に行った時、刀を袋に入れていたのはそのためだったのか。しかし、大学では刀袋もせずに持ち歩いているが、あれは黙認されているのだろうか。まあ、されているから、この姿でうろつけているのだろうが。


 田畑さんは「なら、行って参る」と、早速、刀をマシュー先生へと見せに部屋を出て行った。その背中をじっと見ていたお鶴さんが、「あっ」と短い声を出す。


「しまった。ヨーグルト、買うの忘れてた」

「ヨーグルト、ですか?」

「そう。朝ごはん、まだ食べていないんだ。あたし毎朝、ヨーグルトを食べるんだよ。プレーンじゃないやつ」


 牛乳にヨーグルトなんて、お鶴さんは余程乳製品が好きらしい。「よっ」とソファーから下りようとするお鶴さんに、僕は「買ってきましょうか?」と訊ねる。


「コンビニに売っていますよね。コンビニなら、すぐそこなんで行ってきますよ」


 お鶴さんは「本当に?」と下ろしかけていた身体を、ソファーへと戻す。


「はい。ちょうど、飲み物を買おうと思っていたので」


 お鶴さんは「じゃあ頼もうかな」と手を合わせた。僕が大洞さんに視線を向けると、大洞さんは「わたしも行くよ」と頷く。


 部屋を出ようとすると、「プレーンじゃないやつねっ」とお鶴さんの念を押す声が背中に当たる。僕は「わかっています」と返し、そっと扉を閉めた。


 扉が完全に閉まると、大洞さんは深く息を吐いた。僕が「どうだった?」と訊ねてみると、大洞さんは苦笑を浮かべる。


「正直、想像していたのとは違ったかも」


 僕は「そうだよね」と一応、頭を下げておく。大洞さんは少し廊下を進むと、「でも」と小首を傾げた。


「何だかちょっと、大学、楽しみになったよ」


 その言葉を聞いて、僕は「よかった」と、心から頷いた。


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