十二話『侍と美少女』
教室を出る時、男子学生たちと目が合った。
「どうしてお前なんかが」
「釣り合っていないんだよ」
「陰キャラのくせに、調子に乗るなよ」
実際にそう言ったわけではないが、確かに彼らは、目でそう呟いていた。きっと、僕が教室を出たあと、仲間内でそんな会話を交わしているに違いない。
僕の隣を、彼女が歩いている。長い階段を下りて外に出ると、ふと、女の子の甘い香りが彼女から漂ってきた。隣に座っていた時は一切感じなかったのに。もしかしたら、緊張で気付かなかったのかもしれない。
彼女は振り返ると、屹立する三号館を見上げる。
「そういえば、この三号館、見つけるの大変だったんだ。それに、見つけたと思ったらエレベーターもなくて。ちょっと驚いちゃった」
「僕もだよ。ちょっと分かり辛いよね」
彼女は「ね」と相槌を打つ。そのたった一文字だけでも、僕の言葉に彼女が返してくれていると思うと、無性に嬉しくなってくる。
僕は今、不思議な気持ちに包まれていた。
これまで僕は、女子と話したことなんてほとんどなかった。勿論、小、中、高、と彼女なんて出来たことなんてなかったし、連絡先すら交換したことがなかった。
僕にとって女の子は、どこか近寄り難い存在だった。彼女たちは、顔がよかったり、運動が出来たり、面白いことが言えたりといった男子とは楽しく話すものの、それ以外の男子のことは、どこか見下しているのではないかと思っていた。
特に、彼女のような容姿のいい子なんて、僕のような冴えない男子にとってはあまりに手の届かない存在で、話しかけたい、仲良くしたいとすら思わなかった。自分なんかが話しかけても、どうせまともに相手なんてされないだろう。下手をすれば、『本多に話しかけられた』なんて笑い話にでもされかねない。そんな風に考えていた。
しかし今、彼女は僕と普通に会話をし、こうして隣に並んでいる。それも、僕から話しかけ、僕が彼女よりも僅かに前を歩いている。
もしかしたらこれまで、僕は大きな勘違いをしていたのかもしれない。
「あれ、ここじゃないの?」
彼女の言葉に、僕は慌てて足を止めた。つい、考え事に意識を集中していて、通り過ぎてしまうところだった。
「ああ、ごめん。ここの二階の、ほら、あの部屋だよ」
僕は日本文化研究会の部室を指差すと、建物の中に入って階段を上がっていく。後ろから彼女がついてくる足音が、僕を追いかけてくる。ふとここで、僕はある重要なことに気がついた。
僕は振り返り、彼女を見下ろす。
「あのさ、今さらなんだけど、まだお互いの名前、知らないよね」
彼女は「そうだね」と、なぜか照れ臭そうに笑う。
「……さっきから、言おうと思っていたんだけど、なかなかタイミングが掴めなくって。わたしは『おおほりともえ』。大きいに洞窟の洞で、大洞。ともえは平仮名なんだ」
大洞ともえ。僕はその名前を、何度も頭の中で復唱する。僕が「えっと」と名前を言おうとすると、彼女が「本多くんでしょ」と悪戯な顔を浮かべる。
「本多武蔵くん。男らしくて、いい名前だね」
「どうして知っているの?」
僕が驚くと、彼女は「教科書に書いてあったよ」と階段を上ってくる。そういうことか。僕は買ったその日に、全ての教科書に名前を記入していた。
僕は大洞さんに向けて、苦笑する。
「まあ、名前負けしているような気はするけどね」
しかし、彼女は「そうかな?」と首を傾げる。
「わたしは似合っていると思ったよ。その名前」
僕は彼女の言葉に、固まった。今まで人に名前を伝えて、そんなことを言われたのは初めてだった。逆は山ほどあったけど。
僕はどう反応していいのかわからず、「そっか」と自分でもよくわからない返事をし、駆け足で階段を上った。
僕は部室の前に立ち、そっとドアノブに手をかけてみる。鍵は開いているようだ。しかし問題は、中にいるのが僕の知っている二人であるかどうかだ。僕はまだ、同好会のメンバーを田畑さんとお鶴さんしか知らないので、もし会ったことのない人が中にいると、それはそれで困ったことになる。
だが、ここまで来て引き返すわけにはいかない。僕は腹に力を入れ、ゆっくりと扉を開いた。すると、正面に田畑さんが腕を組んで立っていたので、胸を撫で下ろす。
田畑さんは僕たちに気付かず、険しい表情でテレビを見ていた。流れているのはニュース。中国系の窃盗団が、ある美術館から絵画を盗んだというものだった。それにしても、僕は田畑さんがここまで憤りの表情を浮かべているのを、初めて見た。この事件に何か、思うことでもあるのだろうか。とても、田畑さんと関係のある事件とは思えないが。
僕が「あの」と声をかけると、田畑さんは矢庭に腰の刀に手をかけ、勢いよく鞘から刀を抜いた。僕は慌てて、「待ってくださいっ」と掌を向ける。
「僕です。本多ですっ。本多武蔵です」
田畑さんは「何だお主か」と刀を鞘へと戻すと、僕の後ろにいる大洞さんに気がついた。そして田畑さんは、じっと大洞さんを見つめる。大洞さんは、「あ、あの」と半歩前に出て、軽く頭を下げる。
「初めまして、文学部日本文学科一年生の大洞と申します。今日は、本多くんからの紹介で日本文化研究会の見学をさせて貰いたいなと思いまして」
田畑さんは何も答えず、まだじっと大洞さんを見つめている。僕たちはしばらく待ったものの、田畑さんは一向に話す気配はなく、ただただ大洞さんの顔を真っすぐと凝視し続けている。当然、大洞さんは困惑した様子だ。
僕が「あの」と声をかけると、田畑さんは深く息を吸い、そして、そのおちょぼ口がねっとりと開かれた。
「お主、やはり別嬪だな」
大洞さんは「え?」とその目が点になる。田畑さんは顎に手を当て、まるで絵画でも見るかのように、大洞さんの顔を様々な角度から眺める。
「いやはや、やはり、どこから見ても別嬪だ」
大洞さんが点になった目を僕に向けたので、僕は苦笑を浮かべる。
「一応、褒められているんじゃないかな」
大洞さんは「あ、そっか」と頷き、そして「ありがとうございます」と田畑さんに軽く頭を下げた。田畑さんは大洞さんに一歩、近付く。
「お主、時に旦那はいるのか?」
一体突然、何を訊いているのか。そのあまりの脈絡のなさに僕は驚き、そして大洞さんは僕よりさらに驚いて、首を大きく左右に振る。
「だ、旦那ですか? いませんよ」
田畑さんは「そうか」と頷くと、さらに半歩、大洞さんへと近付いた。大洞さんは身体を強張らせ、僅かに後ろへと身体を引いている。
田畑さんはそっと腕を上げ、大洞さんの手を包むように掴んだ。
「お主、私と結婚しないか?」




