04 大脱走大計画2
設定の甘さは容赦してくださいね。
ドンはゆっくりと上体を起こして、壁に背をつけた。床に投げ出された足のすぐ隣を叩く。
「こっちにもっと寄れ。他の奴に聞かれたらまずい」
聞かれても内容を理解できるような子はいないと思う、その言葉を飲み込んで大人しくドンの側による。
前世の記憶を持つがゆえの知識豊かなヴィーの話を理解できる、ということが普通ではないことをドンが分かっているのか。
その、存在の希少性という点において、彼の存在だけは最低最悪のこの人生の、唯一の幸運なのかもしれないと思う。
ドンは、ダーヒムには珍しいくらいに頭が切れる。
十三歳にしてはあまりにも早熟しているのだ。口は悪いが所作の一つにしても、粗野なところを見つけられない。
それは妹のテンも同様だった。
おそらくダーヒムになる前は、ある程度の教養を身につけれるくらいには、文化的に豊かな生活をしていたのだろうと推察できた。
ヴィーが側に寄ったことを確認したドンは、苦労しながら話の取っ掛かりを掴む。
「えっとなんだっけか。あ、そうだ。えぇっと、この部屋、つうか小屋だけど、入り口に火を着けるつったって、そうしたら俺たちが逃げれなくなるだろう、って聞きたかったんだった。こちとら子供ばっかりだし一人で歩けないやつもいるし、俺みたいな病人もいる。みんなで仲良く蒸し焼きで心中でもするつもりかよ」
「ドンってダーヒムの割には本当に言葉を知ってるよね。感心感心」
「茶化すな」
眼下からのドンが放つ強い視線に、肩をすくめて声音を落とす。
「簡単な話だよ。入り口を塞ぐなら、出口を作ればいい」
「はぁ?」
心底訳が分からないと言わんばかりのドンの視線に、不敵な表情を返す。
「ほら見て。この小屋の壁。この小屋自体が木造なのはわかるよね。いくら子供とはいえ、脱走する可能性がある人間を、よりにもよって木造建築に押し込むなんて大人たちのおつむも大概よくないらしい。もしくは相当私たちをナめてくれてるわけだね」
「……つまり?」
「この小屋が私たちの脱走を大いに助けてくれるってことだよ」
ヴィーとドンは、更にお互いの距離を詰めて話へと没頭していく。
子供二人が内緒話をするような囁き声は、不穏な空気を孕んでいた。
「これまでに納品でこの小屋から出た子たちがいたでしょ」
「ああ、スーヤとロウとザックだろ」
「そう。あの子たちがいい働きをしてくれたんだ」
「あいつらに密偵の真似ごとでもさせたのか?」
ニヤリとヴィーの唇が弧を描いたのを見て、ドンは呆れたと言わんばかりの顔を向けた。
「人使い荒ぇな……」
違法薬物でいっぱいになった瓶を二十五本、木箱に入れる。
ここまでがここでの私たちダーヒムの仕事だ。
そして一か月に一度、「納品」のためにその木箱を大人たちが回収に来る。
瓶の本数に間違いがないかを確かめた後、ダーヒムの中の大人たちから決められた三人に木箱をこの部屋の外に運ばせる。
ヴィーはこの部屋に放り込まれてからすぐに、「納品」という言葉を使うことと、毎月決まった数の薬物をノルマとして私たちに課すことから、恐らくここは商会のような、違法薬物で一定量の利益を出す、そういったものなのではないのかと当たりをつけた。
そう判断した理由は他にもある。
「納品」のために部屋を訪れる大人に二種類のタイプがいたことだ。
一つはこの前、ドンを痛めつけたような脳筋タイプ。
これはおそらく用心棒みたいなものなのだろう。
そしてもう一つが、どこにでもいそうな普通の人。
ダーヒムを見て痛ましげに眉を顰めるが助けようとはしない程度の、善良な心を持ったタイプ。
このタイプは商会で働く従業員といったところだろう。
まあその予想が外れていたとしても問題はない。
重要なのは、そこから推測できること。
つまり、私たちを飼い殺しにしようとしている奴らが、組織であるということだ。
「と考えた私は、あの三人に『協力』してもらって外がどうなっているのか教えてもらったってわけ。この部屋が、部屋じゃなくて小屋だっていうこともあの子たちが教えてくれたことだよ」
目隠しをされたままここへ連れてこられて以降、同じ場所から一切外に出ない環境下で、今自分がいる場所の判別すらつかなかったのだ。
時たま開く扉から見える世界から、ここが外に面した一階であるということは分かっても、それ以上の情報が何もなかった。
「小屋だっていうことが大事なことか?」
「もちろん。だって人身売買って禁止されてるんでしょ? じゃあ私たちって人に見られたらヤバい存在なわけじゃん。しかもダーヒムって忌避される存在でしょ。人目から隠したくて、誰も好んで近づきたいとは思わない。ってことは?」
ヴィーの問いかけに、ドンは首をかしげながら自信なさげに口を開く。
「俺たちはこの小屋ごと、遠ざけられてる?」
「そう! そこであの三人に教えてもらったら、やっぱりこの小屋の他に大きな建物がほかにもあって、その建物とはそれなりに距離があるんだって。特に人の出入りが激しい建物が敷地の大体ど真ん中に在って、この小屋はその建物の西側、敷地の端にある。確認してもらったら敷地を囲う塀が、この小屋のすぐ隣にあるって」
「そっか! じゃあこの小屋から出て塀を越えちまえば……!」
「うん。塀の向こう側に行けば、一時的に自由を手に入れられる」
眼を力強く開いたドンは、ここから逃げ出せる算段に思わず拳を握る。
しかしすぐさま冷静さが戻ってきて、再度首を傾げた。
「じゃあ、最初に言ってた通りに入り口付近に火をつけたら逃げ出すもんも逃げ出せねえじゃねえか」
ヴィーは、その言葉にニッと笑う。
「こうも言ったよ。『入り口を塞ぐなら、出口を作ればいい』ってね」
ヴィーは小屋の角を指さした。ドンはその指の先へと視線を向ける。
「んだよ」
ヴィーが指さすそこは、薬物を入れるための空瓶が木箱ごと大量に置かれている。
唐突にその場所を指差したヴィーの意図を、ドンは理解することができない。
「実はね、あの木箱で隠してあるんだけどあそこに穴開けたんだ。ドンが一人通れるくらいの大きさの穴をね」
「――――は!?」
思わず素っ頓狂な大声をあげてしまったドンは、慌てて手で口を押えた。
心臓が今までになく強く脈打っているのを感じながら、周りに視線を巡らせる。
二人に視線をよこしていた子供たちも、いつもの喧嘩だと思ったのかすぐに興味をなくした。
みんなの関心が外れたことを確認したドンは、意識して一層声を小さくする。
「お前それ本当か! 冗談だったら今すぐぶん殴るぞ!」
「発想が野蛮だなぁ。本当だって。信じれないなら見てみる? 今すぐ逃げれるよ?」
子供ばかりのこの集団の中で、ヴィーを除く唯一の『大人的思考』を可能にするのが、ドンという少年である。
ほんの数歩歩けばそこに、外に逃げ出せる抜け道がある。
その状況下で、ドンは子供らしからぬ、という言葉では表現できないほど、異常なまでに冷静だった。
「……いや、お前が今この状況でいうってことは本当のことなんだと、思う。それはいいからどうやって穴を空けたのか教えろ。それから、逃走の具体的な計画をいい加減さっさと話せ」
少年は無意識化のうちに理解していた。
ダーヒムとしての恵まれない日々の中で、思い知らされ続けた。目の前の少女の底知れなさを。
発する言葉や行為ではなく、その瞳の奥の何か言いようの知れない未知の光に、それを感じた。
彼女が、自分の理解が遠く及ばない存在だと感じたとき、恐怖を感じ、それが畏怖に転じ、さらに憧憬へと形を変えて、そして実態を伴う信頼へ昇華した。
少年の少女に対する信頼は、『この少女についていけば間違いがない』という、無償の期待を抱かせて、さらに冷静さと大胆さを兼ね備えたしなやかな精神を少年にもたらした。
「さっさと話せよ。じゃないと何も始まんねえ。お前の計画、できると思ったら俺はやるぞ。話した後でのしり込みは俺が許さねえ。お前の肩にこいつら全員の命が乗ってると思え」
「ドンならそういうと思った」
二人のダーヒムの子供が、身を寄せて語る。大人たちに対する期待など微塵も有さず、ただ己の手で己を守るために。
何一つ力を持たない子供たちの高潔な反旗を掲げられんとする、まさにその時。
――――内臓をひっくり返されるような衝撃と共に、爆音が彼らを襲った。