02 「価値なき者」ダーヒム
陽のあまり差し込まない薄暗い部屋に、怒号と鞭打たれる音が同時に響く。
「こんの、役立たずがぁ!」
声を荒げながら鞭をふるった男の正面で、一人の少年が小さくなって蹲る。
「申し訳ありません……」
先ほど鞭で打たれた手の甲は赤く腫れあがり、その手を庇うように男の前で首を下げた。
「誰が、無能な、お前に、飯を、食わせてやってるか、わかってるのか⁉」
「申し訳ありません、申し訳ありません」
怒りに任せて男がふるう鞭は、屈む少年の背中に打ち込まれる。
粗雑な薄布の服は呆気なく破れ、地肌にいくつもの蚯蚓腫れが次々と生まれる。
「申し訳ありません、申し訳ありません」
ああ、最悪だ。私史上最強に最悪……。
鞭が空気を裂く音と、絶えない謝罪の言葉を聞きながら、私はうんざりとしながら部屋の隅に座り込んでいた。
この部屋には現在、鞭に打たれている少年と私を含めて十六人の子供たちがいた。
そしてその全員が、私同様存在を消すように小さくなって縮こまっている。
皆、知っている。
あの男は怒りだすと誰にも止められないことを。
怒りを鞭をふるうことでしか消化できないと。
そして幼い子供だけでは、いくら十六人いてもおとこをとめることはできない。
だからこそ、この嵐のような怒号と鞭が収まるまでただ、待ち続ける。
男の怒りの矛先が自分に向けられることのないように、じっと息を潜めている子供たちの中で、私は己の手をにぎにぎと動かす。
いやぁ、やっぱ無理かぁ。
今までの六度の人生の中でほとんどが魔法を使えたから、今度も使えるかと思った。
魔法が使えるようになるのって、今までの人生経験上何かしらの危機的状況に陥るっていうのが、かなりのベターな必須条件だったりしたから、今回は行けるかと思ったんだけどなぁ。
人生ってそうそう甘くないよね。
甘かったら私こんなに刺殺されてないわ。うんうん。
「この、この、このぉ‼」
男の不快な怒号はうるさいし、魔法は相変わらず使えないしでちょっと道を踏み外しそうだよ。
不良少女になりそう。
あれ? 不良少女に慣れたら、ジョブ的にランクアップじゃね?
あ、今のジョブですか。まだわかってない人いましたか。
やれやれ、こんな事本人に言わせないでくださいよ。
――奴隷ですよ‼
泣きそう……。
ほろりと流れそうな涙をこらえる。
本当にこの世界は非情というかなんというか。
五回も人に殺されている人間の来世が奴隷とか。
奴隷とか‼
閻魔様もっとまじめに仕事しろや。
あ、いや、嘘ですなんでもありません。怒らないでね閻魔様。ジョークですよ、ジョーク。えへへ。
くだらないことを考える以外のやることがなくて、ぼーっとしていると、いくらの時間が経ったのか男はようやく鼻息荒くこの部屋を立ち去った。
地鳴りがしたよ。
男の足音が遠ざかり、聞こえなくなるまで部屋にいる全員が耳をそば立てる。
そして足音が聞こえなくなると、周りにいた子供たちはいっせいに動き出した。
「だ、大丈夫⁉」
「ひどい傷……」
「早く消毒しないと!」
「でも薬なんてねぇぞ」
子供たちは小声で様々に喋りだす。
部屋にいた十五、六人の子供たちは、せわしなく動き始めた。
うずくまったままの少年に、一人の少女が近づいてしゃがみ込む。
「大丈夫、お兄ちゃん……」
「……、あいつ容赦なくやりやがって……」
「血、血が……! どうしよう……!」
「落ち着け、テン。俺は大丈夫だから……」
兄・ドンと妹のテンは、兄妹そろって奴隷落ちした全く持ってツイていない二人である。
そして何より、二人の名前を合わせると天丼っ!
二人の名前を聞いたとき腹筋崩壊すると思った。いい思い出である。
私はズリズリと地面を這って二人に近づいて、妹のテンちゃんの服の裾を引っ張る。
「ヴィー……? どうしよう、お兄ちゃんがぁ」
瞳に涙を一杯湛えたテンは、文句なしに可愛い。
この子このまま奴隷として成長したらヤバいわ。間違いなく男の餌食になる。
思わず思考が違う方向に行きかけたところを軌道修正する。
「テンちゃんや、あれを使おう」
「あれ?」
「この前くすねてきた塩だよ。お湯に塩を溶かして傷口に塗ったら、一応消毒はできる」
「本当⁉ よかったお兄ちゃん、ちょっと待っててね!」
テンが小走りで塩を取りに行ったら、間髪入れずに兄のドンに頭を叩かれた。
「……なにすんの」
「それは俺が言いたいわ。何してくれとるんじゃ、お前」
「人の善意をなんだと思ってんだこの野郎」
「お前のそれは善意じゃねぇだろ。あの塩を手に入れるのにどんだけ苦労してるか知ってるだろうが! 怪我の消毒するために使ったら、あとで困るだろ!」
ドンは、この部屋にいる十六人の子供の中で最年長。
力もあるし、面倒見もいいドンは私たちのリーダーだ。
人が生きていくために塩が必要だということも知っていた。
そして奴隷としての扱いを受ける私たちに与えられる食事に、塩が欠けているということも。
「なくなったらまた取りに行けばいいよ。そのための作戦なら私が考えるし、そもそも消毒にそんなに大量の塩は使わない。それに、あんたが戦力として働いてくれないほうが、後々困ることになる。理にかなった消費だよ」
「りにかな……? お前、マジで十歳か? 難しい言葉使われてもわかんねえよ」
「バカだもんねえ」
「お前な、」
「お兄ちゃん!」
コップ一杯のお湯を持ってテンが満面の笑みで戻ってきた。
「これで消毒できるよ!」
私の顔とテンの笑顔を比べて見て、ドンは荒っぽく頭をかいた。
「……わーったよ!」
妹とは偉大である。
ドンの背中に回り込んなテンが、その背中にお湯を塗ったその瞬間、「ぎゃっ!」とドンが悲鳴を上げた。
「いうの忘れてたけど、傷口に塩塗るって超沁みるよ」
「ヴィー、てめえワザと言わなかっただろ!」
「失礼だな」
「もうっ! ヴィーのこと悪く言わないの!」
「ぐぬぅぅううう……っ。鞭より痛いんだけど⁉」
「我慢して。お兄ちゃんためなんだから」
「テンが優しくない!」
妹とは時に残酷である。
ふたりの言い合いを聞き流しながら、私は部屋を見渡した。
小さな部屋に閉じ込められた、十五、六人の少年少女たち。
あとこの部屋に在るのは、乾燥した植物の葉や茎と、大量の小さな瓶たち。
おそらくあの植物は、人の精神を狂わせる薬物だろう。
私たちはこの部屋で葉や茎を砕き粉にして瓶に詰め、それを箱詰めし大人に渡す。
そうして薬物の生産の片棒を担がされている。
そして痩せこけた体に襤褸を身に纏い、限られた食事と理不尽な大人の暴力に耐えながらここで生きていた。
どれだけ悪辣な環境であろうと、ここは私たちの家であり、職場であり、そして牢獄だった。
私の脛には、いびつな焼き印がある。
これは奴隷として売られたときにつけられたものだ。
そしてこの部屋にいる子供たち全員が、体のどこかにこの焼き印をもっている。
私たちは、奴隷……いや、「価値なき者」、ダーヒムなのである。
私はこの世界で、ダーヒムとして第七の人生を生きなければならない。
……とりあえず今は刺殺されるよりもまず餓死しそうなんだけど、どうしよう?
気まぐれに更新してまいります!
気長にお待ちくださいね~