3
「お、おはようございます!」
登校初日。
入学式の次の日。
教室の扉をガラッと開けた私は精一杯の声を張り上げて挨拶をした。
シーンと一瞬教室が静まり返り、またざわざわと話し声が聞こえ始めた。
あ、あれ? 聞こえなかった?
「あ、あの、おはようございます!」
今度は静まりもせず、ざわめきが大きくなっただけ。
「ちょっとそこの1年ちゃん」
いちばん扉に近い席で、少しお行儀悪く机の上に腰掛けてお友達と話していた茶髪の男の子が声をかけてきた。
「どしたの? なんか用事?」
よ、用事? あれ、私、自分のクラスに来ただけなんだけどな……。
「その赤いリボン、1年生っしょ? ここ2年の教室よ?」
なんだかチャラい感じのその男の子は青いネクタイをしていて、というかこの教室にいる人は皆、青いリボンかネクタイで……あ、私、教室間違えたんだと気づくのと、どうしようもない恥ずかしさが込み上げてきたのは同時だった。
「す、すみません! 間違えましたっ」
私は慌てて頭を下げて、その教室を飛び出す。なんでなんでっ? ちゃんと階段を上がって3つ目の教室に……。
逃げ出した背中から、どっと笑い声が巻き起こる。
うぅ……。
恥ずかしさの余り、前も見ずに廊下を駆ける。
後から後悔した。せめて前は見るべきだった。
「あれ……ここ、どこ?」
いくらダメダメな私でも、前さえ見ていれば道順を覚えられたし、こんな知らない場所まで出てしまうこともなかった……はず。
気がつくと、周りは使われていない空き教室ばかり。人もいないし、物音すらなくシーンとしている。
はぁ……ゆーくんに、この学校は広いから迷わないように気をつけてって言われてたのになぁ。
言われた側から、こんなことになっちゃった。
最初からゆーくんと一緒に教室に行けばよかったなぁ。せっかく同じクラスなんだし。
途中まではゆーくんと一緒だったんだけど、校門をくぐったところでゆーくんの知り合いの先輩に会って、サッカー部の見学に来るように誘われた。ゆーくんは中学時代、サッカー部のエースだった。先輩もそのとき同じチームだった人で、熱心にゆーくんを勧誘してた。きっとゆーくん、高校でもサッカー部に入るんだろうな。
ゆーくんは私も一緒だからって最初は渋ってたんだけど、先輩の強引な勧誘に負けて朝練の見学にいくことになった。「花恋も一緒に」って言われて、先輩にも「マネージャー募集中だよ」と誘われたけど、私はひとりで先に教室に行くことにした。
だって私、サッカーのルールも知らないし……マネージャーなんてダメダメな私にできるわけないし。
「1-3は西校舎の階段を2階に上がって3つ目だからね」
ゆーくんはしつこいぐらいに念押ししてきて「ひとりで行けるもん」という私の言葉を全然信用してないみたいだった。
「仲、いいんだね。っていうか冬野、どんだけ過保護」
先輩にも呆れられてしまった。
……ゆーくんの心配通りのことが起こった今は、反省しきり。
ごめんなさい、ゆーくん。私、ひとりで行けませんでした。やっぱりダメダメでした。
どこで道を間違えたんだろう……。
道を聞ける人も見当たらなくて、私はとぼとぼと校舎の中を歩く。
このまま自分の教室にたどり着けなかったらどうしよう。
入学前に買った新しい腕時計を見ると、あと10分で始業時間。何かあるといけないからってかなり早めに家を出たゆーくんの言葉、ちゃんと聞いておくべきでした。
きっとゆーくんはこうなることもわかってたんだろうなぁ。
この先どうなるかは私にもなんとなくわかる。私が道に迷って教室にたどり着けないことなんて、ゆーくんはすぐに気づいて、迎えに来てくれる。
だから私は今いるこの場所から動かない方がいいんだ。ゆーくんが見つけてくれるのを、じっと待ってるべきなんだ。
そうわかってるけど……。
こんなダメダメな自分が心底イヤになる。ゆーくんがいないと何もできない花恋。なんでもできる完璧な冬野優人の幼馴染、ダメダメな椿花恋。
うっと涙が込み上げてきた。どうして私ってこんなにダメダメなのかな。ゆーくんに迷惑かけてばっかり。
昨日だって、大事な高校の入学式だったのに、私が熱を出したせいでゆーくんまで休ませちゃって。本当は「私は大丈夫だから」ってゆーくんを送り出さなきゃいけなかったのに、やっぱり風邪で弱っているときにひとりになるのは寂しくて……。
ぐわん、と突然衝撃に襲われた。
あれ……と思ったときには身体が傾いていて、私は地面に尻餅をついた。
うぅ……痛い。
それまで必死でこらえていた涙が溢れだした。
そのとき目の前に、そっと手が差し出された。
白くて、細い手首。すらっと伸びた腕の先は……金髪の、王子様。
「……え?」
王子様はその綺麗な切れ長の目をすっと細めたように見えた。でも、涙のせいで視界がぼんやりしてよく見えない。
私はまるで夢の中にいるような気持ちでその手を取った。王子様の手は温かくて、大きかった。
引っ張られながら立ち上がると、王子様の手が静かに引いていった。
王子様は背を向けた。
あ……行っちゃう。
どこか夢心地だった私はお礼を言うのを忘れてしまった。やっぱりダメダメ。
「花恋!」
私がぼんやりといつまでも王子様の去っていった方を見ていると、ゆーくんの声が背中から聞こえた。
「やっぱり迷ってた。だから言ったのに」
ダメダメな私を呆れることなく探しに来てくれた幼馴染の声もどこかぼんやりと耳の奥で反響して、低い音で弾む。
「花恋、ここは東校舎。しかも3階だよ。この先には屋上しかないからね。ほら、俺たちのクラスはあっちの校舎。行こ」
ゆーくんが差し出した手を、じっと見つめる。日に焼けた褐色の肌。
「花恋?」
ゆーくんが首を傾げる。
「どーしたの?」
「王子様が、いたの……」
私はゆーくんの腕を取り、それだけでは足りずに抱きついた。
「あのね、王子様がいたの! 金髪の……蜂蜜みたいな色の髪の!」
「王子……様?」
突然のスキンシップに驚きながらもゆーくんは冷静に言った。
「花恋、まだ寝ぼけてる?」
「……え?」
力が抜けて、するっとゆーくんの肩から私の腕が滑り落ちた。
寝ぼけて……る?
さっきのは夢?
あ……夢、か。
そうだよね。王子様なんているわけない。絵本に出てくるみたいな金髪の王子様なんて。
そう思ったら、なんだかすっきりした。さっきまでの夢心地な気持ちもすっと晴れた。
「ごめんね、花恋。ひとりで寂しかった? やっぱり一緒に行けばよかったよね」
ゆーくんが優しく頭を撫でてくれる。
「うん……。ゆーくんがいないと私、何にもできないみたい。ダメダメ、だね……」
「花恋はダメダメじゃないよ。絶対違う」
そう言ってくれるのは、ゆーくんだけ、だよ……。
私はさっきの続きみたいにちょっとだけ泣いてしまって、ゆーくんが慰めてくれた。
おかげで始業時間には間に合わなくて、遅れて教室に入った私たちふたりは目立ってしまった。
目立つのはあんまり好きじゃないけど……ゆーくんがいてくれたら平気、だもん。
一瞬だけど、王子様登場ですー