第6話 情報屋
ベロニカの街はここら辺では大きな街だ。旧ヘイムダル領の東部、北東に連なる山脈が領境となっており、この山間部を含む一帯では最も栄えた街と言えるだろう。
街はほぼ同心円状の三重構造になっており、各外周を城壁で囲っている。これは魔獣の生息するこの世界において、彼の手から人々の生活空間を隔絶し守るために必要なもので、質の差はあれども一般的にどの村落にも外壁が存在する。
ベロニカはその城壁と呼べるほどの壁の重なりが示すように、街の発展と共に外へ外へと城壁を築き、土地を広げてきた。各壁を外側から順に外壁、内壁、城壁とこの街に住まうものらは呼んだ。そして、外壁と内壁で囲まれた区画が外周区、内壁と城壁で囲まれた区画が内周区、最も内側の城壁でくるりと囲まれた区画が中心区と呼ばれている。
中心区には街役場や倉庫、貴族や有力商人の屋敷に街の騎士団庁舎など、街にとって重要な施設が密集している。貴族も住まうということが中心区を囲う壁をして城壁と呼ぶ所以だ。
内周区は街の富裕層にあたる住人の居住区、または市場などの商業区が主立って広がっている。主に内周区で商いをしているのは有力商人や、内周区の住人向けの商品を扱う商人だけだ。
旅商人が商うことができるのは外周区しかない。また、ここで暮らしているのは街の中級層から下級層で、中級層は外周区の内壁より。その外側に下級層が。そして外壁側にはスラムが点々としている。
そう、この街には貴族からスラム暮らしの貧民層までの格差が大きな街なのだ。
とは言え、街が大きくなれば格差が広がるのは当たり前のことだ。富める者が富を集中させるから大きな仕事をすることができ、それにより雇用が生まれ、街の経済が活発になり住民も豊かになる。住民が豊かになればその分だけ税が増え、その税により街を発展させるための投資ができ、また仕事が生まれて雇用が生まれ、住民もまた潤う。
しかし、物事はそう簡単にいくばかりでもない。中にはその恩恵を授かることができない不運な者もいるのだ。貧しき者にはチャンスも与えられず、益々貧しくなる。その逆に、富める者は益々富めるのだ。こうして格差は開く。
格差が開けばそこには闇も生まれる。いわゆる裏稼業というものが根付くのだ。
中には濃い闇もあり、少年と闇は馴染み深いものであった。しかし、今、少年の用があるのは比較的浅い闇だ。
外周区のとある商店を訪ね、番をしている小姓に来意を告げる。当たり障りのない言葉であるがそれは符牒であり、店主には裏の仕事の客であるということが伝わるようになっている。
しばらくして小姓が戻ってくると店の奥に通された。
小さな客間に通されるとそこにはこの店の主が待っていた。
小汚い家屋の一室ながらそこそこ綺麗にされていた。
二人掛けのソファが四角い卓を挟んだ両側に配されている。
店主はその一方に腰かけており、少年の入室と共に立ち上がって挨拶する。
「ようこそ、おいで下さいやした」
「挨拶はいい。それらしき奴隷はいなかったぞ」
「相変わらずせっかちですなぁ、旦那は」
店主は苦笑する。以前もそうだったのを思い出したのか、あまり気にはしていない様子だ。
「えぇ。どうもそのようだったみたいですね」
「本当に繋がっているんだろうなっ」
会話しながら二人はソファに向かい合って座り、ちょうどその時フードを下ろした橙金髪の少年がギロリと睨みを利かせる。
情報が信用できるのかどうか、そこから疑ったのだ。
「よしてくださいよ。あっしにとっても想定外だったんですから」
想定外、という言葉に続きを促すように顎をしゃくる。
「へえ。どうも野盗が下手打ったようで、お嬢さんを取り逃がしたんだとか」
「そうなのか?」
「へえ。そんでもって、今は血眼になって探し回っているのだとか」
「ふむ。どうしてそんなことがわかる。まだ野盗襲撃から四日目だろう」
「いやぁ、旦那。情報は鮮度が命でっせ。四日もあらぁ、そこんところ掴んでなかったら情報屋としては死んでまっせ」
そう。この男は表で旅商人の卸売りをしている一方、裏では情報屋として世間に知られていないアングラな情報を売っていた。少年の先の奴隷商襲撃は、この情報屋に情報と襲撃の依頼主を紹介された結果の行動であった。
「そうか」
少年はそういうものかと頷いた。
「そういう意味じゃ、旦那が奴隷を一人囲ったってぇ情報も、こちらとしては押さえてまっせ?」
「囲っていない!」
「そうなんすか? でも、この街に連れ込んだのは確かなんでしょう?」
「なっ、いや。街まで連れてはきたが、そこまでだ。後はあいつはあいつで勝手にやってる」
「そうなんすか。まぁ、商品にはならない無駄な情報なんすけどね?」
「ハハッ。いや、驚いた。十分だ。よくそんなことまで知っているものだ」
「いえいえ。情報屋としてはこれくらいできないと、食っていけませんでして」
少年は情報屋の相場がどの程度なのかは知らなかったが、今のやり取りで彼の情報収集力には信が置けると判断した。
「それで、娘の行方については?」
「へぇ。相手が野盗なんでここのところには少々神経つかっとりやす。下手したらこっちの命が危ういもんで」
「まぁ、そうだな。それで?」
「んなもんで、この街まで逃れてきたようだというところっすね」
「ほう」
「ちょうど今日の午前中、街に入ったところを手のもんが見かけとりやす。ただ、いかんせん雑踏に紛れてすぐに見失っちまったとか」
「だから、今どこにいるかはわからない、と?」
「へぇ。その通りでやんす。ただ、その後街の外には出ておりやせんし、内周区にも侵入しとりやせん」
「そうか。だから外周区、とりわけスラム辺りにでも身を隠している、と」
「さすが旦那。頭の回りがいいっすね」
「……おだてても何も出ないぞ」
「いえいえ。こちらもスラムには手を回してはいるんですがね。時と場所によってはやっぱりやっかいでして……」
「いや、いい。十分だ。こちらも脚で探そう。それに俺が元々用があるのは野盗の方だ。連中がこの街のことを嗅ぎ付ければ、その内奴らに出くわすだろう」
そう言うと少年はフードをかぶり直して立ち上がる。
「へぇ。ありがとうごぜぇやす」
それに伴って店主も立って入口の前に立った。見方によっては扉を塞いでいるようにも見えた。
「分かっている。これでいいか?」
少年は硬貨を指で弾いて渡す。金貨だった。
「いえいえ、旦那。これはちと多すぎでっせ」
「いや、いい。お前には今後も世話になりそうだからな。残りは取っておけ。子供が生まれたばかりなのだろう?」
「あいや、これはしてやられやした」
店主は額に手を当てる。
「どうして分かったので?」
「ここまでの廊下に粉ミルクの匂いが微かに届いてたからな。そんなものを扱っている店ではないだろう?」
「あいや、参りましたね。旦那は嗅覚が優れていらっしゃるようで」
少年は「しまった」と思った。情報屋に余計な情報を与えてしまったからだ。
だが、まあ、これくらいはいいかと思い直す。
「まあ、ともかく。入用だろうから取っておけ、ロナウド」
店主は苦笑する。
「あっしはロベルトでっせ、旦那」
「分かっている。冗談だ」
そう言って少年の口は笑みの形を浮かべた。