第1話 うたた寝 ◇
ヘイムダル領の人里離れた山間部に広がる不還の森。
ここは魔獣の跋扈する、まさに一度足を踏み入れたら生きて帰れるかわからない危険な森です。
だけど、わたしたちの狼人族の村にとっては狩場であり、生活にとって欠かせない恵みを与えてくれる森でもあります。とは言っても危険があることには変わりはありません。
昼間でも背の高い木々が日の光をさえぎってしまうため、この森は薄暗いです。
そんな森の中に小鳥のさえずりとカサッカサッという足音だけが響きます。
わたしは木の実や山菜を探していました。
「ふぅ。今日は結構見つけることができたぁ」
これで今夜の食事は何とかなるだろう。そう思ったとき。
――ウウゥゥゥゥゥ……
獣のうめき声のようなものが聞こえた気がして。
「ひっ!」
耳としっぽを逆立てて、体をビクリとさせてしまいました。
空耳であってほしいと願いつつ耳をそばだてて周囲の気配に気を払うと……。
「ぅぅぅぅ、ぐるるるるるぅぅぅぅっ!」
今度ははっきりと聞こえました。
「ひっ……」
そんなに遠くない。でも、そこまで近くもない。
それからも断続的にうめき声が聞こえます。
怖い。魔獣かもしれない。もし魔獣だったら、わたしにはどうしようもありません。たとえ身体能力に秀でた狼人族のわたしでも。いいえ、わたしだから無理なんです。
怖い。逃げ出したい。こんなところにいてはいけない。家に帰りたい。
でも、どうしてだろう。すごく苦しそうな感じがする……。
魔獣かもしれない。でも、魔獣じゃないかもしれない。
苦しんでいるんだったら可哀想だな。
そう思って、恐る恐るうめき声に近づいてみました。
慎重に、いつでも逃げられるように構えながら進んでいくと、少しばかり開けたところに、他より大きくて立派な樹が中央に一本生えていました。
その根元に、横たわった状態で頭を抱え、うずくまっている小さな影が見えます。
人でした。
今までの人生で見たことのない、光沢のある立派な生地の服を着ています。白と青を基調としたシャツにズボン。金糸で刺繍が施されていて、見るからに身分の高そうな少年です。
しかし、その上等な衣はあちこち切れていたり、血の跡があったり、黒く煤けていたりで、とてもではないけれど普通の状態ではありませんでした。
歳は背格好や顔のつくりを見るにわたしより一つ二つ上くらいでしょうか。
その少年がやや赤みを帯びた反射光を散らす金髪の頭を抱えて苦しそうにしています。
「あ……あの。だ、大丈夫……?」
恐々と近寄って声を掛けてみました。
少年は近づいてようやくわたしの存在に気が付いたのか、固くつむっていた碧眼をわたしに向けます。
「――み……み、ず……」
苦しげな声にわたしは慌てて少年を抱きかかえると、持参していた水筒を彼の口許にあてて水を飲ませました。お腹も空いていそうだったのでわたしのお弁当も分けて食べさせました。
人心地付いたのでしょう。彼は先ほどに比べると大分楽そうになりました。
「水と食料には感謝する。でも、これ以上は僕に関わらないでくれっ」
「で、でもっ……」
樹に背をもたれさせて痛みに耐える顔は無理をしているように見えました。
非力なわたしにでもしてあげられることがあるなら、力になってあげたい。
そんなわたしの気持ちに対して鋭い声音が返ってきます。
「うるさいっ。僕のことは放っておいてくれっ……」
左手で頭を押さえた彼の刺すような表情にわたしはすくんでしまいます。
思わずわたしの足は彼の許から遠ざかるように帰路へと向けていました。
夕刻になって、わたしはどうしても気になって水筒と携帯食料を腰に下げてあの大きな樹の生えた森の広間に向かいました。
彼はまだそこにいました。
「あの……」
未だに何かに耐えるかのように苦しそうに額にしわを寄せているけれど、昼間よりは幾分ましになっているように見えます。
「――僕に関わるなと、言っただろぅ……」
「あの。……よかったら、これ食べて……」
一瞬困ったような顔して少年はため息をつきます。
わたしは悪いことをしてしまったのでしょうか?
「わかった、いただく。ありがとう」
そう言って水筒とお弁当を受け取ってそれを口にする姿を見て、わたしは少し安心しました。
ちょっとは力になってあげられたのかな、って。