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第10話 奴隷契約

 夕飯は少年がベロニカの街で行きつけている居酒屋で食べた。

 少年はこの国で飲酒のできる年齢であったが、これまでにその経験はなく、また彼の生き筋においてアルコールは不要であったので、居酒屋とは言えただ普通に食事しただけだった。

 もちろん少女もアルコールを摂取したりしなかった。そもそも奴隷が主人の前で飲酒するなどということは非常識であった。加えて、少女もまた飲酒の経験がなかったのだから言うまでもない。

 それでも少女のテンションは高かった。

 衆目の前で目立つようなことはしなかったが、ずっとニコニコしながら少年のことを見ていた。

 少年はそんな少女の扱いに困り、無言で口を動かし続けた。

(ふふ。やっぱりご主人様はお優しい。ちゃんとわたしのことも考えてくださって……。今後もずっと、末永くお側でお仕えしたいです)

 少女は確かに幸福を感じていた。

 過去、これまでの人生で一度だって味わったことのない感覚だった。

 胸がポカポカと温かく、その熱にずっと浸っていたかった。

 少女はただ、この温かい時間の継続を願うのだった。

 少女の嬉しそうな雰囲気は、食後、宿に帰るときも続いた。

 少女は行きも帰りも少年のローブの裾を掴んで少年について歩いた。

 部屋に戻ると、主人の分もローブを掛けて少女は掃除道具を片付けた後、少年に告げた。

「あの。契約を……。まだ済ませていませんでしたので……」

「そう言えばまだだったな。すまない。忘れていた」

 内心、忘れていただけなんだ、と少女は安堵した。

「はい。よろしくお願いします」

 少女は一礼すると左手の甲を差し出した。

 少女の左手の甲には刻印が浮かんでいる。

 これを〈隷属の刻印〉という。

 少年が少女の刻印に触れ魔素マナを流すと、契約魔法陣が安宿の狭い部屋に展開される。

 〈奴隷契約の魔法〉が起動したのだ。

 二人の視界には契約魔法の契約条項が浮かんでいた。


 一、奴隷は所有者にそのあらゆる権利を譲渡し、所有者の命令に従うこと

 一、奴隷の所有者は奴隷のあらゆる権利を有し、そのすべての責を負うこと

 一、奴隷の所有者は奴隷の衣食住を保障すること

 一、奴隷の所有者は任意に奴隷の身分を解放することができる

 一、奴隷の所有者は任意に奴隷の所有権を放棄することができる

 一、奴隷の所有権が所有者に帰属する間、所有者の合意がない限り、奴隷は第三者によるあらゆる暴力の対象とならない

 一、以上に加え、以下の機会において契約特記条項を契約に付加及び廃棄することができる

   ・本契約で奴隷となる者は、奴隷身分となる際

   ・本契約で奴隷の所有者となる者は、所有権を得る際

   ・所有者が変更となる奴隷は、新たな所有者の合意が得られた場合に限り、所有権が移譲される際


 これらの条項を奴隷七条項と言う。

 二人の視界にはこれらに加え、特記条項が二つ列記されていた。


 特記、本契約による奴隷の所有権は、所有者による魔素供給が絶たれ次第、奴隷購入者に移譲する

 特記、奴隷は一切の暴力行為をしないこと


 ただし、前者は既に失効し、文字が薄くかすれている。おそらく、魔素供給が既に絶たれているからだろう。

 主人となった少年は条項を読むとこれらの特記は廃棄した。不要と判断したのだ。

 そして尋ねた。

「何か条件はあるか?」

「……よろしいのですか?」

「あぁ。でなければ訊かない」

 少女はそのような機会を与えられると思っていなかったため、慌てて考えた。

「では、一つだけ……」

「何だ? 言ってみろ」

「末永く、お側にお仕えさせてください……」

 上目遣いで遠慮がちに告げる。

 少年は思わずドキリとした。

 これまで意識しないようにしていたが、この狼人族の少女は世間的に見ても整った顔立ちをしている。

 ここ数日歩き通しだったこと、先ほどまで掃除をしていて埃をかぶったことなどから、あまり清潔とは言えなかった。それ故、一見しただけではわかりにくいのだが、確かに少女は美少女というべき容姿をしていた。発育状態はやや不健康そうではあったが。

 とは言え、だ。顔立ちの整った少女に先のセリフを口にされたのだ。普通の青少年であれば小躍りしたくなるだろう。それが自然な反応であるといえた。

 しかし、少年は狼狽えた自分に少なくない衝撃を受けた。

 まさか、自分が動揺させられるとは思いもしなかったのだ。

 それでも冷静を装い、いや、事実すぐに冷静さを取り戻し、条項を確認する。

「末永く、というのはいつまでだ?」

「それは……ご主人様にお許しいただける範囲で、少しでも長く……」

(ふむ。正直面倒だな)

 その「範囲」をどのように解釈し、どのように考えるか、少年には労力の無駄に思われた。

 一番面倒が少ない――すなわち、少年が期限の設定に労さず、かつ少女が満足しやすいだろう解決方法は――。

「なら、『奴隷が望む限り、所有者は所有権の放棄及び奴隷の解放しないこと』。これでどうだ?」

 少年にとっては手抜きだった。が――。

「え⁉ い、いいんですか? このような条項……」

「ああ。問題ないな?」

「は、はい!」

 少女が少年を見つめる視線はこれまでも強い情が感じられたが、それ以上に熱を帯び始めた。

 少年は少女のその様子にまたもや困惑させられる。

 しかし、もう既に奴隷を所有する腹は据えていた。

 であればこれくらい問題とすべきことではない。

「では、えーと……。お前、名は?」

「あっ、はい。申し遅れました。わたしはリリアナと申します。普段はリリィとお呼びください」

「わかった」

 そして、契約の宣誓を行う。

『汝、リリアナを契約の下我が奴隷とせん』

 これにて契約は結ばれた。


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