竜夜の悪夢
初投稿になります。
以後、よろしくお願いします。
峻険な山々が燃えていた。宵闇が燃えていた。
魔獣の咆哮が木霊し、周辺の村々どころか、山脈を超えた隣国にまで怯懦を振りまいた。
山々から伸びる進撃の痕には、踏み倒された樹々と焼かれた森が広がった。
森を焼く業火に照らされて浮かび上がるのは黒紅色の巨躯。悠に森の木々よりも大きな巨体は硬質な鱗に覆われて光沢を放っている。四肢の先には鋭い爪が、頭部からは二本の大きな角が生えており、その蛇のような冷たく鋭い眼光、顎に生え並ぶ磨かれた刀剣を思わせる牙と併せて見るものを恐怖に落し入れる。自らの脚と同じほどの太さの逞しい尾を垂らし、時折それを撓らせては大地を鞭打つ。その度に樹々は押し潰され粉塵が舞う。背から生やした蝙蝠に似た、されどサイズがあまりにも大きすぎる翼が一度羽ばたけば、周囲は嵐に巻き込まれたかのように混沌となる。
そう。この進撃は竜によるものだ。
しかし、この侵攻は巨躯の紅竜一頭によるものではない。奴が縄張りとしている峻険なる山々、ヘイムダル領北東の国境の山脈・紅の嶮山から引き連れた眷属たる竜種が、森林の中を、上空を数多散見される。
竜種は縄張り意識が強く、滅多なことでは縄張りの外に出没することはない。
それ故、この事態に気が付いた人間は一握りだった。
そして、気が付いた一握りの人間らの取れる行動というのも限られたものだった。
竜種の暴威に対して取れる選択肢は二つ。
一つは逃げること。奴らの進路上から退避し、身の安全を図ること。
もう一つは足止めすること。これはあくまでも足止めであり、人々が逃げる時間稼ぎにしかならないのが専らだ。
これらの選択肢が示すことは唯一つ。
竜種の襲来はもはや自然災害と同等であり、人の手に余る事象であった。
そして、この事態に気が付いていた一握りの人間であるヘイムダル領主、公爵位ミシェル・ミカエラ・ヘイムダルは、連中の進路上に彼の屋敷、及び領民の住む町があることから、後者を選択した。
彼と彼の保有する騎士団は敢然と立ち向かった。
幾つもの竜種を屠り、紅竜の意識をそらすことに成功した。
しかし、それも本当にわずかな時間稼ぎにしかならず、進撃は屋敷にまで及んだ。
このとき既に公爵は紅竜の手で命を落としていた。
屋敷を守るものはいなかった。
すべての戦力が先の時間稼ぎに費やされたからだ。
屋敷は紅竜の爪や尾で倒壊させられた。
元屋敷は火に包まれ、瓦礫に埋もれ、よく見れば血も飛び散っていた。
しかし、それ以上の惨劇は繰り広げられなかった。
ヘイムダルの町には一つの爪痕も残さなかった。
竜種が縄張りへと引き上げたからだ。
しかし、そこに紅竜の姿はなかった。
忽然と姿を消していた。
翌朝。避難していた町民たちは無事な自分たちの町を見て喜んだ。しかし、屋敷の無残な姿、破壊の爪痕を見て戦慄した。
そして理解した。自分たちは領主を失くしたのだと。
この事件の噂は王国中に広まった。そしてすべての国民を震撼させた。
平穏だった町に一夜にして立ち現われた悪夢――。
人々はこの事件を《竜夜の悪夢》と呼んだ。
この事件が後にクーニグドラッヘ王国に波乱を巻き起こすことを人々はまだ知らない。