2-8 見つめる人影
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「ったく……楽しそうにしやがって」
そんな総児達の姿を視界に収め、苛立たしげにそう呟く一人の少年。
一年生の教室と中庭を挟んで丁度真向いに当たる三階建ての西棟屋上。そこにその生徒、二年特Aクラスの戸川烈がいた。
ほぼ坊主頭のその髪は、丸坊主にしてから自然と一月程伸びた位の長さで、どこかの運動部員の様な印象を受ける。と言っても、戸川は何処の部にも入っていない帰宅部員だ。
戸川は一月程前、新入生の雪音とグラキエースに戦いを挑み、負けている。
神代高校では、エレメンツマスターとしての能力向上のために生徒同士の戦いを推奨している。
それは、エレメンツに全力を出させる事でマスターのマナの扱いが上達していくという仕組みに起因している。
けれども、強力なエレメンツ同士が全力でぶつかり合った時には、その力の余波によって周囲のあらゆる物が破壊されてしまう。
そのため、校内にはXFと言われる専用の対戦場所が幾つも用意されていて、その中でのみ戦闘行為が許されている。
ただし、XF内の対戦には大きな制約が付く。XFに二体以上のエレメンツが存在する限り、人もエレメンツも誰一人として外に出る事は出来ない、という。
つまり、XF内での戦いに敗れるという事は、自らのエレメンツを一度失うという事なのだ。
『マスター、彼らが、私の前の――』
「それ以上口にするな」
戸川は、背後に居る自らのエレメンツへと冷たくそう言い放つ。
そのエレメンツは、一月前にグラキエースに負けて消えたエレメンツに代わって、新たに作り出されたエレメンツ。
名前は変わらずルブルムで、色も同じ様に背景を薄っすらと透かして見える赤い色をしている。
けれども、その姿形は大きく異なっていた。
以前のエレメンツも今のエレメンツも、二本の足で立ち二本の腕を持つ所謂人型の姿という所までは一緒なのだが、細かな部分が全く違っている。
以前は真っ直ぐで一本の棒の様な形だった手足は、全体的に丸みを帯びて中間に関節が出来、折り曲げられるようになっている。
以前は目の様な一つの円形があっただけの顔は、二つの楕円形に近い目、中心を通る鼻であろう突起、やわらかな弧を描く口を兼ね備え、ほとんど人間と変わらない顔へと変わっている。
加えて、そのエレメンツは胸部に二つの膨らみを持っていて、頭部には肩まで届く程の長さの無数の糸状の物、つまりは髪の毛が生えている様な姿をしていた。
そう、そのエレメンツは、誰がどう見ても女性を模したものだと分かる姿をして、戸川の後ろに控えていた。
戸川はそのルブルムの姿を見るのを嫌っていた。
何故なら、エレメンツの姿というのはマスターの心の中を映したものになるから。
エレメンツの姿は、この姿なら強いだとか格好良いだとか、あるいは可愛いだとか賢いだとか、そういったマスターの内心が影響されて形作られている。
以前のルブルムの姿は、戸川が強いエレメンツを望んだ結果辿り着いた姿だった。にもかかわらず、その強さはより強いエレメンツによって打ち砕かれてしまった。
そのルブルムの姿が今の姿へと変わったという事は、戸川自身が今の姿の方が強いと思っているという事だ。
そしてこの姿の元となっているのは――自らが負けた相手、氷室雪音のエレメンツの姿に他ならなかった。でなければ、今の姿への変化に説明を付ける事は出来ない。
そう、氷室雪音が自らの上を行く強者だと、心の中では認めている事の証、それが今の女性の姿をかたどったルブルムの姿なのだ。
だから、その事実を常に突き付けて来るルブルムの姿を目にするのを、戸川は嫌っているのだった。
F組の教室から出て来て、階段へと向かって廊下を歩いて行く二人と一体を視界に収めながら、戸川は呟く。
「確かにあのエレメンツは強力だ。だが、あの新入生はマナの扱いに関してはてんでド素人だった。一年間、ここで戦い抜いて来たオレとは、比べ物にならない程の差があったんだ。どう考えても、オレが勝つはずの戦いだった。それが――」
そこで戸川は、視界の中の一人へと視線を絞る。
「あいつだ。あの生意気な野郎、あいつが何かをした。何かは分からないが……だが、あいつには何かがある……必ずだ」
そこまで戸川が呟いた所で、階段へと到着した視線の先の人物達は視界から外れ、姿が見えなくなってしまう。
けれども、戸川はそのまま階段へと鋭い視線を向けたまま、言葉を紡ぐ。
「あの時、奴はFクラスではあったが、エレメンツの姿はしっかりと見えていた様だった。にもかかわらず、未だに豆粒程のエレメンツすら連れていない。一か月過ぎたってのにだ。普通なら有り得ない。エレメンツを隠している……? 否、エレメンツが居たならあの時XFから出る事は――始めから外に待機させておけば可能か。だとしたら、反対に中に力を及ぼす事は出来ないが……。力を隠して、わざわざFクラスに留まる理由なんて……あるのか?」
様々な可能性に考えを巡らせ、検討する。
元々、この用意周到さが特Aクラスに上り詰める程の戸川の強さの一因となっている。
あの時も、新入生だからと侮ってかかった訳ではない。
先に同級生を戦わせて相手の手の内を探り、負ける要因はもう無いと判断した上での登場だった。
だというのに、敗北という結果……。
この現実は、大きく戸川の上にのしかかっていた。
いつか必ず奴らの手の内を暴き、今度こそ必ず勝利する――その思いが、今の戸川を動かす全てだった。
「ちっ」
と、そこで戸川は舌打ちすると、ひとまず頭に浮かんでいた考えを全て振り払う。
そして、中庭に背を向けるとその場に腰を下ろし、持っていたビニール袋の中から購買で買って来たパンを取り出すと、一人きりの昼食を始めるのだった。
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