序 前
〈序章〉
そこは、ただただ広い空間だった。
サッカーコートが入るのではないかという位の広さがあるが、その周りも床も鋼の板が取り囲んでいる人工的な空間。
天井もこれまた高く、五階建のビルでも余裕で収まりそうな高さだ。
その床からは視認するのも難しい天井には照明が付いていて、室内を明るく照らしている。
けれども、その照明も天井に埋め込まれる形で設置されており、頑丈な強化ガラスと強化樹脂によってしっかりと覆われていて、他の面と同じ様に真っ平らになっている。
この巨大な直方体の空間に、二つの人影が有った。
部屋のほぼ中心部分の床に、二人の人物が十メートル程の間を向けて向き合って立っている。
一方は、恐らく二十代後半であろう若い男性。
上下共に黒いスーツで白いワイシャツを身に付け、これまた真っ黒なネクタイ。まるで御葬式にでも行って来たかの様な格好だ。
髪の毛は整髪料によってオールバックにしっかりと固められている。綺麗に整った顔立ちをしているので、大方の女性は見惚れるであろう好青年だ。
やり手のサラリーマン――そんな印象を与える引き締まった表情で、向かいの男へと鋭い視線を向けている。
その視線の先に居るのも若い男性で、二十代前半位だろうか。こちらの方が少し若く見える。
白いワイシャツに青色のネクタイを身に付けているが、その上に羽織っている物が向かいの男とは全く異なる。
その身体を覆うのは真っ白な服で、医者や科学者が身に付ける所謂白衣と言われる物だ。
こちらは無精髭を生やし、寝癖の付いた全く整えられていない髪型なために、だらしのない印象を受ける。
けれども、顔自体は綺麗に整っているので、身だしなみを整えれば向かいの相手に勝るとも劣らない好青年になるのではないだろうか。
こちらも、同じ様に向かいの男へと視線を向けているが、楽しそうに笑顔を浮かべている。
そんな二人の元に、無感情なスピーカー越しの女性の声が響く。
「準備が整いました。試験を開始して下さい」
事務的なその言葉を聞いた二人は、それぞれに口を開く。
「フフッ、それじゃあ早速、我が力を披露しようじゃないか!」
黒いスーツの男が叫び、
「それじゃあ宜しく頼むよ、イグニス」
白衣の男は小さな声で、誰かに囁きかけるかの様にしてそう口にする。
次の瞬間、二人の背後に新たな二つの影が現れた。
スーツの男の背後には、そのスーツの色と同様な真っ黒な影。
白衣の男の背後には、燃える様な深紅の影。
黒と赤、二つの新たな影は人型の様に見えるが、けれどもその輪郭がもやもやと霞がかっていて、姿がはっきりとしていない。
まるで霧が人の形を取った様――そんな印象を受ける二つの影は、それぞれ目の前の男を飛び越えると、お互いに向かって一直線。
向い合う二人の男の中間辺りで激突した。
黒い影が繰り出した右腕のストレートを、赤い影が両腕を身体の前に構える事でガード。
続け様に黒い影が左腕を繰り出すが、今度は赤い影は身体を捻ってその軌道から逃れる。
黒い影の左手に回り込んだ赤い影は、突き出されたその左手を掴み、思いっきりその身体を投げ飛ばす。
その動きは、人の出来る動きのスピードを遥かに超えていた。
そして、その力によって生み出される効果も。
赤い影によって投げ飛ばされた黒い影は、五メートル以上の上空へと舞い上がっていたのだ。
けれども、その動きは空中で急に変化する。
逆さまの状態だったその身体は一回転し、頭が上で足がという通常の状態で大の字に手足を開いて急停止する。
次の瞬間、その黒い影は空中を蹴る様にして赤い影に向かって急降下の突進を開始していた。
再び激突する黒と赤。
再度、赤い影は両腕で黒の突撃を受けるが、今度は上空からの下降分の勢いも乗っているせいかその勢いを殺しきれずに後ろへと押されてしまう。
けれども、赤い影もやられ続けているだけでは無かった。
突進の勢いが完全に消えて二つの影が動きを止めたのと同時に、赤い影が右足での回し蹴りを黒い影の頭めがけて繰り出す。
黒い影の反応も流石で、その蹴りを左腕で受け止めるが勢いは殺しきれない。
そのまま右後方へと吹き飛ばされていく黒い影。
赤と黒の間合いが再び開いた所で、赤い影は大きく両手を広げて真上へとかざした。
すると、その広げた両腕の周りに赤く燃え盛る六つの炎の塊が現れる。
その六つの火の玉は、砲弾が撃ち出されるかの如く一斉に黒い影に向かって飛んでいく。
一方、吹き飛ばされた黒い影は、体勢を整える間も無く火の玉を迎え撃つ事となる。
自らに向かって来る赤い輝きを察知した黒い影は、崩れた体制のままに横へと走り出す。
一瞬遅れて、それまで黒い影が居た所へと六つの火球が殺到し、巨大な爆発音と共に周囲一帯を炎の海へと変貌させる。
間一髪で炎の海から逃れた黒い影であったが、まだ息をつく暇もない。何故なら、続けて同じ様な火球が飛来したからだ。
赤い影は最初の六つの火球に続けて、連続で十個以上の火の玉を黒い影へと向けて繰り出していた。
黒い影を追いかけ火球が地面へと激突する。再び爆発が起こって火の海が広がるが、一つの火球が作り出す海は先程のものよりもずっと小さい。
そのまま走り続ける黒い影の動きを追いかけて残りの火球が降り注ぎ続ける。
一直線に動き続けては良い狙いの的になるという事で、黒い影は右に左に不規則に動き回りながら火球を避ける。
けれども、その動きは全くの無計画という訳ではなく、徐々に赤い影に向けて間合いを詰めて来ていた。
赤い影もそれには気が付いている様で、黒い影が自分へと迫るのを妨害する様に火球を撃ち続けるが、黒い影の接近は止められない。
黒い影と赤い影の間合いは終には一メートルも無くなり、新たな火球を作り出しても撃ち出す前に黒い影が懐へと入って来る――そう思われた瞬間、黒い影が伸びた。