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第六話 幕間の人々

 第一次トリア平原会戦の勝敗が明らかになったとき、最も落胆らくたんしたのはピートの市民であった。彼らは自分たちはろくな抵抗せずにトリエル軍に降伏したことを後悔しながらも、自らの自由と財産を奪われずに済んだことに安堵していた。


 その安堵の根底こんていには、

「二百年前と同じく六都市同盟軍が負けるわけがない」

「六都市同盟軍が、トリエル軍を破ってくれれば蜂起ほうきできる」

「一度でも敗れればトリエル軍は帰るに違いない」

 という思いがあった。


 しかし、六都市同盟軍が満を持して投入した三万の兵力はトリエル軍一万に粉砕ふんさいされた。アミンとルギィの第一人者は戦死した。この敗北を知ったピートの市民にできることは凱旋がいせんするトリエル軍を見つめることだけだった。


 彼らはピートに戻ってきたトリエル軍のなかに捕虜ほりょとなった同盟軍の兵士を見つけた。捕虜達は血と泥にまみれた軍装のまま手をつながれ、虚ろな目を地面に落としながら歩いている。彼らの運命をピートの市民は知っている。ピートを占領したトリエル王ブレダ・エツェルは、降伏した者に関してはその自由と財産を保証した。しかし、自らに反した者には粛清しゅくせいと私財の没収という厳罰で接した。粛清は逆らった当人だけであったが、残された家族は私財を奪われたまま生きるほかなかった。占領の際、最後まで抵抗した衛士がまさにそうであった。彼らは城門に吊るされ、私財を奪われた彼らの家族の中には生活難から娘や婦人が身売りに出され、妓楼に並ぶということさえあった。


 そのことから、この捕虜達はブレダに逆らった者として処断されるのは火を見るよりも明らかであった。彼らに期待するばかりで何もしなかった市民らは、自らの無力さに消沈しょうちんせざるを得なかった。


 そんななか、トリエル軍の勝利を怒りの眼差しで出迎えた数少ない人物が政庁にいた。ピートの第一人者べリグ・ゲピディアの娘であり、いまはブレダの小間使いとなっているリア・ゲピディアである。


「王におかれましては、さぞ悪辣あくらつな手を用いて勝利を掴まれたようでお慶び申し上げます。その黒く染まった手を洗うための水を用意してお待ちしておりました」


 慇懃いんぎんな挨拶でブレダを迎えたリアは凛とした瞳に怒りを満たして彼を見つめた。


「勝利でも成果でもなにかを掴むということは白い手のままではいられない。血に染まるか、悪魔のような黒い手をするしかない。お前のその白い手は美しくて良いな」


 ブレダはリアの手を見ていった。彼女の白い腕は汚れ一つないように美しかった。それは、自ら何も事を起こさず、同盟の勝利を祈るばかりのピートの市民と同じであった。リアは怒りに奥歯を噛み締めたが、それを全面に見せることはしなかった。


「お褒めいただきありがとうございます。今回の勝ち戦で得られた奴隷を買い取る用意をしております。おいくらにてお売りいただけますでしょうか?」

「奴隷はいない。捕虜は売らない。牢に留め、情報を聞き出したあとで見せしめとする」


 ブレダは淡々と述べるとリアの横をすり抜け、執務室への廊下を進む。その彼の袖を彼女は掴むと「お売りください!」と叫んだ。近くにいたウァラミールなどが緊張した面持ちで二人を見守る。


「売らない。彼らは戦いに身を投じるときに死ぬ覚悟はしたはずだ。それが戦場だろうと刑場であろうとな。それが嫌なら戦わなければいいのだ」

「それは蛮族の理論でしかない! 私たち同盟は兵も市民なのよ! 誰もが本業を持ち、家族を持っている。あなたたちみたいな戦うだけの生き方はしていない」


 必死に押し隠していた感情が、彼女の忍耐という名の化粧を剥ぎ取る。小さいため息をついたブレダはリアの手を振りほどくと、


「俺たちとて家族はいる。それを判って言っているか? 俺にはお前が何も知らぬように思える。蛮族と俺たちを呼ぶのは構わん。だが、それで思考を停止しているのならお前は俺たち以上に野蛮な理性なき存在だといえる」


 と、冷たく述べた。


 リアは頬を真っ赤にして口を開こうとしていたが何も言えずに終わった。それでも目をブレダから逸らさなかったのは持ち前の気性の強さゆえだった。だが、それはそれだけの価値しかない。いま彼女らが置かれている状況も、捕虜の状況さえも変わらない。


「ウァラミール、アルダリックが戻り次第、軍議を始める。それまで、執務室に誰も通すな」


 今度こそ、リアを振り切ったブレダは一人、執務室の中へと入った。ブレダが戦場に出ている間に本国から届いた報告書や私信などが卓上にまとめ置かれていた。彼はそれらにざっと目を通すと、副王としてトリエル王国に残っている弟オクタル・エツェルからものだけを取り出した。


『兄上の軍から送られてきた食料や金銭で多くの人間の食を確保することができました。しかし、北部では餓死者を出しました。この地域を与えられているフォーク、モンフェラ、デザンの貴族が送られた食料を横領したためです。三度にわたって警告を送りましたが、言を左右にするばかりで埒があかないため軍を用いて三名を捕らえるつもりです』


 この手紙が書かれてからすでに十日程が経過している。生真面目なオクタルの性格からすればすでに出陣している頃である。フォーク、モンフェラ、デザンはトリエル王国建国時代から続く一族で、王からも一目を置かざるを得ない勢力であった。しかし、近年は凡庸な当主しかおらず、その権勢はかげりを見せている。


 オクタルには三年前のベルジカ遠征を生き残った五千の騎兵を残してきている。彼らは精鋭であり、いまブレダのもとにいる一万の騎兵と比べても遜色そんしょくはない。それどころか超えてきた戦場の数の分、あちらの方が有利かもしれない。外連けれんのない用兵を行うオクタルのことである。万が一にも負けはないであろう、と思いブレダは手紙を閉じて卓の端の片付けると別の書状が目にとまった。


「……これは」


 そこには、因縁浅からぬ署名がされていた。


 ルキウス・オルセオロ。


 急いでひらいた書面には短い言葉で


『王太子いえ、いまは陛下と呼びべきでしょうか。陛下からの身代金のおかげかマリエルは健やかに我侭わがままに成長しています。陛下の名はこの数ヶ月で雷鳴のように響き、略奪王、という異名は僕はおろかベルジカの王都までも響いています。いつか娘と共にお会いできることを願っています』

 と、書いてあった。


 あの敗北から三年、ブレダがもう会えまい、と思っていた人物が会いたいと言ってくれている。だが、その手をどうとればいいのか。いまのブレダの手は当時の手とは違う色をしている。


「手を握ることができるか。それとも……」


 彼はそう言うと少し微笑んだ。







 第一次トリア平原会戦の勝敗は、六都市同盟にも大きな影響を与えていた。なかでも第一人者を失ったルギィとアミンの混乱は大きかった。会戦に参加した市民兵五千のほとんどが戻らず、都市の守りは完全に留守になってしまったのである。


 会戦後、トリエル軍の一部が活発に略奪を繰り返している。いまはまだ周辺都市留まりであるが、いつ主要都市に襲いかかるかはわからない。その恐怖は市民を混乱させるのに十分であり、


「もうだめだ! 降伏しよう」

「だめだ。ブレダは敵になったものを皆殺しにするというぞ!」

「ピートは降伏したゆえに、略奪されずに済んでいる! いましかない」


 と、言った。声が方々から叫ばれている。


 このため、これらの都市で新しい第一人者が選挙で選ばれるまでの間、近隣の第一人者が臨時的に防衛の指揮を執っている。ルギィにはメスの第一人者であるネロ・リキニウスが着任した。


 しかし、ルギィの市民から彼は憎まれている。それは、会戦において彼が率いる重装騎兵を過信し、ルギィの歩兵との連携を欠いた突出をしたためである。結果、重装騎兵から離された歩兵はトリエル軍の軽騎兵の餌食となり、平原に倒れていった。


 ――こんなはずではない。

 

 ネロは自分が戦場の端に追いやられ、大勢に影響を与えられる状況にないことを気づいた。挫折を知らなかった彼にとってこの敗北は、最初の挫折であり永遠に忘れられないものになった。


 一方、アミンに着任したオルレインの第一人者デキムス・ノイアは市民から押し寄せる膨大な苦情に辟易していた。


「どうして、オルレインの重装歩兵がアミンの市民兵を守らなかったのか」

「遺された遺族の生活をどうしてくれるのか」

「今後の防衛はどうするのか」


 自分の言いたいことだけ叫んでいく市民を見送ったデキムスは、戦場よりもこちらのほうが百倍疲れる、と深く息を吐いた。アミンの市民兵が全滅に近い被害を受けたのは、アミンの第一人者の自棄とも言える突撃命令の所為である。しかし、そこまで彼を追い詰めることになった遠因はデキムスの率いていた重装歩兵の行軍の遅さにあった。


 ――あと少し早く戦場にたどり着けていれば……

 

 その苦い思いがアミンを防衛しているデキムスはもとより重装歩兵にもあり、彼らはこの罪悪感を晴らすために今後の戦いに身を投じていくことになる。


 そして、もう一人。

 

 絶望に近い状態に追い込まれている男がいた。それはリンゲンの第一人者であるクラウス・アエティウスである。トリエル軍を駆逐することを市民に誓い一万という市民を戦場に投入した結果の敗北である。市民の怒りはトリエル軍よりも無謀な戦を行ったクラウスに向けられた。


「敵の三倍になる兵力を率いていながら、この失態はなんだ!」

「戦前の口上はなんであったのか」

「夫も息子も死んだ! なぜ、お前だけが生き恥を晒しているのか!」


 市民の怒りをクラウスは黙って聞き入ることしかできなかった。誰もが勝利を疑わなかった会戦での敗北。その誰ものなかにクラウスがいたことに関して、彼は一切の弁護ができなかった。


 傭兵隊が血路を開き逃がしてくれたリンゲンの市民兵は四千しか戻ってくることができなかった。街を出るときに一万だったことを思えば、おおよそ三人に二人が死んだ、と言える。


 ――私もアミンの第一人者のようにあそこで死んでいたほうが良かったかもしれない。だが、それはトリエルの脅威を退けてからだ。


 クラウスは人々の怨嗟を身にまといながらも、都市の防衛につく。その姿は、悲壮であり彼を責める人々さえもその声を止めた。こけた頬、落ち込んだ眼窩の奥にぎらついた目を輝かせる彼はまさに生きる屍であった。


 その動力は、第一人者としての義務感であり、それが断ち切られればこの男はすぐさま灰になるであろう。だが、このクラウスのおかげでリンゲンは他のアミン、ルギィの二つよりも早く体勢を整えることができた。 


 このように、六都市同盟は存亡の危機に直面していた。しかし、この中から一人の英雄が生まれるのである。

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