第五話 第一次トリア平原会戦
まだ寒風吹きやまぬ初春、六都市同盟は中央部のリンゲン、北部のルギィ、南部のアミンの三都市に兵力を集結させた。このときの同盟の市民は熱狂と興奮を友にしており、誰一人とて敗北を考えた者はいない。
「これまでの恨みを晴らし、略奪者たちを山奥に押し返すのだ」
誰が最初に言い出したかは分からないが、これがトリエル軍に対する六都市同盟の歓呼の台詞であった。なかでも六都市同盟の首座を自認するリンゲンの士気は高い。
リンゲンの第一人者であるクラウス・アエティウスは集まった一万の兵に、
「二百年前、我らの先祖は蛮族をこの地から一掃した。先祖にできたことがその末裔である我らにできぬはずがない。今度こそ、あの悪逆な蛮族に反抗する気が起きぬほどの大敗を味あわせてやろうぞ」
と、語った。
クラウスはこの自身の発言を自らへの義務と考えおり、準備に準備を重ねてきたのである。リンゲンの主力は市民兵を中心とした歩兵七千に傭兵三千である。市民兵は鎖帷子の上にリンゲンの象徴である白地に木槌が青色で染め抜かれた揃いの上着を着用している。
一方、傭兵は革鎧の者もいれば鎖帷子の者もいるという混交具合であった。しかし、武器だけはハルバードと呼ばれる戦斧付きの槍と短弓で揃えられている。これは二百年前から続く六都市同盟の伝統的な装備であった。
これと同じ装備をしているのが、ルギィとアミンの市民兵五千である。彼らもこの伝統の装備をもって戦いに挑むのである。そんな彼ら同盟の中にあって異質な存在感を放つのがオルレインの重装歩兵である。札状に作られた金属片を縄や革でつなぎ合わせた薄片鎧と呼ばれる鎧に身を包み、子供の背ほどもある大盾を持っている。集団で動く姿は移動する砦といっても良い。彼らの武器は細身の投槍と両刃剣である。
指揮をとるのは、同盟軍のなかでも年長の第一人者デキムス・ノイアである。オルレインは、トリエル人よりも西の大国ベリア帝国と戦ってきた時間の方が長い歴史を持っている。そのため、ベリア帝国の重装騎兵に対抗するため重装歩兵が考案された。騎兵の突撃を密集陣形によって捌き、突撃によって隊列の乱れた重装騎兵一騎づつを集団で潰していくのである。
アミンに到着したデキムス達オルレインの兵をは迎えたアミンの第一人者は、喜びを隠さずに彼らを迎えた。
「よくぞ来てくれた! ベリア帝国にも遅れをとることのないオルレイン兵が来てくれたとなればこれほど頼もしいことはない」
アミンは周辺の小都市を中心にトリエル軍の襲撃を度々受けており、多くの被害を受けている。周辺住民の多くは、襲撃を恐れアミンに集まってきている。ここでトリエル軍を押し返し、なんとかアミンの安全を守りたい。それが彼の願いであった。
「いや、六都市同盟が連携してこそ勝利がつかめるというもの。リンゲンとルギィに集まった仲間と連絡を途切れぬようにいたそう。行軍も共にし、決して別れるぬように」
デキムスは慎重な言葉を述べた。デキムスの考えでは敵の騎兵一万に歩兵一万が正面からぶつかることは分が悪いのである。ましてや半数は彼の指揮せぬ軍なのだ。
六都市同盟が三万の兵を集めているのならその数を生かす方法を取りたい。それがデキムスの考えであるが、各都市の代表がそれぞれ軍を動かす以上、彼が他の軍にあれこれ命令を下すわけには行かない。
――リンゲンとメスはわしの言うことなど聞かぬだろうな。
デキムスはそう思いながらもトリエル軍が従来通りに突撃を繰り返すだけであれば十分に勝機はあると自らの漠然とした不安を拭い去った。
このベリア帝国と争い続けてきたオルレインとは反対にベリア帝国に倣い重装騎兵を取り入れた都市もある。
それがメスである。メスはオルレインと同様に西のベリア帝国と国境を接するが、親ベリア帝国の都市であり帝国との交流も活発である。メスの第一人者であるネロ・リキニウスは親ベリア帝国で有名であり、旧来の軍制を帝国的な軍制に切り替えている。そのため、彼の率いる兵は重装騎兵三千に歩兵二千という六都市同盟のなかでも際立って異質な軍となっている。
「これからの時代は亀のような鈍重な軍ではいけない。守りと突破力を両立した重装騎兵の時代だ」
ネロは友軍であるルギィの市民兵にひとりとして騎兵がいないことを見て鼻で笑った。それを知らぬルギィの第一人者はネロの率いるメスの軍が到着するのを小躍りして喜んだ。今のところ、トリエル軍の被害はリンゲンとアミンに集中している。しかし、いつ敵の矛先が北に向くか知れるないという恐怖はルギィの市民を震え上がらせるには十分であった。
これらの同盟軍が三方から同時に進発し、ピートから西に半日歩いたトリア平原に集結する様子を見せていることを知ったブレダは、「先祖の汚名をすすぐ戦いを始めようか」、と余裕ある表情で言った。
トリエルの騎兵は、機動力が重視されており重装の金属製の鎧は好まれない。装備が重くなればそれだけ馬にかかる負担が増えるためである。また、弓なりが二つになった独特の弓を使用しており、弓は馬上でも弾きやすい。
「さて、陛下は三方のいずれを狙いますかな」
トリエル軍の老臣アルダリック・モラントは釣りを楽しむかのような気軽さであった。革鎧に身を包み額に鉄金をいれた布を巻きつけてた彼は、卓上に広げられた地図を前に並ぶブレダとウァラミールの顔を相互にみた。地図には西と南北それぞれ敵に見立てた石が置かれている。それとは別に三つの矢尻がピートの上に置かれている。
「偵騎の話では、北のルギィ・メスの軍には騎兵が確認されている。だが、その数は全体の半分にも満たない。南のアミン・オルレインの軍には見たこともない重装備の歩兵がいる。亀のように硬そうな連中らしいが、機動力は皆無と思っていいだろう。事実この軍が一番鈍い。行軍が遅れているため、三軍が同時に到着することはない」
「西のリンゲンはどうなのでしょう?」
ウァラミールが西に置かれた石を指差す。アルダリックはその石を手に取ると、「凡兵。これに尽きる」と、言った。
「兵が凡庸でも将によっては本来以上の力を発揮するのではないでしょうか? 強将の下に弱兵なし、という言葉もあります」
独善的な武功に走りやすいトリエル軍の中でウァラミールは、若輩ながらも落ち着いた戦闘を行う。それは三年前の大敗を覚えているためであるが、アルダリックにはそれが少々もどかしい。数え切れない戦に参加してきたアルダリックはその独自の経験によって直感的な判断を行うのに対して、ウァラミールは切り詰められるところまで理で押し通すのである。
「リンゲンのクラウスが武勇に秀でているとは聞こえてはきておらぬ」
アルダリックはウァラミールの慎重さを嗜めるように言った。ブレダはウァラミールが歳を重ねれば、アルダリックとは異なる良将になると考えている。それゆえに、アルダリックから多くのものを学んで欲しいのである。ゆえに彼は二人の問答にあえて口を挟むことはしなかった。
「では、リンゲンは凡将凡兵として考えましょう」
卓上に目を戻すと、ウァラミールは北の石を指差した。「敵の中でもっとも脅威となるのは騎兵でしょう。これを最初に叩くのが良いと思われます」そう言うと彼は、矢尻の一つを掴むと石の前に置いた。
「そうじゃな。面倒なのは鈍亀だ。あれに防御に徹されると時間を浪費することになる。だが、到着するまでに仲間が崩れておればどうすることもできまい」
「よいだろう。では、その筋で行こう。アルダリック。ウァラミール。六都市同盟に二百年前の借りを返すとしよう!」
ブレダが言うと二人は、「おう」と小さく応じた。
第一次トリア平原会戦と呼ばれるこの戦いで最初の戦端が開いたのは、ルギィからトリア平原に南下していたルギィ・メスの二軍であった。ピートから出たアルダリックの率いる騎兵三千が彼らの間近を一直線にルギィに向けて駆け抜けた。これに心胆を寒からしめられたのはルギィの第一人者であった。
「ネロ殿! 敵は我らを無視してルギィに向かっている。いま、ルギィには碌な兵力がいない。どうか、メスの重装騎兵で敵を止めてもらえないか! 歩兵ではとても追いつけぬ!」
懇願に近い声で叫ぶルギィの第一人者にネロは「良いでしょう」と軽く応じた。敵が見え見えの陽動をしたということは、メスの重装騎兵を脅威として認めている、ネロはそう認識した。このまま敵の陽動に乗ってルギィとメスの軍が別れれば、敵はそこを突いてくる。
――そこを反転攻勢してやろう。
ネロは、トリエル軍の陽動を逆手にとって攻勢をかけることを決めた。メスの重装騎兵は眼前を北上した三千の騎兵を追うためにルギィの兵と別れた。これを確認したアルダリックは人の悪い笑みを浮かべると旗下の兵に速力を少し落とすように伝えた。ネロには敵が速度を落とした理由が分からなかった。
両者のあいだが短くなったとき、アルダリックが叫んだ。
「構え!」
三千の騎兵は馬上で器用に腰をひねり後方を向くと手にした弓なりが二つある弓を引いた。「撃て!」と、アルダリックが号令を下すと三千の矢がネロの重装騎兵に襲いかかった。矢は不安定な馬上で放たれたものとは思えぬ正確さでネロらを襲ったが、彼らの鎧を貫くことはできなかった。
「蛮族の弓などそんなものよ」
ネロは、トリエル軍の弓の弱さを嗤った。指揮官の侮りは部下にも伝染するのか彼らは、
「時代遅れの弱弓だ。避ける必要もない」
「このまま追いつけば勝利は確実だ!」
「所詮は蛮族。たわいもない」
と、口々に言い、脚を早めた。
アルダリックはさらに二度、騎射を行ったがその全てが鎧と盾によって弾かれた。その姿は、ネロらからは滑稽な抵抗に見えたらしく哄笑はアルダリックの元まで聞こえたが、彼は何も言わずに四度目の射撃を命じただけであった。
――これはこのまま追い詰めたほうが早いか。
無意味な射撃を続けるアルダリックを尻目にネロはこのまま攻勢に出たほうがよいか、と考え始めていた。このころ、トリア平原の中央ではクラウスの率いるリンゲン軍とブレダとウァラミールの率いるトリエル軍六千が真正面からぶつかり合っていた。
「突撃!」
騎兵の先頭に立って突撃を行うのは誰でもなくトリエル王であるブレダである。歩兵のど真ん中に突っ込んだブレダは槍を縦横無尽に走らせ、次々に敵兵を血祭りにあげた。それに続けとばかりにトリエル兵は槍を揃えて、敵兵を追った。
「退くな! 敵は我らよりも少ないのだ。囲めば必ず勝てる!」
クラウスの号令は間違ってはいなかった。しかし、それを現実に実行できるだけの力が兵にあるかは別の話である。六都市同盟の兵士は、市民兵であり職業軍人ではない。元々、別の本業がある者が戦争の時だけ兵士になっているに過ぎない。その彼らが騎兵の突撃に怯えることなく戦う、と言うのはやや無理があったと言える。
戦闘から始まって、半時もせぬあいだにリンゲンの歩兵は中央から分断された。敵軍を貫いたブレダは一度、兵を集結させると再び突撃の構えを見せた。
「第二波が来るぞ! 立て直せ!」
クラウスは必死に声を張り上げるが、隊列の乱れは収まる様子はない。これに驚いたのはネロと別れたルギィの第一人者であった。頼りのネロは、アルダリックをおって北上している。一方で友軍のリンゲンがブレダによって中央突破され陣形が大いに乱れている。
「まずい! クラウス殿を助けるぞ!」
リンゲンの乱れを支えるためにルギィの歩兵五千とメスの歩兵二千が西進する。この動きはネロにとっても予想外のものであった。ルギィの歩兵を囮として襲ってきた敵に反転攻勢をかけるはずであったにもかかわらず。彼らが移動し始めたことで、メスの重装騎兵とルギィの歩兵との距離が大きくなったのである。
これは二つの影響を戦場に与えた。
一つは、ネロ率いる重装騎兵の孤立である。アルダリックら三千を追って北進したネロは、ルギィの歩兵が西進し始めたことによってトリア平原の北部に取り残された。二つは、リンゲンとルギィの歩兵である。平原中央部で合流した両軍は命令系統が統一されていない。そのため連携は鈍く、平原の中央で団子状態になってしまったのである。
「ウァラミール! 三千を率いて元気なやつらを押さえろ!」
ブレダは騎兵の半数をウァラミールに与えるとルギィの歩兵に当たるように命令した。
「陛下の仰せのままに!」
栗色の馬に跨ったウァラミールは、大槍を構えて一気にルギィ歩兵に襲いかかった。移動を終えたところを急襲された形になった彼らは、決死の抵抗を見せたが押し寄せる波のように何度も突撃を繰り返すトリエル騎兵によって突き崩された。
このとき、ルギィの第一人者は崩れず自軍を支えるために声を張り上げていたところをウァラミールに捕捉され、撃ち合う暇もなく討ち取られた。商人から成り上がった人物であったが、戦事など荒事に向かない人であったらしい。
「ルギィが潰走!」
「指揮官が討ち取られたとのこと!」
「敗残兵が、我が軍の進路を妨害しています!」
悲壮な報告がクラウスのもとに次々と入ってくる。すでに陣形は機能しておらず。さざ波のように現れるトリエル騎兵によって周囲の兵が一人、また一人と戦場に散っていく。かろうじて戦線を維持できているのは傭兵三千がいるためである。彼らは、仲間の死も友軍である市民兵の逃亡にも列を乱すことなく戦い続けていた。
「いまならまだ南からこちらに向かっているアミン・オルレインの軍と合流できます」
そう言ったのは傭兵隊の隊長である。顎髭を蓄えたこの鷲のような男はクラウスの横に並ぶと、彼を守るように剣を振るっている。すでにクラウスを狙ってきた騎兵を三騎程討ち果たしているが、攻勢は強まるばかりで弱まる様子はない。
「北部のルギィとメスの軍は?」
「ルギィは壊滅。メスは全く見えません。逃げたのか、別の敵を追っているのか」
端的に答えた傭兵隊の長にクラウスは「すまない」と述べると撤退の号令を出した。
「南方に下がる!」
このクラウスの命令は、口早に伝えられ生き残っていた市民兵は南に向かって移動を開始した。
「野郎ども! 味方がさがるぞ。尻持ちだ。絶対に騎兵を通すな!」
このとき、生き残っていた傭兵は二千を少し割った程度であったが、この殿によって会戦が終わった時には約五百五十名しか生き残っていなかった。そのなかにはこの傭兵隊長は含まれていない。彼らは契約を守り、戦い果てたのである。だが、その命のおかげでクラウスは市民兵四千五百と共に南部から進んできたアミン・オルレインの市民兵と合流を果たした。
「クラウス殿。よく無事であった。まだ戦いは終わっておらん。敵は一万。我が方はわしとアミン、そしてリンゲンの兵を合わして一万四千五百だ。まだ十二分に戦える!」
デキムスは多少の罪悪感を払拭するように力強く言った。アミン・オルレインの市民兵一万の到着が遅れたのは、彼の率いる重装歩兵五千の行軍がアミンの市民兵と合わなかったためである。それでも集まった彼らは軍を再び再編した。
ルギィの残兵をウァラミールが一掃し、ブレダが最後まで抵抗を続けていた傭兵隊をくだしたころ、アルダリックが二人に合流した。彼を追撃していたネロの重装騎兵はルギィとリンゲンの敗北を確認すると追撃をやめ、北西へ進路を変えた。これにはもう一つ理由がある。彼の指揮する重装騎兵はその装備から馬への負担が大きく、アルダリックの指揮する軽騎兵ほど機動力も継戦能力も高くなかったのである。
だがこれで六都市同盟のなかでもっとも突破力が高い軍の撤退したことになる。
「仲間を見捨てての撤退か。メスの第一人者は嫌な奴だな」
ブレダは友軍を見捨てたネロをそう評した。
ネロの離脱は残された六都市同盟にも伝わっていたが彼らは戦意を失っていなかった。防御の高いオルレインの重装歩兵を中央に配し、アミンとリンゲンの市民兵が左右を固めている。だが、騎兵の突撃を意識しすぎた極端な密集陣を組んでおり。機動力は完全に失われている。
「勝てなくても負けない戦い、といったところでしょうか?」
ウァラミールは敵陣を見つめる。
「あれは無理だな。あいつらは撤退するべきだった」
ブレダは全軍に武器を確かめさせると、後方に待機させていた五百騎の荷駄部隊を呼び寄せた。彼らの馬には矢が山のように積み込まれており、騎兵はそれらから矢を受け取ると、ブレダ、アルダリック、ウァラミールの三人の元に集まった。
「仕上げだ!」
というブレダの号令のもと三隊に別れたトリエル軍は左右と正面から六都市同盟軍に向かって駆け出した。彼らの手には独特の弓が握られており、遠巻きに同盟軍を囲むと矢を放ち始めた。
騎兵による突撃を予想していた同盟軍は盾を構えて、矢の嵐を耐えるしかなかった。同盟にも弓はあるのだが、射つために陣を開けるとそこに矢が降り注ぎ死傷者が増えるのである。
「耐えろ! 矢には限りがある!」
「オルレインの重装歩兵の意地を見せよ!」
クラウスとデキムスは声を張り上げて見方を鼓舞するのだが、一向に矢が尽きる様子がない。それが兵士たちを不安にした。その不安が指揮官にも伝染ったときこの戦闘は終局を迎えたと言って良かった。降り続く矢にアミンの第一人者は業を煮やしたのである。
「突撃だ! 突撃!」
この声にアミン市民兵が突撃を始める。しかし、それは狂騒というべきものでありトリエル騎兵にまで肉薄できる者は皆無であった。とはいえ、現状を打開するには攻勢しかなかった。だが、そのための装備も機動力もアミンの市民兵には欠如していた。
「狩りにもならぬ。射的だ。外した奴は己の腕の未熟を恥じよ!」
「射ってば当たる。射ち続けろ!」
それぞれの部隊を率いながら騎射を続けるアルダリックとウァラミールは、必死の抵抗を試みる彼らに同情こそしたが、手を抜くことはしなかった。平原を縦横に疾駆する彼らは矢が尽きれば、荷駄部隊から矢筒を受け取り前線に戻るを繰り返せば良いのである。
左翼が完全に沈黙するまでには、さほど時間を要しなかった。アミンの第一人者は部下とともに突撃を行い全身に二十本もの矢を浴びて死んだ。トリエル軍からの攻勢は日没まで続き、放たれた矢の数は十万本とも言われている。
日没に合わせてトリエル軍がピートに去ったとき、生き残っている同盟軍は、リンゲンが二千五百名、オルレインが四千名、アミンが五百名であった。そのほかにルギィの市民兵と傭兵の生き残りが確認されているがそれらの多くはトリエル軍の捕虜となった。
「三万の軍で残ったのは七千にも満たないとはのう」
デキムスは悔しさを滲ませて言った。同盟軍の中でオルレインの死者は最も少ない。しかし、それは誇れることではない。正面からトリエル軍と戦える機会がなかったとは言え、オルレインは友軍を救うこともできず。ただ来て、見て、負けた、のである。
「いまは撤退です。生きておれば再戦もできます。同盟が蛮族に負けることは許されないのです」
クラウスはデキムスと簡単に撤退の手順を打ち合わせるとリンゲンへ向かって撤退を始めた。デキムスは死亡したアミンの第一人者の代わりに臨時にアミン防衛の任に就くことになった。アミンで次の第一人者が選ばれるまでの間であるが、困難な任務になることは間違いない。
この戦いで同盟は、多くの市民を失った。特にピートを接するルギィとアミン、リンゲンの三都市は被害が多い。この勝利によりトリエル軍の略奪行も活発化することも考えれば、徒労感しか残らない戦闘であった。
「これでしばらくは同盟も大人しくなるでしょう」
ウァラミールが安堵の声を上げると、アルダリックが彼の頭を軽く叩いた。なぜ叩かれたか分からず彼が目を白黒させているとアルダリックは次のように言った。
「良将は勝ったときにこそ、気を引き締めるものだ。同盟は決してこれで引き下がりはしない。今度は今回のようには行かぬと覚悟せよ」
「すいません。しかし、次などあるのでしょうか?」
「ある。かつて同盟は最後まで我らに抵抗し、最後には勝利を勝ち取った。一敗した程度で諦めるような諦めのいい奴らではないのだ。それに今回の戦闘で主力というべきメス、オルレインの重装騎兵と重装歩兵は対して損害を受けてはおるまい」
ウァラミールは重装騎兵と戦ってはいないが、矢を全く通じない、という報告は聞いている。それは重装歩兵とて同じで、彼らが持つ大盾は機動力を奪いこそすれ、防御ではウァラミールが想像していた以上の効果を上げていた。今後、同盟の主力が重装騎兵、重装歩兵になったときどのようにすれば良いのかいまの彼には判らなかった。
次回は5/17の更新になります