最終話 最後に求めるは
「負けてしまいましたね」
そう言ったのは、クレア・モロシーニだった。クレアの服装は薄い桃色の長衣であった。その春を思わせる暖かな色は、この燃え尽きて廃墟と化したリンゲンの街並みには不似合いであった。この服はロイ・ボルンがいまだ三等書記官であったときに初めて彼女にあった際に着ていたものである。
その出会いから一年と少し、ロイの肩書きは三等書記官からアミンの第一人者に変わっている。この肩書きも早晩に失うことになる。第二次トリア平原会戦は、六都市同盟の敗北によって幕を閉じた。トリエル軍を後一歩まで追い込んだとは言え、最終的な勝利は得られなかった。それが結果である。
敗北した同盟軍はいま、残兵を集めてリンゲンにまで下がっている。ここで死傷者への手当や死者の埋葬が終われば故郷に帰らなければならない。
アミンに戻れば、市民達はロイを責めるに違いない。
「英雄の子孫なぞ、信じるのではなかった」
「よく生き恥を晒せるものだ」
「私たちの家族を返せ! こんなことなら最初から降伏していればよかったのに」
それらの言葉にロイは返す言葉を持たない。他の誰かがやったよりましな結果であったかもしれない、と思う反面、自分以外の誰かならもっとうまくやれたのではないか、そう考える自分もいるのである。いまさら後悔しても時間は戻らない。それは理解できるだが、それを飲み下すことができないのである。
戦闘で亡くなったランディーノはそれが最後まで出来なかったに違いない。
ロイは今になって復讐のために戦い続けた男の気持ちが判った気がした。また、それは自身の祖先であるレイモンドがどこまでもトリエル人と戦おうとした理由であった。
――あのとき、もっとこうしていれば。
そんな思いが刺となって自分を責める。それから逃れるためにできることが戦い抜く、という行動になったのである。
「私はあなたの信用に応えることはできなかった」
ロイはクレアに向かって頭を下げた。彼女はそれをすこし驚いた表情で聞いたあと、花のような笑みをうかべると「本当に見事に裏切られました。英雄の子孫にすがった私が馬鹿でした」と跳ねるような声で述べた。
「……その通りだ。私は裏切ってばかりだ。君やデキムス殿、ネロ殿、ランディーノ殿。そして、死んでいった兵士たち。すべてが私を信用してくれていた。なのに私は何も成し得なかった」
「怒らないのですね。私が勝手にあなたに期待して、押し付けて、すべてを狂わせた、というのに」
ロイとクレアが初めて出会ったとき彼女は『私が信じているからです』と、何の功績もないロイを無条件に信頼したのである。それに応える形でロイは、アミンの第一人者になった。もし、彼女が信じている、と言わなければロイは頑なに推挙を拒み、この場には誰か違う人物が第一人者としてたっていたに違いない。
「それは違う。君は私を焚きつけたと考えているのかもしれないが、最終的にそれを受け入れて行動を起こしたのは私だ。その責任から逃れることはできないし、それをクレアのせいにすることは筋が違う」
「ロイ様はやはり変わっておられます」
いたずらをした子供が親に見つかったようなばつの悪い顔を浮かべるとクレアはロイの目の前でくるりと半回転してみせた。桃色の長衣の裾がふわりとひろがる。ロイにはそれが開いた花弁のように見えた。
「さて、ロイ様。お別れです。願いが叶わなかった以上、私がここにいる意味は失われました。商会の明日のために商品を仕入れなければなりません。また、お会いできる日を楽しみにしております」
背を向けた彼女はそのまま歩みだす。その足取りに乱れはなくただまっすぐに彼の視界から消えていった。ロイはそれを呼び止めることもできずにただ黙って見送った。戦争が終わり、人々の生活は元に戻っていくだろう。その流れの中に彼女が戻っていくそれが少し悲しいような気がした。
彼女を見送ったロイが、陣に戻るとデキムスが重装騎兵と思われる男と話をしていた。
ロイの姿を見つけると、デキムス達はロイを呼び止めた。
「いいところに来た。よい知らせだ。ネロの若造が生きておった! あいつもどうして悪運が強い」
メスの第一人者であるネロは、トリエル王ブレダ・エツェルと打ち合い戦死したと思われていた。それが生きていた、という。この知らせは敗戦に沈んでいた同盟にとって喜ばしいものであった。
「本当ですか! よかった」
ネロは才走ったところがあるが、妙に憎めないところがある人物で兵士たちからも人気があった。そのため彼の生存はそれだけで兵士たちに活気をもたらしていた。これから敗戦の後始末をする彼らにとってそれは気重さを忘れさせてくれる出来事であった。
「刺さっておった槍の穂先がかけていたおかげで急所まで届いておらんかったのだ。まだ、起き上がれはせぬだろうが、あやつのことだ数か月もすれば元気にあれやこれと偉そうにいってくるようになるだろう」
デキムスは孫のことを語るように言った。
ロイはネロとの付き合いは浅いが、彼が故郷のメスで行ってきた政策についてよく知っていた。これから同盟を復興させるために彼の存在があるとないとでは大きく違っているはずである。
「彼がいれば新しい同盟の骨格を整えることが容易になります」
「そうじゃ、あいつは妙にメスの市民から好かれておるからな」
二人が久々の吉報に頬を緩めていると一人の男性が近づいてきた。ロイとデキムスはこの男に見覚えがあった。クレアのモロシーニ商会で働いていた男である。食料や武器の受け渡しで何度となく見た顔なのである。
それが不安そうにあたりをきょろきょろと見渡している。それは誰かを探しているようであった。
「どうした? 何か探しものか」
ロイが声をかけると男は少し驚いた顔をしたが、相手がロイ達とわかるとほっとした顔をした。
「いえ、クレア様を探しているのです」
「クレアなら買い付けに行くと去って行ったよ」
ロイは男に陣の外でクレアと別れを告げたことを教えると、顔を真っ青にした。それから大きな声を上げた。
「ロイ様! それはまことですか? まことならクレア様は死ぬおつもりです」
「一体どういう意味だ。クレアが死ぬなど」
「まずはこれをご覧ください」
男は胸元から羊皮紙の束を取り出すとロイに見せた。それは武器や食料の請求書とそれらの支払いのためにクレアが塩商人組合や大商人から借り受けた金銭の借用書であった。そして、最後の一枚には、モロシーニ商会が倒産すること。従業員にはこの戦場で使われず残った食料や武器を与えるので、取り立てが来る前にそれらを持って逃げるように書かれていた。
「……そういうことか」
この戦いにおいて同盟軍の補給は諸都市から出た軍資金をもとにクレアが準備してきた。だが、現実には違っていたのである。大量の弩や食料を確保するためには用意された金だけでは遠く及ばなかったのである。ゆえにクレアは借金をしてまでそれらを集めた。
彼女はそこまでしてでもトリエル軍に勝利したかった。より正確には敵を討ちたかったのだ。
だが、同盟軍は敗北した。クレアのもとには莫大な借金だけが残ったのである。おそらくこのまま彼女がアミンに戻れば、彼女に待っているのは厳しい現実である。ロイが多少の支援をしてもどうしようもない金額が焦げ付いていた。
まだ同盟が勝利していたならば、返す当てはあった。だが、敗戦したいまそれは不可能になっている。
「ロイ殿。これはまさか……」
隣から羊皮紙を覗き込んだデキムスが驚きの表情をロイに向ける。彼にとってもこれだけの金額をどうにかすることはできないに違いない。
「デキムス殿。私にはやるべきことができました。少しここから離れます」
そう述べるとロイは走り出した。
退路をなくしたクレアが取れる行動は限られている。そのなかで最も可能性が高いものはたった一つしかなかった。
第二次トリア平原会戦から三日後、ピートの政庁前では戦勝記念式典が行われていた。
戦勝とはいえ、トリエル軍は一万いた兵は四千になっていた。そのうち式典に参加できる者は三千人を割っていた。それほどまでにトリエル軍は追い詰められていたのである。また、この戦いで将軍の一人であるアルダリック・モラントが戦死していた。
多くの戦友を亡くした戦争であった。それ故に兵士たちの喜びは大きい。反対にピートの市民たちにとっては新しい出発を意味する日となった。会戦においてトリエル王国に属することを決めた彼らは、三千の兵を持ってトリエル軍を援護した。それは兵となった市民にとってもう自分たちが同盟に属しないことを明確に理解させた。ゆえに彼らはトリエル軍のように戦勝を祝うことはしなかった。ただ、終戦を慶んだのであった。
「これで長かったこの戦争も終わりますね」
ウァラミール・ザッカーノは晴れ晴れした口調で述べる。会戦においてピートの市民兵を率いた彼の手には大槍が握られている。その穂先には『城壁よりも堅き者』と刻まれている。これは戦死したアルダリックがブレダの祖父から下賜されたものである。この戦争が始まる前にアルダリックはウァラミールに「手合せで一度でも勝てば、この槍をやろう」と言っていた。だが、その機会は永遠に失われた。
「この日を望んでいたアルダリックの代わりだ。持っていろ」
ブレダはそういって式典が始まる前にこの槍をウァラミールに渡した。それは、ある種の詭弁であったが、こののちにウァラミールはトリエル王国の盾として多くの外敵を退けることを思えば、彼は槍とともに『城壁よりも堅き者』を引き継いだ、と言える。
ウァラミールの隣では宰相であるロレンス・クルスが澄ました顔で式事の流れをピートの行政官やトリエル兵に言い含めている。ロルム人である彼にとってアルダリックはトリエル人であっても友であった。宮廷ではよく憎まれ口を叩き合った。それでも袂を分かつことなくいられたのは、トリエル王国をよりよくするため、という志向が同じほうへ向いていたからだろう。
ロレンスは、彼の死に際して「そうか」、と小さく洩らしただけであった。この後ろに隠された言葉が「よく陛下をお守りした」なのか「おまえでも死ぬことがあるのか」であったかは分からない。だが、感情を表に出さない彼は彼なりの形で友人の死を悼んだのであった。
「陛下、委細整いました」
「分かった。ロレンス、よくやってくれた」
「いえ、私は宰相の責務を果たしているだけです」
ロレンスは、ブレダにそういうと少しだけ笑った。それはまだロレンスがブレダに学問を教えていたときとおなじ顔であった。ブレダも少年であったときのように微笑みかけるとある問いを口にした。
「あの馬鹿はどうした? また変なことですねているわけではないだろうな」
「すねてなかったけど、いますねました。式典にはおひとりでお出になればよろしい、と思います」
ブレダが声に振り返れば、リア・ゲピディアが膨れ面で彼を睨みつけていた。彼女は真っ黒な長衣に身を包み、麦穂のように光る金髪を一つにまとめている。戦勝式典というにはあまりにも質素な装いである。
「本当に黒にしたのだな。言い出したら聞かない馬鹿だからもうなにも言わない。だから、お前も式典に出ろ。俺たちだけが出てお前が出ないのでは市民が不安になる」
当初、彼女の衣装は白く派手な装飾が施されたものが用意されていた。だが、それを見たリアは「多くの人が死んだのにこんな派手な服を着るなんていやよ」、とにべもなく拒絶すると喪を表す黒を基調とした衣装を望んだ。
「戦勝記念ですから」、とロレンスなどが説得を試みたが彼女はかたくなにこれを受け入れず今日を迎えたのである。ブレダはそのことに関して対して口を挟まなかった。それは彼の無関心であったのか一度言い出せば、翻意することがない彼女の意思を優先させたのかは伝わっていない。
「馬子にも衣装だな。似合っている。いくぞ」
ブレダはそう述べるとリアをおいて歩き出す。リアはどうにも納得がいかない、という顔をしながらも彼の後を追った。政庁の扉の前に立つとブレダはリアが追い付くのを待った。そして、彼女が彼の横についたことを確認すると扉の両脇につく兵士に「開けろ」、と命じた。
扉が開かれると大きな声が響いた。
政庁の広場には、ピートの市民にトリエル兵が集まっていた。市民にとっては多くの同胞を失った戦争であった。トリエル人に対する嫌悪はいまだにある。だが、彼らはトリエル王国の一部として生きることを選んだのである。そのための最初が今日であった。
トリエル兵からは二年に渡った戦争の終わりであり、今日からは昨日までの敵と肩を並べて生きる日々の始まりであった。彼らにとって市民は奪う対象から守るべき対象になったのである。
「最初にこの戦争で失われた命に敵味方なく深い哀悼を」
ブレダが声を上げると人々のざわめきは消えた。市民の中にはブレダの言葉を偽善と感じる者もいた。だが、それでも多くの人々は死んでいった者たちへ祈りを行った。
――戦勝だとは喜べない。死者の犠牲の上に自分たちは生きている。
リアの黒衣は市民にとって共通の思いであった。
「そして、今日からまた新しい日々が始まる。槍や弩を持った手は鍬や鋤、人によってはそろばんに持ち替えられるだろう。我々は多くの血を流したそれらが過去となりわだかまりがなくなるまでさらに多くの時間を要する。だが、我らはいかなることがあろうと外敵から守り抜くことを約束する」
明確な意思表示であった。
人々はこのブレダの言葉を寂しくも嬉しくもとった。
ブレダが口を閉ざすと群衆の中からひときわ明るい桃色の衣装を身に着けた少女がブレダの前に進み出た。少女の手には黄色い花束が握られていた。
「戦勝をお祝いいたします。どうか、花束をお受け取りいただけませんか?」
彼女はそういうと膝をついて恭しく花束を掲げた。
「クレア……? クレア様ではありませんか?」
少女を見たリアが懐かしげな声をあげる。クレアと呼ばれた少女は、リアのほうに目を向けると柔らかな瞳で「その節は大変お世話になりました」、と述べた。その声はとても優しく親しげであった。ゆえにブレダ達を警護していた兵士たちはこの少女がリアの知己であると思い込んだ。
「いえ、私は何もできませんでした。ですが、貴女が無事でよかった」
クレアはかつてトリエル軍に捕まり奴隷となった友人を買い戻してほしいと、リアのもとを訪れていた。その際、リアは方々に掛け合って彼女の友人を探したが見つけだすことはかなわなかった。その後、依頼者であるクレアとも連絡がつかなくなったことを気にしていたのである。
「ご心配、ありがとうございます。リア様は王妃になることを選ばれたのですね」
「ええ、貴女から言われた言葉を私は忘れていません。これが正しかった、とはすべての人が許してくれるとは思えませんが、より良い答えだとは思っています」
リアは毅然とした口調で言った。その言葉にクレアは笑いを隠せなかった。クレアとリアどのような違いがあったのか。どうしてここまでうまくいかないのか。クレアにはそれが滑稽に思えたのだ。
「そう、常に正しい、ということはないのです。ゆえにお許しください。私はあなたという人を許せなくなりました」
クレアはそういうと花束をリアのほうへ向けた。黄色い花に隠れていた鈍色の棘がリアに向けられていた。そして、その棘のような短刀をリアの腹部へとまっすぐ突き出した。
「馬鹿でも俺の妻なんだ。殺させるわけにはいかない」
素早くリアの肩をつかんだブレダが彼女を後ろへ突き飛ばした。短刀は空を切った。クレアは忌々しそうに目を細めると今度はブレダに向かって刃を向けた。
「お前たちがいなければ! 父は死なずに済んだ! 私も……」
むき出しの感情が吐き出される。
「そうだな。俺が悪いのだろう。だが、謝りも殺されてもやれない。俺にはまだ少しやることがある」
「何をするというのか!」
クレアは力任せに短刀を左右に振りつける。が、ブレダにはかすりもせず。最後はブレダに蹴り飛ばされて短刀を取り落した。兵士たちが倒れたクレアを押さえつけた。彼女は泣きじゃくるような声で「どうして」と繰り返していた。
リアはその姿をみて何も言えずにいた。
それは彼女にとってもありえた姿なのである。
「陛下、この者をどういたしますか?」
ウァラミールが厳しい目つきをクレアに向けていう。国王を暗殺しようとしたのである。
「殺せ」
ブレダは迷うことなく言った。暗殺者に対する処置は決まっている。
「なりません。この方は私の友人です」
リアはクレアを庇うようにブレダの前に立ちふさがった。
「お前を殺そうとする者でもか?」
「そうです」
ブレダとリアが睨み合うように黙り込む。
「やめなさいよ。もう、私には何もないのです。ここで死なせてください」
クレアは震える声で言った。彼女の眼は前に向けられていたが、決してリアのほうだけは見なかった。
「ウァラミール。殺せ。それが慈悲というものだろう」
生きながらえても彼女の未来は暗い。それは誰の目から見ても明らかのように見えた。ウァラミールが槍を構えたとき。
「やめろ!」
一人の青年が群衆の中から飛び出してきた。彼は地面に落ちていた短刀を拾い上げるとクレアを押さえつけていた兵士を突き飛ばした。そして、地面に倒れた彼女を強引に引き起こした。
「お前は……」
ブレダはこの青年を知っていた。彼と会ったのは二度、最初にあったときは塩商人レインド・ロンドと名乗り、次に会ったとき彼はロイ・ボルンと名乗った。そして三度目である。
「私はロイ・ボルン」
彼は静かな声であったが正確に名を告げた。アミンの第一人者である彼の名を。
「どうして、ロイ様が?」
ロイに引き起こされたクレアは、訳が分からないとばかりに顔を左右に振った。
「陛下、ご無礼をお許しください。彼女を殺させるわけにはいかないのです」
短刀をブレダに向けたままロイは陳謝した。
「この状態で許せと言われても、どうもできないだろう」
「そうでしょう。ならば暗殺者には私がなります。彼女はなんのかかわりもない」
ロイはそういうと短刀をブレダに振るった。
短刀はわずかにブレダの腕を裂いたが、ロイの体はウァラミールの槍によって貫かれていた。政庁の前は流れ出した血で真っ赤に染まった。
「陛下! ご無事ですか」
ウァラミールやロレンスがブレダのもとに駆け寄る。幸いにも凶刃は腕の皮を裂いた程度で筋肉まで達していない。短刀を拾い上げた兵士はそれがこれ以上使われないように懐に仕舞い込んだ。一部始終を見ていた市民たちは、急なことに声さえもあげられなかった。
「どうなさいますか?」
そう尋ねたウァラミールの目線の先では、ロイの亡骸を呆然と見つめるクレアの姿があった。その目からはとめどなく涙がこぼれていたが、彼女はただ息をすることも忘れたかのように口を開かなかった。
「聞け! 不逞にも私の命を狙った暗殺者はここに倒れた。また、この狂人はおろかにもアミンの第一人者の名を騙ったが、それは嘘だ。私はこの男の名はレインド・ロンド! ただの塩商人である」
ブレダが叫ぶと、市民たちはひとまず納得したような顔をした。
彼らにしてもまさか第一人者の重責にある人物がこのような場所に現れるとは思えなかったからだ。その間にクレアは兵士に連れられて政庁へと運ばれた。人々の騒ぎが静まるとブレダは「このことに関してトリエル王国はいかなる報復を行わない。戦争は終わっている」、というと彼も政庁へと姿を消した。
「腕を見せなさい! 本当に大丈夫なんでしょうね」
リアが強引にブレダの腕をとると傷口が紫色に変色を始めていた。
「毒だろうな。アルダリックもこれで死んだ」
「何を他人事みたいに言ってるのよ!」
「少し肩を貸せ」
ブレダはそういうとリアを抱き寄せると、その肩に顔を乗せた。そして、そのまま彼は崩れように意識を失った。リアの声とブレダの様子から周囲の者が、異変に気付くとすぐに典医が呼ばれた。
この事件から五日後、トリエル王国にいた王弟オルタルがピートに入った。このときブレダの身体は毒に侵されており、オルタルに対して「あとを任す」、という短い言葉しか残せなかったという。略奪王ブレダの逝去は風のように各地に伝わった。
だが、彼を暗殺した犯人に関しては、ロイ・ボルンである。またはレインド・ロンドという塩商人であるなどさまざまな情報が錯綜した。ただ、明らかなことはこの事件以後、ロイ・ボルンの名は歴史から消えたということである。
ロイ・ボルンが消えたのち、六都市同盟はデキムスとネロを中心として再建が行われた。すでに六都市と呼べない状態にあったため、国名はスカーナ都市連合である。かつてこの地を属州としたロルム帝国時代の名称を採用したところに都市連合が、ピートを取り戻したいという希望を持っていたことがうかがえる。だが、それは都市連合が滅びるまで叶わなかった。
ブレダの死後、トリエル王となったオルタルは、ピートに自治権を認めた。このことには先王妃となったリアからの強い訴えがあったという。王となったオルタルは、民族に関わらない登用を率先して行った。また、外交において信義を旨とした。この五年後、都市連合に組する都市ルギィが単独でベルジカ王国に恭順を示した。だが、オルタルはこれを都市連合に教え、ルギィの不義を許さなかった。このことから彼は公正王として名を残すことになる。




