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第二十九話 第二次トリア平原会戦 前篇

「この戦いに勝って決着をつける」


 これは敵味方であるはずの両軍がいだく共通の願いであった。


 トリエル軍が六都市同盟領を犯してから既に二年が経とうとしている。第一次トリア平原会戦で勝利した彼らもこの二年で一万騎いた騎兵は八千騎にまで数を減らしている。これまでも最小の兵力で戦ってきた彼らにとってこれ以上の損失は命取りになることは火を見るよりも明らかであった。


 一方の六都市同盟も初戦の敗北からリンゲンの陥落までのあいだに多くの市民の命が失われた。同盟の各都市からトリア平原に集まった一万六千の兵は同盟にとっての乾坤一擲であり、この兵が失われればもう組織だった抵抗は不可能と言って良い。


 どちらにしてもこの戦いに挑む者たちは悲壮であったと言える。


 その例が、ランディーノ・フィチーノに率いられたリンゲンの残兵――ランディーノ隊三千である。

 彼らは悪相を隠さずにひたすらにトリエル軍と戦うことだけを願っていた。トリエル軍を殺したとしても彼らの故郷や家族が元に戻るわけではない。彼らはそれを正確に理解していた。だが、それでも自分たちの怒りを破壊的に吐き出さずにはいられないのである。


 またこの戦いでは、このランディーノ隊にルギィの市民兵二千が新たに編入される。この兵は漁夫の利をえようと画策かくさくし、失敗したルギィの議員とその子弟で構成されていた。彼らは自らの汚名を払拭するためにも功を立てざるを得ない立場にあり、追い込まれた彼らの表情は凶相そのものと言えた。


 さらに彼らを追い込んだのはその配置である。


「ランディーノ殿にはルギィとリンゲンを合わせた五千で中央をお願いします。中央は鍋の底です。ここが抜けるようなことがあれば中身が漏れて、美味しい料理もゴミになってしまいます。絶対に退かないでください」


 アミンの第一人者であるロイ・ボルンがそう述べるとランディーノは黙って頷いた。彼の頭はすでに戦うことだけに集中しているらしく表情は無表情のまま変わらなかった。ただぎらついた瞳だけが妙に生気に溢れていた。


「次に左翼をデキムス殿。右翼は私が受け持ちます」


 オルレインの第一人者であるデキムスはよし来たとばかり膝を打つとにっと微笑んだ。


「ロイ殿。私の配置は?」


 質問の声をあげたのはメスの第一人者であるネロ・リキニウスであった。彼の旗下には三千の重装騎兵がおり、騎兵主体のトリエル軍と真っ向から唯一ぶつかり会える戦力であった。この重装騎兵を除いた兵はすべて歩兵であり、長槍や弩で武装しているとは言え正面から騎兵とぶつかりあうのは危険が大きかった。


「ネロ殿の重装騎兵は我々の切り札です。左翼後方で攻撃の指示があるまで待機をお願いします」

「できるだけ早く命令を出してくださいよ」


 自信げにネロは言うと少し微笑んで見せた。その表情にはこわばったところはなく余裕さえ感じられた。ロイは自信を失いかけていたネロに自信が戻りつつあることを喜こんだ。この部隊は、類まれな突破力を持っている反面、機動力と持久性に限界がある。もしこのことを誤れば、全軍の危機につながることもありえるのである。


 その重責を踏まえてロイは、

「ええ、任せてください。今日こそは同盟の勝利です。すべてが終われば皆で勝利の祝杯を上げましょう」、と明るい声を出した。


「それにしても奇縁じゃな。大敗をしたこの地でまた雌雄を決することになるとは」


 デキムスは遠い昔を語るように気の抜けた声でつぶやいたが、その手には大槍を握りしめていた。ロイは、ここに集まった者の中でもっとも同盟という国を愛していたのはこの老人なのではないかと思う。誰よりも長い時間を第一人者を勤め上げたこの男は、同盟の組織的な長所と短所を知っていた。そして、それをたださなければならない事も理解していた。だからこそ、ロイに僭主となることを勧めたのである。


 だが、彼自身は僭主になろうとはしなかった。


 それは自分が愛する同盟を自分の手で壊すことを最後まで躊躇ためらったからだ、とロイは見ている。ゆえにこの戦いにおいてデキムスは文字通り尽くすだろう。


「良縁なら良いですが、これは悪縁です。それをこの場所で断ち切れると思えば良いじゃないですか」

「そうじゃな。幸いわしらは悪縁を切るための武器を持っておる。いまが好機なのだろう」


 デキムスはロイを見つめると大槍を杖のようにつきながら歩き始めた。


「老デキムス。骨が折れるようなら私が代わって断ち切って差し上げますよ」


 ネロが調子のいいことを言いながらデキムスに肩を並べる。デキムスは片手でネロの頭を軽く叩くと


「若造が調子が戻ってきたではないか。借りてきた猫のように落ち込んでおるよりそっちの方がよほど良いな。お前さんには期待しておらんが、お前さんの騎兵には期待しておる」、と言った。


 期待されたのが嬉しかったのか、単に調子が出てきたのかネロは、「そうでしょうね。メスの重装騎兵は同盟最強ですから」、と胸を張ってみせた。デキムスはその様子を見ると溜息ためいきを吐いた。


 こうして、三人の第一人者と一人の書記官はそれぞれの持ち場へとついた。


 彼らが陣を張ったのは、リンゲンから東に半日ほど歩いた位置にある丘陵である。ここからトリエル王国に属したピートまでは一日ほどの距離しかない。このリンゲンとピートの間に広がるトリア平原のあちこちには多くの畑があるが、いまは荒れたまま作付けは行われていない。トリエル軍の往来があることを恐れた近隣の農民が逃げたためである。


 トリエル軍の陣がその農民たちが住んでいた村である。村と同盟軍の陣までの距離は目と口ほどの距離であり、目を凝らせば敵陣の外にいる兵士の動きを見ることもできる。遮蔽物のない平野である相手からも同盟軍が陣を出たのが見えているはずである。


 同盟軍の兵士たちは鶴翼かくよくの陣と呼ばれる左右が飛び立つ鶴のようにせり出した隊形をとった。ロイは右翼につくと、兵士に戦旗を掲げるように命じた。右翼に続いて中央と左翼、そして左翼後方に戦旗が掲げられた。すべての戦旗がひるがえったことを確認するとロイは自身の周囲に控える伝令兵に微笑んだ。


「大丈夫。すぐに開戦というわけじゃない。だが、そろそろ走れる準備だけは頼みます」


 伝令兵は「大丈夫です。足の速さと体力には自信があります」、と緊張した口調で述べた。


 ロイの指揮する右翼の半分はデキムスから借り受けた重装歩兵である。右翼は重装歩兵を最前列に配し、中列に長槍の軽歩兵、後列に弩兵という軽騎兵の突撃を警戒したものである。


 重装歩兵の大盾でトリエル軍の軽騎兵から放たれる矢をさばき、長射程の弩で反撃を行う。弩を避けて近づいた敵を長槍で迎え撃つ、というのがこの陣容の骨子である。敵が軽騎兵だけであることが分かっているからこそたてられたものであるが、この会戦ではそれだけでいいのである。


 トリエル軍が動いた。

 が、だらけきった移動で、馬も少し走ったかと思えばすぐに歩く始末である。日が上りきり中天に達してもなおトリエル軍は整列を終えていなかった。一部の騎兵にいたっては草をはみだしてしまった。


 ロイを含めた同盟軍の指揮官たちは早朝からトリエル軍を眺めていたが、このトリエル軍の怠惰たいだをどう取れば良いかわからず困惑した。故意としか思えない怠慢たいまんであり、トリエル軍の真意をはかりかねたのである。


 ランディーノなどは繰り返し突撃命令を要請してきたが、ロイは頑なにこれを断った。


 ロイの作戦はトリエル軍に突撃させて、それに反撃を加えるものである。そのために右翼と左翼は軽騎兵を待ち受けるような列が組まれている。もし、いま突撃を始めれば重装歩兵と長槍や弩を持った軽歩兵は、その機動力の差から陣列が乱れてしまう。ゆえにロイはこのトリエル軍の緩慢かんまんをわざと突撃を誘うものとして応じることとした。


「全軍に伝えろ。決して動くな。トリエル軍がこのように愚鈍であるなら我々がいまのような逆境にはいない」


 ロイからの伝令を受けた複数の兵が左翼や中央へ駆け出す。その間もトリエル軍はゆっくりと隊形を整えている。彼らの陣形は魚鱗ぎょりんであり三角形の隊型になるはずなのであるが、その列はガタガタと乱れとても魚鱗には見えない。


「なんだありゃ、とても素面とは思えない。トリエルの連中、酔っ払ってるんじゃないか」

「くそ、舐めやがって俺たちなんてまともに戦う必要ないってか!」

「突撃だ。いまなら突っ込むだけで奴ら逃げ出すに違いない」


 兵士の多くはこのトリエル軍の動きを挑発と受け取った。ロイやデキムス、ネロといった指揮官はこれらの声を抑えるために多くの労力を費やさねばならなかった。最終的にトリエル軍が隊列を整えたのは日が傾き始めた頃であった。


 この頃になると騒ぎ立てていた者たちも今日は口火が切られない、と踏んでいた。そんなときである。トリエル軍のから一騎の騎兵が進み出た。ロイはその騎兵を凝視すると驚いた。それは、ロイがピートに潜り込んだ際に出会ったトリエル王ブレダ・エツェルと思われる男であったからだ。


 男は両軍のあいだまで駒をすすめると高圧的に言った。


「トリエル王ブレダである。速やかに降伏し、我が軍門にくだれ。それ以外にお前たち同盟が生き残る術はない。抵抗を続けたために灰燼に帰したリンゲン。こうべを垂れることで安全をえたピート。どちらもお前たちの未来を示す羅針盤と言える。賢明な者ならどちらが良いかわかるだろう」


 ブレダと名乗った男は不敵な笑みを浮かべるとさらに続けた。


「私は寛大だ。いまから一刻いっこく待とう。それまでにお前たちが最良と思う決断を行うがいい。これよりあとに慈悲はない。慈悲にすがりたくば、時を無駄にせぬことだ」


 そう言うと男は栗毛に馬の腹を蹴って元いたトリエル軍の隊列へ戻っていった。


 ロイはブレダの言った言葉を反芻しながらも、これまでのトリエル軍の動きと今回の違いにどのような意味があるのか分からずにいた。

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