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第二話 いま飢える者のために

「ロレンス。お前はいま飢えている人々を見捨てろ、というのか?!」


 ブレダ・エツェルは声を荒げ宰相であるロレンス・クルスを睨みつけた。白金の髪に質素な官服をまとったロレンスは一歩も引かぬとばかりにブレダの眼を見つめる。弟であるオルタル・エツェルに王位につくように促されて王都パルサムに入ったブレダが見たのは飢えた民衆であった。それはブレダが想像をはるかに超える数であった。


「国庫を開いたところで、すべての国民を賄える蓄えはありません。ならば、来年の春まで国庫の麦を蓄え、種籾として使う方が良いと申し上げているのです。それに一度や二度、ほどこしを行ったところで、春までに餓死する人々の何割が生き残れるというのです」

「飢えているのはお前と同じロルム人だぞ。それをどうせ死ぬから、と言って見捨てるというのか?」

「同胞が死ぬことには心から哀悼をいたします。ですが、私は宰相なのです。ロルム人であろうがトリエル人であろうと関係なく、トリエル王国のためにならぬなら切り捨てます。殿下こそ、王位につく気もないなら不用意に国庫を開け、など申さないでいただきたい。その権限があるのは唯一、王のみです」


 ロレンスは、表情を変えることなく言った。


 この年、トリエル王国を襲った大雨は各地で被害をもたらしていた。ブレダの自領クルニアは、彼が三年にわたって畑と水路網の整備を行ってきたため、かろうじて例年並みの収穫を得ることができた。しかし、他領はそうではない。山岳地に降り注いだ雨水は、一気に谷を流れ落ちる。水路がまともに整備されていない場所では、山肌も田畑も関係なく押し流された。なかには山崩れに巻き込まれ、村ごと押し流された地域さえあった。その結果、各地で溢れた難民が王都に集まってきている。


「食べ物をくれ!」

「税の取立てを止めてくれ!」

「トリエル人は我々から麦を奪った!」


 そう叫ぶ難民のほとんどはロルム人である。


 トリエル王国は二百年前に遊牧民族であるトリエル人がロルムス帝国属州ラエティアを征服したことによって生まれた国家である。支配層であるトリエル人は王から領地を与えられ、領地に住むロルム人を支配している。トリエル人とロルム人の比率は二対八であり、少数が多数を支配する歪な関係が建国以来続いている。


 大雨によって起こった飢饉ではあるが、食料分配がうまく行われていればこれほどまでの被害はもたらさなかった。例年の七割に生産が落ちたこと領主であるトリエル人がきちんと認識していれば、税の量を調整することで領民を飢えから救えたに違いない。しかし、トリエル人の認識は違う。農業はロルム人の仕事であり、豊作不作に関わらず一定の税を収めるべきである。それが一般的なトリエル人の考えである以上、ロルム人への徴税は過酷なものにならざるを得ない。


 だが、これにはトリエル人の言い分もある。トリエル王国において軍事はトリエル人の仕事である。例え、他国に侵略されてもロルム人に槍を持たせ、血を流させることはない。彼らはこれを血の税と言ってトリエル人がロルム人を支配する理由にしている。


 自分たちは命をとしてロルム人(お前たち)と国を守っているのだから、黙って食料をだせ。それがこの国が生まれたときから始まった支配の理屈であった。


「俺が王になれば、国庫を開くか?」


 ブレダの問いにロレンスの回答は早かった。


「開きません。逆に固く閉ざすように注進するでしょう」


 そう言ったロレンスの口調に乱れはない。それは彼の意志の強さであるとともに国政を預かる者として、最低限の犠牲を考え抜いたものであった。誰もを救おうとすれば、誰も救えなくなるのだ。


「では、諸侯に税を民に返還するように命じよう」

「命じたとして諸侯の誰ひとりとして返還しますまい。建国以来、税を民に戻す、ということは例がありません。それに、この飢饉によって麦の価格は日に日に上がっています。今日、升一杯の麦が銀貨一枚でも明日は二枚、明後日には三枚になるとすれば、それを手放すものはいないと思われませんか?」


 ちっとブレダは舌打ちをした。正論で身を固めたロレンスの言は分かる。分かることと納得することは別なのである。理屈は分かっても、感情を満たすことはできない。


「王命でもか」

「王命でもです。先の敗戦のツケが大きいのです。あれで諸侯の財政は大きく悪化しました。多額の戦費を出した結果が大敗です。土地を得ることもできず、恩賞もない。これで傾かぬ訳が無い」


 敗戦の責任は先王ルアに帰すものであるが、副将であったブレダにもある。


 それゆえに何か出来ることがあるのではないか。ブレダはそう考えずにはいられない。だが、ロレンスから言わせれば、それさえも百害あって一利なしなのである。民に一時しのぎの食料を与えるために、諸侯から食料を出させる。一時的に飢餓は抑えられるであろうが、それはほんの一瞬である。数日もすればおかわりを求める声が各地で起こるに違いない。それを塞ぐためにまた諸侯から食料を出させる。諸侯はそれを良しとするだろうか。いや、しないだろう。


 王命に反発し、謀反を起こす者も出るかもしれない。


 それを鎮定するために兵を出せば、さらに多くの戦費を出さざるを得ない。とてもではないが、この国はその出費に耐えられない。それゆえにロレンスは何しないことを良しとしているのである。善意で始めたことが、悪意に変わらぬように。


「ならば、ロレンス。お前はこの飢饉をどう治めるつもりだ?」

「オルタル殿下から聞いたところによると。ブレダ殿下はこの三年間、ご領地のクルニアで治水と新畑の開発をされていたと聞いております。それと同じことを行います。このトリエル王国は山岳地という麦の栽培には適さない地です。しかし、山を切り開き、水路網を築いて治水をすればいまよりマシな収穫を望めるのです。そのために、雪解けを待って難民を使い水路と開墾を開始します」


 それはまさにブレダが自領クルニアでおこなってきたことであった。


「だが、なぜ雪解けを待って行う? いまから始めれば良いではないか」

「殿下もご存知でしょう。まだ、今のような晩秋なら作業はできます。だが、じきに冬がまいります。冬が来れば山々は雪に閉ざされ、作業は中止せざるを得ない。国庫には仕事もしない者を養うようなゆとりはないのです。それゆえに雪解けを待って行うのです」

「では、春まで持たぬ者には死ねというのだな」

「はい。限られた人しか救えない。それが我が国の実情です」


 ロレンスは静かに言い終えると、その目にわずかな寂しさをたたえたように見えた。それは、トリエル王国という小国に向けられたものか、自身に向けられたものなのかブレダには判断がつかなかった。


「分かった。ロレンスの言を是とする」


 ブレダはすべてを振り切るように強い調子で言った。ロレンスは、少し驚いた顔で「畏まりました」、と言った。


「ロレンス。俺は父上の跡を継いで王になろう。お前には引き続き内政を頼む。オルタルと共に俺を助けよ」

「殿下の自領クルニアと同じ変化がトリエル全土で起これば、この国から少なくとも飢える民はいなくなりましょう。ご英断、感謝致します」


 膝を折ってロレンスがブレダに頭をたれた。


「いや、ロレンス。感謝しないでくれ。俺は決めたのだ。お前は正しい。だから、内政をお前に託すと」


 そう言ってブレダは苦笑すると、次の言葉を続けた。


「お前とオルタルには未来を託す。だが、俺にはいま飢える者を見捨てられない。だから、俺は今を奪い取る。それが俺が王として最初に決めたことだ。これはいかなることがあっても変わることはない。群臣を集めよ。登極とうきょくを示す」


 そう言って、ブレダは少し咳き込んだ。それは溜め込んだ鬱屈を吐き出しているようだった。ロレンスは複雑そうな顔で頷くと、黙って去っていった。一人になったブレダは小さく呟いた。


――強き者が王位につけか。父上も酷な事を願われたものだ。


 この呟きは誰にも届かなかった。





 ブレダがロレンスと会見を行ってから二日後、王都パルサムにあるナリア王宮にトリエル王国の群臣が集められた。ナリア王宮はかつてこの地が属州ラエティアと呼ばれた時代は、総督府であった建物である。石造りのこの王宮には飾りは少なく、どこか無骨な雰囲気を持っている。


 この総督府をおとした初代トリエル王アティラは、この質素な建物を王宮に定めた。このとき彼は、

「俺はこの質素な王宮を埋め尽くすほどの財貨を奪ってきた。だが、寝床にするには財貨の光は眩しすぎる。これくらい薄暗くなければ落ち着いて眠れまい」

 と、言って笑ったという。


 実際にアティラが周辺から奪った財貨は王宮を埋め尽くすほどであった。だが、それらの財は今はない。歴代の王によって使われたのである。それがなければこの遊牧民がひらいた王国が二百年も続くことはなかった。そして、いまその遊牧民の末裔が王宮に集まっている。


「誰が王でも構わん。この飢饉さえどうにかしてくれればな」

「そんなこと言ってお前さんは麦の転売で儲けているらしいではないか」

「ベルジカ遠征での赤字を埋めなくてはならんからな。新王は遠征など言わねば良いが」


 多くの者がそれぞれの思惑を持って小声で話し合っているなか、ブレダは姿を現した。王を示す真紅のマントにはトリエル王を表す馬と槍の紋章が銀糸によって刺繍されている。ただ、王冠は頭にはなく彼の手に握られている。


「先王ルアの跡を継ぎ第七代トリエル王に即位する。ブレダ・エツェルである。我が国はいま危難に直面している。皆には様々な力を借りたい」


 ブレダが言うとしばしの沈黙のあと一人の老臣が声をあげた。


「それは王室に金を出せとかいうことですかな」


 その声にブレダは聞き覚えがあった。三年前のベルジカ遠征において騎兵を率いていたアルダリック・モラントであった。彼は将であるとともにトリエル王国では子爵に属する貴族である。そして、ブレダの父と祖父に仕えてきた老臣である。


「そうだと言いたいが、そんなことすれば俺の首は貴公らによって胴と別れることになろう。だから、それは望まない」

「では、何を望むというのです?」


 さも面白いというような表情でアルダリックが尋ねる。周囲の者たちは、この老臣をたてて身動き一つせずに二人の会話を聞き入っている。一人だけ渋い表情をしているのは宰相のロレンスだけである。この規律を大事にする男にとってこのようなやりとりは王と臣下の正しい会話ではないのである。


「俺が望むのは血だ。俺はその血に見合う財貨をお前たちに与えよう!」


 人々の口から一気に言葉が溢れかえる。


「この飢饉の中で兵を出すだと!」

「バカな先年の大敗を忘れたのか!」

「今は内を固める時期であろう!」


 このざわめきをかき消すような大きな声が響く。アルダリックの叫び声に怯えたのか、人々のざわめきが一瞬にして掻き消える。


「黙れ! わしが陛下と話しておる。陛下はわしらに血を出せという。だが、それは何のためでございましょう」

「飢える者を救うためだ」

「それはロルム人のことではありませんか。あんな血も流さぬ臆病者の食い扶持のために我ら血を流せと、王は言われるか?」


 それはこの場にいる全ての人の言葉であるようだった。支配層であるトリエル人にとってロルム人が飢えて死のうと関係ないのである。それを救うために自分たちの命を差し出せというのは筋が違う、と彼らは思う。もし、ロルム人が餓死したくないと願うのなら、自ら槍を持って戦うべきなのである。それだというのに新王はロルム人に戦えと言わずに、トリエル人に戦えという。


「ああ、流してもらう」

何故なぜでありますか?」


 アルダリックは苛立った声でブレダを睨みつける。


「それが俺たちの義務だからだ。開祖アティラはこの地を征服した際にいった。この地に留まり、我らに従う者はその命を保証しよう。そして、二百年に渡ってロルム人は俺たちに従い、命の代わりに麦を差し出してきた。いま、麦はなく彼らは飢えている。だが、それだけだ。彼らは槍や剣を持って俺たちに反旗を示さない。従う者を見殺しにすることは開祖の言に反する。それでも、我らは血を流すべきでないというか?」

「支配者の矜持を見せろと……。まったく、家臣の使い方が荒い王が出たものだ」


 アルダリックはブレダを見た。ブレダの祖父の代から仕える彼は、歴代の王とブレダを重ねた。しかし、その像は彼の知る二人の王の影に収まらなかった。それが名君となるのか暗君なのかアルダリックは測りかねた。


「そうだ。我がもとで働け! 最後にはそれが幸せだ、と言わせてやる」

「陛下。その言、ゆめゆめお忘れなさらぬよう。この老骨はいささか執念深うございますぞ」


 ブレダはふっと笑うと「忘れないさ」と応じた。老臣が一応の納得を見せたところでブレダは、群臣に向けて宣言した。


「王として命じる。略奪を行う。全てを奪い去るのだ。ロルムス帝国を滅ぼした先祖アティラの先例に習うものは俺について来い」

「はっ、陛下のもとどこまでも参りましょう!」


 最初に賛同の声をあげたの若い騎士だった。ブレダはその顔に見覚えがあった。三年前にオルセオロ侯爵の捕虜になった際、一緒に捕まった男――ウァラミール・ザッカーノである。この声に釣られて幾人かの若い騎士が賛同を示す。


「まったく、若造がいきり立ちおって。お前らひよっこに戦場のいろはがわかろうか! 陛下、先方は経験豊富なわしにお任せくださるよう!」


 遅れてアルダリックが同意の声を上げる。それが決定打となった。気色を明らかにしていなかった者たちも押し切られるような形で、略奪による国家の立て直しを認めた。


「次に、俺が不在の間だが、内政を宰相のロレンスと我が弟のオルタルに任せる。オルタル。こちらへ」


 ブレダが言うとオルタルは緊張した面持ちで、彼の前で膝を折った。ブレダは手に持った王冠をブレダに持たせると、腰に差した剣で一気に切り裂いた。王冠は見事に半分に分かれた。その一方をブレダはオルタルから取り上げると

「汝を副王に任じる。国内に残るものはオルタルに従え」

 と、言った。残された王冠の一片はオルタルの手に残された。


「王の名代として、国内のことは万事お任せ下さい」


 オルタルは残された王冠の欠片を握り締め。強く言った。

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