第二十八話 秋嵐を望んで
メスの第一人者であるネロ・リキニウスがランディーノ・フィチーノと共に現れたとき、アミンの第一人者であるロイ・ボルンはネロの覇気が明らかに失われていることに驚いた。ロイの知るネロは、若い野心と実績裏打ちされた自信を身にまとった人物であった。だが、いま彼の目の前にいるネロは、どこかくたびれたように見えた。
それはルギィで彼に身に起きた不幸に由来するのは明らかであった。ロイは、心の中で彼に同情こそしたがここでいうべき言葉は持たなかった。それよりも彼の不幸を先に察知していたモロシーニ商会がロイに報告せずにランディーノ経由で彼を救い出したことが刺のように引っかかるのである。
モロシーニ商会は、ロイをメスの第一人者へと押上げたクレア・モロシーニが長を務めるメスでは大きな商会である。クレアはロイに対して商会の販路を使って様々な情報や資金の援助をおこなっている。その彼女がロイに何も言わずにランディーノを使ってネロを救出した。これはいままでなかったことである。
そのことがロイにはどうしても気がかりであった。
「老デキムス。お久しぶりです」
ネロはオルレインの第一人者であるデキムス・ノイアを見つけると少し困った顔で軽く頭を下げた。
「そうじゃな。開戦前からの第一人者はもうわしとお前さんだけだ。ルギィでは難儀だったようだな」
「ええ、見事に鼻っ柱を折られましたよ」
自嘲気味にネロは笑ってみせた。デキムスは軽くネロの腰を叩くと「そうしょげるな。柱ならまた伸ばせば良い。お前さんはわしと違ってまだ命の柱が長い。鼻くらいいくらでも伸ばせるだろう」、と言った。
「同盟がなくなってもですか?」
「同盟がなくなっても人がいなくなるわけではない。だから、わしもお前さんもここにいる。違うかな」
「……違うと言えないのが悔しいですが、そうですね」
ネロは失った野心を惜しむように言った。彼がなりたかった六都市同盟の首座はもうすでにない。まっとうに機能している都市はメスとオルレイン、アミンだけである。そして、リンゲンは燃え尽き。ルギィはランディーノによって議員の多くが投獄され機能は失われている。最後のピートは自らの意思によってトリエル王国に属した。こうなればもう六都市同盟など言えるものはない。
だが、そこに生きていた人の多くはいまも生きている。ゆえに彼らは決断せねばならなかった。
六都市同盟を復興させるべきか。残された都市だけで新たな器を作り上げるべきか。あるいは自らトリエル王国にくだるべきか。
「お二人共、同盟がすでに終わったかのような言い方はやめていただきたい。蛮族をこの地から駆逐し、同盟を復興する。それが私たちの役目であり義務です」
ランディーノはネロとデキムスを不快そうな目で睨みつけると、「ロイ殿もそうお思いでしょう。先祖である英雄レイモンド・ボルンは同盟の意義はトリエルの蛮族を駆逐することだと述べたそうではありませんか」、と言ってロイに同意を求めた。
「かの英雄が同盟にみた意義は、いまの我々のみるべき意義とは異なります。そのことを見誤れば、本当にすべてを失いかねません」
ロイはつとめて平静をよそった。英雄レイモンドは彼の祖先である。そして、トリエル人への復讐だけに生きて、同胞の手によって死んだ人物である。彼は復讐のためには国さえも失っても良い、と考えていた。それは自身の願いを叶えるためには他をかえりみない生き方であり、それはロイにとって認められるものではなかった。
だが、もし自分が同じ立場になれば――家族を、友を、愛する人を殺されて同じように言えるのか。ロイには自信がなかった。それゆえに彼はレイモンドの影から逃げ続けている。
「では、今我らのすべきことはなんだと言われるのです?」
挑むような口調でランディーノが詰問をする。
「それは勝利と寛容です」
ロイは断言した。
「勝利は当然として寛容とはなんですか? まさかこのトリエルの蛮行を許して和平を結ぼうというのではありますまいな。もしそのような戯言であれば、私はあなたを軽蔑します」
復讐心に燃えるランディーノが、ぎろりとロイをにらみつけた。
それを見ていたネロとデキムスが口を挟もうとするのをロイは目で制する。
「許すべきはピートです」
そう明言した。
「ピートはいわば門なのです。ピートがトリエルに属すると門が開かれた形になり、国境はアミン、ルギィ、リンゲンの三都市と接することになます。接点が多いということは、防衛するにも兵力を分散させざるをえません。ですがピートが同盟側にあれば、門は閉ざされた形になるのでトリエルとの国境はピート一点だけ済みます。そうなれば、兵力をピートに集中すればよいのです。今回の戦争ははじめにピートを奪われてしまった。それが兵力を分散させる遠因になっているのです。ゆえに私たちはピートにこちらに帰属してもらわなければならないのです」
「だから、敵に協力した裏切りを許せと?」
ランディーノは見て分かるほど顔中に怒気をみなぎらせた。
「そうだ。ピートがこちらに帰属すれば同盟は元に」
「戻らない! ピートが戻ろうとリンゲンは戻らず。死者は生き返らないのですよ!」
ロイの言を遮ってランディーノが怒気を吐き出した。
「ならトリエルを滅ぼせば戻るのですか! リンゲンがクラウス殿が人々が戻るのですか。あなたは結局、うさを晴らしたいだけだ」
ロイが怒鳴り返すと、ランディーノは虚をつかれた顔をした。
それはネロもデキムスも同じである。
「……だとして、何が悪い。壊され、奪われ、私たちリンゲンの民には何も残されていない。なら求めてもいいだろう! 勝利を! 仇をとったという満足感を! なにもないままでは、私たちは進めないのだ」
このランディーノの思いはこの場の誰もが想像は出来ても理解はできなかった。ロイやデキムス、ネロはランディーノのように故地を失ってはいない。ただひとりランディーノだけがその悲哀を知っている。ゆえに彼らはランディーノに向ける言葉を見つけられなかった。
「ならばせめて蛮族の王と戦わせろ。あなたがたが二人の将軍を押さえてくれれば、我々が本隊を貫く」
険しい顔のランディーノがロイを凝視する。ロイはそれを正面から受けた。そして、黙って頷いた。
デキムスはそれを驚きで見た。
もし、ランディーノがトリエル王を討てばその功をもってさらなる進軍を直押しするに違いない。それゆえにデキムスは次の戦いではランディーノには将軍のうちどちらかにあたらせる腹積もりであったのである。それをロイが不可能にしたのである。
「それで満たされるならそうされるのが良いでしょう。ただし、それ以降のことは従っていただきたい」
それは有無を言わせぬ威をもっていた。ランディーノは気圧されたように「分かった」、とつぶやくように答えると陣幕から出て行った。残された三人のうちデキムスとネロは、それぞれの疑問をロイにぶつけた。
「ロイ殿はそれで勝てると思っているのですか?」
「最初から諦めているのではないですか?」
二人の詰問に対してロイは複雑な表情をすると落ち着きを払った声で言った。
「次は勝ちます。前回とは違います」
その言葉に不安の色はなかった。
デキムスはロイがよほどのことがなければ大言をはなつようなことをしないことを知っていたが、今回ばかりは疑いを隠せなかった。それでもさらに問いを重ねなかったのは無理矢理にしてもロイを信じると決めたからであった。
「デキムス殿、あの件ですがやはり、お断りします。どうやら私は同盟というこだわりを捨てきれそうにない」
「……分かった」
デキムスはロイの拒絶をある意味で自然に受け取った。ネロにはこの応答は意味がわからなかった。それよりもネロは疑問を口にしないデキムスにも疑問を感じざるをえなかった。だが、彼も口を閉ざしたまま口を開くことはしなかった。
それは、口にしても明確な答えを得られぬと諦めた結果ではあるが、その諦めの裏には「いざとなれば自分にはまだ重装騎兵がいる」、というネロに残された最後の自信のためであった。多くを失った彼であったが最初からなくしてないものは確実にあったのである。
こうして、彼らは第二次トリア平原会戦へと望むことになる。




