第二十六話 静かな亡国
「二百年。それを長く持った、ととらえるべきか」
誰に言うわけでもなくオルレインの第一人者であるデキムス・ノイアがくたびれた声をもらした。それは、ただ六都市同盟という一つの国が自分の手の届かない場所で終焉をむかえたことにたいする嘆きだったのかもしれない。
アミンの第一人者であるロイ・ボルンはデキムスほど落胆は見せなかったが、喪失感だけは感じずにいられなかった。ピートが市民の総意によって六都市同盟を離脱し、トリエル王国の庇護下に入った。その知らせがもたらした意味は大きい。
六都市同盟はリンゲン、ルギィ、アミン、オルレイン、メス、そしてピートの六つの都市の集合国家であった。各都市はそれぞれに自治権を有しながらも外敵には一致団結することでここまで国家を存続させてきた。それがピートが自ら離れる形で崩壊したのである。
ロイは思う。リンゲンが燃え落ちたような明確な崩壊であれば怒りも湧いたのかもしれない。だが、今回はそれさえもない。ただ、ピートが六都市同盟に見切りをつけトリエル王国に属した、という結果が突きつけられただけなのである。だが、その結果をもって六都市同盟は亡国となったのである。
リンゲンを除けば各都市ではいまも変わらぬ人々の生活が続いている。だが、国家としての六都市同盟は終わったのである。ロイたちはトリエル軍だけではなく、同胞から敵となったピートの市民とも戦わねばならなくなった。さらに言えば、「蛮族に占領されたピートを救援する」、という大義や正義などという言葉もいまは言えない。もう六都市同盟は滅んだのだ。
「ああ、おわったな」
ロイは自らの口から漏れ出た言葉に驚いた。
それは無意識に出た言葉であった。だが、それは将である自分が決して言ってはならない言葉だった。いま彼の幕下にはアミンやオルレインの市民兵がいる。彼らにはまだ六都市同盟が滅んだという認識はまだない。彼らは憎きトリエル軍を破ればかつての生活が帰ってくると考えている。だが、過去には戻れないのである。
「暗い顔をしておられますわね。ロイ様もデキムス殿も」
そう言って陣中に入ってきたのは、まだ十四、五にも満たない少女に見える女性だった。だが彼女、クレア・モロシーニは既に二十の女性である。さらに言えば、アミンを拠点とする塩組合でも大きな発言力を有するモロシーニ商会の長であり、ロイを三等書記官から一気に第一人者へと引き上げた後援者でもある。彼女に支援がなければ同盟軍の装備や食料の調達は困難であったはずである。
「クレア。国が滅んだのに明るい顔はできないさ」
「では、暗い知らせも明るい知らせに変えればよろしいではありませんか?」
煌々(こうこう)とした光を瞳に宿したクレアはこともなげに言うと微笑んだ。ロイは思う。トリエル軍侵攻に際して彼女は父を失った。だが、彼女から明るさが失われたことはない。それだけで彼女は自分やデキムス、そして復讐に燃えるランディーノ・フィチーノよりもはるかに強いのかもしれない。
「カラスの黒さを白にするなんて強引なことはできないよ」
「別に黒を白にとは申しませんわ。同じ毛皮でも仕立てる者によって売値が変わることがあります。それと同じことです。伝える人によって良くも悪くもできるということです」
クレアは、そっとロイの肩に片手を添える。
「つまり、クレアは亡国を憂いるよりも建国を唱えるべきだと?」
「そうです。リンゲンは灰燼に消え、ピートはトリエル王国に属しました。確かなことは、もう六都市同盟に実態がなくそれに変わる器が必要だということですわ」
クレアは、天気のことでも話すような口調で言った。悲壮もなくかといって楽観にあふれた声でもない。平然としたものである。
「クレア、君は動じないね。私やデキムス殿はこのとおりだというのに」
「国が敗れも山河は残るものですし、人々の営みも残ります。変わるのは目に見えない国境だけですわ。そう思えば、なにに驚くことがありますか?」
他人が見れば年端もいかない少女が、知ったような口をきいているように見えたに違いない。だが、クレアは彼女なりの見方で世相を見ている。
「そうじゃな。ロイ殿、ここは我らだけでも前に進む努力をしましょう」
じっと黙っていたデキムスは覚悟を決めたように口を開いた。オルレインの第一人者として人生の半分に近い時間を同盟に費やしてきた老人は、このとき一つの思いを抱いていた。
「デキムス殿はどのような器を次の器にお考えなのですか?」
ロイは自分の倍近い経験を持つ第一人者に尋ねた。
「わしは最も優れた者に国政をあずける国にすべきだと思う」
「それは、王制を取るべきだということですか!」
六都市同盟は建国時に英雄レイモンド・ボルンが王になることを拒んだ国である。その国で第一人者を務めたデキムスが王制を是としたことがロイには驚きであった。
「いや、わしは血族を至上とは思わん。だが、いまの同盟のように第一人者が合議で国政を決めるのには限界がある。ゆえにわしは新しい国を僭主制にすべきだと考えておる」
これまで六都市同盟は、各都市の代表である第一人者の合議によってすべての決断をくだしてきた。だが、今回のような場合ではそれが弱点になった。トリエル王国のような王制では王の決断で行政、立法、司法そして軍までも動く。つまり、即断速攻が可能なのである。
反対に六都市同盟のような合議制では、第一人者が集まり議事を進めていかなければ何一つ前へは進まない。そのため、トリエル軍がピートを占領してもすぐに兵を向かわせることができなかった。六都市同盟がやっと兵をトリア平原に集めたのはピートが占領されてから四ヶ月後だった。
このように六都市同盟の合議制は、どうしても後手に回るという欠陥を有している。デキムスはそれを修正する機会は今だと考えている。完膚無きまでに六都市同盟はトリエル軍に敗れた。だからこそ、市民も合議制の弱点を知ったはずなのである。
六都市同盟が建国した際、彼らの先祖は英雄レイモンド・ボルンという強い指導者を持っていた。だが、レイモンドはトリエル王国への復讐心が強すぎた。それゆえに市民は彼が王になれないように六都市同盟を英雄が不要な国にした。だが、その仕組みがいまのデキムス立ちを苦しめていた。
ゆえにデキムスは、この国を英雄を持てる国に変えるべきだと痛感した。それが「僭主制」である。各都市の第一人者のなかから最も優れた人物を一代ばかりの僭主として国を動かす。王政のように血族に頼らず、能力によって代表を決めるのである。これならば、有事に際しても僭主の決断によって即応が可能になるのである。
「誰が最初の僭主となるのです。デキムス殿ですか?」
僭主制の可否はそのまま僭主の能力に依存する。ロイ自身、六都市同盟の合議制には限界があると感じていた。だが、どこか腑に落ちない気持ちもあるのである。
「いや、わしでは薹がたちすぎておる。わしはお前さんが最初の僭主となるべきだと思う」
「私がですか? とてもじゃありませんが不適任ですよ」
「それは、お前さんが英雄レイモンドの子孫だからか?」
固辞するロイにデキムスは強い目を向けた。
「そうです。レイモンドは、英雄を不要とした同盟の市民によって殺されたのです。その子孫である私が僭主になれば市民は拒絶を示すでしょう。そうなれば、私はレイモンドと同じように市民によって殺される。それが分かっていて引き受ける気にはなりません」
「だからだ。お前さんは英雄になることを望まず。血族による幻想を抱いてもいない。能力はわしが保証する。きっとそこのお嬢さんも認めるだろう。なによりもお前さんはレイモンドとは違う。彼はトリエル王国への復讐心を捨て去ることができずに市民から疎まれた。それを知っているロイ・ボルンが同じ復讐の鬼になるとはわしには見えない」
デキムスは個としてのロイに向き合っていたと言える。英雄レイモンドの子孫としてのロイ・ボルンではないのである。
「デキムス殿。それに関しては保留させていただけませんか?」
「ことがことだ。構わんが時間はない」
「それで結構です」
ロイはそう言って一人で陣幕から出て行った。残されたクレアはデキムスに言った。
「ランディーノ様がルギィでメスの第一人者であるネロ様と合流された、と連絡がありました。重装騎兵を引き連れてこちらへ向かう、とのことです」
「遅い。出陣だな。あいつがもう少し早く動いておれば戦局も変わっておっただろうに」
デキムスは口をへの字に曲げてみせた。不満を隠さないデキムスにクレアは諭すような声色で「そうですね。ですが、これには裏の事情があるのです」、と言った。




