第二十五話 略奪される王
「瓢箪から駒がでるとはこのことだな」
政庁にある貴賓室で眉間に深いしわを寄せたロレンス・クルスはため息混じりに呟いた。彼は白髪の増えた金髪をかきあげると「だが、我らにとっては幸先が良い。そうでしょう、アルダリック殿」、と同意を求めた。
「そうだな。じゃが、六都市同盟の連中がここまで見境がないとはな。リア殿はこれを予想していたのか?」
ロレンスの隣に座っていたはアルダリック・モラントはそう言って手にしていた羊皮紙を卓上に投げた。羊皮紙には数日前にリンゲン近郊で六都市同盟の支隊との間でおこった戦闘の経緯が詳細に書かれている。その内容はトリエル王国に属す者だけではなく六都市同盟に属した者にとっても驚くべきものであった。
六都市同盟はトリエル軍に降伏した町や村を許さず、焼き討ちにした。
かねてからピートに広がっていた流言であるが、その真偽が明らかになったのである。
市民達は真実に対して激しく反応した。
「同盟は同胞を殺して回っているのか!」
「もう、ダメだ。俺達はこの大地でどこに依るべきこともできない。右は蛮族! 左は同盟! 敵ばかりだ」
「もはや、トリエルに従うしかあるまい。我らが蛮族の風下に立つとは残念ではあるが」
彼らの反応は、同盟によって焼き出された人々がウァラミール・ザッカーノに守られてピートに入ったときに最大となった。ピートの市民は彼らに未来の自分たちの姿を見たのである。次の戦いでトリエル軍が敗北すれば、同盟は間違いなくピートを襲う。その恐怖が彼らにひとつの指向性を与えたのだ。
市民の他にもこの事実に驚いた者がいる。それがここにいる三人である。ピートに流れた「六都市同盟がトリエル軍に降伏した小都市を焼き討ちにしたらしい」、という噂の源流は彼らだったからだ。
「いいえ。あの噂はピートの市民に、もう自分たちが同盟に属すことができないところまで来ている、ということを気づかせるために流したものです。だから、それが事実になるなんて……」
リア・ゲピディアが蒼白な顔で答える。月光のような金髪が彼女の肌をさらに白く見せるがいまはその白さが痛々しいくらいに見える。この事実は強い衝撃を与えたが、彼女の眼に狼狽の色はない。
「じゃが、おかげで世論はトリエル王国に属すことを認めざるを得ないというように潮目が変わってきておる。幾千の噂よりもウァラミールが連れ戻った人々の姿が市民の心を変えた、というべきだろうな」
アルダリックはつとめて抑えた口調で言った。
「では、あとは陛下がどのような判断をくだされるか、ということになります」
「大丈夫よ。あいつは私に言った。国民を守る。その義務を果たすことが自分の全てだと。ならばピートが同盟から離れてトリエル王国を頼れば、あいつは嫌でもピートの市民を守らなければならない」
トリエル王ブレダ・エツェルは自分に課せられた義務を投げ出すような人間ではない。彼は自分の命さえも義務を履行するために差し出そうとしている。ここにいる三人はそれを阻止するために集まったと言える。
ブレダの脳裏にある国民とはトリエル王国に住む人々だけである。いま、占領されているピートの市民は含まれていない。もし、ブレダが次の戦闘で六都市同盟に敗北することがあれば彼はピートを簡単に放棄するだろう。それはピートの市民が彼の国民ではないからである。国民でないなら守る義務はない。だが、いまピートが同盟を離脱し、トリエル王国に組みすれば彼は、この新しい国民をも守る義務が生まれるのである。
「難儀な性格じゃな我らの王は」
アルダリックは明るい声で言う。ロレンスは苦い顔をしたが、「だから、生きて欲しいのです」、と優しい声を出した。リアは思う。ブレダは国民にとって良い王である。国民のために自らを犠牲にするなどできるものではない。特に民のうえに王があると思う者にはできないことである。だが、国民はそれを願っているのだろうか。少なくとも彼に仕える者にとってはそのあり方は悲劇でしかないのである。
「では、行きましょうか?」
リアが言うと、ロレンスとアルダリックを顔を見合わせて頷いた。貴賓室を出た三人のうち二人は下階に向かう。そして、リアだけが上階にあるブレダの執務室に向かうのだった。
同じ頃、執務室ではブレダがウァラミールに鋭い目を向けていた。
「なぜ、戦闘を行った?」
珍しく苛立った声を出したブレダは部下であるウァラミールを睨みつけている。ブレダには状況を正しく認識しているはずのウァラミールが、命令に反したことが理解できなかった。
「正しくありたかったのです。あの場で戦わずに人々が殺されるのを黙認することはできません」
ウァラミールは余計な弁明をせずに言った。それはあの場にいたすべての兵の言葉であった。六都市同盟の兵に虐殺されようとしている人々を前にして、それに対抗できる力をもつ自分たちが動かないことは虐殺に加担しているのと同じだ。彼らはそう思ったのだった。
「人としては正しいのだろう。だが、お前はトリエル軍の将軍だ。それが六都市同盟の民を救うために戦うというのは正しい行いではない」
確かにトリエル軍は六都市同盟と戦っている。だがあの村はトリエル軍に降伏し、リンゲン攻略では兵站の確保に貢献した。そのせいで同じ六都市同盟から裏切り者として糾弾され、襲われたのだ。彼らがどちらの国に属するのか、と問われればウァラミールも「占領地の住民はまだ国民ではない」と答えるしかない。だが、彼らが国民でないからと、切り捨てることもできなかったのである。
「陛下、目の前で死にゆく者を見捨てろと言われるのですか!」
「そうだ。いま、我らの兵力が失われればあの村よりも多くの死者がでることもある。お前が村人を助けるために失った百人はそういう百人だ。数に限りがある我々には国民ではない人々を助ける力はない。まして、この争いは俺達が起したことだ。その俺達がいまさら人助けをしてどうする」
トリエル軍は、開戦から多くの人々を殺してきた。その被害者の多くは六都市同盟の民である。いまさら人道色の衣を着ても血の色は消せない。ブレダにはそういう諦めがある。それは母国で飢える人々を救うために略奪を行うと決めた時から彼の心の奥にある。
「彼らは確かに国民ではありません。ですが、彼らには恩義があります。彼らは私たちのために物資の輸送や宿舎を用意してくれました。それに報いることはいけないことでしょうか?」
執務室で対峙する二人の間を沈黙が支配する。
ブレダはふー、と深く息を吐き出すと「それは善だが悪だ。それで救われるのは人々じゃない。お前の心だ」、と言った。ブレダは執務室の卓上に手をついて立ち上がった。
「お前がアルダリックのように略奪行為に割り切れないものを感じているのは知っている。だが、それを誤魔化すために正しさを語るのは、お前自身の偽善だ」
ブレダはゆっくりと歩いてウァラミールの前まで近づくと、人差し指で彼の頭を指差した。
「偽善であってもなさぬよりは!」
「なさぬ善よりなす偽善か。自己陶酔ならよそでやれば良い」
ブレダがさらに言葉を紡ごうとしたとき、執務室の扉が勢いよく開いた。
「では、最も自己陶酔に溺れている方が最初におやめになるべきでしょうね」
つかつかと大股で執務室に乱入したリアは、ブレダの正面に立つとぐっとブレダに顔を近づけた。
「俺はいま馬鹿と話している暇はないんだ。さがれ」
ブレダはリアのおでこに手を当てると遠ざけるように力を込めた。
「お生憎、あたしの知ってる馬鹿は目の前にいるの」
リアはブレダに押されないようにぐっと身体に力を込めて耐える。つられてブレダも力を込めるがリアを力任せに突き飛ばすわけにも行かず。子供の喧嘩のような押し合いをする羽目になった。それを見ているウァラミールはどちらにつくこともできずに困った顔をした。
「ほう。お前は目まで悪くなったのか。悪いのは口だけだと思ってたのだがな」
「そうね。あたしは口も耳も目も悪いけど、どこかの誰かさんと違って頭はいいのよ」
ブレダとリアの目から火花が散るが二人とも口元には笑みが宿っている。
「それは初耳だ。俺も知らぬことが多い。で、どこの誰が自己陶酔にひたっていると?」
「あんたよ。あんた。略奪王とか大層な名前で呼ばれても中身はただの臆病者の王さま。そんなやつは他にいないでしょ!」
「俺のどこが臆病者だというのだ?」
ブレダの問いにリアは指を彼の胸に押し付ける。
「国民を失うのが怖くて、戦いに負けるのが怖くて、なによりも失敗するのが怖い! そんな奴が臆病者じゃなくってなんだって言うのよ」
「臆病か。お前にはそう見えるのかもしれない。だが、それは重責を知らぬ馬鹿の考えだ。自分の手に国民の命を預かっているなら、戦いにしても政務にしてももっとも確実な方法をとるのが正道だ。博打のような方法に陶酔するわけにはいかない」
「嘘つき。そんな確実な方法を求めてる人が、この戦争の終わりが自分の首で済むなんて考えるはずないじゃない。あんたは自分が殺されることで自分の罪を精算したいと思ってるだけ。それを自己陶酔だっていってるのよ!」
リアの舌鋒に気圧されてブレダが後ろにさがる。ウァラミールはリアの言葉の意味が分からず問いかける。
「罪の精算? いったいどういうことですか?」
「あなたたちの王様は、この戦争の責任を自分の命一つでまかなえるとか思ってるのよ。次の戦いで勝っても負けてもあんたの王様は首を差し出して逝こうとしてる。戦争責任なんていう都合のいい言葉を使ってね」
ブレダが死ぬ。
この戦争で行われた蛮行の責任をブレダが取ろうとしていることを知ってウァラミールは後ろから殴られたような衝撃を受けた。
「まさか! 陛下がそのようなことを」
ウァラミールはすがるような目でブレダを見た。この親征をとおして彼の目にはブレダが文武に長けた理想的な王に見えていた。だが、ここにいるロルム人の女は彼がただの臆病者であるという。もし、それが正しいならブレダは国民が餓死するということに耐え切れずに略奪を行い。しかし、掠奪という蛮行で多くの人が傷つくことにも耐え切れずに戦争責任という言葉を使って死のうとしていることになる。
三人の間に気まずい空気が流れた。ブレダはリアに冷眼を向け、リアはブレダに怒りのこもった熱い眼を向けている。ウァラミールだけが所在なさげに目を左右に泳がせている。
「なにも言わないのね」
「そうだな。言うべき言葉がない」
「それはあんたが諦めてるからよ。もう少し抗ってみようって気はないの?」
ブレダは自嘲するように低い声で笑うと両手を軽くあげた。
「咳病で残り時間がない俺に何ができる。せいぜいこの首を代価にするだけしかできない。お前たちは時間があるからいい。だが、俺にはそれがない。それでも国民を背負うと決めた。それがこれだ。もっとも確実で簡単な方法と解決。何が悪い?」
「悪いわよ。あんたは死ぬから楽でしょう。でも、他の人はそのあとがあるの。特にあんたの家臣なんかは民は救えたという満足感あっても、君主のことは何一つ理解できずに殺した、という後味の悪さだけが残るのよ」
リアが拳を握り締め声を荒げる。その声をブレダは子供がバツの悪いときにするように顔を背けて聞いた。その姿がリアには癇に障って仕方なかった。諦め切った言い方も子供じみた態度もどれをとってもリアには耐えられるものではなかった。
次の瞬間には手が出ていた。
考える暇すらなかった。リアの強く握られた拳は、ブレダの右頬を見事に打った。乾いた音ともにブレダが目を白黒させて驚いていた。また、殴ったリアもはじめてブレダに拳が当たったことに驚いていた。
「なら、お前は俺にどうしろ、という!」
いち早く、正気に戻ったブレダがリアに詰め寄る。だが、そこに勢いはなくどことなく疲れた様子さえみえた。リアは思う。この人は本来的には人の上にあるべきではない。それでもこれまで彼がやってこれたのは、自身よりも義務や責務を優先してきたからだ。
きっと咳病がなければ、これからもブレダはずっとそれを貫いただろう。だが、自分の死期が迫っていることへの焦りが、義務感と合わさってこのような事態を生んだのである。
「まず、その腐った林檎みたいな顔をやめなさい。あんたは人を小馬鹿にしたような顔で強がってればいいのよ」
「なんだそれは? 答えになっていない。これだから馬鹿は困るんだ」
「そう、それよ。あんたはそれくらいで丁度いいのよ」
リアはこともなげに言うと笑った。ブレダはリアが笑った理由がわからなかったが、つられて一瞬だけ微笑を見せたがすぐにいつもの無愛想な顔に戻った。
「だが、どうする。俺が死ななければ終わりがなくなる。このまま六都市同盟かトリエル王国のどちらかがなくなるまで戦争を続けろとでも言うのか?」
「ある意味ではそうよ。でも、もうその戦いは終わってるのよ」
意味ありげにリアは微笑んで見せるとブレダの手を掴むと執務室から彼を連れ出した。執務室から大通路を挟んで正面には露台がある。露台はピートの広場に面しており、ピートの第一人者が市民に対して布告を行う際や出陣式を行う場合などに使われていた。
トリエル軍に占領されてからは第一人者は軟禁され、市民議会も閉鎖されたために長らく使われていなかった。そこへリアに手を引かれる形でブレダは出た。眼下には驚くべき光景に広がっていた。
そこには一糸乱れずに整列したトリエル軍と乱雑に詰めかけたピートの市民で黒山の人だかりができていた。政庁を一重二重に取り囲む彼らは、露台に現れたブレダとリアに大きな歓声をあげた。
「これは何の企みだ」
「企み? なんのことかしら」
ブレダの問いに対してリアはあえてシラを切った。
「なんのことだと? いま、政庁の周囲に集まっている群衆はなんだと訊いている」
「これが答えよ。六都市同盟はもうすぐ終わるの。いいえ、終わらせるのよ」
リアはブレダをおいて露台へ踏み出す。彼女の月光のような金髪が風に揺れる。
「市民よ! 私、リア・ゲピディアは第一人者である父べリグ・ゲピディアに変わり二つの議題の審議を諸兄に頼みたい。許していただけるでしょうか?」
リアが叫ぶと市民を中心に
「認めよう」
「そのために集まったのだ」
「市民はそのためにある」
と、口々に叫んだ。
ここには富める者も貧しき者もいる。だが、彼らが持つ力はひとつだけである。賛成か拒否か。それをあらわすのは彼らの声である。王政がひかれて久しいトリエル王国では、このような集会は行われたことがない。人が集まるのは凱旋式か王の即位あるいは葬儀だけである。
市民の反応はブレダにとって新鮮なものであった。トリエル王国の国民にとって国政は雲上で決まることであり、このような反応をする者はいない。興味はあっても口を出さない。それがトリエル王国の民のありようである。だが、ここでは市民が政治に直接関わっている。
「では、一つ目の議題を始めましょう。ここに集まった市民の皆は、六都市同盟が我らに与する村や町を襲っていることは知っていることでしょう。だが、私たちピートに同盟を相手にできる兵力はなく誰かを頼らねば未来はない。その相手は誰か? 北のベルジカ王国か西のベリア帝国か。違う。彼らはピートからはるか遠くにあり援助の手を得られてもその頃にはピートは瓦礫の山に変わっている。ならば、最も近くいある相手を選ぶべきでしょう。それはトリエル王国しかないのではないか?
かの国とは建国以来の旧敵である。それゆえに多くの悲劇があった。だが、私はここで提案したい。トリエル王国の蛮行を許そう。だが、それは忘れるのではない。未来のために許すのです」
リアが口を閉じると、市民達はしばらくの沈黙の後に答えた。
「許そう。だが、忘れない」
「そうだ。蛮行があれば我らが中から叫ぼう」
「頼るだけだ。俺達が蛮族になるわけではない」
それは彼らの難しい心境をもっともよく言い表した言葉であった。
蛮族と蔑み戦ってきた相手に従わなければならない苦しみ。六都市同盟という国を自分たちが壊そうとしている、という悲哀がそこにはあった。
「では、次の議題にうつります。私たちが同盟と戦うにあたっての将を決めたい。誰か将軍に名乗り出る者はいますか?」
市民達はお互いに顔を見合わせたり、かつで議員を務めた者に声をかけたりしたが名乗りを上げる者はいなかった。ピートを含めて六都市同盟には常駐の軍はない。多くの場合、戦うことが決まって初めて市民から兵を選び、議員や第一人者が兵を率いるのである。このような大きな戦いに参加したものも指揮したものもいないのである。
「いない、と見てよいでしょうか。では、私から推薦を行いたい。いま、確認したようにピートには兵を率いる将はいない。これは認めなければなりません。ゆえに私はトリエル王ブレダに臨時職である独裁官を与え、同盟との戦いの指揮を任せたい。どうでしょうか?」
ピートにおいて都市の代表は議会で選ばれた第一人者である。だが、外交や戦争において議員や第一人者では能力に不足がある。あるいは他に適任者がある場合、独裁官と呼ばれる職を与えることがある。独裁官は期間が限定されるものの第一人者と同じ最高決定権を持つものである。ここ数十年においてピートで独裁官が任命されたことはない。それほどまでにピートの平和は長く続いていたのである。
ここでリアがブレダを第一人者に推さなかったのは、市民の感情を考えてのものであった。第一人者の任期は終身であり、当選すればよほどのことがないかぎり解任されることはない。つまり、ブレダを第一人者にすればその地位は彼が亡くなるまで続くことになる。それはトリエル王国をよく思っていない市民にとっては認められるものではない。
ゆえに彼女は任期付きの独裁官に彼を推薦したのである。
「独裁官ならば」
「この戦いが終わるまでだ」
「傭兵を雇うと思えば良いだろう」
こうして、ブレダに反発する人々もこの決定を認めたのである。それはいつか自分たちの自治を取り戻したい。そんな僅かな希望が込められていた。
「ありがとうございました。これで私の議題は終わりです。トリエル王ブレダ陛下。どうか、私たちの決定を受け入れていただけますか?」
リアは振り返るとブレダに訊ねた。その表情は市民たちからは背になって見えなかった。だが、ブレダからは明確に見て取ることができた。それは喜びでもなく悲しみでもない。だが、なにかを失った喪失感をたたえた笑顔だった。
ブレダはリアの横を真っ直ぐに進み出ると露台の真ん中にたった。市民とトリエル兵。そのすべての目が彼に向けられていた。
「身に余る申し出に驚きと喜びを隠しきれない。一つ目の議題に関して、同じ同盟と敵対するものとして市民の命と資産を守ることを約束しよう。トリエル王国は庇護を求めるものを見捨てることはしない。それはここにいる全てが証人となれば良い。もし、違える事があれば誰であろうと直言を許す」
トリエル軍を中心に歓声が湧いた。その中にはリンゲン近辺で起こった戦闘に参加した兵も混ざっている。彼らは王命に反して市民を守ったウァラミールの部下であり、トリエル軍のなかでもピートとの融和に意欲的だった。その彼らにとってこのブレダの発言は自分たちの行動を肯定された、と言ってよかった。
だが、続いてブレダの口から放たれた言葉が彼らの歓声を静めた。
「二つ目の議題だが、これを受けることはできない」
広場は一瞬の静寂のあとに「なぜ」という言葉で埋め尽くされた。ブレダは手を広げて人々に静止を促して言った。
「独裁官はピートの市民にしかなれない。それが私の知るピートの法である。ゆえに異国の王である私がこの大任を受けては、ここにいるピートの市民すべてに法を破らせることになる。ゆえに私はいまのままではこれを受けられない。そこで、一つの願いを許していただきたい」
このブレダの願いが「ピートをトリエル王国の一部としたい」、というものであれば市民達は紛糾したに違いない。一部の市民達は発言を聞く前から「併呑など認めはしない!」と叫びだすありさまであったが、ブレダの願いは彼らの予想を超えたものであった。
「私がリア・ゲピディアの婿になることを認めてもらいたい」
このときもっとも驚いたのはリアの父であるべリグであった。彼らは名ばかりの第一人者として長らく軟禁されていたが、このときばかりは広場に出てきていた。もし、ブレダが併呑を口にしようものならそれに異議を唱えるつもりであった。
それだというのにこの王は娘婿に入りたい、と言ったのである。娘が王に嫁ぐという可能性は少なからず考えた彼であったが、その逆までは考えたことがなかった。べリグが口をぱくぱくと震わされていると頭上から声がした。
「お父様。陛下を貰ってもいいかしら?」
娘の声であった。それは犬でも飼いたい、というような軽い声でべリグは「幸せにできるのか?」と間抜けた返答をした。リアは少し考えて「まぁ、大丈夫だと思うわ」、と返した。市民の多くはこの婚礼をさしてこう言った。
「略奪王は俺たちからいろいろなものを奪ったが、俺達の娘は王の心を奪った。どちらが優れているかは言うまでもない」
長く語り継がれることになる笑い話の一つであるが、このときのピートの市民にとってある種の誇りになったことは間違いなかった。これ以後、ブレダはトリエル王国内では、『トリエル王にしてピートの独裁官であるブレダ・ゲピディア・エツェル』、と呼ばれることになるがピートでは『ピートの独裁官でありトリエル王でもあるブレダ・エツェル・ゲピディア』、と呼ばれることになる。わずかな違いであるが、それぞれの民にとっては大きな違いであった。
どちらにしても、ブレダとリアの婚姻は市民とトリエル兵、そして困惑しきった父の同意をもって成立したのである。六都市同盟からピートが抜け出したことで、『六都市』同盟は実体を失った。
トリエル軍にとってもここからの戦いは、その色を変えることになった。侵略戦争であったものが防衛戦争に様変わりしたからである。同盟からすれば防衛戦争が侵略戦争に変わった瞬間であった。




