第二十三話 英雄の亡霊
「六都市同盟がトリエル軍に降伏した小都市を焼き討ちにしたらしい」
この噂がピートに広まり始めたのはリア・ゲピディアがトリエル王ブレダ・エツェルに嫁いで欲しい、という宰相ロレンス・クルスの要望に対して内々に承諾をしてから一週間もたたないころだった。二人の婚姻に関しては表向きには市民はもとより将軍の一人であるアルダリック・モラントと宰相のロレンスしか知らない。
もっとも不思議であったのは夫となるべきブレダ自身がこの内諾の件を知らない、ということである。彼は水面下で進んでいる重臣二人とリアの企みを知らぬままに六都市同盟の反攻を止めるための準備を行っていたのである。
そのため、この噂に接したブレダはその真偽を確かめるために将軍であるウァラミール・ザッカーノに二千の騎兵を与えて言った。
「噂の真偽を明らかにせよ」
彼の任務は、ピート周辺の諸都市を偵察し六都市同盟の動向を探ることであった。これを命じたときブレダはくどいほどに言い含めた。
「ただし、戦闘はいかなる場合でも避けろ。お前に与えた兵力は今後のために不可欠なものだ」
それは、反攻に転じた六都市同盟を警戒するものであると同時に、まだ六都市同盟の重装歩兵と弩兵に対して有効な対策をブレダが取れずにいることを示していた。それがわかるウァラミールは「ご命令、承りました」、と短く答えた。
ブレダの命令を受けた彼はその日のうちにピートを出発し、ピートの南方に向けて偵察を行った。それはいまピートに迫りつつある六都市同盟の主力が南部都市であるアミンとオルレインのためである。彼らがトリエル軍に降伏し、協力してきた小都市を焼き討ちにしたというのならば、真っ先に標的になるのは南部都市に近い小都市であると予想できた。
だが、この予想は大きく裏切られることになる。
ウァラミールが南方の小都市にたどり着くと、そこには火の手の一つも見つけることはできなかった。
「このあたりに六都市同盟の兵は来ておりません。ましてや焼き討ちにあった都市など聞いたこともありません」
愛想笑いを貼り付けた都市の長はウァラミールたちトリエル軍の姿を見ると、ひどくおそれいった口調で述べた。それは無用の争いに巻き込まれたくない、という思惑が簡単に読み取れるものであった。それゆえにウァラミールはこの長が述べていることが嘘ではない、と感じた。
「では、同盟の軍が今どのあたりにいるかは知っていますか?」
ウァラミールはできるだけ優しい口調で尋ねると、長はこの将軍は話が通じると思ったのかさらに口を開いた。
「はい、若い衆の話では同盟軍は、無残にも焼き討ちにあったリンゲンの近くに陣を貼っているとのことです」
焼き討ち、という言葉を言った長は「しまった」とばかりに顔を青くしたがウァラミールはそれについてたしなめることはしなかった。自分たちが行ったことである。とりつくろったところで悪行が許されるわけでもない。ウァラミールはある種、諦めに似た気持ちで聞き流した。
「そうか。まさかと思うが、この都市から同盟軍に参加したものはいないでしょうね」
「まさかまさか。我々はピートに属すものです。主都市の決定に反すようなことは」
顔を左右に振ると長は、ひどく怯えた顔でウァラミールの目から逃れるように顔を伏せた。彼の言った若い衆の一部は同盟軍に参加したのだろう。もしかすると、どちらにつくか迷ったこの都市は同盟にも人を出し、トリエル軍に対しても食料を提出しているのかもしれない。信義がないと責めて良い行いである。しかし、都市の存続という目的のためにはなりふり構ってもいられないのだろう。
「わかりました。今後も変わらぬ忠誠を示してください」
ウァラミールは長を責めなかった。力がない彼らにとって自衛の手段は限られる。それを責めていては今後の統治に差支えがあるとウァラミールは考えたのである。
「これは些少でありますが、御用だてください」
長が言うと村人が麦袋を載せた荷車をひきだした。少しでも印象を良くしようという涙ぐましい努力である。昨年からかなりの食料の徴発を受けている彼らにとってこの量の小麦を提出することは厳しい決断であったに違いない。
「ご気持ちはありがたい。だが、我らは偵察の途中です。食料を徴発に来たわけではない。その麦は冬に備え備蓄するとよいでしょう」
ウァラミールの言葉に長は、珍しいものでもみるような瞳で彼を見た。それはトリエル人を蛮族としか思っていない者の反応であったが、ウァラミールは気にしなかった。
「……ありがとうございます。将軍のご好意ありがたく思います」
もし、この長の振る舞いが演技であったならば相当の食わせ者であったろう。だが、ウァラミールの目に映る長は小心であるが住民を守るという義務感を持っているように見えた。それは決して批難されるものではない。
ウァラミールらの侵攻とて「飢餓に苦しむ民を生かしたい」、というブレダの義務感から始まっている。そう言う意味では彼らと共通の意思があると言える。だが、実行となればそれはどうしてもすり合わずに剣戟を交じ合わすことになる。
「全軍、我らは北西部に向かう。敵が集結しているという話だ。油断するなよ!」
ウァラミールが号令をかけると二千騎が駆け出す。騎兵が都市を出ていくのをウァラミールが確認していると背後から声が向けられた。長である。
「将軍、あなたは本当にトリエル人ですか?」
「そうです。あなたたちの言う蛮族です」
「どうにもあなたを見ているとそういう気がしない。変なものです」
心底分からないといったように首をかしげると長はさらに言葉を重ねた。
「アミンの第一人者ロイ・ボルンは近隣で大量の弩と矢を求めていました。おそらく、リンゲンの難民を弩兵にするのでしょう。お気を付けください」
「分かりました。心に留めておきます。次の戦はどうなるか分かりません。長もお気を付けて」
ウァラミールはそう言うと自らも愛馬に騎乗した。
栗色の愛馬は主人の意思を理解してか、短くいななくと駆け出した。おさはそれを不思議なものでも見るように見送った。
ウァラミールがリンゲン方面に移動を始めた頃、焼け落ちたリンゲンにではロイたち六都市同盟軍はひとつの問題に頭を悩ませていた。
「トリエルの蛮族とそれに隷属する愚か者に討ち滅ぼすべきです!」
ロイの目の前で頭を下げる初老の男性の目には憤怒の炎があがっている。彼は、リンゲンの第一人者クラウス・アエティウスのもとで長く第一書記官を勤めてきたランディーノ・フィチーノと言う。クラウスの命を受けてリンゲン脱出した彼は、リンゲンが陥落する前日に北上中のロイたちと出会った。
「どうか急ぎ兵をリンゲンに! もはやリンゲンの陥落は直前にまで迫っているのです」
このランディーノの言葉を受けたロイとオルレインの第一人者デキムス・ノイアは八千の兵とともに急いで北上した。ロイとデキムスの兵は歩兵が主であり、騎兵は数える程しかいない。また、デキムスの率いる兵は重装歩兵と呼ばれるもので、その重い装備から足が遅い。戦闘では類まれな頑強さを誇る大盾と板金鎧であるが行軍ではそれが仇となるのである。
そしてリンゲンまであと一日と迫ったとき、彼らは六都市同盟最大の都市であるリンゲンが燃え上がるさまを見た。何も遮るものがないトリア平原の真ん中で濛々と煙を上げるその姿は、そのまま彼らが間に合わなかったことを無言のうちに示していた。
都市の四方に築かれた門からはリンゲンの住民と思われる人々が次々に飛び出してくる。都市の外に展開したトリエル軍はそれを黙って見送っている。彼らの後方にはリンゲンから奪ったであろう多く食料と財が山積みにされている。それらを徴発されたピートの市民と思われる人々が荷車に積み込むと東へ東へと運んでいる。
このとき、ランディーノは喉が裂けんばかりに叫ぶと涙を流した。
リンゲンは彼の故郷であり、書記官としてつくしてきた都市である。それがいま失われようとしている。それは彼のすべてが失われたときだと言ってよい。
ひとつの都市が地上から消える。
この気持ちはロイにはわからない。だが、アミンが失われればどうなるか。
恨むであろう。自分の故郷を滅ぼした相手を。
そして、力がないとわかっていても復讐をするに違いない。自らにはすでに守るものはなく、刺し違えても構わない。今後を生きることよりも仇を討つことが目的となるのだ。そこまで考えてロイはぞっとした。
なぜならそれはロイが嫌がってきた先祖である英雄レイモンド・ボルンの一生と同じだからだ。彼も家族をトリエル人に奪われた怒りから兵を興した。そして彼はまさに復讐の鬼になった。ひたすらに戦場でトリエル人を殺し、いつしか彼は英雄と呼ばれた。だが、復讐を果たし六都市同盟を建国した彼を待っていたのは悲劇的な最後であった。彼の異常な復讐心はトリエル人を追い返したあとも際限がなかった。
六都市同盟全軍でトリエル人を滅ぼすまで戦いを続けようと叫ぶ彼に人々は恐怖した。市民は復讐よりも復興を願っていた。その彼らにとってこれ以上の復讐戦は身を焼くようなものであった。耕地は荒れ果て、都市は崩れかけているのだ。
ここに来て彼らは決めた。
「自分たちにもう英雄はいらない」
英雄がいることでこれ以上、戦火が続くのならばそれはただの害でしかなかったのだ。
「レイモンド・ボルンは六都市同盟を牛耳り、王となろうとしている」
誰が言い出したことかは分からない。だが、彼はこの讒言を受けて失脚し、同じ同盟市民の手で殺された。それを正当化するために様々な理由が作られた。結果、レイモンドは悲劇の英雄となった。それを知るロイは、英雄になりたい、とは思わなかった。書記官となったのも都市を運用するいくつもある歯車の一つになることで、英雄というたった一つの存在から遠ざかりたかったからだ。
その自分が兵を率いている。
ゆえに彼は思う。復讐だけに囚われれば自分もレイモンドになってしまう。だからこそ、ロイは自分の脳裏に復讐という言葉が浮かんだことに恐れを感じたのである。
「どうするかな? リンゲンは救援できなかったが、あの逃げ延びた人々を助けるためにはトリエル軍に去ってもらえんとどうにもならん」
困り顔をしたデキムスは、ロイの隣に立つと平原の向こうに展開するトリエル軍を指差した。
「一戦するしかないでしょうね。幸いあちらも長居する気はなさそうです」
ロイはトリエル兵が陣を払う準備をしていることから、彼らがリンゲンの無力化という目的を果たしたことでこの地域に居座ることはないと判断した。
「そうと決まれば、用意を始めよう」
こうして、始まったロイとデキムスが率いた同盟軍とアルダリックとウァラミールが率いるトリエル軍との戦いは同盟の勝利で終わった。ロイとデキムスが新たに取り入れた長槍と弩の有用性が示された戦いであった。
この勝利によってロイは英雄の再来として反トリエル王国の急先鋒と言われるようになった。だが、彼はそれを喜びはしなかった。なぜなら、彼以上にトリエル王国に激しい感情を持つ人間がいたからである。
それがランディーノである。
彼はロイ達がトリエル軍を追い払うとすぐにリンゲンから逃げ延びた人々の下へ向かった。そして、彼は第一人者であったクラウスの最後と、リンゲンの陥落の理由を知った。彼は直ちにクラウスを殺害し、トリエル軍を引き入れた男を殺すと、人々に言った。
「リンゲンは失われた。それでも蛮族とそれに加担した者と戦いたいというものは私と共に来い! 見たであろう。六都市同盟はいま英雄レイモンドの子孫に率いられ蛮族を打ち破った。いまこそ回天のときだ」
このランディーノの言葉に導かれるように一人、二人と男たちが立ち上がる。彼らの目にはほの暗い怒りが燃え盛っていた。このリンゲンの遺民からなる三千の兵はランディーノ隊として同盟軍に編入された。しかし、彼らの異常なまでの好戦性は他都市の兵とあまりにも異質であった。
リンゲンの遺民で女子供や老人は、ロイとデキムスによっていくつかに分けられ各都市に分散して送られた。この護衛を請け負ったランディーノ隊は都市に入るたびに豪商や有力者に武器や資金、食料を強引に要求した。それによって彼らは武装を整えた。それは当然、ロイとデキムスの耳に入り二人はランディーノに厳しく注意しなければならなかった。
「いくら武器が必要でもあまりに強引すぎます。ランディーノ殿、私の知るあなたはもっと理知な方でした。それがどうして?」
「ロイ殿、あなたにはわかりますまい。故郷を失った私たちの悲哀と怒りが。私たちはあの蛮族を討ち滅ぼす、と決めたのです。それは全同盟市民の安全でもあります。そのために必要なものを持つ者から分けてもらう。それが相互扶助というものでしょう」
ランディーノはほの暗い瞳をロイに向ける。
「相互扶助は同盟の理念です。だが、いまの行いはただの強奪。いや、略奪といってもいい」
ロイの言葉を聞いた瞬間、ランディーノは厳しい声をあげる。
「略奪? 我らが蛮族のように略奪している、と申されるか!」
「そう言いました。今のあなたは蛮族に対する憎しみのあまり冷静さを欠いています。どのような正義を掲げても人から奪えばそれは略奪としか言う他ない」
ロイは氷のような冷たい声で言った。それは本心の声である。
欲しいから奪う。その単純な理屈はまさに蛮族の理屈である。そこには理性もなければ、相手を思いやる心もない。それが相互扶助というのならば、そのような同盟は解散したほうが良い。ロイはそう思ったのである。
「ロイ殿。あなたは理解しているはずです。理想だけではこの戦には勝てない! リンゲンの第一人者クラウス殿は同盟の理念を信じた挙句に、信じた市民の手で殺された。理念だけではどうにもならないのです! 勝たなければ駄目なのです! それを英雄の子孫であるあなたが分からぬはずがない!」
「分かりませんよ。英雄になりたくない僕はそれを理解したいとは思わない。どうしてもというなら僕とデキムス殿を殺してあなたが軍の全権を掴めばいい」
そういうと、ロイは腰に下げた剣を外すとランディーノに差し出した。ランディーノはそれを受け取ると、鞘から剣を抜くとロイの首元に刃を当てた。
「どうしても、理解していただけませんか?」
「しない。僕は理念なき同盟が残るくらいなら、理念に殉じたクラウス殿のように死ぬ方を選びますよ」
ロイは口調を変えることなく、剣を握るランディーノを睨んだ。
「まぁ、待て! ランディーノ殿もロイ殿も落ち着かれよ!」
にらみ合う二人の間に割って入ったデキムスは素手で切先を握るとランディーノに剣をはなすようにうながした。しばらくの沈黙ののちランディーノは剣を手放した。
「デキムス殿も同じお考えか?」
「わしは同盟の一員として戦うだけだ。それはランディーノ殿かロイ殿のどちらかにつくというものではない。同盟は第一人者の合議で動くものだ」
「それはただの考えなし、というのではないか! 残る第一人者のうちメスのネロ殿はここにはいない。今後も来るかわからぬというのに合議など不可能ではないか!」
「それでもわしは同盟のあり方に従う。英雄レイモンドを殺してまで始めた同盟の合議制を捨てることはできんのだ」
デキムスは有無言わせぬ重い声でランディーノに向かい合うと、手に握っていた剣を床に叩きつけた。鋭い金属が響き渡る。
「話にならん! 私はどうなじられようと蛮族とそれに隷属する愚か者に討ち滅ぼす! 同盟が滅ぶそれを回避するためになら私は悪魔にでもなりましょう」
そう言うとランディーノのロイとデキムスの前から去っていった。
それはロイにとって英雄レイモンドの亡霊に見えた。




