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第二十話 追憶の王

 トリエル王国の宰相ロレンス・クルスがピートに滞在する五日間に世情は大きく乱れた。


 それは一つにリンゲンの陥落である。リンゲンはロルム帝国時代以来三百年近く地域における中心を果たしてきた。そのリンゲンがトリエル軍によって攻め落とされた挙句に焼き払われた。このことは扇情的に人々のあいだを駆け抜け、過大な喧伝によって「生存者はいない」とまで言われた。


 この情報を受けたピート市民のなかには、六都市同盟から脱しトリエル王国に帰属するしかピートが生き残る道はない、と考える者も多かった。その多くは商人など中産階級者であり、彼らはピートの市場がトリエル王国に対する小麦の輸出に依存しつつあることを理解していた。


 この戦争が集結してピートがこれまでと同じように六都市同盟に戻った場合。六都市同盟はトリエル王国への小麦など戦略物資の輸出を禁止するだろう。そうなればピートで生産される小麦は南のモルディナあるいは西のベリア帝国に売るほかない。だが、どちらもピートからは遠く輸送にかかる費用は今の比ではない。価格での競争力がなくなれば当然、小麦の販売量は下がることになる。それはそのまま減収につながる。収入が減れば当然、都市の衰退せざるをえない。


「名より実をとるしかあるまい」

「リンゲンの様になれば再起すらできない」

「蛮族だってこのピートという小麦の産地を手放せまい」


 そんな彼らにも不安がないわけではない。トリエル王国に加わるということはピートが六都市同盟との国境になることを示す。それはそのまま最前線になると言い換えても良い。六都市同盟の諸都市が「裏切り者ピートを許すな」と攻めてくればピートはまた戦場になり、トリエル軍の保護を求めなければならない。


 このように人々がこれからのあり方を考えているとき、もう一つの知らせがピートに届いた。


 それはトリエル軍がアミンとオルレインの第一人者が率いる六都市同盟軍に敗れた、というものであった。この知らせに対して大きく湧いたのはピートでも収入の少ない労働者や雇われ農夫であった。彼らはトリエル軍による被害をもろに受けた層であり、田畑を騎馬に荒らされたり、物資の運搬に徴用されていた。その彼らにとって六都市同盟の勝利はいまある困難からの救済に見えたのである。彼は言う。


「六都市同盟は蛮族に屈しない!」

「ピートは六都市同盟でなければならない」

「いまこそ反旗を掲げる時だ!」


 それは、ピートに住む人々が持つトリエル人への嫌悪を素直にあらしたものではあった。だが、彼らは嫌いというだけで物事を決められるほど世の中が単純でないことを知らない。


 そのことを最もよく知る指導者層は、市民議会が解散させられたため直接的な政治力は失っていた。だが、それでもいまも政庁で働く行政官やブレダ・エツェルに仕えるリア・ゲピディアを通して懸念を伝えることはできたのである。


「で、一部の市民が暴動に出る恐れがあるため警戒を強めよ、というわけだ」


 ブレダは面会を求めたリアの話を聞き遂げると、退屈げな表情を彼女へ向けた。


「なによ。なにか不満があるとでも?」

「いや、まったく理に適った進言で嬉しく思っている」


 言葉とは裏腹にブレダの口調には冴がない。リアとしてもブレダにこのような進言はしたくない。トリエル人を追い出せるのなら暴動が起きて欲しい、とさえ思わないこともない。だが、冷静に考えれば武器を手にしたことさえ希な市民が正規のトリエル兵と戦えるのかは火を見るよりも明らかである。何よりも暴動がもとでブレダがピートを焼き払うと決めれば、すべての市民が犠牲になるのである。リンゲンという例が示されたいま、彼がそれを命じないとは決して言い切れないのである。


「なら、そういう顔をしなさいよ。そんな景気の悪い顔をされるとこっちも気分が悪いのよ」

「お前のように無神経ではないからな。それにすでに兵には警戒を強めるように命じてある。それに明日か明後日にはアルダリックとウァラミールが戻る。お前の懸念は杞憂で終わるだろう」


 アルダリック・モラントとウァラミール・ザッカーノの両将は千の兵を失ったが、まだ五千の兵が残っている。また、ピートには四千が手つかずの兵が残っている。これらを糾合すれば九千となりまだ十二分に六都市同盟と戦える。


 ブレダに懸念があるとすれば、六都市同盟の戦法に変化があった、と二将から報告があったことである。主力が歩兵ということは変わらないが、これまでになかった弩が増えているという。また弩の射程はトリエルの弓よりも長いという。馬上から弓を放つ騎射によって機先を制する戦いを得意とするトリエル兵にとって、これは後手にまわるようなものである。先制が取れないとなればブレダはまた別の策でこれに対しなければならない。


「それはそれは差し出がましいことをいいました。私が考えるようなことあんたにはお見通しなんでしょうね」


 憎々しげにリアはブレダを睨みつける。感情に乏しいブレダであるが、今日はいつもに増して動きが見られない。自軍の敗北を憂いているとも見えなくはないが、どことなく顔色自体が悪いようにも見える。体調でも悪いのか、と心配したリアは自分がどうしてこの蛮族の王の身を案じたのか分からず驚いた。


「なんだ? 俺の顔になにか付いているか?」


 じっと顔を見ていたせいかブレダが尋ねる。リアは「なんでもない!」と言おうと思ったがそれも大人気ないと感じ、「あんた、顔色悪いんじゃない?」、と何気ないふうに言った。


 ブレダは小さくため息をつくと「お前に心配されることじゃない」と可愛げなく言った。その言い方が子供が親に悪戯がバレた時のようなものだったのでリアは声を上げて笑った。


「何がおかしい?」

「あんたが悪いのよ。子供みたいな言い方をするから」


 リアは笑いをこらえようと努力したが出来ずにさらに笑った。


「お前に笑われるくらいならまだリンゲンのことを責められる方がましだ」


 それはリアができるだけ考えないようにしてきたことである。リンゲンでの蛮行はおそらくこの争いで最も悲惨で、多くの死者を出したことはリアにも分かる。だが、それに対してリアが何か言うことができるのか、といえば何も言えないのである。


 ピートはブレダに降伏してから彼らが行う略奪も戦闘も止めようとしたことはない。それどころか食料や武器の運搬を担っている面さえある。自分たちが奪われないように同胞である六都市同盟が攻められることを黙認している。その自分たちが彼らの蛮行を責められるのか、リアには自信がない。


「ええ、それは恨みにも思うし。改めてあんたたちが蛮族なのだと感じたわ。だけど、それを責めるだけの力も権利もこのピートには既にない。だから、言えないわ」


 リアの言葉を聞いてブレダは驚いたように目を見張った。今日、初めて彼の感情が現れたのはこの時だったかもしれない。


「まさか、お前からそんな殊勝な言葉が出るとは。雨でも降るのではないか?」


 窓の外を気にするようにブレダの視線が変える。政庁の外は乾いた秋風が吹き抜けており雨は降りそうにない。


「そうね。降ったほうがいいわ。そうすれば火は消え、血は流れ去るでしょうから」

「流れ去ったあとには、恨みは残るだろうな」

「そこにいた人が生きていれば必ず残るでしょうね」


 かつて、ブレダは言った。


『お前らは俺を恨めばいいだろう』、と。


 だがそれは生き残った者がいることが前提の台詞なのだ。その地にいる全ての人が殺されれば、恨みを抱く者はいないのだ。逆にいえば、誰かが生き残りそれを伝える限り恨みは消えない。それが果たされるまで。


 リアにはそれがよく分からない。


 やろうと思えばできたはずなのである。リンゲンの人々を都市に残したまま火をかければかなりの人々を殺し尽くせただろう。だが、彼らは中途半端に人々を外に追いやって都市を燃やした。その中途半端な優しさは敵愾心を煽るような行動としか言いようがない。


「噂では俺は略奪王と呼ばれ出しているらしいな」

「ええ、悪名の高さならベルジカの逆臣ルキウスを超えたかもしれないわね。あの人は王殺しはしたけどあなたほど殺していないわ」


 北の隣国ベルジカ王国。オルセオロ候爵ルキウスは、先王を殺し自らが望む人間を王とした。その悪行から人々は彼を逆臣と呼ぶ。リアは彼にあったことはないが、目の前にいるブレダは会ったことがあるはずである。


 侯爵の名が出たときブレダが少しだけ微笑んだ気がしてリアはさらに尋ねた。


「あんたはあったことあるんでしょう? どんな人なの?」

「ルキウス殿か。一言で言えば変な人だ」


 ブレダは一考することもなく簡潔に述べた。


「なによそれ? もっとあるでしょ? あれだけ名が知れている人なのよ」


 リアに問い詰められてブレダは四年前を思い出す。


 ベルジカ王国の反撃によってトリエル軍は潰走した。そのなかで王太子として別働隊を率いていたブレダは味方を逃がすため降伏した。逆臣ルキウスの名はすでに周辺国に轟いており、毒蛇のような人間だという話であった。だが、降伏したブレダの前に現れたのは騎馬に乗るのも必死という目元涼やかな青年であった。とても王に反旗を翻した悪臣のようには見えず、驚いたことをブレダは覚えている。


「太子にはしばらく窮屈な思いをしていただきます」、と言ってブレダを捕虜としたルキウスであったが、それから二日経っても三日経っても彼はブレダの前に顔を出さなかった。その間、監視の兵こそ付いたが、ブレダはルキウスの居城であるアウグスタのなかをほぼ自由に出歩くことができた。


 何かの罠かと思い気を張り詰めた生活をしていたブレダのもとにルキウスが現れたのはそれからさらに一日が過ぎたあとだった。


「いや、すまない。王太子には悪いと思ったのですがどうしても外せない用があったのです」


 ブレダに対面したルキウスは心底から申し訳ないというように謝った。捕虜に謝る将がいるのか、とブレダはこの風変わりな候爵にわずかばかりの好意を抱いた。


「いえ、戦の始末も有りましょう。謝罪にはおよびません」

「そう言ってもらえると嬉しいのだが、用というのはあなたの思っているようなものではなく。もっと内向きのことなのです」


 ルキウスの親族でもあの戦闘で亡くなったかとブレダは考えてみたが、それほどの被害が勝者に出るとも思えなかった。怪訝な顔でブレダが考え込んでいると、ルキウスは優しい声で剣呑なことを言った。


「では、早速だが王太子を解放するための身代金の話をしよう」


 捕虜となった人物が王族や貴族であった場合、身代金を払って自由を得るということがある。だが、その金額は身分の応じて高額になるのが常であり、王太子であるブレダの身代金ともなれば金貨を何万と揃えなければならないことは想像に難くない。


「我が国は山合の貧乏国。さした金額は払えません」


 ブレダは明るい声で言った。なぜならそれは事実であり、今回の遠征にかかった金のことを思えば、ほぼ国庫は空になっている。もし、ルキウスがトリエル王国が傾くほどの金額を提示すれば父であるルア王は支払いを拒絶するであろう。


「それは困りました。僕はこれだけの金額を求めようと思っている」


 そう言ってルキウスは片手を大きく広げた。金貨五万枚だとすれば、五万の兵を二ヶ月にわたって養える額である。この大金をルアが認めるか、ブレダには分からなかった。だが王太子の身代金としては高すぎる金額だと感じた。


「五万枚ですか。随分と私の首を高く買っていただけますね」

「五万? いえ、金貨五十万枚を求めようと考えています」


 ルキウスは安い買い物でしょうと言うように微笑んだ。捕虜を解放しないために無理難題を吹っかけることはよくあることではあるが、これほどとは思わなかった。ブレダはわずかに抱いた好意を捨てて、この人物はやはり逆臣として悪名を轟かす悪人なのだと再認識した。


「ルキウス。あまり回りくどい言い方をすると嫌われますよ」


 そう言って部屋に現れたのは、青空を切り抜いたような透き通る青い目に金糸の如く輝く髪を持った女性であった。また、その所作があまりに優雅で完成されていたためブレダは何も言えず、彼女がルキウスの隣に腰掛けるのをみとれていた。


「紹介します。これが僕の妻ルフスリュスです」


 照れくさそうにルキウスは妻を紹介するといたわるような眼で彼女を見つめた。


 このとき、ブレダは初めてこの女性の正体を知った。逆臣ルキウスの妻は北方の島国ウェルセックの王妹である。彼女の所作は王宮で磨かれたものだろうが、自国の王宮にこれほどまでに優雅な人物がいるかと問えばいない。ブレダは彼女を見て自国がいまだに蛮族のままであることを痛感した。


「さきほど、回りくどい言い方、と言われたが一体どのようなことでしょう?」


 ブレダが尋ねると、ルフスリュスは「連れてきなさい」と後ろに控えていた侍女に命じた。程なくして侍女が一人の赤子を連れてきた。


「オルセオロの長女です。ちょうど王太子が捕らえられた日に産まれました」


 ルフスリュスは侍女から赤子を受け取ると蕩けるような目で我が子を見た。ルキウスの述べた内向きの用とはこのことであったかと思うとブレダはおかしくなって少し口元を緩めた。


 ――いくら赤子が生まれるときを選べぬにしてもあれほどの戦いの日に生まれるとは。


 ブレダは運命の数奇を感じられなかった。


「さて、選んでいただきたい。金貨五十万枚を支払うか。それと同等の対価しはらうか?」

「対価ですか。この哀れな捕虜がそのようなものを持っていると?」


 ルキウスとルフスリュスはブレダの問いを笑顔で受けた。そして、声を合わせていった。


「この子の名をいただきたい」


 あまりの申し出にブレダは開いた口がふさがらなかった。名付け親といえば、高位の人物に頼むのが慣例であり、貴族であればさらに高位の貴族あるいは王が行う。それだというのにこの夫妻は他国の王太子。それも捕虜となっている自分に行なえ、という。正気の沙汰とは思えない。


「私は捕虜であり、そのような大任を受けるわけにはいきません」

「それは今でしょう。この先、あなたが王となり善悪どちらの名を得てもこの子には箔となりましょう」

「いわば、青田買いなのです」


 ある意味、このときの言葉がブレダの先を示したのかもしれない。だが、この時のブレダにそれはわかるはずもなく。二人に促されるまま、この戦時に生まれた赤子の名をつけた。彼女に与えられた名はマリエル。十八年後にとある事件の中心となる女性なのだが、このときそれを予見したものは誰ひとりいない。


「うん、変な人だ」


 追憶から覚めたブレダはリアにもう一度そう言った。リアは意味がわからない、という顔をした。


「まぁ、いいわ。言うだけのことは言ったのだし」


 リアが気を取り直して執務室をさろうとしたとき、急にブレダが咳き込んだ。

 彼が昔から咳き込むことはあったが、それでも今回のものは異常であった。片手を口に押し当て、残る片手で体を支えるブレダは、咳をするたびに体が大きく揺れていた。リアが彼の後ろに周り背中を押さえようとしたとき、彼女は見た。


 口元から流れ出す血とそれを必死で抑えようとする彼の表情を。


「あんた! 待ってなさい!」


 リアが部屋から飛び出そうとするのをブレダの手が止めた。吐血で真っ赤に染まった手である。リアの白い手首は血で染まった。それを振りはらろうとリアは暴れたが、ブレダの力は強く振り払うことはできなかった。


「誰にも言うな」


 ブレダはリアが見たこともない恐ろしい表情で彼女に言い含めると、「いけ」、と掠れる声を吐いた。 

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