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第十九話 分水嶺

 アルダリック・モラントとウァラミール・ザッカーノの両将が率いる部隊が、ロイ・ボルンらが率いる六都市同盟に手痛い敗北を喫したのと同じ頃。トリエル軍の制圧されて久しいピートに五百人規模の騎兵が一台の馬車を守るようにして到着していた。


「トリエルのやつら援軍を呼びやがかった」

「ついに本格的な統治をはじめる気だ。前月に市民議会が解散させらたのがその証拠だ」

「これから、ああやってトリエル人がどんどんやってきて俺たちロルム人は使用人や家畜程度の存在にされるのだろうな」


 人々は好き勝手な憶測を言い合いながらも、自分たちがだんだんと六都市同盟からトリエル王国の民に変えられつつあることを肌で感じていた。この先月、トリエル王ブレダ・エツェルはピートの最高決定機関である市民議会を解散させた。政庁にて徴税や行政、裁判を司る行政官らとピートの第一人者であるベリグ・ゲピディアだけは慰留された。だが、べリグは形ばかりの第一人者であり、軟禁された状態が続いていることは市民の誰もが知っていた。


 それでもべリグの娘であるリアを通じて市民議会の意向はブレダに上申できていた。しかし、市民議会が解散したいまはそれさえもできないのである。そんななか現れた五百名のトリエル人を市民たちが新しい統治の役人だと考えたのはおかしいことではない。だが、彼らの考えは半ばあたり、半ば外れていた。


 五百人ものトリエル人に警護された馬車から降りた人物を見たとき人々は息を飲んで驚いた。


 それは、降りてきた人物が自分たちと同じロルム人であったからである。茶のかかった赤髪に薄茶色の瞳が多いトリエル人のなかで、白金の髪に青い瞳のこの人物はあまりにも異質に見えた。着ているものも質素な官服であり、六都市同盟であれば位の低い官吏にしか見えないいでたちなのである。ただ顔に刻まれた深い皺は彼が歩んできた日々がどれだけ苦悩に満ちていたかを表すようだった。


 市民たちの興味はこの人物が誰なのか。ということに集中した。


「あれは間違いなくロルム人だ。彼がこのピートの総督になるのではないか」

「いや、あれは北方のベルジカ王国からの使者なのではないか?」

「どちらにしてもあれだけの兵に警護されているところ見ると、並のロルム人ではあるまい」


 そんな好奇に満ちた目を市民から浴びたあと彼は、愛想笑いの一つもせずに政庁の中に入っていった。政庁の中では既にブレダが彼の到着を待っていた。


「書簡では毎日のように会うが、直接会うのは一年ぶりというところだな、ロレンス」

「陛下が出陣される前日にアルダリック殿と一緒に三人で会ったのが最後ですのでそうなりましょう」


 トリエル王国の文官では最高位にある宰相ロレンス・クルスは、真面目くさった表情で答えるとブレダに勧められた椅子に着席した。この先王ルアに見出され宰相まで上り詰めたロルム人は、トリエル王国でも稀有な存在であり、彼を嫌うものもその行政力と財政手腕を認めざるを得ない。


「フォーク、モンフェラ、デザンの討伐が終わったそうだな」

「はい、副王オクタル様の指揮のもと私腹を肥やし食料を不当に溜め込んでいた貴族はすべて討ち取られました。昨年の冬から春までの餓死者は二千を割りました。この二千もほぼこれらの貴族領内の者たちばかりです。討伐での戦死者も申しましょうか?」


 ロレンスはすべての数字が頭に入っているのか、口調に淀みがない。


「いや、よい。だが、これで飢饉という危機を避けることができた」

「はい、陛下が六都市同盟から奪った財や食料は人民にとっては慈雨といっても良いものでした。また、春先より着工した治水工事と新畑開発は順調です。ただ、フォーク、モンフェラ、デザンの旧領がある北部は討伐の影響でまだしばらくは食糧を配給する必要があります」


 いま、ピートには六都市同盟各地から略奪した食糧や財がある。これで六万人の食をある程度はまかなうことができる。だが、ブレダが考える限り、北部すべての住民をまかなえるかといえば不安が残る。あともう少し、次の春まで持ちこたえることができれば飢饉は影をひそめるに違いない。


「わかった。冬までにさらに食料を送る」

「やはり、見捨てる、ということは考えられないのですね」


 ロレンスはあきらめにも近い表情でブレダを見た。これに似た問いかけは一年前、ブレダが王位に着く前にもおこなっている。そのときからブレダの答えは否なのである。彼は王の責務を民を守ることだとかたくなに信じている。それはある種の美質なのではあるが、ロレンスにはそれが王が国民に仕えているように見えるのだ。本来、王は民に慈悲をもって接すべきである。だが、慈悲と同じくらいの非情を持たなければ秩序はえられないのである。


「すべてが正しく、誰もが幸せである結末はない。そう言いたのであろう」

「はい、私は幼少の陛下にお教えしました。物事には良き面と悪い面がある。ゆえにどのような正しいこともそれによって不幸が生じるのです。いま、トリエル王国は飢饉を脱しました。ですが、他国を蹂躙し、奪い尽くすその有り様に周辺国は強い危惧を覚えているのも確かです」


 静かだが強い口調でロレンスは言う。本心を言えば、彼はこの戦争をすぐにでも止めてほしい。たとえ、国内であと一万人が餓死してもブレダを非難するものは国内にはいない。それだけ多くの民をブレダは救っている。だが、その方法は決して認められるものではない。


「俺を批難させたい者にはさせれば良い。どのような悪名も受け入れる。その覚悟がなければこのようなことできるはずがなかろう」

「もうすでに陛下の名は略奪王として各国に響きつつあります。陛下はお強い。ですが、その強さは自らをくものです」

「父である先王ルアは、強き者が王になれ。それはブレダだ、と遺言されたという。ならば、父は俺にそれを求めたということだろう」


 ロレンスはこの若い王の気質がどこまでも王に向かぬものであることを改めて思い知った。


 先王ルアは、二人の息子がいた。一人は現在王位にあるブレダ。そしてもう一人は副王としてトリエル本国守るオルタルである。今から四年前、ルアは肥沃な平原を求めてベルジカ王国に兵を進めた。しかし、この戦いでベルジカ王国のオルセオロ候爵ルキウスとネウストリア大公ニコロによってトリエル王国は敗北した。このとき二人の息子はルアのもとを離れてそれぞれ別働隊を率いていた。オルタルが手勢に犠牲が出ることを構わずルアを救出したのに対して、ブレダは早々にルアと合流することを諦めた。彼は兵を本国に戻す事のみを優先し、自身は捕虜となった。


 このとき、ルアの目には二人の息子の気質が見えた。


「オルタルは王に代わりがなく、民の犠牲は仕方ない、と考える。だが、ブレダは王は代わりがいるが、民にはいない、と考える。それはそのまま自身が王になったときの有り様に関わる。オルタルは王として位を守り、民の王となりうる。だが、ブレダは王位を軽んじ、民のために働くだろう」


 そうロレンスに語ったルアは、捕虜としてベルジカ王国から戻ったブレダに敗戦の責を押し付けて自領への蟄居を命じた。ルアの考えはもっともだとロレンスは思う。民のため、というのは理想的である。だが、世は理想だけでは前に進まない。犠牲も必要になれば、利益のみを追求するときもある。そのときにその判断ができない者は王としてふさわしくないのである。


 だが、そう語ったルアが死に際してブレダを次代の王に指名したときロレンスは驚いた。


「お間違いではありませんか?」


 咳病の悪化により言葉を放つことさえも難しいルアにロレンスは問うたのである。ルアはロレンスの問に切れ切れの声で答えた。


「ブレダは蟄居を命じてからも私財を投じ領民に尽くしているという。わしあれがどこかで折れると思った。だが、やつの意志は強かった。ゆえに、いまこの飢饉に際してあれを王にすれば言葉通り死ぬ気で民に奉じるだろう。王のありようではない。だが、最善なのだ。もっとも国力を落とさないためには。あれは臣下に生まれるべきだった。王となればまともな死をえることはできまい。わしは父としてはあまりにも酷いことを望んでおる」


 血反吐を口元に溢れさしながらも、ルアは言葉をやめなかった。


 臣下であればブレダは、主に絶対の忠誠を保証しただろう。不幸があるとすれば、彼は王であった。それはどこまでも民に尽くすという題目は、あまりにも多い人々を彼に背負わせることになった。


「その求めが、父として本心だったとお思いですか?」

「ロレンス、すでに矢は放たれたのだ。放つ前には戻れない。もし、それをいうのならば一年前に俺とお前とアルダリックとが最後に盃を交わした時にいうべきであった。あれが分水嶺ぶんすいれいだったのだ」


 ブレダは遠い昔を思い出すように目を細めると、柔らかな笑みを浮かべて言った。


「もうすぐリンゲンが陥落する。そうすればすべての恨みは俺に集中する。世に言われる略奪王としての悪名はここで極まる、と言っていいのかもしれないな」

「略奪王ブレダですか。略奪されているのは本当は陛下自身なのではないですか。陛下は王というあり方に命を奪われようとしている」

「そうかもしれん。だが、それがどうした。すべては俺が決め、略奪し、獲た結果だ。誰のものでもない。ロレンス。随分と優しいことばかり言うな。すでに定まったことだ」

「かつての教え子が自分より先に死ねとなれば悲しみも湧きましょう。いくら私が鉄の宰相として同族であるロルム人にもトリエル人にも蔑まれていようと、例外はあるのです」


 ロレンスは強い口調でいうが、彼が熱くなればなるほどブレダは冷めるようで表情を崩すことはなかった。


「そうだ。ロレンス。あと五日ほどこのピートに滞在せよ。アルダリックとウァラミールがもうじき帰ってくる。その際にはまた食料や財を得ているはずだ。それをお前が帰る際に護送しろ。ピートの住民を使うにしても人足料はいるのだ。だが、お前たちなら気兼ねがいらない」


 話を変えるようにブレダが言う。ロレンスはしばらく考えたあと「分かりました」、と答えた。それはブレダに付き従っているアルダリックにもう一度、会わねばならないと感じたためである。出陣前、二人はブレダに聞かれぬところで会談を持った。そのことで、もう一度話し合わねばならないからだ。


「よし、では政庁内に部屋を用意する。供回りの騎兵には城壁の尖塔の一つと厩舎きゅうしゃを使えるように手配する」


 そう言って、ブレダは卓上に置かれた羊皮紙に筆を走らせると、小さな鐘を鳴らした。すると、一人の若い女性が二人の前に現れた。ロルム人らしい青い眼と長い金髪した女性は、鋭い目をしてはいたが、手足はスラリと伸び、長い髪は月明かりをまとめたように優麗な輝きをはなっている。ロレンスもこれまで多くの人間にあってきたが、これほどまでの美人はあまりであったことがなかった。


「ロレンスを貴賓の部屋を与えよ。これより五日ほどここに滞在する。それと、これを警務の方に渡せ。供回りの宿舎を定めてある」


 ブレダはぶっきらぼうに羊皮紙を彼女につき出すと、彼女もそれをひったくるように受け取ると「あいわかりました。陛下のご命令とあらば」、と抑揚のない声で言って部屋から去っていった。


「陛下。いまのは?」

「あれは、このピートの第一人者であるベリグ・ゲピディアの娘でリアという。一応は軟禁しているべリグの代わりをさせているのだが、市民議会を解散させてからあの調子で困っている」


 ほとほと困りきったという表情のブレダとは反対に、ロレンスは彼女に強い興味を持った。

 それは誰にとっての不幸で、幸福であったのかはこのときはまだわからなかったに違いない。だが、これから数ヵ月後に起こる出来事の中心地は間違いなく彼女となったことだけは確かであった。

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