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第十八話 公僕英雄の初陣

「ここにきて増援とは六都市同盟はいつも一手遅いな」


 アルダリック・モラントは南方からアミンとオルレインの軍が北上中との報に接して、禿げた頭をかきながら苦笑いをした。それは、六都市同盟に対する呆れでもあり同情である、といってもいい。六都市同盟は、各都市の合議によってすべてを決定する。そのため、兵を興すにしても市民議会の承諾がいるのである。各都市の第一人者は方向を提示することはできても決定権はないのである。


 アルダリックから見れば、このまどろっこしさが六都市同盟を損なわせ、敗北へと導いているように見える。それに対してトリエル王国は王であるブレダ・エツェルの命令一つですべてが動くのである。単純にして明快。それゆえに部下はひとつのことに集中できる。彼はこのトリエル王国のやり方が自分にはあっていると思う。


「ですが、我らにもう一度野戦を挑むつもりで出てきたとなれば、敵の覚悟は並ではありません。それに敵は英雄レイモンド・ボルンの子孫だというではありませんか?」


 いつもの神経質な表情でウァラミール・ザッカーノが反論を述べる。報告では敵の兵数は八千。歩兵が中心であり、騎兵はほとんどいない。だが、士気は低くないという。


 アルダリックの脳裏に第一次トリア会戦での重装騎兵が思い出される。メスの第一人者であるネロ・リキニウスが率いた重装騎兵に対してトリエル軍の軽騎兵が放つ矢は弾かれた。トリエル軍の弓では重装騎兵の鎧を貫くことはできないのである。あのときはわざと重装騎兵に接近戦の機会をちらつかせ、敵を主戦場から遠ざけた。重装騎兵は軽騎兵と比べると装備が重く、馬が疲れるのが早い。金属製の鎧や兜、さらに馬に着せる鎖帷子。防御の要が自身の機動力を損なうのである。そのため、一度主戦場から遠ざけられたネロの軍は戦線に復帰することが叶わなかった。


 もしもあの軍が向かってくるのであればトリエルが得意とする騎射による一撃離脱は難しくなる。だとすれば敵は難敵である。アルダリックはそこまで考え、頭を大きく左右に振った。いま、リンゲンに向かっているのはアミンなど南部の兵であり、重装騎兵がいるわけがない。あれは六都市同盟でもメスの軍だけなである。


「南部の二都市の主力は歩兵だ。いくら覚悟があってもそれだけではどうにもならん。英雄の子孫が英雄である、そうであればこの世の中はもっと単純でよいだろうよ」

「しかし、南部のオルレインは先の会戦でもっとも被害の少ない地域です。オルレインの重装歩兵は我らの攻撃を受けきり、少ない被害で退却を成功させています。侮れるような敵ではありません」


 ウァラミールが言うことは正しい。だが、アルダリックには機動力に欠く歩兵が騎兵に勝る術が想像できなかった。例えば、重装歩兵が前回の戦闘では持っていなかった長槍を持っていたとしてもアルダリックたちは長槍に近づかず、遠巻きに騎射を続ければ敵に被害を与え続けることができる。また、大量の弓を揃えていたとしても機動力を活かして多方面から攻め立てれば、敵は狙いを定めることが難しくなる。


 歩兵は全体で正面に攻撃を行う場合は強いが、側面や後背を突かれるのは弱いのである。歩兵同士の戦いであればそれは難しいが、機動力という利がある騎兵にはそれができるのである。


「わしはときどきお前さんが同じトリエル人かと疑いたくなる時がある」

「なにをおっしゃるのです! 私はトリエルとしての誇りをもって!」


 まぁ待てとばかりに、片手の指をを大きく広げるとアルダリックはウァラミールの言葉を遮った。何か言いたげな口を閉ざすと、ウァラミールは睨みつけるような目でアルダリックを見た。


「別に批難しておるわけではない。お前さんにはわしには想像できないものが想像できる。それはきっとこれからのトリエルに必要な資質なのだと思う。そういう意味ではわしは古い型の兵だ。だが、それゆえに恐ろしいのだ。自分がもういらぬ存在なのではないのか。ベルジカとの戦ではなんの功もたてられず、臍をかんだ。だが、ここ六都市同盟ではまだ戦えておる。ならば、自分が積み重ねてきたものがどこまで通用するのか。わしは知りたいのだ」


「別にそこまで卑下されなくても……」


 ウァラミールは目の前で悲しげな眼をする老将にどのような声をかけるべきかわからなかった。確かに少しづつではあるが戦闘のあり方が変わりつつある。二百年前、トリエル人が強精を誇り、ロルム帝国を崩壊させたときには重装騎兵などいなかった。城壁はいまほど高くもなく、弩の射程もいまよりもっと短かった。それがいまでは人馬を覆う金属の鎧が生まれ、城壁は高く厚くなり、弩は弓よりも遠くへ飛ぶようになった。


 世界は変わっているだが、トリエルはなにか変わったのであろうか。

 人生のほとんどを戦場で生きた彼がそれを感じ始めたのが、いつからなのかウァラミールにはわからない。だが、きっと自分たちはもう精強とは言われないことだけは分かっている。アルダリックの戦い方が妙に手荒いものになっているのはその辺の焦りがあるのかもしれないとウァラミールは感じた。


「齢六十五を過ぎた。わしにはもう将軍職はこないだろう。落馬一つが命取りになる。そんな歳だ。ここから変わるというのは難しい。お前や陛下、副王に想像できることがわしにはできないのだ。だから、最後まで古い流儀を貫きたいのだ」


 一度型どったものを変えることは難しい。それが硬いものであればあるほど難しく。壊すしかないということもある。


「分かりました。では私が二千の騎兵でもしもに備えます」

「いや、逆が良い。わしが二千で敵の動きを見る。お前は四千でわしが不利と見れば助けてくれ。だが、敵が前と同じ芸のないようならわしの二千だけで終わるだろうがな」


 そう言ってアルダリックは豪快に笑った。

 こうして、トリエル軍六千はリンゲンから半日のところまで南下すると小高い丘の上に陣を張った。敵であるアミン・オルレインの同盟軍はそこから少し離れた平原を進んでいた。彼らはアミンの兵をオルレインの重装歩兵で囲んで進軍しており、明らかに騎兵の奇襲を警戒したものであった。


「あまり代わり映えはせんな」


 丘から敵兵を見下ろしたアルダリックが言う。オルレインの兵は金属の鎧に大盾、そして槍斧という装備で前回と変わっていない。アミンの歩兵は武器が槍斧から長槍に変わっているように見えるがオルレインの重装歩兵に囲まれているせいで細部はよく見えない。


「アミンは長槍で私たちの突撃を防ぐ腹でしょうか?」

「大盾と長槍でわしらの攻撃を止めるのはいい考えじゃが、それだけでは防ぐだけだ。わしらが騎射に徹すれば敵は何もできん」


 すでに同盟軍もこちらの接近に気づいているらしく彼らの目は丘の上に集中している。敵の中央に二つの旗が見える。一つは白地に真ん中から白と黒に色分けされた楯。もう一つは青地に黒い鍵描かれている。それらはオルレインとアミンの旗印である。そしてその下にはオルレインの第一人者であるデキムス・ノイアとアミンの第一人者であるロイ・ボルンがいた。


「来た来た。六千騎が相手だ。英雄の力をみせてくれよ」

「先祖が英雄であって私は英雄ではありませんよ。デキムス殿こそ歴戦の貫禄というやつを見せてください」


 全身を覆う鎧を着込んだデキムスの顔はすでに兜に隠れてみることができない。だが、丘の上に姿を現したトリエル軍に萎縮した様子は見えない。それよりもロイ自身が、自分の初陣に竦みそうになる足を抑えるのに必死であった。


 トリエル軍に占領されたピートから戻ったあとすぐにロイとデキムスは戦の準備を始めた。前回の会戦での敗因を踏まえ、装備も一新するべきところは変えた。騎兵の突撃に対して効果が薄かった槍斧を廃止した。攻撃範囲が槍斧よりながい長槍を採用した。このパイク呼ばれる長槍は数年前に起こったベルジカでの内乱でオルセオロ候爵ルキウスがルートヴィッヒ王の騎兵に用いたことでその有用性が知られるようになった。


 それまでは、その長さから行軍に難しい長槍は兵に嫌われていた。だが、最近では槍を折りたためるような工夫がされるようになり行軍が容易になった。ロイたちはこれを重装歩兵と組み合わせることで軽騎兵に対抗しようとしている。


 トリエル騎兵の戦法は簡単に言えば、軽騎兵で騎射を行い。敵陣が乱れたところを槍を持った軽騎兵が突撃する、という戦法なのである。これに対してロイ達の作戦は、敵からの矢を大盾で防ぎ、近づいてきた敵を長槍で攻撃するのである。騎兵の槍の長さは成人男性の頭から足元までしかなく、人の身の丈の三倍ある長槍よりもはるかに短い。机上の戦争ではロイはトリエル軍を倒すことに成功した。だが、今から行うのは机上ではなく騎上の戦いである。

 これが成功しなければ、六都市同盟は完全に敗れ去ることになる。


 六都市同盟南部における兵力はこの八千が最後だと言ってよく、これ以上は老人や子供も兵にしなければならない。そうならないためにはここで負けることは許されない。なによりも装備を整えるためにかなりの金を使っている。アミンの国庫から足りぬ分はロイの最大の擁護者となっているクレア・モロシーニが、自費と塩組合から捻出している。


「さて、この見渡しばかりの平原。隠れる場所はなく。歩兵としてはこの不利な地でやるかな?」

「ええ、デキムス殿も負けるなんて思っておられないでしょう?」

「負けると思っていたらここまで出てくることはない」


 デキムスは言い切った。

 ロイはデキムスほどの自信があるけではなかったが、自軍が負けるという想像はできなかった。


「では、始めましょうか。同盟がまだ負けていない、と」


 ここに至るまでに、リンゲンの方向から黒煙があがっていることは知っている。この場にいる兵の多くはリンゲンが陥落したことを経験的に察知している。だが、それでも兵をひこうというものはいない。ここで退けば次はアミンが襲われるかもしれない。そうすれば、同じ悲劇が繰り返される。それをさせないためには水際でトリエル軍を止めなければならないのだ。


「横隊組め!」


 ロイの号令によって縦隊であった同盟軍は、横隊に陣形を組み替える。ほっそりとした体型に見合わずロイの声は通る。それは兵を率いる者として一つの美点であった。いざ戦闘になれば兵から将が見えなくなる。そんなときに声のひとつでも聞こえれば将の無事がわかる。将の無事がわかれば兵は安心して戦うことができるのだ。


 横隊になっても長槍のアミン兵を重装歩兵であるオルレイン兵が囲むという基本は変わらない。ただ、長槍は水平に突き出され、丘上のトリエル軍に向けられる。重装歩兵は大盾を左手に持ち、隣の者を守るようにつき出す。こうして大きな集合として襲来するトリエル軍から味方を守るのである。


「負ける気など微塵もない、という感じですね」


 ウァラミールは二千の騎兵と共に飛び出そうとしているアルダリックに言った。


「それを食い破り、蹂躙し、絶望させる。それがトリエル人の心意気というやつだ。鈍亀が針鼠に変わっただけだ。第一陣、行くぞ!」


 アルダリックが馬腹を蹴ると黒馬がいななき、大地に地響きが起こる。これに五つに分けられた二千の軽騎兵も従う。彼らはその手に弓を握りしめると一気に丘を駆け下りる。


 同盟軍との間合いはあっという間に縮まり、先頭を走っていたアルダリックたち第一陣が矢を射掛ける。

 馬上から放たれた矢は、真っ直ぐに敵に降り注ぐ。オルレインの重装歩兵は盾を大きく掲げて、矢が後方の味方に当たらぬように必死に矢を受け止める。不幸にも盾と盾のあいだをすり抜けた矢でいく人かの兵が倒れた。

 第一陣の矢が降り注ぎ終わるとすぐに第二陣、第三陣と騎兵が矢を放つ。第五陣の矢が降り注ぎ終わるころには矢を受けなかった大盾は一つもない、という状況であった。それでも同盟軍の隊列に大きな乱れはなく、矢に倒れた兵のあとは近くの兵によって埋められた。


「どうか?」


 アルダリックは再度の攻撃に備えて馬の向きを変えると、敵陣は不気味なほど静まり返り、微動だにしない。それが「構え!」という若い男の声で大盾が下ろされる。すると重装歩兵の間から何千もの弩が顔を出した。


「撃て!」


 弩から放たれた矢は、反転のために動きを止めたアルダリックの率いる軽騎兵に襲いかかった。トリエル兵は革鎧のほかに防具らしい防具はなく、馬も防具をつけていない。矢は遮るものなく彼らを貫く。


 一度の射撃で、五百ほどの兵と馬が崩れ落ちた。


「なんだあれは!?」


 アルダリックは驚きの声をあげた。それはウァラミールも同じであった。大盾を下ろした瞬間に長槍兵奥から弩兵が出たのである。弩兵は矢を放つとまた長槍兵の後ろにさがった。弩は台座に弓を固定した武器で、特別な訓練をしなくても容易に矢を放つことができる。一方で弓のように速射できるものではなく、発射に時間がかかるため篭城戦など安全な場所から敵を射つために用いられることが多い。


「再装填!」


 ロイの声が戦場に響く。


 弩兵は重装歩兵と長槍兵に守られた陣の中央部で、弩に矢を装填し始める。

 ロイとデキムスがトリエルとの再戦をするにあたり考えたのは三つ、一つは敵の軽騎兵が放つ矢をどうやって無力化するか。二つは、軽騎兵の突撃をどのように防ぐか。そして、三つに、騎兵にどうやって攻撃をするかであった。前の二つは重装歩兵と長槍で解決ができた。そして、最後の一つを解決したのが弩である。


 弓を地上から撃つのと、トリエル軍のように騎上で撃つのでは射程距離が変わってくる。馬の高さの分、同じ弓でもトリエル軍の方が遠くに届くのである。そのため、ロイたちは弓よりも長い弩を用いる必要があった。だが、弩は装填に時間がかかるという難点があった。そこでロイは重装歩兵を簡易の城壁として使うことで解決した。


「アルダリック殿! 退いてください」


 ウァラミールが叫ぶが、アルダリックは残った兵をまとめると再度攻撃の体勢を取る。


「いや、まだだ! もう一撃行くぞ!」


 アルダリックを中心に残った千五百の騎兵が同盟軍に肉迫する。今度は第一陣と二陣が矢を放ったところに三陣と四陣が槍を持って突っ込む。しかし、それはロイ達の想像を超えるものではなかった。大盾で矢をしのいだ同盟軍は、突撃してきた軽騎兵を長槍で一騎、また一騎と血祭りにあげた。


 こうして騎兵の動きが止まるとまた弩が発射され、初撃と同様に五百騎ほどの兵馬が命を散らした。


「なんの! もう一度だ!」


 槍をかかげて突撃をしようとするアルダリックを四千の騎兵を引き連れたウァラミールが羽交い絞めにするように止める。


「もう、無理です。ここは退いてください」

「止めるな! あの陣を踏み潰さねばならん!」


 力づくでも前に進もうとするアルダリックにウァラミールは叫ぶ。


「ここで陛下の兵をいたずらに失うのが将軍のすることですか!」


 悔しさをにじませるように奥歯を噛み締めるとアルダリックは小さく頷くと「退こう」と言った。ウァラミールは小さく息を吐き出すと、「鐘を鳴らせ!」と部下に命じた。鐘の音を聞いたトリエル兵は、急反転すると押して返す波のような素早さで退いていった。


 その後ろ姿を見送ると同盟軍のなかから割るばかりの歓声があった。

 ピート占領から第一次トリア平原会戦、リンゲン陥落、と敗北を続けた六都市同盟が局地戦とは言えついに勝利したのである。またトリエル人に征服されるのではないか。その恐怖に怯えていた人々はこの勝利を美酒のように浴びた。


 そして、この勝利を指揮したアミンの第一人者ロイは反攻の象徴として英雄レイモンドの再来として広く六都市同盟に知れ渡ることになる。 

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