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第十六話 鐘の音

「この、無駄飯ぐらいが!」

「お前たちが蛮族を引き連れてくるから」

「この疫病神が!」


 角材や斧で武装した一部の市民が難民たちが身を寄せている広場になだれ込んだのは、リンゲンにトリエル軍が現れてから二週間後のことであった。彼らは口々に難民に対する不満を吐き出すと、手に持った凶器を振るった。彼らは自身の不安をより弱い者へ向けただけであったのだが、凶行によって難民に数百人の被害者が出た。リンゲンの第一人者であるクラウス・アエティウスは騒ぎを聞きつけると、すぐに守兵の一部を差し向けてこれを鎮圧した。


 暴徒化した市民は、リンゲンの食料が難民によって食い尽くされる、という流言を間に受けていた。それは事実ではなかったが、この話が市民に広く信じられつつある、ということはクラウスにとって大きな問題であった。


ゆえにクラウスはすぐに市民に対して、

「理知的で冷静な市民に告げる。リンゲンには全市民を一年にわたって餓えさせないだけの蓄えがある。いまちまたを騒がしているような食糧不足は決して生じない」、と宣言しなければならなかった。


 この宣言によって市民の動揺は表面的には収まったものの市民と難民の双方に遺恨を残したことには変わりがなかった。


 このとき、クラウスには二つの問題があった。一つは、難民への襲撃から分かるように市民と難民との不和である。もう一つは、外部からの情報の欠乏である。リンゲンが包囲されてから同じ六都市同盟の他都市から連絡が途絶えている。北部でも南部でも援軍を送ってくれる事が判れば、市民の不安を払拭ふっしょくできるのであるがトリエル軍に包囲されたいまではその情報も得ることができない。もし、援軍が来ることがわかれば市民の不安は解消され、難民に対する態度も自然に軟化するに違いない。それがわかるゆえにクラウスは苦悩する。


「たった二週間。二週間で市民の心には淀みが生じている。これではいくら食料があっても意味はない」


 演説のあと市民の前では強気であったクラウスが、疲れた表情を見せると書記官は慌てて彼を励ました。


「皆、不安なだけなのです。雨の日は川の水も淀むものですが、雨がおさまればいつもの清流にもどるものです。やまぬ雨はない。一時の悪天なぞ、お気になされるな」

「やまぬ雨がない。それは正しいに違いない。だが、神はときに残酷だ。堤が破れた翌日に雨があがる。そんな皮肉は枚挙まいきょがない。しかし、今度のことで思い知った。人の上に立つものとして私は、蛮族の王に劣るのだろう。市民に兵を向けなければ混乱を治めることができなかった」

「クラウス様は市民の第一人者です。第一人者は王とは違います。王は自らの意思を民に押し付け、民に自由はありません。ですが、我らリンゲンが目指したのは市民が選んだ第一人者と良いことも悪いことも自分のこととして向き合うあり方です。ゆえに我らは自由であり、ときとして間違う。ですがそれゆえに最後には最も正しい選択ができると私は信じています」


 書記官はうなだれ気味であったクラウスをじっと見据えていった。そこには不屈とでも言うべき意志が宿っていた。クラウスは、市民と同様に自分も不安に飲まれていることを恥じた。そして、大きく息を吸い込んだ。丸まっていた背が伸び、少しだけ視界が明るい気がした。


「そうだ。いつも正しい答えは出せない。だが、市民すべてが考え、行動する。そうすれば、間違ってもいつかは正しい答えに向かうことができるのだ」


 二百年前、六都市同盟はまだ属州スカーナと呼ばれるロルム帝国の一部に過ぎなかった。ロルム帝国が蛮族に敗れ、帝都で皇帝が殺されたとき、人々は知ったのである。自分たちが絶対と信じてきた皇帝でさえ蛮族に敗れる。人は間違いを犯すものなのだ、と。


 その後、属州スカーナは蛮族に制圧されるが、英雄レイモンド・ボルンの活躍もあり蛮族を押し返すことに成功する。このとき、レイモンドを王に、という声があった。だが、人々は恐れた。英雄であっても常に正しい訳ではない。一人に任せることはやめるべきである。


 結果、六都市同盟は都市ごとにもっとも賢明な人物を選び政治を行わせることになった。


 そしていま、クラウスは市民に選ばれてリンゲンの第一人者になっている。


「もしもクラウス様が間違いを犯しても市民の誰かが正しい道を選びます。衆が個に劣るような事が有りましょうか」


 書記官が力強く応じると、クラウスは晴れやかな顔で言った。


「もう一度、出陣する」

「……包囲に隙を作るためですな」


 クラウスの表情から出陣がただの思いつきでないことを悟った書記官は自らの予想を素直に述べた。


「そうだ。このまま篭城するのがもっと被害が少ない。だが、このままでは市民の士気が下がる。また、野戦と同時にメス、ルギィ、アミン、オルレインの四都市に再び使者を送る。外の情勢を少しでも知りたい」

「時期はいつに?」

「明朝。敵も急に我らが出るとは思っていないだろう。これで敵があわててくれれば、監視が緩んで使者の出発も用意になる」


 クラウスはいたずらでもはじめるかのように歯を見せて微笑んだ。書記官が同様に微笑むとクラウスはもう一言付け加えた。


「すまないがアミンへの使者はあなたに任せたい。アミンの第一人者であるロイ・ボルンを知るのはあなたしかいない」


「……分かりました。行きましょう」


 しばらく思案したあと、書記官はクラウスの願いを聞き入れた。本心では、クラウスのもとで働きたいという気持ちがあった。しかし、ロイを知るのは自分とその下の幾人かの二等書記官であることを考えれば自分が行くべきであろう、と思えたからである。


「なんとか、援軍を取り付けてくれ。こちらはなんとしても持ち堪えてみせる」

「クラウス様。無茶だけはお控えください」


 黙っていれば良い、と感じつつも書記官はこの責任感だけは人一倍の第一人者に言わずにはおられなかった。


「大丈夫だ。私が無茶をすれば市民がたしなめてくれよう。あなたが言うように衆が個に劣るわけがないのだ。安心して行くといい」


 この翌日、クラウスは守兵に出陣を命じた。守兵の多くはこの命令に喜んだ。


「ようやく、ちらちら走り回る蛮族を倒せる」

「数は我らに利がある。騎兵といえど恐るるに足らず」

「無作法な客には多少痛い目にあってもらおう」


 と、鈍く光る槍斧を掲げてお互いを鼓舞した。クラウスはリンゲンの象徴である白地に青色の木槌が染め抜かれた戦旗を手に彼らに見渡した。ざっと八千の歩兵である。リンゲンの成人男子のほとんどがここにいる。文字通りの総力戦である。


 また、城壁の上には老練の弩兵二千が残されている。彼らは老練といえば聞こえがいいが、すでに老境に入っており戦場を駆けるほどの力はない。だが、それでもいないよりましなのである。


「では、クラウス様。ご武運を」


 書記官は出陣前のクラウスの近くに寄ると重々しい声で言った。


「ああ、無理はしない。これは使者を送り出すための出陣だ」

「できるだけ早く援軍を連れて戻ります」

「早いほうがいい。この兵たちを見ていると奇跡を起こしてしまいそうな気がしてきた。あなたが戻る頃には戦勝の宴になっていてもおかしくはない」


 クラウスは誇らしげに兵を眺めながら言った。確かにここに並ぶ兵たちを見ているとそんな気がしてくる。城壁の中で鬱屈した気持ちを吹き飛ばそうという勢いがここには満ちている。


「市民よ! 蛮族の心胆を寒からしめてやろう!」


 クラウスが叫ぶと、守兵の誰からともなく「エイエイ」とときをつくりだす。この声は次第に大きなうねりとなってリンゼイに響き渡る。守兵の出撃を見守る女子供たちもこれにつられて「応」との掛け声をあげた。


 ――市民がひとつになろうとしている。これこそ、六都市同盟だ。


 ばらばらであった個がひとつにまとまる様子をクラウスは満足げに見つめ、すべての民に聞こえる声で号令を発した。


「――でる!」


 城門が重苦しく開かれると、守兵たちが鬨の声をあげて走り出す。


 リンゲンの城門が開かれたことは、周囲を哨戒していた騎兵からトリエルの二将のもとに伝えられた。このときの二将の反応はまちまちで、アルダリック・モラントは「朝っぱらから元気なことだ。敵にご苦労さま、と伝えてやれ」、と眠たげに述べた。ウァラミール・ザッカーノは「この時期に出てくる、とは何か策があるに違いない」、と生真面目に述べた。


 リンゲンから出た守兵八千は城壁沿いに密集陣形を取った。ウァラミールは全軍に騎乗を命じると自身も愛馬にまたがった。その後ろからアルダリックが大あくびをしながら駆けてくる。眠たげな主人に対してゴルドフ、という彼の愛馬は精悍な顔つきである。


「アルダリック殿、もう少し緊張感を持ってください。きっと敵は乾坤一擲けんこんいってきの勝負に出るつもりでしょう。我らもそろそろ……」


 真剣な眼差しで敵陣を見つめるウァラミールにアルダリックは「どうせ、弩の射程から出ることはない」、と気合のない声をかけた。


「しかし、敵の気合は今まで見たことがありませんよ」

「そりゃ、男のあれと一緒で長いこと閉じこもっておんったんだ。出せるときには出したいと思うだろうさ」


 アルダリックが下卑た冗談を言うと周囲の兵が笑う。


「俺たちも出しときますか?」

「早いのが取り柄のやつはいいよな。手早く終わって」

「愚図も嫌われると思うがな」


 急な出陣であったがトリエル騎兵は乱れることはなかった。これは兵力が六千と限られており、連絡が円滑に行われたこともあるが、アルダリック、ウァラミール両将が兵たちを完全に掌握しょうあくしていることの証左しょうさでもあった。


「あなたという人は……。どうします。一気に側面を突いてみますか?」

「まだだな奴らはまだ城壁からの弩の射程を出ていない。今突っ込めば針鼠になるだけだ。わしは刺すのは好きだが刺されるのはごめんだ」


 トリエル軍はリンゲンの守兵から付かず離れずの位置に集まると横隊を組んだ。上から見ることができれば、握りこぶしを薄い紙で包もうとするように見えたに違いない。八千の歩兵を六千の騎兵が囲む。単純に見れば騎兵が有利に見える。だが歩兵の後ろにはリンゲンの城壁があり、そこからは二千の弩が騎兵が射程に入るのを待っている。


 両軍はにらみ合ったまま動きを止めると、静かに相手の動きを見守った。

 そのころ、リンゲンから離れるいくつかの小団があった。六都市同盟の各都市に向かう使者たちである。彼らはトリエル騎兵に気づかれぬように少数で兵列から抜け出すと、各方面に散っていった。


「戻るまで持ってくれよ」


 書記官はそうのべると、後ろ髪を引かれる思いで足早に南方へ向かった。同じ頃、クラウスも使者たちが各方面にうまく散ることができたか、という不安を押し殺した顔でトリエル軍を対峙していた。彼の役目はトリエル軍の注意を引くことだけである。そのため、彼は右翼を前に出したり、戻したり、という示威行動を繰り返した。この動きを最初に訝しく感じたのはアルダリックだった。


「やはり、勢いだけでやる気が感じられぬな。千騎ほど借りてゆく。あとは任せた」


 アルダリックはウァラミールにそう言うと旗下から千騎ほどつれるとリンゲンの外周を駆け出した。しばらく走ったところで北方に走る小集団が見えた。


「あれだな」


 舌なめずりするような表情で、小集団を見つめるとアルダリックは騎兵に突撃を命じた。

 勝敗は火を見るよりも明らかであった。小集団は慌てて散ろうとしたが、人の足で馬にかなうわけもなく、一人また一人と捕縛または殺害された。


「どこへ行こうというのだ?」


 捕らえた男の一人にアルダリックは訊ねた。その声は老人が家人に話すように自然で力みは全く感じられなかった。一方、男は歯の根があわぬようであった。


「わ、わたしは、こ、故郷にかえる」

「ほう、徒歩では大変だな。どうだ、わしが送ってやろうか?」


 男は悪魔や鬼でも見るような怯えた目でアルダリックを見た。顔は青白くなっており、見ている方が不憫に思うほどの狼狽ろうばいであった。口はぱくぱくを開閉するだけで肝心の言葉が出てくる気配はない。アルダリックは人が悪そうに微笑むと、


「死にたくないならお前が持ってるものを全てだせ。どうせ、密書でも持っているのであろう?」


 と、男に大きく太い右手を差し出した。男にはその手が悪魔のそれに見えたのか、急に大声を出したかと思えば後ろに駆け出した。だが、それが男の最後であった。


 アルダリックが左手に持った槍が男の背中を突いていた。


「出しとけば良いものを。生きてるのを奪うのも死んでいるのを奪うのも変わらぬのだ」


 死んだ男の荷物から密書を見つけるとアルダリックは素早く千騎を再集結させて、ウァラミールのもとへ戻った。その間、ウァラミールは示威行動を繰り返すリンゲンの守兵に対して騎射による攻撃を行ったが、弩の射程の外からでは戦果は見られなかった。


「ウァラミール。やはり、これは陽動だ。密書を持った使者が各方面に出ている」


 千騎を従えて戻ったアルダリックは男から奪った血まみれの密書をウァラミールに差し出した。密書を一読するとウァラミールは「こちらもやりますか?」、と意味ありげに言った。しかし、その表情は明るさに欠いていた。


 アルダリックは口を開かずに頷いた。


「開始する」


 ウァラミールが近くにいた騎兵に短く言う。


「打ち手! 鳴らせ!」


 騎兵が大声で叫ぶと、それに合わせて太鼓が打ち鳴らされる。重く鈍い音が戦場に広がる。音に合わせてトリエル騎兵は横隊を解くと、アルダリックとウァラミールがいる中央部に集結する。これを見たリンゲンの守兵は勝鬨かちどきをあげた。


「やつら、包囲を解くぞ。退くに違いないぞ」

「リンゲン万歳!」

「六都市同盟万歳!」


 だが、それを打ち消すような鐘の音が響く。最初、守兵はそれがトリエル軍が鳴らす撤退の鐘だと思っていた。しかし、音は前方からではなく後方から聞こえていることに気づいたとき彼らは困惑した。


「なぜ、リンゲンから?」

「戦勝の鐘か?」

「いや、これは火事の鐘だ」


 彼らが振り返ると市内から黒煙が立ち上っている。クラウスはすぐさま撤退を命じると八千の守兵とともに市内へ戻った。彼らが見たのは轟々と燃える食料庫であった。ここには市民すべてが食べても一年は持つだけの食料が保管されていた。


 しかし、それがいまや灰燼になりつつある。火の勢いは強くもはや水などでは消せそうにない。クラウスは他の建物への延焼を避けるために周囲の建物を崩すように命じたが、燃え尽きていく食料を見て目の前が暗くなる思いであった。

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