第十五話 緩やかな戦場
「ひまだのう」
トリエル軍の将軍であるアルダリック・モラントが呟いた。その言い方があまりにも牧歌的であったためウァラミール・ザッカーノは笑いをこらえた声で「武人ではありませんね。まるで農閑期の農夫みたいな言い草ですよ」、と述べた。アルダリックは苦笑した。
「わしは土いじりはせぬ。どうせいじるならこっちが良い」
言うが早いか、アルダリックはそばにあった槍をくるりと回した。穂先が風を切ってウァラミールの首筋に迫る。その動きはなめらかであり、老齢に差し掛かっている者の動きには見えなかった。ウァラミールはまゆひとつ動かさずに片手で槍を軽い素振りで振り払った。
「また、陛下に年寄りの冷水、と言われますよ」
「なにこれほど暑い日が続いておるなら冷水はむしろ心地よかろうよ」
トリエルの将軍であるアルダリックとウァラミールがリンゲンの近くに陣を張ってすでに一週間が経とうとしている。晩夏であるというにも関わらず、日差しは弱まることを知らずじりじりと大地を焦がしている。この間、二人がしたことはといえば、周辺の村々を襲い人々をリンゲンに追い込んだり、リンゲンに向かう商隊を追い散らしたり、と戦らしいことはほぼ行っていない。
こちらから攻城戦を挑まない所為もあるが、リンゲン側も野戦では分が悪い、と出陣しないこともこの剣呑とした平穏さを維持する要因になっている。馬からすれば久々にのんびりと草をはめるのだから良いかもしれないが、兵の方としては無聊というほかにない。
「では、冷やして差し上げましょうか?」
ウァラミールも自身の槍を取り上げると自信げに微笑んだ。
「ほう、挑むか? 前にやったときは三戦三勝だったから負ける気がせんな」
「それはもう半年も前でしょう。今度こそその槍貰いますよ」
「自信があるのは良いが、負けたとき入る穴が深くなっても知らぬぞ」
アルダリックの持つ槍は彼らの王であるブレダの祖父が与えた物で、穂先に『城壁よりも堅き者』と彫られている。それはアルダリックが三十年前に国境を堅守した際の働きを賞したものである。二人はこの槍を賭けて三度、手合わせを行ったがウァラミールは一度たりとも勝利できていない。
アルダリックが勝つと「まだまだひよっこだな。では、酒と女でも奢ってもらおうかな」、というのが定番となっている。
「勝ちますので穴は不要です。アルダリック殿こそ穴の準備がいるのではないですか?」
「おう。それは用意してもらわねばなるまい。今夜は久々に暖かく甘い香りのする穴に入って休めるのじゃからな」
浅黒く日焼けした顔をにやけさせてアルダリックは笑った。ウァラミールは呆れたといった表情で下士官を呼ぶと二人の馬を連れてくるように指示をだした。下士官は将軍どうしの手合わせ、という思いもよらない余興が生じたことに喜んだのか周囲の兵に「将軍たちが手合わせするぞ」と大声で触れ回った。
二人のもとに愛馬がやってきた頃には、周囲は兵たちで黒山の人だかりが出来ていた。
兵のなかには「アルダリック将軍かウァラミール将軍か張った張った!」、と賭けをはじめる者もおり、一気に陣中は活気が溢れた。
「おい、どっちに賭けた?」
騎乗したアルダリックが近くの兵に尋ねると、兵は少し驚いた顔をして「もちろん、アルダリック将軍です!」、と答えた。さらにアルダリックはその隣の兵にも同じ質問をした。その兵も「私もアルダリック将軍に賭けました」、と述べた。
「ウァラミール。お前が勝てば大穴で大儲けできそうだ。わしはお前に賭けるからわざと負けて良いか」
「そんな小金で大事な槍を失って良いのですか?」
手にした槍をまじまじと眺めるとアルダリックは「まぁ、そうだわな」、と独り言のように言った。
「さぁ、やりますか?」
「まぁ、気負わずに来い」
アルダリックの愛馬は茶毛混じりの黒馬である。三年前に愛馬であったメーネが産んだ牡馬でゴルドフと言う。それに対してウァラミールの愛馬は栗毛の牝馬でユーリと言う。初陣の頃からの愛馬であり多くの戦場を共にしてきた。
馬上で槍を構えるアルダリックには力がこもっている様子はない。余裕のあることだ、とウァラミールは思わなかった。もし、ウァラミールとの力量に大きな差があればアルダリックはもっと隙を見せただろう。だが、それはない。
「行きますよ」
ウァラミールが馬腹を蹴る。それに応じる様にアルダリックも馬腹を蹴った。両者の馬が、どっと駆け出すと周囲から歓声が上がる。ウァラミールは馬上で体勢を低くするとさらに速度を上げた。アルダリックは速度こそあげたが姿勢は変えなかった。
一直線に接近する。四馬身程まで近づいたときアルダリックが姿勢を一気に下げた。
はっとその動きに合わせてウァラミールの穂先がさがる。馬は乗り手の動きを事細かに感じるものであるそれ故にウァラミールの動きは敏感に愛馬であるユーリに伝わった。穂先が下がったことでわずかに速度が落ちたのである。
それが一瞬の隙となった。ウァラミールの感じていたアルダリックとの間合いがずれたのである。結果として、突き出しが出遅れた。アルダリックの槍はわずかに遅れたウァラミールの槍を巻き上げ、宙へと飛ばした。
「賢い馬だ。だが、それ故に乗り手の意図を過度に汲み取ろうとしすぎる。お前さんの槍先が動かなければもうちょっと競れただろうな」
跳ね飛ばした槍を拾い上げるとアルダリックはウァラミールに言い聞かせるように言った。
「なぜ、姿勢を変えたのにアルダリック殿の速度は落なかったのです?」
「それは、こいつがきかん坊だからだ。一度走り出せばの売り手のことなんぞ大して気にもかけない。そういう馬だ」
そう言ってアルダリックは黒馬の鼻先を撫でる。ゴルドフは、触られるの嫌なのか顔を左右に振った。
「賢い馬はどうしても乗り手を気にする。そういう馬の乗り手は少々鈍感くらいでいいのだ。几帳面過ぎると馬も乗り手も鈍るものだよ」
「まだまだ、人馬一体とはいかぬようですね」
うなだれるようにウァラミールが肩を落とす。六都市同盟への侵攻を初めてすでに半年以上の時間が過ぎている。その間、研鑽を怠った、という思いのないウァラミールにとってこの敗北は己の未熟さに恥じる以上に、愛馬であるユーリにまだまだ自分が頼りきっていると自覚させるものであった。
ユーリは悲しげな瞳でウァラミールを見つめていた。
「なにをへこたれとる。お前以上にお前の愛馬がへこたれている。自分が悪かったと、な。女も馬も一緒だ。優しくしてやることだ」
「そうですね。あとで慰めてやりますよ。でも、……これで四戦四敗か」
「さぁ、酒と女の件は頼んだぞ」
アルダリックはそう言ってウァラミールの腰をばん、と強く叩くと愛馬であるゴルドフを牽いて言った。周囲では賭けに勝った兵達が大きな声で盛り上がっている。負けた者たちも「次は負けない!」と息巻いたり、と騒いでいる。
「負けた負けた。ユーリ。すまないな」
そう言ってウァラミールは愛馬の横顔をそっと撫でた。ユーリは顔をすり寄せて傷心の主人に甘えた。
このようなトリエル陣内での騒ぎは、篭城するリンゲンの城壁からも見ることができた。
「奴らは一体何がしたいんだ!」
焦燥した声を上げたのはリンゲンの第一人者であるクラウス・アエティウスであった。そのそばには初老の書記官が控えている。
「攻城戦に出る様子もありません」
彼らが襲来してから一週間ほど経つが攻城兵器が運び込まれる様子はいまだにない。ただ、リンゲン周囲に二百名から五百名ほどの騎兵隊を常時展開しており、リンゲンに入り込もうとする者や出て行く者が襲われている。
「擬態ということもある。だが、六千。あんな少数で包囲戦はできない。だが、やつらはここをはなれない。なぜだ」
元々、リンゲンは三万人が住む大都市である。ほかの同盟諸都市が二万人程度の都市であることを考えれば頭一つ抜き出た存在、と言える。現在、リンゲンには一万人近い難民が流入しており四万人に近い人々が篭城している。難民の多くは女子供や老人であり、わずかな男性はわずかに数百程度であった。
「良いではありませんか。彼らは我らを攻めることはできない。無理に打って出ることをしなければ、いつか時間が我らに勝利を与えてくれましょう」
「それは確かにそうだ。しかし、市民達はそこまで不安に耐えられるのか? すでに難民と住民との間で不和が生じているそうではないか」
クラウスは城外に広がる平原を見渡していった。平原の所々にトリエル軍と思われる騎兵隊が哨戒をおこなっている。リンゲンから出さず、入れず。そう言いたげな動きである。
「ご存知でしたか」
初老の書記官は図星を突かれたようにバツの悪い顔をした。リンゲンの書記官として長い彼は、自分よりも遥かに重い重責を負っているクラウスの負担にならぬように内密にこの不和を解決したいと思っていた。
「ああ、一部の市民に言われたよ。あの無駄飯喰らいをどうにかしろと」
「つい先日までは、同じ同盟の市民として勝利を喜び、生存を分かち合うと言っていた、というのに……」
難民の多くは食糧も住む場所もない。そのため、居住場所としてリンゲンの広場や市場の一部を解放し、食料を支給している。しかし、一部の市民はそれが許せないのである。彼らの言い分は、リンゲンに蓄えられている食料は自分たちが払った税金で購入されたものである。それをどうして余所から来たものに分け与えなければならないのか。彼らは受け取るばかりでなにも生産していないではないか。、というものである。それはある一面において正しいに違いない。
だが、境遇が反対であればそれを受け入れることができるであろうか。
「彼らは別に性根が曲がっているのではない。いつ去るともしれないトリエル軍への恐怖がそう言わすのだ。もし、同盟からの援軍が来るとわかればそんな諍いは霧散するだろうが」
「いまのところ、援軍がどこかの都市から発せられた、という知らせはありません。当面は孤立無援で耐えなければなりません」
「難民への風当たりはさらに悪くなるか……」
難民のなかでも兵士となりうる男性は率先して守兵へ志願しているだが、それだけでは市民たちの感情を抑えることができるのか、クラウスにはそれが心細かった。
「同盟が生まれた最初の理念である相互扶助の精神はどこに消えたのでしょう?」
書記官のこの問いにクラウスは答えなかった。彼はただ、黙ったまま城壁の外に駐留するトリエル軍を見つめていた。
「両将軍がリンゲンを攻めているというのに陣頭に立つべき王はこんなところで座っていていいのですか?」
リア・ゲピディアは政庁で政務を続けるトリエル王ブレダ・エツェルにあえて角のある表現で述べた。六都市同盟最東端都市ピートがトリエル軍に占拠されてからすでに半年以上の時間が流れている。リアは名義的には小間使いとしてブレダに仕えているが、実際にはいまだに自宅にて軟禁されているピートの第一人者ベリグ・ゲピディアの代理人としての扱いがなされている。
「俺が出るまでもない。お前たちからすれば反乱の機会が失われて残念だろうがな」
ブレダは書類に署名や指示を書き込みながら言った。このとき彼はリアの顔を見なかったが、彼女が苦虫を潰したような顔をしていることだけは容易に想像できた。
「リンゲンは同盟最大の都市よ。リンゲンより規模の小さいピートでさえ、あなたは一万の騎兵で奇襲しなければならなかったのに六千の兵だけで勝てるなんて本気で考えているの?」
「お前が言う勝ちとは何だ。リンゲンの兵を無力化することか。第一人者を殺すことか。それともすべての住民を殺し尽くすことか」
持ってたペンを墨壷に置くとブレダは初めてリアの顔を見た。気の強そうな瞳を左右に揺らす彼女には戦争での勝利について明確な像がなかった。一体何を持って戦争の勝利とするか。終わりは誰が決めるのか。それがリアの頭にはぽっかりと抜けていた。
「そ、それは……」
「ピートは是が非でも無傷に手に入れたかった。だから俺が指揮を取った。だが、リンゲンは必ずしも手に入れる必要はない。極論を言えばすべての住民を殺して、更地にしても構わない」
「まさか、本当に皆殺しにする気なの!?」
眼を大きく見開くとリアは驚いた顔でブレダを見た。ブレダは「それが必要なら」と呟いた。
「だが、今回は俺たちが手を下す必要はない。リンゲンは自分で自分を殺す。なによりも六千しかいない俺の軍が三万とも四万ともしれない住民を皆殺しにするには一人で五人は殺さなければならない。そんな面倒なことする必要はない」
「……リンゲンが自分で? あんたたち蛮族ならやりかねないと思っただけよ!」
叫んでみたが、どう考えてもそれは強がりであった。かつて、ブレダはいっていた飢える国民を生かすために略奪を行うのだと、ならば彼にとっての勝利は国民が飢えずに次の収穫を迎えることである。すでに冬は終わり、夏も終わろうとしている。
「なんでも蛮族と言って納得しようとするのは、思考の硬直だと……」
「分かった!」
リアは小言を述べるブレダを制するように声をあげた。そして、少し得意げな顔をするとブレダに言った。
「あんたの勝利は次の収穫が得られる晩秋まで六都市同盟を釘付けにすることよ。だからリンゲンは落ちるにこしたことはない。でも最悪、落なくてもいい。そうでしょ?」
「そうだ。六都市同盟の盟主を気取るリンゲンがいなくなれば、同盟は大規模な反攻には出られない。南北に別れた同盟の諸都市だけではたかが知れている」
「反対に言えば、あんたの敗北は同盟が晩秋までに体勢を整えて、作物の収穫を奪えないこと」
澄ました表情でリアは自分の推測を述べると、ブレダは珍しく彼女が的を射た思考をしたことに驚きを感じた。
「驚いた。お前にも多少ましな頭があったのだな。てっきり怒鳴るか殴りかかるくらいしか能がないと思っていた」
心底から驚いたという表情でブレダは彼女を褒めた。
「あんた、私のことなんだと思ってるのよ!」
「小間使い。それ以外になにがある?」
「……何もないわよ!」
それ以外になにか求める答えがあっただろうか。リアはその疑問を深く考えなかった。
「なら、お前にとっての勝利はなんだ?」
「はぁ、そんなこと決まってるじゃない! あんたら無駄飯ぐらいの蛮族がここから出ていくことよ!」
「そこまで分かっているならお前がするべきことは何だ?」
ブレダはさらにリアに問うた。その表情はいつものしかめっ面であったがやや柔らかいものであった。
「すべきこと?」
何をするべきなのか。リアは考える。
自分が言う勝利をつかむためには何を行うべきなのか。そう考えればリアは、ブレダを憎むだけでどうすれば、彼らが去るかなぞ考えたことがなかった。ピートから彼らが去らせる。それがリアにとっての勝利になるのならば何をするべきなのか。
「なんだ、すぐには思いつかないか。やっぱり馬鹿は馬鹿か」
「馬鹿じゃない! もう少し考えればぱっと思いつくわよ」
「そうか。それは良かった。お前と話をしていると口が乾く。何か飲み物を用意してくれ」
ブレダはまたいつもの眉間にしわを寄せた表情に戻ると、ぶっきらぼうにリアに命じた。
「……いつもの毒入りでよろしかったですね」
「ああ、薄めで頼む」
「暑い日が続いておりますので濃く淹れさせていただきます」
リアが不貞腐れた顔で執務室から出て行くとブレダは、安堵とも憂鬱とも言えないため息をついた。




