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第九話 跳梁する者たち

 トリエル王国の略奪は南部と北部とでおこなわれた。


 そのうち南部をアルダリック・モラントは荒らしまわっていた。彼の旗下には騎兵三千が並び、彼らの表情は明るい。それは会戦以後、大きな抵抗もなくすべてが順調であるためである。

 ひとつ危惧があるとすれば、アミンで新しく選出された第一人者のことである。この新しい第一人者の名はロイ・ボルンという。彼についてトリエル軍が持っている情報は一つだけと言って良い。彼が悲劇の英雄であるレイモンド・ボルンの子孫に当たるということだけである。


 ――英雄の子孫は、英雄となりえるのか。


 降伏を示さなかった村々を焼き討ちにし、物資を奪い尽くしたアルダリックはそんなことを考えていた。偵騎からは近隣に敵兵がいないと知らせが入っているため、配下の兵は荒廃した村の中で女を犯す者、金品を探すのに夢中になっている者、ひたすらに食欲を満たす者、と好き勝手にしている。


 トリエル軍の軍規はひどく簡素である。トリエル王ブレダ・エツェルが言明したことは三つだけである。その最たるものは、降伏した者への保護である。それ以外のことに関しては無関心を貫いている。つまり、降伏しない者には何をしてもいい、ということである。本国から離れて六都市同盟に入ってからすでに五ヶ月が経過しており、兵は口にこそ出さないがロルム人の住むこの地に慣れずにいる。その言葉にならぬ不満に対するはけ口が、略奪や強姦となっている。


 この野盗のような軍がアミンの支配地域を跋扈しているというのに英雄の子孫が動く様子は見えない。焼き打ちにあい逃げ出す人々に対してアルダリックの兵たちは口々に叫んだ。


「次はアミンだ! 次に俺達に会いたければアミンへ行け!」

「お前たちの新しい第一人者は出てきさえしない。とんだ臆病者だ!」

「英雄の名が聞いて呆れる。アミンの城壁は超えたようなものだ!」


 無論、これはリンゲン攻略のために作為的に流している流言である。村を追われ難民となったこられの人々にはこれを各地で吹聴してもらわなければならない。


「トリエル軍の次の狙いはアミンだ。アミンにいては危ない。リンゲンへ逃げ込もう」


 この噂が広がれば、アミンの第一人者は嫌でもアミンの防衛を厚くしなければならない。そして、リンゲンが救援を求めたところで、兵を割く余力はなくなる。これと同じことを北部で略奪を行っているウァラミール・ザッカーノもおこなっている。彼とアルダリックで異なるのは次の標的が「ルギィ」とされていることだけだ。


 南のアミンと北のルギィが動きが取れなくなれば、リンゲンに応援を送れる都市は六都市同盟のなかでも西端にあるメスとオルレインだけになる。この二つの都市は第一次トリア平原会戦においてもっとも被害が少なかった。また、アルダリックの見当ではもっとも厄介な戦力でもあった。


 ――メスの重装騎兵には我らの弓は弾かれる。また、オルレインの重装歩兵にしても矢は通用しなかった。まったく突破力の化物と動く城壁だ。正面から戦いたくはない。


 これは先の会戦で、彼らと対峙したトリエル軍の総意と言って良い。この総意はブレダに知らされているが、今のところ彼から明確な回答は出されていない。会戦からすでにひと月が経ち、トリア平原は日に日に緑を深くしている。春の兆しは山河から消え、夏が近づいてきている。


「忍耐」


 という言葉が、アルダリックの脳裏を浮沈している。


 昨年の凶作により飢えた民を生かすために出征したトリエル軍であったが、それは多くの忍耐を課すものになっている。兵たちは慣れぬ地でひたすらに略奪行為に従事し、得た食料の多くは本国へ送られていく。いくら奪ったのが彼らであったとしても食料だけは自由にはならないのである。兵の中には、どうして自分たちが貧しい思いをしてまでロルム人に食料を与えなければならないのか、という薄暗い思いが燻っている。


 ゆえにアルダリックは掠奪中に兵達が奪った食料を貪ることを咎めることはしない。いまだけ、食を満たすことで彼らの忍耐に応えられるのならば良いと思うのである。まだ、この出征の終わりは見えていない。本国では宰相のロレンス・クルスと副王のオルタル・エツェルが農地改革を行っているのだが、それは必ずしも成功するとは決まっていない。昨年のように気候に恵まれなければさらに飢饉は深刻なものとなる。そうなったとき兵たちはさらなる略奪と忍耐を要求されることになるのである。


 先の見えない闇の中で唯一見える光は、彼らの王ブレダである。


 彼だけが飢饉にあえぐ国から飛び出すという勇気を示した。ロルム人が餓死すればその上にいるトリエル人も存亡の危機に陥る。そんな簡単な理屈に気がついた彼の行動が今後、蛮勇と言われるのか英断と言われるのかは未だに決まっていない。


 アルダリックはブレダを名君になって欲しい、と考えている。だが、諸国はブレダを危険な略奪者として見ているに違いない。飢餓を救うために他国から奪う。それは決して美しいものではない。悪行、というべきものである。ゆえにブレダは悪名を持って残るであろう。


 ――それならば悪名と等しいだけの勇名を残すことはできないか。


 ブレダの祖父から仕えるアルダリックは、自分が最後に仕えるであろう王の器量が他の王よりも優れていると見た。これをブレダが聞けば「欲目は目測を狂わす」と言って一笑したに違いないが、アルダリックは真面目にそう考えていた。


「将軍! 南方から商隊がこちらに向かっています」


 偵察に出ていた騎兵の一人が、慌てた様子でアルダリックのもとに駆け込んできた。そのため、彼の思索はここで打ち切られた。


「商隊か。捕らえて荷だけを奪え。商人という連中は御し難いな。戦地でさえも金になると思えば進むのだから」

「……いえ、それが」


 騎兵は、何か言いにくそうに下を見つめる。何かあったのか、とアルダリックは騎兵をまじまじと眺めると騎兵の袖や鎧に赤い小さい染みが見て取れた。色から見てまだ真新しい血である。


「すでに殺したのか?」


 偵察の騎兵は五人一組である。小さい商隊であれば内緒の小遣い稼ぎに蹴散らすことができる。実際、彼らはそうしたのだろう。ならば、なぜこの騎兵は報告に来たのか。報告しなければ得た金銭を懐にしまうことができたはずなのである。


「……いえ、られたのはこちらなのです。そのうえで彼らはこれを示しました」


 騎兵が言うには、彼らは偵察中に商隊を見つけてこれを襲った。だが、結果は悲惨なものであった。商隊には妙に手強い護衛がいたのである。一人はアルダリックと変わらぬ老齢で大盾と槍を構え、騎兵の矢を大盾でさばいた。騎兵たちが思わぬ抵抗に驚いているともう一人の護衛が突撃してきた。男は見慣れぬ曲刀を両手に持ちながらも馬を巧みに操ると、二人の騎兵を一気に片付けた。残った三人の騎兵は、慌てて曲刀の男に立ち向かったが、一人は槍は柄から切り落とされ、もう一人は馬を狙われ落馬した。


 ひとり残った騎兵に男は、

「我らはベルジカ王国オルセオロ商会に属するモロシーニ商会である。トリエル王ブレダ様からはオルセオロ商会に格段の配慮を賜り、いかなる場合でも交通と私財の安全を保証されている。道を通されたい」

 と、静かにだが重い声で述べた。


「オルセオロか……」


 オルセオロ商会は北のベルジカ王国にある大商会である。そして、商会の主はトリエル王国にとって因縁浅からぬルキウス・オルセオロ候爵である。三年前におこなわれた第三次アウグスタ攻防戦で、トリエル軍は、このルキウスによって大敗を喫して当時まだ王太子であったブレダが捕虜となった。


 このとき、ブレダを開放するための身代金は少なくとも金貨で六万枚であろうと言われていたが、ルキウスはトリエル王国に金貨五十枚という異常に安い身代金を要求し群臣を困惑させた。


「王太子の身代金が金貨五十枚など舐められたものだ!」

「いつでも我らを捕らえられるという自信があるのか」

「払えば、諸国から我が国は侮られます。応じないという手もあります」


 要求に対して憤慨する群臣に対して、ルキウスは使者を通じて「金貨十万枚にしても変えることのできない身代金をブレダ殿よりいただいている。ゆえにトリエル王国から頂くのは五十枚で結構」、と述べた。この釈然としない回答に群臣は納得したわけではなかったが、とりあえず金貨五十枚を支払ってブレダを取り返した。


 ブレダの帰国後、多くの者が「金貨十万枚に変えることができぬ身代金」とは何か、と訪ねたがブレダは苦笑いをするだけで一切答えなかった。それを知るのは先王ルアと王弟オルタルであるが、この二人もそれに関しては一切漏らすことはなかった。


 ただ、一つ王命として「国内におけるオルセオロ商会の通商を認め、商会とその属する商会、商人に交通の自由と私財の安全を保証する。これに背き彼らを害した者にはそれに値する金銭を支払うものとする」、という布告が発せられた。これにより、ルキウスの求めた身代金が、この通商条約であったと人々は理解したのである。


「どうなさいますか?」


 怯えた口調で騎兵がアルダリックに尋ねる。


「どうもなにもない。オルセオロ商会に属す者だというなら通すしかない。だが、間諜の類かもしれぬ。その者らをここへ呼べ」


 そう述べたアルダリックの脳裏には、第一次トリア平原会戦直後に起こった事件が浮かび上がっていた。会戦のあと、トリエル軍は近隣の町村に食料を拠出きょしゅつするように兵を放った。

 

 このときある村が、これを拒否し戦闘ととなった。

 村は一日も持たずに陥落し、兵たちは略奪を欲しいままにした。このとき、運が悪いことにオルセオロ商会に属する商会の一団が村に滞在していた。彼らはトリエル軍とことを構える気はなかった。だが、村が抵抗を示したために彼らは巻き込まれ命を失った。


 のちに事件を知ったブレダは村を襲った兵を処分したうえで、商会の持ち物や金銭をピートを通じて遺族に返した。だが、それはトリエル軍にも六都市同盟にとってもあとが悪いものであった。


 ――乱戦となれば、人を区別するゆとりはない。だが、陛下はオルセオロとの約定を決して破ろうとはなさらないだろう。


 そんなことを考えていると、荷馬車を三台牽いた一団が現れた。一団の先頭に曲刀を腰に下げた男と大盾を担いだ男がいる。この男が騎兵の言った曲刀使いと大盾の男に違いない。曲刀はトリエル王国でも六都市同盟でも見かけない武器である。東方の国ではこのような武器を使う国があるというが、アルダリックはいまだにそのような兵と打ち合ったことはない。男は腰に曲刀をさしたまま馬から降りると、アルダリックの前に膝をついた。


「このたびは、無用な争いを引き起こしましたこと陳謝いたします」


 そう言ったのは曲刀の男ではなく、荷馬車から現れた少女であった。歳の頃は十四、五といったところであろう。質のいい生地の服を着ているあたり、この商隊の主の娘といったところであろう。アルダリックはこのませた口調の少女に、出来るだけ優しい声で尋ねた。


「わしとしても無用な争いは望むところではない。さて、この商隊の主は何処かな?」


 商隊を見渡すが護衛とみられる大盾の男と曲刀の男以外は下男げなんのような者ばかりで主面あるじづらしている者はいない。もしかすると先ほどの戦闘の咎を受けると思い逃亡したのかもしれない。


「それは私に存じます。モロシーニ商会会長のクレア・モロシーニでございます」


 少女は頭をぺこんとさげた。アルダリックは目を白黒させてクレアを見た。何度見てもクレアは会長と言えるような年頃には見えない。唯一、女を匂わせるのはその大きな瞳だけであり、ほかは少女という他ない。


「失礼ですが、お年を尋ねてもよろしいか?」

「二十になります」


 クレアは何度もされた質問だ、と言わん様子で答えると「見えませぬか?」と囁いた。これには歴戦の老将もたじろぐところがあったらしく「うむ」と小さく頷くばかりであった。


「そこにいる二人は、ノーマン・トレヴィザンとヤコポ・メソティキオンと申します。私の商隊を護衛するためにモルディナの傭兵団『大蛇の牙』から派遣されております。そして、そこに控えますが私の代わりに商い全般を司るレインド・ロンドです」


 クレアは、一団の中程に下男に混ざっていた男を指差すと微笑んだ。アルダリックが下男だと思っていた男は頼りなげな茶色の目で彼を見つめると「レインド・ロイドです。以後お見知りおきを」と述べた。眠たげな目から受ける印象と違い強い声であった。


 ――なるほど、主に代わり商いを引き受ける者としては良い声だ。しかし、頼りなげな身体じゃな。


 レインドの痩せ過ぎとも言える手足を見て、アルダリックはそう思った。もし、彼が商人でなく兵士の道を歩んでいたら、とても今のような大成は見られなかったに違いない。人の上に立つものとして声から受ける強さ、弱さは大きな資質と言える。だが、卓上で戦う商人なら体がやわでも通じるであろうが、兵士としてはそれは致命的な欠陥である。


 かつて六都市同盟にはレイモンド・ボルン、という英雄がいた。彼は鋭き目は鷹の如く、声は雷鳴の如く轟き戦場に響いた。そして身体は常人よりも頭一つ大きく、戦場でもその姿はよく見えたという。そんな英雄と呼ばれる彼は最初から軍人というわけではなかった。アミンがトリエル人に征服され、アミンを守っていた軍人が誰一人いなくなるまで彼はただの靴職人であった。それが独立を求めて抵抗運動に参加し、最後には六都市同盟を救った英雄と呼ばれるまでになった。


 アルダリックはレイモンドが英雄になれた理由の多くは彼の資質によるものだと考えている。軍事に疎い一介の靴職人が都市を支える将軍になった。それを支えたのは彼の恵まれた体躯と声や目であったに違いない。だがそれらを全て持つ者は多くない。目の前にいるモランドも部分的には良い資質を持っているが、十全とはとても言えない。


「商いの道中、悪いがどこへ向かうか教えていただきたい」

「私どもはここからピートを抜けてベルジカ王国のアウグスタを超え、北のベネトへ塩を買い付けに行くところです。ゆえに荷駄にはまだ荷物がありません。ご確認を」


 モランドははっきりとした声で言うと、荷馬車の一台の暗幕をめくってみせた。確かに荷駄には積荷はない。荷馬車も変わったところはなく荷台が二重になっている、ということもなかった。


「なるほど、怪しいところはない」

「海に恵まれぬのはトリエル王国も六都市同盟も同じです。食事に味を与える塩は必要不可欠なもの。私どものような塩商人が戦乱を恐れて商いをやめれば、多くの人が塩不足になりましょう。ゆえに私どもは行くのです」


 確かに塩は生活に欠くことが出来ぬものである。アルダリックはレインドが持っている証紙にオルセオロ商会の文様が押されていることを確認すると商隊がピートに向かうことを許した。


「ありがとうございます。アルダリック様」

「……わしは名乗ったかな?」


 首をかしげて尋ねるアルダリックにレインドは「トリエル軍のアルダリック将軍といえば有名でございますので」、と屈託のない声で言った。


 アルダリックはこの商隊に三名の騎兵を道案内につけた。それは好意というわけではなく、ある種の警戒であった。だが、この一団が思いもよらぬ人々だとまでは彼は気づかなかった。アルダリックの検閲をやり過ごした商隊の荷馬車の上でクレアが言った。


「ロイ様には商人としての素質もありそうですわ」

「それはどうも。私はただの公僕として地味な人生を歩みたいのだけどな」


 疲れたとばかりにレインド――アミンの第一人者となったロイ・ボルンはため息を吐きだした。それを聞いた大盾の男が笑う。


「それならわしも傭兵として通じるかな。オルレインの第一人者をクビになったらそうしようか」

「デキムス殿も乗らないでください。私は本当にそう思っているのです。第一人者など荷が重い」

「なぁにすぐに体がなれるよ。お前さんはなんといっても英雄レイモンドの子孫じゃからな」


 デキムスはそう言ってロイの背中をどんどんと叩いた。それにひ弱なロイの体は大きく揺れた。荷馬車は彼の揺れに合わせるようにトリエル軍に占領されたピートへの道を進んでいった。


 商隊を見送ったアルダリックはあることを思い出した。略奪に巻き込まれた商会の名はモロシーニ、と言っていた。さきほど見送った商会もモロシーニである。


 ――あの娘は被害にあった商会の血縁者であろう。よくぞ、わしらに敵意を向けずにおられるものだ。商人特有の合理性か、女特有の表裏性か。わからぬものだ。


 どちらにしても、彼女の人生はアルダリックらトリエル軍の登場によって大きく変わったことは間違いなかった。

 

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