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プロローグ

 低い地鳴りが聞こえる。これが押し寄せつつある兵馬の足音だということは判っていてもトリエル王国の王太子ブレダ・エツェルは天を仰がずにはいられなかった。空は快晴であり、土石流を起こすような大雨は降りそうにない。


 いよいよもって逆臣殿のご来駕か、と思うと自分の横で地平線から見えるおびただしい敵軍をじっと見つめる若い騎士が不憫になった。敵の数は八千を超えるに違いない。それに対してこちらは二人だけである。


「俺に付き合う必要はないぞ。よくぞ、敗戦の報をよくここまで知らせてくれた、と礼を言いたいくらいなのだ。捕虜になるのまで付き合ってもらうのは気が引ける」

「私も捕虜になるのは遠慮したいのですが、昨夜から駆けっぱなしで休んでおりません。ここでもうひと働きさせれば、コイツはもう二度と走れなくなるでしょう。それは不憫ですので」


 そういうと若い騎士は、愛馬の頭を優しく撫でた。栗色の髪が美しい。良い馬に違いない。ブレダたちトリエル人にとって馬は太古の昔から友であり家族である。かつて蛮族と呼ばれた彼らトリエル人は、放浪の民族であった。その彼らが国を構えたのは今から二百年ほど前のことである。はるか東方で生活していた彼らは、食料難から当時大帝国を築いていたロルムス帝国へ侵攻、食料や金品を奪いながら西進し、ついには帝都を滅ぼした。そして、帝国から属州ラエティアと呼ばれていた地域に自らの王国を建国した。それがトリエル王国である。


 トリエル王国の主力は昔も今も騎兵である。風のように押し寄せ、全てを奪い尽くす。快速の戦闘をこそトリエル人は尊ぶのである。ゆえに、馬は自身の脚であり、馬を自在に操れぬものは一人前として認められることはない。


「それにしても、太子も無茶なことをなさいます」

「そうか? 俺が捕虜になればベルジカの連中は無理に追撃する必要はなくなる。なんせ、俺の首は価千金あたいせんきんではすまぬだろうからな」


 ブレダはそう言って首を手刀でトントンと叩いた。この首の軽重は、未来にあるといって良い。次代のトリエル王になるブレダの首は単純に人質としての他に、政治的な価値を有しているからである。すでに父であるトリエル王ルアが率いていた本隊はベルジカのオルセオロ侯爵ルキウスとネウストリア大公ニコロに追われて本国へ向かって撤退を始めている。おかげでルアから離れてベルジカ北東部に兵を進めていたブレダの兵五千は完全に孤立した。


 ルアをトリエル王国領内に追い返したルキウスは、先行してベルジカ王国北東部に展開していたブレダを包囲するためにこちらに向かっている。ブレダがそれを知ったのは隣にいる若い騎士が、撤退していくルアの本隊から単騎で伝令に来てくれたおかげである。


「五千の兵と王太子一人の首が等価だと思えば、随分と身分と言うものは価値があるものですね」

「等価なものか。兵の方がよほど価値がある。俺には弟がいる。俺が死んでも王太子の役目はあいつが果たしてくれる。だが、兵の代わりはいない。なにより、俺がどう頑張っても五千人と同じ働きはできない。それだけでも兵の方が高価だと思わないか」


 トリエルの騎兵がいくら剽悍ひょうかんであってもこれは負け戦である。死中に活を見出すために戦ったとしても半数以上は帰国できぬまま終わるだろう。そう考えたブレダは、五千の騎兵を東に撤退させることでベルジカ王国領を抜け、東のランス山脈を大きく迂回する形で兵達をトリエル王国に帰すことを決めた。


 しかし、それにはベルジカ領内を抜けるまでにルキウス、ニコロと言ったベルジカ軍に追いつかれぬことが必須となる。それゆえにブレダは、一人でこの地に留まる事にした。自身が囮となることで敵の進撃速度を衰えさせるのである。


 苦笑いを残したままブレダが首を左右に振る。そうしているあいだにも地鳴りは音をさらに大きくしている。地平線の端の方で麦粒のようだった黒い影がだんだんと形を明らかにさせていく。


「おお、来ましたよ。太子のおっしゃるとおり北と南の両方からです。兵を早めに逃がしたのは正解でしたね」

「負け戦の前に気づかなければ意味はない。だが、俺達は運がいい。どうやらベルジカ王国が誇る二大英雄を見ることができるのだからな。右向きの雲雀の紋章は、王殺しの逆臣オルセオロ侯爵ルキウスのものだ。そして、白百合に剣の紋章は、南方の六都市同盟を退けたというベルジカの剣ネウストリア大公ニコロだ。これでまだ二人とも二十代前半だというのだからベルジカは恐ろしい」


 ベルジカ王国は、トリエル王国の北西にある国家である。山々に囲まれたトリエル王国が広い穀倉地を手に入れるためには、このベルジカ王国を相手にしなければならない。その敵の中でもっとも難敵とされる二人がこちらに向かっている。


 黒い兵馬の影は次第にその輪郭を整えていき、南北から現れた騎兵の数が明確になる。おおよそ、一万の兵が南北からブレダ達二人を取り囲みつつある。敵兵はじわりじわりとブレダ達を包囲すると武器を構えたまま、静止した。


「残兵を蹴散らすつもりであったが、去ったあとか。貴様らはなぜ、ここに残っている?」


 兵の間を抜けて白馬に乗って現れたのは、麦の穂よりもさらに鮮やかな金髪をした青年だった。その瞳には灰色の炎が怪しげに光っている。鋭い眼光がブレダ達を突き刺す、それは彼が容易あらざる日々を過ごしてきたことの証明であるように思われた。


「五千の兵よりも俺の方が良き敵になるだろうと思って待っていた。トリエル王国王太子ブレダ・エツェルである。貴公はネウストリア大公ニコロ殿とお見受けするが相違ないか?」

「間違いない。だが、本当に貴様が王太子なのか? 横のお前は?」


 三白眼でニコロはブレダと若い騎士を睨みつける。若い騎士はブレダを庇うように前に進み出るとニコロに名乗りを上げた。


「近衛騎兵隊隊長のウァラミール・ザッカーノである」


 ウァラミールは近衛騎兵であるが隊長ではない。だが、ニコロに相対するに際して彼は見栄を張ったのである。それがわかるブレダは「相違ない。この者は我が騎士隊長ウァラミール・ザッカーノである」と助け舟を出した。


「このように若い騎士隊長がいるとは思えんが。まぁよい。真贋を決めるのはルキウス殿の仕事だ」

「多分、本物ですよ。別に偽物でも本人がそう名乗っていれば使い道はいくらでもあります」


 そう言って、馬に乗るのも精一杯というような騎兵がニコロの隣に駒を付ける。とてもではないが戦場を疾駆できる強さを持っているとは思えない。彼は騎馬から降りると、深い溜息と一緒に兜を外した。焦げ茶色の髪が広がり、人好きする顔がブレダに向けられる。戦場慣れしていないところを見ると、荷駄を管理する文官だろうと、ブレダはこの場違いな男に同情した。


「貴方の主に言ってくれ。俺は正真正銘の王太子ブレダだ。手早く捕虜にして身代金を取るといい」

「だそうです。ニコロ様。はやく捕らえましょう。今回の戦費くらいは賄えるくらいの身代金は取れるでしょうから」


 場違いな文官は恭しくニコロに指示を仰いだ。それを見たニコロは渋い顔で「ルキウス殿、止めてください」、と言った。ブレダは目を大きくしてルキウスと呼ばれた男を見た。


 ルキウスと呼ばれた男は少し困ったような顔で笑うと「初めてお目にかかる。僕がオルセオロ候爵ルキウスです。王殺しとか逆臣なぞ世間では言われておりますが、そんな大層な人間ではございません」と人を食ったような挨拶をした。


 その大層でない人間の指揮する軍にトリエル王国は敗れているのである。


「こちらこそ、失礼した。もっと蛇のような陰湿な人を想像していた」

「よく言われます。そこにいるニコロも最初に会ったときはそんな顔をしていた」


 ネウストリア大公ニコロが大公家を継ぐにあたって、ルキウスは彼に少なからず援助を行ったと言うことはブレダも聞いている。しかし、大蛇の如き狡猾な人物と言われるルキウスがこのように明け透けな言動をするとは思っていなかった。王殺しという悪行をおこなった人物ならば陰鬱で陰気な人物に違いないと考えていたブレダには、何度見ても想像のルキウスと目の前のルキウスが同一人物であるとは思えなかった。


 しかし、現に目の前にいるルキウスからは負の要素を感じなかった。どちらかといえば、王国の剣と華やかな異名を持つニコロの方がよほど影があるのである。


「ルキウス殿! 余計なことは言わずに事を終わらせましょう。それに貴方も早くアウグスタに帰らないと奥方に叱られるのではありませんか?」


 ニコロは苛立ちを隠さずに言った。


「そうだな。では、王太子には申し訳ないが、しばし籠の鳥になっていただきましょう」


 ルキウスが手を上げると数人の兵士がブレダを取り囲む。ブレダは腰につけていた剣を外すと彼らに手渡した。ブレダに付き従っているウァラミールも渋々ながら剣を外した。


「ルキウス殿。鳥は大空に羽ばたいてこそ美しいものです。早めに籠から出してもらえると助かります」

「はるか東方では助けた鳥は恩返しに来るそうです。この鳥は助ければ恩を返してくれますか?」

「鳥の恩返しを期待するほど、窮されているようにはお見受けできませんが、もし身を持ち崩されれば鳥は止まり木を用意するでしょう」

「それはありがたい。だが、この鳥は空をかけるよりも海をかける方を好む。山には向かいません。では、太子にはしばらく窮屈な思いをしていただきます」


 となぞかけのようなことを言ってルキウスは微笑んだ。こうして、ブレダは捕虜となった。それはブレダが略奪王と呼ばれる三年前の出来事であった。

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