エピローグ2 その後の世界
かつて、黒い月が、二つの世界の天上に現れた。
邪悪な神に支配されていたその黒い月を滅ぼしたのは、地球から異世界マルクェクトへと転生していた人間だった。
最終的には神となったその人間の名は、二つの世界に広く知れ渡ることになった。
エドガー・キュレベル。
あるいは、加木智紀。
地球で通り魔を止めたのと引き換えに、警官に誤射されて死んだ加木智紀は、異世界の女神に見初められてマルクェクトに転生した。
エドガー・キュレベルへと生まれ変わった男は、疲れることも眠ることもないスキルを手に、悪神の使徒と死闘を繰り広げた。
その前に立ちはだかったのは、同じく地球から転生していた殺人鬼・杵崎亨。
エドガーは仲間たちと力を合わせ、杵崎亨を討ち滅ぼす。
一時は完全に滅んだと思われた杵崎だったが、彼は自らのコピーを残していた。
十年の時を経て擬似的な「復活」を果たした杵崎は、二つの世界を滅亡の危機へと追い込んだ。
エドガーと仲間たちは、魂が崩壊する危険を承知で「黒い月」に乗り込み、苦闘の果てにセカンダリを打ち砕く。
マルクェクトでは吟遊詩人が世界中の酒場で歌って語り。
地球ではインターネットやテレビで度重なる特集が組まれ、多くの人がその内容に共感し、SNSで数え知れないほどシェアをした。
マルクェクトでは、エドガーとその仲間たちが竜蛇舌大陸に残された悪神の残党を片っ端から捕らえていった。
エルフエレメンタリストたちは、捕らえた上で、彼らに感染していた杵崎の情報を取り除いた。
竜蛇舌大陸の西側は、やがて西ミドガルド共和国という形で再編される。
これによって、マルクェクトの陸地の主要な部分は、南ミドガルド連邦、中央高原帝国、西ミドガルド共和国の三国によって支配されることになった。
三国の間には、地球からの技術供与と、ドワーフのジージャラック姫が提供する高品質な鋼によって、鉄道網が巡らされ、徐々に国家間の垣根が消え失せつつある。
もともとマルクェクトには共通語が存在する。
三国の統一は、言語が別である地球のユーロ圏の統一より、むしろ楽なのかもしれなかった。
二つの世界を見守る新しき神エドガー・キュレベルは、急激すぎる技術革新が起こらないよう注意しつつ、徐々に互いの世界の人やモノや技術の相互交流を認めていく。
時には問題が生じつつも、平和に発展していく二つの世界を眺めながら、人間の英雄だった若き神は何を思っているのだろうか――
「退屈だ……」
俺は、マルクェクト側のワールドポート――モノカンヌスの新市街の外側、新新市街に作られた、異世界渡航用エアポートにある俺用の執務室で、大きなため息をついていた。
「どっちの世界も順調で、トラブルなんて起こらない。警察と消防が暇なのはいいことだって言うけど、神が暇なのもいいことだな」
「なんか、新鮮だよね、エドガー君が退屈だって言うのは」
部屋のソファに座っていたエレミアがそう言った。
「【不易不労】がなくなったからな。代わりに神になったけど、神は普通の意味では疲れないけど退屈はする」
そういえば女神様も、退屈しのぎに地球のネットを見たりしていたっけ。
娯楽の欠如は、神にとっては深刻な問題だ。
「その……する?」
エレミアが、顔を伏せ、上目遣いで誘ってくる。
何をするのかって?
言わせんなよ、恥ずかしい。
若い新婚夫婦が密室ですることなんてひとつだけだ。
「いいね」
俺は座っているエレミアに、背後から腕を回す。
エレミアの顔をこちらに向けさせ、顔を近づける。
そこで、執務室のドアが開いた。
「加木さん、浮遊大陸の少数民族の件なんですけど……って、昼間から何してるんですか!?」
入ってきた美凪さんが顔を赤くしてそう言った。
俺はエレミアに言う。
「……おまえ、気づいてたろ」
「てへっ」
「てへっ、じゃない。なんでおまえはこうも人に見せつけたがるんだよ」
「だってぇ。不安なんだもん。エドガー君はいまや神様だし、美凪さんはまだ諦めてないような気がするし」
「そ、そんなことは……」
美凪さんが困った顔をする。
「馬鹿。美凪さんは真剣に好きだって言ってくれたんだ。その気持ちをそういうふうに扱う気なら、俺にも考えがあるぞ」
俺はエレミアに真剣に言う。
「考えって?」
「一週間なしだ」
「うぐっ」
何がなしとは言わなかったが、エレミアには一発で伝わった。
ところが、
「何がなしなんですか?」
美凪さんが空気を読めずに聞いてきた。
「ええっと、あれだ、夫婦の営み的なサムシングだよ」
「ぜ、全然婉曲になってないじゃないですか! セクハラですか!」
美凪さんが真っ赤な顔でそう怒る。
「す、すまん。そういや、レジェンダリー・ヒーローズの大会がもうすぐだよな」
「え、はい。魔法仮想現実を利用して、初めて異世界で同時開催します。通信速度が光を超えられないせいでラグが発生していた問題は、アルフェシアさんが解決してくれました」
「マジで? 解決の糸口すらないって話だったのに」
「なんでも、メルヴィさんのゲートを応用するんだそうです。妖精を両方の世界に配置して、ゲートで通信を行うことで、光速以上での情報のやりとりが可能になるんだとか」
「あいかわらずすごいことを考えるな……」
しかも、考えるだけじゃなく実現してしまう。
セイメイ&クロウリーのレイモンドとも最近は仲がいいらしい。
レイモンドはアルフェシアさんに間違いなく惚れていると思うが、アルフェシアさんはデヴィッド兄さんを袖にした豪の者なので、可能性はなきに等しいだろう。
「美凪さんは、やっぱりイコールマッチ?」
MVR格闘ゲーム「レジェンダリー・ヒーローズ」には二つのモードが存在する。
ひとつはトゥルーマッチ。プレイヤー本人の実力をVR空間上で再現して戦うモードだ。これは、冒険者や魔法使いの人口が多いマルクェクト人に有利なレギュレーション。
もうひとつがイコールマッチ。これは、プレイヤー本人の実力を、対戦相手と釣り合うように調整し、対等な条件で戦うモードだ。ゲーム文化の浸透した地球人が有利と言われている。
元格ゲー世界チャンプである美凪さんはイコールマッチを中心にやっていて、現在両世界のプレイヤーの頂点に立っている。
俺もイコールマッチはやっているが、両世界ランキングで二十位台がせいぜいで、とても美凪さんに敵う気はしない。
だが、トゥルーマッチの方では、俺は「黒い月突入時点での最強英雄」としてのステータスを再現して戦えるので、これまで一度として負けたことがない。
トゥルーマッチ二位はエレミア、三位はステフ、四位はジュリア母さん、五位はアスラ、美凪さんはこっちでは十位となっている。だが、アルフレッド父さんが十三位なので、美凪さんは既にアルフレッド父さんを超えるくらいの実力がある。選択予見の魔眼と魔剣〈穿嵐〉があることで、実力以上の相手に勝つこともしばしばだ。
なにより、戦い方に華があるので、どちらのマッチでも、美凪さんは人気のプレイヤーである。
……なお、俺はあまりに強すぎるせいで応援してくれる人がほとんどおらず、魔王と呼ばれ、悪役プロレスラーのような扱いを受けていた。
「いえ、今回はトゥルーマッチです」
「えっ? 両方出るってこと?」
「いいえ。イコールマッチは辞退しました。トゥルーマッチ一本です」
「……どうしてまた?」
俺が聞くと、美凪さんは少しためらってから言う。
「覚悟が、決まったからです」
「覚悟?」
「今ここではちょっと。加木さんと決勝でぶつかった時にお伝えします」
美凪さんが、挑むような視線を俺に向けてくる。
イコールマッチのみならず、トゥルーマッチでも実力を磨いている実戦志向の美凪さんの視線は、気の弱い者なら腰を抜かすほど強いものだ。
もっとも、俺だって実戦経験は豊富だし、何より今は神である。
俺は美凪さんの視線を真っ向から受け止めた。
そこで、美凪さんが微笑んだ。
「覚悟しておいてくださいね、加木さん。必ず、決勝まで行きますから」
美凪さんが宣言する。
「おっと、それはどうかな? 途中でボクと当たったら、悪いけど手加減はしてあげないよ?」
エレミアがそう言って美凪さんにからむ。
この二人は、仲が悪いわけではない。
むしろ、どこか似たところのある二人だと思う。
真面目で一途で。
二人ともあの物心溶融フィールドから生還したことで、互いに互いを認めあったようだ。
美凪さんが、エレミアに向き直って言う。
「もちろんです。エレミアさんを倒すことも、今回の大きな目的です」
「大きく出たね。たしかに、イコールマッチじゃボクは二位までで、美凪さんには勝ててないけど。トゥルーマッチでなら負けるはずがない」
「それでこそです」
美凪さんはそう言って部屋を出ていく。
「……なんだったんだろ?」
俺は首を傾げる。
その隣で、エレミアはぐっと拳を握り込み、
「これは、ボクも相当覚悟しないといけないね」
何やら決意を感じさせる目で、エレミアがそうつぶやいた。
次回、『NO FATIGUE 24時間戦える男の転生譚』最終話。
明日更新です。