178 さようなら、【不易不労】
俺は、どこまでも広がる荒野の中を走っていた。
頭上は白い靄に覆われているが、正面方向の視界だけは開けている。
荒野は明るくも暗くもない。
無数のヒビの入った赤茶けた大地が、果てることなく続いていた。
「かれこれ一時間か」
俺は腕時計を見てつぶやいた。
その間も足は止めていない。
俺の脇を飛んでいるメルヴィが言った。
「どんなおそろしい罠があるかと思ったら、なんにもないとは思わなかったわね」
「まあな」
メルヴィの言う通りだ。
ここには、荒野以外に何物も存在していない。
魔物の気配もないし、人もいない。
「同じ場所がループしてるわけでもない。本気で、どこまでも荒野が続いてるだけだ」
だが、考えてみれば、これほどおそろしい罠もない。
強力な魔物がいれば倒せばいい。
人間が罠をしかけていれば食い破ればいい。
しかし、何もない荒野がどこまでも続く。
いくら俺にスキルやクラスや魔道具があっても、ただの「広さ」にはなすすべがない。
「奥に、何かを感じるけどな。それがどのくらい奥なのかがいまいちつかめない。すぐ近くのようでもあり、ずっと遠くのようでもある」
「わたしにはよくわからないんだけど……」
「アッティエラにもらった《劫火》が反応してるみたいだな。つまり、セカンダリの核はこの先にあるはずなんだ」
「でも、いくら進んでも近づけないのよね?」
「まさか、距離という概念が通用しない? でも、それだったら俺が移動できているのはどういう理屈だ?」
俺はその後も走り続けた。
【不易不労】で疲れることはないから、その気になればいくらでも走れる。
半日ほど走ったところで、俺はいったん足を止めた。
「ふぅ。少し、近づいた気がするな」
「少しってどのくらい?」
「はっきりとはわからない」
「じゃあ、このまま進み続けるしかないってこと? それはキツいわね」
メルヴィがげんなりした顔をする。
変化のない環境を進み続けるのは、俺でなかったら気が狂いそうになるだろう。
これまでは不意打ちに備えて走ってきたが、いくらスキルなどで強化されているとはいえ人の足だ。
俺は次元収納からバイクを取り出す。
ハワイで購入したオフロードバイクだ。燃料は次元収納にたっぷり用意してある。
俺はバイクにまたがり、荒野を進む。
バイクに乗るのは初めてだ。免許ももちろん持ってない。
多少の不安はあったが、エンジンをかけて進むだけなら問題はなかった。
さいわい、道は一直線で、コーナリングの心配はない。
メルヴィは、俺の肩につかまって羽を休めている。
そのまま何事も起こらず、俺はバイクでまる一日を走行した。
既に2000キロ近く走破しているが、どこかに行き着く様子はまったくない。
走りながらこの奇妙な場所を抜け出す方法をあれこれ考えてみたが、思いつくことは何もなかった。
「近づいた?」
メルヴィが聞いてくる。
「少しな」
「まったく進んでないわけじゃないのね」
「そうなんだが、移動した距離に比べるとあまり進んでない気がする」
「気が遠くなるほど遠いってこと?」
「いや、遠いことは遠いんだが、たとえば何万キロも先ってわけじゃない。普通に行き着く程度の距離のはずだ。それなのに、少ししか近づけない」
「向こうが遠ざかってるって可能性は?」
「ないな。向こうが動いてないのは確かだ。《劫火》の感覚でそれはわかる」
どういうことだか見当がつかない。
だが、ひとつだけわかっていることはある。
「近づいてはいるんだ。時間がかかってもいずれは着く」
「でも、このペースじゃいつになるやら……」
「他にできることがない以上、とりあえず進むしかないな」
俺は再びバイクにまたがり、荒野を進む。
メルヴィと、同じような会話を何度も繰り返した。
少しは近づいた。まだ着かない。一体いつになったら着くの。そんな会話だ。
そうこうしているうちに、俺の腕時計がいきなり壊れた。
次元収納に入れていた時計のたぐいもひとつ残らず壊れていた。
それ以来、時間を計測することができなくなった。
荒野は常に薄明るく、太陽の動きで日時を測ることもできない。
一時間進む。
数時間進む。
半日進む。
一日進む。
数日進む。
一週間進む。
一ヶ月進む。
途中からは体感も狂ってきて、自分の時間感覚が信用できなくなってきた。
唯一基準になるのは、核までの距離だ。
確実に、近づいてはいる。
だが決してたどり着くことがない。
俺とメルヴィは焦り、苛立ち、ケンカをすることも増えた。
それでも、前に進むしか方法がない。
あれだけ潤沢にあったはずのバイクの燃料が切れた。
アルフェシアさんの用意してくれたマギ・ジープに乗り換え進む。
ジープの燃料は俺のMPだから尽きることはない。
不思議なのはまったく食欲がないことだ。
ここが物心溶融フィールドだからか、食欲がないし、食べなくても飢えるということがない。
だが、食事の必要がないことで、俺たちの時間感覚がさらに狂う。
いったい、どれだけの時が流れたのか。
消耗するメルヴィを、絶対に疲労しない俺が励ましながら進んでいると、突然、空から声が降ってきた。
「あれから――」
もったいぶるように、声が途切れる。
「……幻聴じゃないよな?」
「わたしも聞こえたわ」
俺とメルヴィが確認しあっていると、
「あれから、どれだけの月日が流れたと思いますか?」
声の続きが聞こえてきた。
その声は、
「セカンダリ!」
「エドガー・キュレベル。あなたにはわかっていますか? あなたがここに来てから、どれだけの月日が流れてしまったのか」
俺の声には答えることなく、セカンダリの声がどこからともなく聞こえてくる。
最初は空から聞こえたが、今は周囲全ての方向から聞こえてきた。
「……なんだと?」
「もう、時間感覚などないのでしょう? あなたは決して疲れることがない。だからなおさらわからない。どれだけの月日が流れてしまったのか」
セカンダリの言葉に、俺は思わず沈黙する。
「教えてさしあげましょうか?」
「おまえの言うことを信じろと?」
「信じなくても構いませんよ。事実は事実ですから」
くっくっく、とセカンダリの含み笑いが荒野に響く。
「――半年」
「……何?」
「半年ですよ。地球の暦に合わせれば、ということですが」
「そんなに経ってるはずはない!」
「なぜそんなことが言えるのです? ここは精神と物質の狭間にある場所だ。何が起きてもおかしくないでしょう」
俺は思わず絶句した。
半年。
もし、それが本当だとしたら――
「エドガー! 信じちゃダメ!」
メルヴィの声にハッとする。
「そうか、これがおまえの仕掛けた罠なのか。俺たちに時間を誤認させる。ここは精神が物質を凌駕する場所だ。俺たちが時間を誤認すれば、その時間が事実だったことになってしまう」
「ふふっ……だとして、どうします? わたしが半年と言ったのは、なるほど、嘘かもしれません。しかし、時間が経っているのは紛れもない事実です。あなたがここにはまりこんでいる間に、外では時間が着実に進んでいく。一方、情報のみの存在である私には焦る理由がありません。あなたの心が折れるまで、何百年でも待ちますよ」
セカンダリの声が途切れた。
しばらく待ったが、セカンダリが再び話し始めることはなかった。
それでも、俺たちは荒野を行く。
他にできることが何もないからだ。
もはや俺たちの時間感覚は完全に狂い、一週間と一ヶ月の区別もつきそうにない。
セカンダリの言うとおり、既に半年過ぎ去っていたとしてもおかしくない。
荒野での果てしない時間が続く。
ある時――どの「時」かはもはや完全に見失われた――セカンダリの声が聞こえてきた。
「さて、あなたがここに来てから、どのくらいの時間が経ったと思います?」
「……うるさい」
「聞きたくないのはよくわかりますよ。ですが、あなたが耳をふさいでも、ここでは私の言葉は絶対だ。正解をお教えしましょう。五年です」
五年。
その言葉に動揺する。
メルヴィは疲れ果て、俺との会話も少なくなった。
そのことが時間感覚の狂いをさらに悪化させている。
「さて、次はいつお知らせしましょうか? 十年後? それとも、百年後? あなたの愛しい人たちが軒並み死滅した後で、もう三百年経ちましたよと、教えてさしあげましょうか?」
「黙れ!」
俺は荒野を強く叩く。
「もう、取り返しがつかないのではありませんか? あなたの知らないところで、あなたの愛しい人たちはもう死んでいる。誰もあなたの帰りを待つ人は残ってない。私のエゴは世界を既に覆っている。世界にはもう、私とあなたしか残っていない。あなたは仕損じたのですよ、エドガー・キュレベル」
「うるさい! そんなはずはない!」
「私の言葉を否定する根拠は何です、エドガー・キュレベル。もう、あきらめてもいいのではありませんか? あなたはよくがんばりました。誰も、あなたのことを恨むことはないでしょう。何もかもを投げ出して、安らかに眠ってはいかがです? あなたには楽になる権利がある」
俺は首を激しく振って、ジープのアクセルを踏み込んだ。
荒野を、ジープががたがたと揺れながら驀進する。
これまで、もはや計測することも不可能なほどの時間、見続けてきた光景だ。
めまいがした。
たしかに近づいている。
絶対に近づいてはいる。
だが、まだ――どれだけかかっても、到着しない。
それでも近づいている以上は進むことができる。
もし外の世界が滅んでいたところで、なんだというのか。
ここでセカンダリの言うことを信じるという選択肢はない。
セカンダリはあきらかに俺の心を折ろうとしている。
「あなたは、私があなたの心を折ろうとしていると思っていますね? それは正解です。しかし、私の意図がわかったところで、あなたにはどうしようもない。時間の流れとは残酷なものですね。マルクェクト最強の男。休むことなく戦い続ける英雄。そんなあなたでも、時の流れをなかったことにはできません」
奥歯を噛んで、俺は進む。
(たしかに、俺は恐れてる。すべてが手遅れになってしまったのではないかと)
だが、そう思うことこそ、こいつの思う壺だ。
――その、はずだ。
「あきらめませんか、エドガー・キュレベル。壊れた人形のように前に進み続けるあなたを見ているのはいたたまれません。何も、苦しい思いをして自殺する必要はありません。ただ、あきらめればいいのです。心の底からあきらめてしまえば、その瞬間、あなたはこの世界に取り込まれ、私のエゴの一部となって消滅する。生きていること、それこそがすべての苦痛の源泉なのです。死んでしまえばすべてはなくなる。私は幼い頃、母に暴力を振るう父が怖くて、お気に入りの毛布にくるまって逃げるように眠ったことがあります。あなたももう、眠るべきだ」
「今日は……いやに饒舌だな、セカンダリ」
俺はアクセルをさらに踏む。
「黙れと言うなら黙りますがね。そろそろ決着をつける時期なのでは?」
「何を焦ってるんだ?」
俺が言うと、セカンダリが黙り込んだ。
「ようやく、わかってきたんだ。この世界のことが。俺たちは思い込まされていた。ここは果てのない荒野なのだと。そう思ってる限りで、この荒野は果てのないものになる」
セカンダリは黙っている。
「『少しずつ近づいているが、たどり着くことはできない』。そう思い込んだのも失敗だった。そう思ってる限り、俺たちはいつまで経っても核に近づけない。他ならぬ自分自身がそうしてしまっているんだ」
次の瞬間、目の前の「荒野」が砕け散った。
ガラスが割れるようにクモの巣状にヒビが走り、無数の破片となって光景そのものがなくなった。
代わって現れたのは、ガラス張りの空間だった。
一辺1メートルくらいの六角形の透明なパネルが、ドーム状に全面を覆っている。
ドームの中央に、巨大な真紅の水晶があった。
俺はジープを横滑りさせ、水晶の前に急停車させる。
俺とメルヴィはジープを飛び出し、水晶の前に立った。
真っ赤な水晶は、高さ3メートルはあるだろう。
その水晶の中に、人影が浮かんでいる。
ホログラフのように透けた杵崎亨の姿だ。
目をつむっていたホログラフ杵崎が、こちらに顔を向け、ゆっくりと目を開く。
「……覚悟はいいか?」
いきなり核を灼いてもよかったが、俺はなんとなく聞いていた。
「私に、覚悟という概念はありません。認識し、理解し、判断することはできても、覚悟をするということは不可能だ。そういうふうにはできていない」
セカンダリは他人事のように言った。
「拍子抜けだな。未練はないのか?」
「未練? そんなもの、私にもありませんし、オリジナルの杵崎亨――プライマルにもなかったでしょう」
「そうなのか?」
「プライマルは純粋な悪となることを夢見ていました。人間という存在につきまとう余分なものを削ぎ落とし、悪そのものと化す。今の私は、杵崎亨という人間が思い描いた理想の存在です」
さっきまでの嗜虐性が嘘のように、セカンダリの言葉は大人しい。
「興味はないが、一応聞くだけは聞いてやる。そんな存在になって、杵崎は何がしたかったんだ?」
「さあ」
「さあって……」
驚く俺に、セカンダリが言う。
「プライマル・杵崎は一体何を求めていたのか。人を殺し、虐げ、支配することで、一時の慰めを得ていたにすぎないのだろうか。なぜプライマルはそんな刹那的な生き方を選んだのか。それがわからない」
「それが純粋な悪だってことじゃないのか?」
「プライマルは、私のような存在になることを、本当には望んでいなかった。偶然が重なったことで、私は杵崎亨のコピーとして生を享けたが、これはプライマルの意図した結果ではない。だが、結果として、純粋な悪として完結しうる私という存在が誕生した。杵崎亨の純粋な悪への希求は、絶対に実現不可能なもの、闇の中を行くプライマルの道しるべ、到達し得ない北極星のような欲望だった。それは、叶わないことによって、杵崎亨を挫折させる。その挫折が、杵崎亨を殺人へと駆り立てる。いわば、プライマルにとっての生きるよすがだったのだ」
「物騒なよすがもあったもんだな」
純粋な悪になろうとしてなりきれない自分に対するいらだちが、杵崎亨を殺人へと駆り立てた。
しかし、セカンダリは、実現不可能だったはずの純粋な悪を体現する存在となってしまう。
「神を呑み、悪神を呑み、世界を支配する力を得た。その実、私は何も得ていない。全く満たされていない。そもそも満たすべき欲望がないのだ。プライマルの望みは私という形で叶ってしまった。その先はない。私は欲がほしい。プライマルが持っていたはずの、殺人への衝動がほしい。衝動を満たした時の、極度の興奮と恍惚を味わいたい。だが、純粋な悪として完結してしまった私には、それはもう手に入らない」
セカンダリの言葉に、メルヴィが言う。
「要するに、自分の存在意義がわからないってことね。哀れと言えば哀れだけれど」
「ああ! あの魂が震えるような恍惚がほしい! 自らの手で他人の命を刈り取る瞬間の、背徳的な快楽がほしい! 私には杵崎亨の記憶があるのに、プライマルの願望が叶ってしまった私には、もはや殺人に至る欲望がない! ただ純粋な悪として人を殺す。そんなものはただの作業だ! ワタシガホシカッタノハソンナモノジャナイハズダ……! なぜ私は満たされない! なぜ私だけが満たされないのだ! 答えてみろ! エドガー・キュレベル!」
水晶の中で、杵崎のホログラフが身をよじる。
俺は、水晶に右手をかざしながら言った。
「おまえが――いや、杵崎亨が満たされないのは当然だ」
「何を知っている、エドガー・キュレベル」
「当たり前のことさ。才能に恵まれたあんたは、常に空に浮かぶ星を得ようと願ってきたし、実際にその多くを手に入れてきた。何かすごいものを手に入れるってのは、その瞬間は気持ちいいかもしれない。でも、手に入れた瞬間に、手に入れたものは既に魅力を失っている」
「そうだ……私は――プライマルは多くのものを手に入れた……はずだ。しかし、手に入れた端からそれらの輝きは失われ、つまらない、ありきたりのものになってしまった」
「おまえは何かを達成することから得られる刺激にジャンキーになってるんだよ。でもな、本当の幸せはそんなところにはない。つまらない、ありきたりなもの。そう言ったな? だが、そういったものを温め、育み、愛着を形成する。そういう穏やかな快楽のことを、あんたはまるきり忘れてる」
「愛着……」
「ものだけじゃない。人もだ。あんたはイケメンだ。一夜限りのロマンスだってたくさんあったんだろうさ。だが、あんたは自分のそばに本当の意味では人を近づけない。人との関係を温め、育み、相手への愛おしさを形作るってことが、どういうわけかあんたにはまるでできなかったみたいだな」
「イトオシサ……」
杵崎はその言葉が理解できないかのようにつぶやいた。
「俺もな、あまり人のことは言えなかった。転生する前は、人との関係を煩わしく思い、単純な勝ち負けの興奮があるゲームにのめり込んでた。転生してからも、スキル上げだなんだと、目の前の人間よりも自分が強くなる楽しさを優先してきたような人間だ」
「それの……何が悪い?」
「度を過ぎなきゃ、悪くはないのかもしれないな。でもさ、そういう快楽はどこにも行き着かないんだよ。気づいてみれば、俺は世界で最強になっていた。でも、俺にとってそれ以上に大事なのは、仲間や家族たちなんだと気づいたんだ。ジュリア母さん、アルフレッド父さん、ステフ、メルヴィ、エレミア、3人の兄さん、アスラ、アルフェシアさん、美凪さん、サンシロー、女神様。他にもまだまだ数え切れないほどいる。彼らが俺のことを大事に思ってくれている。そのことのありがたさに比べれば、世界最強なんていつ譲ったっていいような称号さ」
「ワカラナイ……」
「そうなんだろうな。あんたはそういう人間だ。環境のせいか、生まれのせいかはわからないが、そんな人間になっちまったことについちゃ、あんたに同情するよ」
「同情……ダト?」
「第二の人生に恵まれたから、俺は少し傲慢になってるのかもしれないけどな。それでも――なんと言われようと、俺は俺の大切な人たちを守る。そのために、あんたには消えてもらう」
俺は右手から業火を放つ。
《劫火》。
魔法神アッティエラが造り出した究極の魔法。
神すら滅する地獄の炎だ。
赤い水晶が炎に包まれる。
炎は赤から白へ、白から透明へと変わりながら、赤い水晶を溶かしていく。
「言い訳はしない。杵崎亨に翻弄された哀れなコピー。安らかに……眠ってくれ」
セカンダリはもう言葉を発していない。
炎が次第に弱くなる。
が、
「エドガー! まだよ!」
炎を睨んだまま、メルヴィが鋭く言った。
消えようとしている炎の中には、まだ赤い水晶が残っている。
セカンダリは全身をノイズに覆われながらも生きていた。
「くそっ……灼け残ったか」
アッティエラの魔法だけでは、威力が足りなかったようだ。
このままでは、《劫火》はすぐに消えてしまう。
《劫火》は使い切り、一回限りの魔法だ。
これが失敗すれば次はない。
「どうすれば……そうか!」
《劫火》をもう一度燃え上がらせるために、燃料を投下してやればいい。
(たい焼きを作るたい焼き器だって言ってたな)
魔法ではなく、魔法という概念自体をぶつけるのだと。
魔法を成り立たせるシステム自体を燃やすということだろう。
(だとしたら……)
俺は、燃やせるものがあることに気がついた。
《
エドガー・キュレベル(キュレベル大公家四男・南ミドガルド連邦貴族・南ミドガルド連邦特任大使・魂と輪廻を司る神アトラゼネクの眷属・冒険者(Sランク)・《赫ん坊》・《底無しのオロチ》・《交渉者》・《竜を退けし者》・《妖精の友》・《精霊魔術師》・《阿弥陀様の遣い》・《導師》・《びっくり箱野郎》・《悲劇の英雄》・《〔キュレベル家の〕鬼子》・《迷探偵》・《不殺の征服者》・《帝国の救世主》・《百超殺し》・《大物殺し》・《連邦の切り札》・《あいつを見たら逃げろ》)
17歳
人間/アトラゼネク神族
レベル 92
HP 872/872(372+500)
MP 81859/81859(79859+2000)
クラス
〈スキルシーカー〉B(エドガー・キュレベルの専用クラス。未知のスキルを発見しやすくなる。スキルレベルの上昇にランクに応じた強力な補正がかかる。ランクごとにHPに+100、MPに+400のアッドがつく。全スキルに対する現在のコンプ率73.9%。)
派生クラス
〈マギ・アデプト〉A(エドガー・キュレベルの専用クラス。カンスト済みのすべての魔法系スキルを統合したもの。〈スキルハンター〉の下位派生クラス。)
〈ウェポンマスター〉A(エドガー・キュレベルの専用クラス。カンスト済みのすべての武技スキルを統合したもの。〈スキルハンター〉の下位派生クラス。)
〈スピリチュアルエルダー〉A(エドガー・キュレベルの専用クラス。カンスト済みのすべての斥候系、感覚系、身体操作系スキルを統合したもの。〈スキルハンター〉の下位派生クラス。)
〈インベンター〉C(エドガー・キュレベルの専用クラス。カンスト済みのすべての製作系スキルを統合したもの。〈スキルハンター〉の下位派生クラス。)
スキル
・神話級
【不易不労】-
【スキル魔法】-
《善神の加護+3(アトラゼネク)》
《善神の加護+2(カヌマーン)》
《善神の祝福(アトラゼネク)》
》
俺のステータスにある、スキルやクラス。
これらは神によって作られたものだから、《劫火》の炎にくべれば燃料になるはずだ。
転生してから17年かけて習得してきたスキルたち。
それを「燃やす」のはしのびないが、手段を選んでいる場合ではない。
「【スキル魔法】を使えば、スキルやクラスを抽出できるな。――出てこい、〈マギ・アデプト〉」
俺の身体から何かが抜けてくる。
それは俺の手のひらの上で極彩色の渦巻きとなった。
「あああ! もったいねえな! でも、やるしかねえ! 行けっ!」
俺は極彩色の渦巻きを《劫火》へと投じる。
《劫火》が極彩色に染まり、火柱となって燃え盛る。
炎の中で水晶がじりじりと灼けていく。
だが、
「くっ、足りないか」
「でも、効いてはいるわ!」
メルヴィの言葉にうなずきつつ、俺は【スキル魔法】に集中する。
「次だ! 現われろ、〈ウェポンマスター〉!」
無数の武器のミニチュアが折り重なったオブジェクトが手のひらから現れる。
それを《劫火》にくべる。
《劫火》は再び業火と化すが、セカンダリはまだ燃え尽きない。
「〈スピリチュアルエルダー〉、〈インベンター〉!」
さらにクラスを抽出し、《劫火》へと放り込む。
2つまとめての燃料投下。《劫火》は爆ぜるような勢いで火の粉を散らす。
「くそっ! まだかよ……〈スキルシーカー〉!」
主軸としているクラスだけに、目に見えない何かがごっそりと抜け落ちるのを感じた。
迷う前に《劫火》に投げ込む。
赤い水晶は、かなり小さくなっていた。
あとひと押しで燃え尽きるだろう。
(【スキル魔法】――は、まずいな)
【スキル魔法】を燃やしてしまうと、残った【不易不労】を取り出すことができなくなる。
だとすれば、
「……こいつもくれてやるしかないか」
【不易不労】。
この世界に転生した時に、女神様から授かったスキル。
俺の、チートの根源となる力だ。
これを手放せば、俺は特別な存在ではなくなるだろう。
だが、不思議と抵抗はなかった。
「一緒に戦ってきた相棒に冷たいようだけど、もう十分なんだよな」
地球で生きていた頃の俺――加木智紀は孤独だった。
会社員であり、格闘ゲームのプレイヤーではあったが、人間関係はどれも希薄で。
ほどほどに満足はしていると思っていたが、時折心に隙間風が吹くことはあった。
今はそんなことはなくなった。
メルヴィが、エレミアが、アスラが。
ジュリア母さんやアルフレッド父さん、3人の兄たちが。
女神様やアルフェシアさんが。
美凪さんが。
他にも数え切れないほどの人たちがいて、俺のことを必要としてくれている。
「だから――もういらないんだよ。チートなんてもんはさ。たしかに俺が今の場所にいられるのは特別な力をもらったおかげだけど……みんなが俺を必要としてるのは、力だけが目当てじゃないってことは確信してる。さあ、【不易不労】! 最後の大仕事だぜ!」
ごっそりと――身体から何かが持っていかれた。
全身が重く感じられる。これまで疲労を感じなかっただけに、全身に少しずつ溜まっていく疲労の感覚がありありと感じられた。
俺の身体の前に、大きな光が現れる。
それは、俺の身体そっくりの形をしていた。
俺がそれとともに成長してきたスキルは、もう完全に俺になじみ、俺の分身のようになっている。
俺のステータスは、これで【スキル魔法】を残してすっからかんになっているはずだ。
もう【鑑定】でステータスを見ることすらできない。
俺は、《劫火》の中でもだえるセカンダリに目を向けた。
「認めたくないけど――俺の中にも、おまえに似た部分はあるんだ。力が欲しい、他人より優れた存在でいたい、そういう欲求はたしかにある。誰かをぶちのめして気持ちよくなりたい、そんな気持ちがあることも否定はできない。だから――」
俺は、【不易不労】に干渉し、その形を作り変えていく。
「これは、俺のけじめだ。【不易不労】よ、神を斬り裂き屠る刃と化せ!」
【不易不労】が、巨大な一振りの剣になる。
金色の光の粒子でできた、俺の全身ほどの刃渡りがある巨大な剣だ。
俺は、その柄を両手で握りしめ、セカンダリに向かって大きく振りかぶる。
「【不易不労】。ありがとう……さようならだ」
金色の刃が、セカンダリの核を真っ二つに断ち割った。
次話、9/22更新です。
長かった物語もいよいよ終わり。
ラストは3日連続更新です。
メンド草太郎様のご指摘により、踏破距離を200キロ→2000キロに修正しました。




