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NO FATIGUE 24時間戦える男の転生譚  作者: 天宮暁


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177 ありえたかもしれない過去

◆片瀬美凪視点


 それは、何度となく夢に見た光景だった。


 もちろん、悪夢の方だ。


 駆け寄ってくる通り魔の顔は狂気に歪んでいる。

 杵崎亨。

 実際に殺されかけた相手だし、その後テレビの報道でも嫌というほどこの顔を見た。


 杵崎は血に染まったナイフを握っている。


 その動きは、今のわたしには遅くすら見えた。

 杵崎は成人男性として標準以上の体力を持っていたと思うが、マルクェクトに渡る前、純粋な地球人であった頃の杵崎にはレベルやスキルによる補正は効いていない。


 わたしは迫る杵崎に向かって一歩を踏み込む。

 杵崎は一瞬動揺したが、すぐにナイフを振り下ろす。

 ナイフを握る手首を右の手刀で受け流し、左の掌底を杵崎の顎に撃ち込んだ。


 その時になって、わたしの腕が高校時代の制服に覆われていることに気がついた。


 杵崎は白目を剥いてひっくり返る。


 あっけない。

 あまりの手応えのなさに驚くというより怒りたくなるほどだ。


「こんな程度の相手だったのね」


 あの時の自分の恐怖が馬鹿らしくなってくる。


 いや……待て。


「あの時ってどの時よ」


 戸惑った瞬間に、わたしの眼前に選択肢が現れた。


選択肢1:違和感を掘り下げることなくこのまま「日常」へと戻っていく。物心溶融フィールドに取り込まれ、片瀬美凪の自我は溶融する。

選択肢2:違和感を掘り下げて考える。だが、明確な答えにはたどり着けず、「日常」へと戻っていく。物心溶融フィールドに取り込まれ、片瀬美凪の自我は溶融する。

選択肢3:違和感を覚えつつ、ふと後ろを振り向いてみる。するとそこにはゲームセンターから出てきたばかりの加木智紀がいる。その姿を見た瞬間にこれまでの経緯を思い出す。


 選択肢1と2は真っ赤だった。

 選択肢3だけが明るい。

 選択肢はまだまだ続くが、4以下もほとんど真っ赤。


「あれ? 前に見た時は、明るいか暗いかだったよね」


 赤いというのは初めて見る。


(でも、『前に見た時』っていつのこと?)


 いや、そもそも……この選択肢は何だ?


「とりあえず、3かな」


 選択肢の正体はわからないが、とりあえず危険のなさそうなものを参考にする。


 振り返ると、そこにはこちらに駆け寄ってくる青年の姿があった。


「き、君! 大丈夫!?」


 青年がわたしに声をかけてくる。

 青年は30歳ほどだろう。黒い∨ネックの上にストライプのシャツをはおり、ライトブルーのチノパンツを履いている。とりたてておしゃれではないが、かといってダサくもない服装だ。

 どちらかといえばやや内気そうな雰囲気だが、弱々しい印象はない。

 青年の位置、姿勢を見る限り、青年は通り魔を見て止めようと飛び出したところだったようだ。

 なかなかできることではないと思う。


 青年の顔に目を合わせる。

 その瞬間、頭のなかで何かが弾けた。

 デジャビュに加え、青年への強い好意、責任感、負い目、感謝……怒涛のような感情の渦がわたしを襲う。


「う……」

「ど、どうした!? 怪我でもしてるのか!?」

「か、加木、さん……」


 わたしは青年の名を思い出した。

 そこから芋づる式に記憶がつながり、今に至る経緯を思い出す。

 スペースクラフトでセカンダリの物心溶融フィールドに突入したところで、記憶が途切れていた。


「えっ、どうして俺の名前を?」


 加木さんが驚いた顔をする。


「え、いえ、独り言です。か、鍵を落としてたみたいで……」

「なんだ、聞き間違いか。俺の名前は加木っていうんだ。それより、こいつのことを縛っておこう」


 加木さんは地面に倒れた杵崎のネクタイとベルトを抜き取り、杵崎の手首、足首をそれぞれ縛った。


「通り魔なんてしてるからどんな奴かと思ったら、けっこうイケメンだな。この顔で何の不満があるんだか」


 加木さんのセリフに苦笑する。


「加木さんだって素敵ですよ?」


 わたしの言葉に、加木さんがぎょっとした。


「ええっ、俺か? おいおい、君みたいな子が初対面の男にそんなこと言うと勘違いされるぞ」

「助けようとしてくれてたじゃないですか」

「いや、それはそうなんだけど。結局余計なお世話だったみたいだ。君は、何か武道でもやってるの?」

「片瀬美凪です、加木さん。……あなたに教えてもらったんですけどね」


 わたしは後半を小声でつぶやく。


 これが現実でないことはわかっているが、わたしが手出ししたせいで加木さんの勇敢な行動がなかったことになってしまった。そのことに少し罪悪感をおぼえる。


 わたしが行動に迷っているうちに、警察官がやってきた。

 二人組の警察官が気絶した杵崎を見て救急車を呼ぶ。通り魔に対して優しいことだと思うが、この世界では普通の対応だろう。もちろん、若い方の警察官が通り魔と誤認して加木さんを撃つようなことは起こらなかった。


(あの警察官はあとで薬物を使っていたことが発覚するけど……)


 今はそれを指摘しているような場合じゃない。


 わたしと加木さんは、警察で事情聴取を受けることになった。


 別々に話を聞くと言われたのだが、試しに加木さんの服を掴んで「怖い……」と言ってみると、二人揃ってということになった。

 加木さんがどぎまぎしているのが手に取るようにわかった。

 なんだか悪女になった気分だが、加木さんがわかりやすすぎるのだ。

 現実ではないとはいえ、加木さんと離れるのがなんとなく嫌で、選択予見の魔眼を使って最適な行動を探してしまった。


「じゃあ、通り魔を止めたのは片瀬さんの方で、加木さんはそれを後から手伝ったと」


 わたしに配慮してか、聞き取りは女性警官が行っている。

 もっとも、女性なら怖くないかというとそんなことはなく、担当の女性警官はかなりいかつく、顔つきも険しい。男社会の警察で働いているだけのことはある、迫力ある女性だった。


「え、ええ。俺が飛び出した時には終わってました」


 加木さんが女性警官に気圧されながら言った。


(本当なら、加木さんは胸を張っていられた場面なのに)


 加木さんの自信なさげな様子が悔しく思えてならない。


 女性警官がわたしに言う。


「たいしたものですね。何か護身術のようなものを?」

「いえ、無我夢中でやっただけです」

「そうなの……大変だったわね」


 女性警官が、いかつい顔をやわらげようとしながらそう言った。

 その表情はお世辞にも自然とは言いがたかったが、わたしを思いやろうという気持ちがよくわかる。


「ともあれ、説明はよくわかったわ。あなたたちは巻き込まれただけ。今日のところはもう結構よ。もしかしたら、後で協力をお願いすることはあるかもしれないけど。貴重な休日をこんなことで潰して気の毒だったわね」

「いえ、刑事さんこそ。杵崎はどうしてるんですか?」

「……あら? 私、あなたに犯人の名前を教えたかしら」

「い、いえ……犯人の着ていたジャケットにネームが刺繍してあったので」

「ふぅん。観察力も鋭いのね。それに、やっぱり何か武道を修めているでしょう。わたしの部下にほしくなる人材だわ。ま、あまりおすすめできた仕事じゃないけど」


 まさかのスカウトを受け、困惑する。


「通り魔――杵崎亨と言うのだけれど、彼は警察病院での検査を受けて、ついさっき署に連れてこられたわ。今頃担当の刑事に絞られてるはずよ」


 女性刑事が署の中の方を見て言った瞬間、奥から叫び声が聞こえた。

 女性刑事ががたんと音を立てて立ち上がる。


「何、今のは……あなたたちはここで待っていて!」


 女性刑事が扉に向かう。

 スチールのノブを掴んで回そうとする。

 そこで、わたしの背筋を悪寒が走った。


「離れてください!」

「えっ……」


 女性刑事はわたしの言葉に反応してくれた。

 女性刑事が扉から離れた途端、バゴン!と音を立てて扉が凹む。

 外側から強く殴られたのだ。


「なっ……」

「刑事さん、銃を構えて!」

「も、持ってないわよ!」


 衝撃とともに、扉が吹き飛ぶ。


「うおっ!?」


 加木さんも驚き、席を立って窓側に動く。

 さりげなくわたしをかばう位置に立ってくれているのが嬉しい。


 吹き飛んだ扉の向こうから現れたのは――


「杵崎亨……」


 思わずつぶやく。


「おや、お嬢さんは私のことをご存知で? もうニュースになっているのでしょうかね」


 スーツの上に白衣をまとった杵崎亨が、拳にしていた片手を握ったり開いたりしながら言った。


「どうも、私はおかしな世界にはまりこんでしまったようです。たしかに事件の直前までは確固とした世界があったはずなのに、事件の後からおかしなことばかりが起こる。黒魔術でも説明できない現象です。物質と精神の垣根が壊れ、両者が融合しようとしている。そのようにしか思えません」


 杵崎は独り言のように言う。


「何を言っている、杵崎! 無駄な抵抗はやめなさい! 余罪がつくわよ!」


 女性刑事が杵崎に言う。

 女性刑事は両手をボクシングのように構え、杵崎を睨んでいる。


「余罪ですか。既に何人も殺した私に、死刑以外の判決が出るとは思えませんが」

「だから死に物狂いで抵抗するとでも?」

「私はいつだって死に物狂いなのですよ。正気だったことなど一度たりとてない。もっとも、私が狂気だと思っているこの状態こそが正気なのかもしれません。誰もがみな狂っている。その狂い方が平均に近ければ正気だというだけのこと」

「精神鑑定がしたいなら裁判で訴えなさい」

「精神鑑定? 私をですか? 心理学者や精神科医ごときに私の精神が『鑑定』できるとでも?」


 杵崎は面白い冗談を聞いたとばかりに低く笑う。


「しかし、今の私が狂っているという可能性は否定できませんね。普段の狂気とはまた別の意味で狂っている。いや、狂っているのは世界の方か。狂った世界の中で、私は特権的な地位を与えられている。私が渡ろうとしていた異世界マルクェクトから力が流れ込んでくる。正確には、異世界マルクェクトに渡っていたはずの私――私ではない私が私のもとへ合流しつつある。さしずめ、平行世界の私ということですか。その他にも『私』がいる。この世界の造り主、神の如き存在は私の分身だ。不可思議ではありますが、ここまでは正しい観測でしょう」


 杵崎亨は、驚いたことに、今の状況を把握しつつあるようだった。

 そして、マルクェクトに転生したという史実通りの杵崎の力が、目の前にいる杵崎に宿りつつある。


「だから、こんなこともできる」


 杵崎が両手を広げて言った途端、周囲の光景が一変した。

 無骨な警察の会議室だったはずの一室が、燃え盛る西洋風の館を背景にした夜の光景へと変貌していた。


「異世界マルクェクト、サンタマナ王国王都モノカンヌス。私と、私を追ってきた転生者の男が雌雄を決した場面です。もっとも、その『私』は敗れてしまったようですが」

「なっ、何を言っている……それにここは一体……!?」


 女性刑事は狼狽して周囲を見回している。

 加木さんも驚きを隠していない。


 杵崎は、唯一冷静だったわたしに目を向けた。


「おや、あなたはあまり驚かないようですね。あなたは先ほど路上で私を止めた女子高生だ。だが、あの路上で私は女子高生に止められる予定ではなかった。私を止めたのは……そう、そこにいる男性だ」

「お、俺?」


 加木さんが戸惑う。


「さまざまな情報をつなぎ合わせて、ようやくあなたの正体がわかりました。加木智紀――いえ、エドガー・キュレベル。今は単なる加木智紀なのかもしれませんが。よくも、さんざん私の邪魔をしてくれたものです」


 杵崎の顔に怒りが浮かぶ。

 次の瞬間、杵崎が加木さんへと飛びかかる。

 あまりの変わり身の早さに、わたしすら動けない。


「危ない!」


 杵崎に体当たりをかけたのは女性刑事だった。


「ぐあっ!」


 杵崎に跳ね飛ばされた女性刑事が、地面を転がる。


「刑事さん!」

「だ、大丈……ぐっ」


 女性刑事は身体を起こしてから、自分の右半身を見て絶句した。


 女性刑事の右腕がなかった。


 レーザーか何かで切り取られたように、きれいな切断面を見せて、女性刑事の右肩から先がなくなっている。


「かっ……はっ」


 女性刑事が白目を剥いて倒れた。

 激痛か、見た目の衝撃か。激しいショックを受けて気絶したのだろう。


「加木さん、下がって!」


 わたしは杵崎に向かって踏み込みつつ、右手で、握り慣れた何かをつかむ動作をする。

 その動作に応えて、わたしの右手に剣が生まれる。

 魔剣〈穿嵐〉。


「はぁっ!」


 わたしの突きを、杵崎はあろうことか女性刑事の右腕で受けた。

 女性刑事の腕が破裂する。


「ほう、ただの剣ではなさそうだ。では――《フレイムランス》」


 杵崎が炎の槍を生み、わたしに放つ。

 わたしは〈穿嵐〉で炎の槍の一点を突く。

 火の粉を撒き散らし、槍が消える。

 そこに、杵崎が迫ってきた。

 杵崎がナイフで切りつけてくる。

 凄まじい速さ。

 さっきの路上とはまるで違う。

 わたしは〈穿嵐〉でナイフをそらすのが精一杯だった。

 杵崎はもう片方の手をわたしへと伸ばす。

 その手のひらから、外科用のメスが生え(・・)、わたしに向かって飛んでくる。


選択肢1:メスを回避する。杵崎に掴みかかろうとしていた加木智紀の目にメスが刺さる。

選択肢2:メスを肩に受ける。杵崎に掴みかかろうとしていた加木智紀が、杵崎に喉を斬り裂かれる。

選択肢3:無理矢理〈穿嵐〉でメスを弾く。体勢を崩したところで、杵崎にナイフで心臓をえぐられる。

選択肢4:肉を切らせる覚悟でメスを左目に受ける。が、想像以上の激痛に意識が遠のき、その間に杵崎にナイフで心臓をえぐられる。

選択肢5:後ろへ飛び退く。杵崎は方向を変え、つかみかかろうとしていた加木智紀のみぞおちに蹴りを入れる。加木智紀は内臓破裂で死亡する。


 ああもう!


(動いてくれるのは嬉しいけど……!)


 このレベルの戦いに素人が手を出されても困る!


選択肢9:加木智紀を後ろに蹴り飛ばす。杵崎のメスを右肩に受け、左耳をナイフで削ぎ落とされる。


 かなり暗い選択肢だがこれしかなかった。


 実行に移した直後、わたしの右肩と左耳を灼熱感が襲う。


「ああああっ!」


 激痛にわめきながら、わたしは右肩のメスを左手で抜く。

 左耳からは血が噴き出しているのがわかった。


「その男をかばっているのですか? くくっ……それは面白いことを知りました」


 苦しむわたしを尻目に、杵崎は近くに倒れていた女性刑事に近づく。

 足を振り上げ、女性刑事の頭に振り下ろす。

 女性刑事のいかつい顔が砕け散った。


「なんてことを……」

「ふっ。何を怒っているのです? ここは精神が物質を蝕む空間です。この女性刑事も、そこの男も、精神が作り出した幻影にすぎない」

「だからって簡単に殺していいもんじゃない」

「簡単に殺すのはいつものことですよ。私は現実だろうと仮想だろうと区別はしない。人と見れば殺したくなる。それだけです」


 杵崎が笑う。


 だが、


(杵崎の言うことは正しい。この加木さんは、本物じゃない。本物に限りなく近いはずだけれど)


 この加木さんを見殺しにすれば杵崎の意表をついて倒すことはできるだろう。

 既に、そういう選択肢は検討済みで、それらはまずまず明るかった。


「勝てばいいってもんじゃない。単に勝つよりも大切なことがある」


 わたしは激痛で遠くなる意識を必死でつなぎとめながら言う。


「そんなもの、あるのでしょうか。結果が出ない努力に価値などありませんよ。一生勝つことのできない負け犬の自己弁護にすぎません。すっぱい葡萄に興味がないとわざわざ言明する者は、その実、葡萄が欲しくてしかたがない」

「そんな……くだらない話はしてないわ。勝った上で、何を得るのか。何を得るために勝つのか。あなたは、何が欲しくて人に勝とうとするの?」

「人を見下すためですよ。高所に立って人を見下すのは大変楽しい」

「わかってないわね、杵崎亨。あなたには絶対にわからない。それがあなたの不幸のもと。共感はできないけど、同情だけはしたくなる」

「……私に、何がわかっていないと言うのです?」

「それは……これよ!」


 わたしは真正面から杵崎に突っ込む。

 杵崎がナイフで〈穿嵐〉を受け止める。


「死ぬ気ですか?」

「違うわ」


 その隙に、加木さんが杵崎に斜め前から抱きついた。

 加木さんは杵崎の胴にしがみついてわたしに叫ぶ。


「俺に構わずやれ!」


 相変わらず、向こう見ずな人だ。

 加木さんには事情がろくに呑み込めていないはずなのに。

 自分がわたしの戦いの邪魔になっていることを悟って、捨て身で杵崎に隙を作った。


 わたしはその隙に、加木さんのさらに下に潜り込むように動く。

 〈穿嵐〉を構え、加木さんの身体ごと杵崎を貫く体勢を取る。


「この……っ!」


 杵崎は手のひらをこちらに向け、魔法の防御障壁を作り出す。


 だが、わたしは本物の加木さんから聞いている。

 マルクェクトの魔法は防御向けにはできていないと。


 わたしは、半ば倒れ込むように軸をずらす。

 〈穿嵐〉の狙いすました突きが、防御障壁をたやすく砕く。

 〈穿嵐〉はそのまま、杵崎の左目に突き立った。


「があっ!?」


 杵崎がのけぞる。


(浅かった!)


 わたしはその場で跳躍、空中で〈穿嵐〉を逆手に持ち替える。


「これでとどめ!」


 上段から振り下ろす。

 〈穿嵐〉の切っ先は杵崎の口に突き刺さる。

 舌を貫き、喉を貫き、心臓を刺す。


 わたしは〈穿嵐〉を手放し、呆然とする加木さんの襟首を掴んで後ろに跳ぶ。


 そして、


「《フレイムランス》!」


 杵崎の身体を灼熱の槍が焼き尽くす。


 杵崎亨は、悲鳴すら残さず、消し炭になった。





「なあ、最後の時だけど」


 戦いが終わり、何もすることがなく途方にくれていると、加木さんがわたしに聞いてきた。

 杵崎にやられた右肩と左耳は既に元通りになっている。ここは精神が現実を書き換える世界だ。元通りの身体を強くイメージしたら、傷は一瞬でなかったことになっていた。

 加木さんの言葉に顔を上げる。


「どうして、俺ごとやらなかったんだ?」


 加木さんが言うのは、どうしてわたしが加木さんごと杵崎を貫く姿勢を見せながら、そうはしなかったのか、ということだろう。


「理由は二つあります。大きいのと、小さいの、どちらから聞きます?」

「……じゃあ、小さいのから」

「小さい理由は、単純な読み合いの問題です。杵崎はわたしは加木さんを犠牲にしてでも自分を殺しにくると読んだんです。加木さんが通り魔を命がけで止めたことを杵崎は痛いほどよく知っていますから、あの場で加木さんが自己犠牲に走るのは想像がついたはずです。傷を負ったわたしを見て、加木さんは動揺してましたし」

「待ってくれ。俺が通り魔を止めた? どういうことだ?」


 そうだった。今目の前にいる「加木さん」は史実とは違う流れの中にいる。


「ああ、それは、なんというか……説明が大変なので後回しにしていいですか?」

「あ、ああ」

「とにかく、加木さんの行動は杵崎には予想がついていた。だから、杵崎は魔法障壁を加木さんとわたしの間に生み出した。その魔法障壁は、わたしが加木さんごと杵崎を貫くという前提のもとで作られたものです。杵崎は〈穿嵐〉がただの剣でないことを見抜いていましたから、わたし-加木さん-杵崎となるコースをその分だけ手厚く守ったんです。そうですね、わかりやすく言えば、しゃがみガードしたと思ってください」

「ずいぶんわかりやすいな!」


 ゲームなんてするんだ、という目で加木さんがわたしを見た。


「わたしは杵崎がそう読むことを読んでいました。だから、魔法障壁の厚いところは避け、その上を突いたんです。その分隙は大きくなったんですが、意表を突かれた杵崎は反応できませんでした。わかりやすく言えば……」

「しゃがみガードした相手に中段攻撃を出してガードを崩した……か?」

「その通りです。さすが加木さん」

「あの通り魔男は、片瀬さんが俺を犠牲にすると確信していた。だから、あえてその逆を突いたってことか」


 加木さんが納得したようにうなずいた。


「大きな方の理由はなんだったんだ?」

「意地です。わたしは誰かを――いえ、大切な人を犠牲にすることは絶対にしない。勝った上で、大切な人も守り抜く。勝てばいいと開き直るのでもなく、負けてもいいとあきらめるのでもない、勝った上で欲しいものも手に入れる、そんな勝ち方をしたかった。結果的にですが、わたしが意地を通すという不合理な選択をしたことが、杵崎の読みを狂わせることになりました。わたしが加木さんを犠牲にしないということは、杵崎の心理的な盲点になっていたんです。杵崎は、わたしにとって加木さんがどれだけ大切な人かがわかってませんでした。まあ、あんな人には一生かけてもわからないでしょうけど」

「た、大切な人って……」


 加木さんが戸惑う。

 少し考えてから、加木さんが言った。


「君とあの男の会話を聞いていてぼんやりとはわかってきたんだけどさ。俺は何か異様なことに巻き込まれている。しかも、本来あるべきだったルートから逸れてこの場所にいる。俺とあいつには因縁があったみたいだし、俺と君との間にもつながりがあった。そういうことだよな?」

「そうです。加木さんはすごい人なんです。わたしなんかでは及びもつかないくらいに」

「とてもそうは思えないんだけど……」


 反応に困って黙り込む加木さんを見て、わたしにいたずら心が芽生えた。


「……あの、わたしと加木さんが付き合ってるって言ったら、嬉しいですか?」

「えっ!? そ、そうなのか?」

「どうです?」


 ぐっと迫るわたしに、加木さんが目を泳がせる。


「そ、そりゃあ、片瀬さんみたいな子が彼女だったら嬉しいよ」

「告白されたら断ったりしませんよね?」

「断るわけがない。もっとも、俺から告白しようとは思わないだろうけどな」

「どうしてです?」

「そりゃ、俺には不釣り合いだからな」

「じゃあ、付き合えるものなら付き合いたいんですね?」

「な、なんか誘導されてるような気がするんだけど……」

「いいから答えてください!」

「ああ、付き合えるものなら付き合いたいよ。俺は大人だから、片瀬さんが高校を出たらってことになるけど」

「やった!」


 わたしは思わずガッツポーズを取った。


「……本当に、俺たち付き合ってたの?」

「それは秘密です」

「なんかまずいことを答えたんじゃないかって思うんだけど」

「死ぬ覚悟までしてここに突入しましたけど、その言葉が聞けただけでその甲斐がありました」

「何だ!? 俺は一体何の言質を取られたんだ!? 片瀬さんみたいな女子高生に手を出してたってことなのか!? いくらかわいいからってそれはダメだろ!」


 加木さんが頭を抱えて悩んでいる。


(ちょっとは悩んでくれてもいいでしょ)


 加木さんと来たら、わたしと出会った時にはもう覚悟を決めてしまっていた。

 付け入る隙なんてなかった。

 加木さんは、わたしに告白されて困る(・・)ことはあっても、悩んだ(・・・)ことはなかっただろう。


 さっきから選択予見の魔眼でここから脱出する方法を探ってはいるが、まだ方法が見つからない。

 加木さん|(本物)がセカンダリを片付けてくれるのを待つしかないようだ。


(エレミアさんは、きっと無事だね)


 スレンダーで、銀の短髪と褐色の肌がよく似合うダークエルフの完璧美少女が目に浮かぶ。

 近接戦闘も魔法も超一流で、加木さんたちと開発した銃火器や魔道具までも使いこなす。その上勇者のものだったという聖剣〈空間羽握(スペースルーラー)〉の所持者でもある。頭もよくて、状況判断も的確だ。

 それだけの完璧超人にもかかわらず、加木さんにはデレデレ。心の底から加木さんを信じ切り、加木さんのためなら命だって惜しくないと何の疑いもなく思っている。


(ズルい)


 加木さんから見て、こんなにかわいい女の子はいないだろう。

 わたしはたまに意固地だと言われる。自分の意思を通したいという思いが強く、エレミアさんみたいにすべてを捧げきるなんてことはできそうにない。できたとしても、それをやってしまったらわたしではないと思う。

 もっとも、加木さんの方でも、全身全霊で尽くすタイプのエレミアさんを受け止めるには覚悟がいるようだ。

 だが、加木さんは覚悟をしてしまった。


(エレミアさんなら、絶対生きてる)


 べつに、死ねばいいなんて思ってない。

 加木さんのことを除けば、何の恨みもないどころか、訓練に付き合ったりもしてもらっている。

 性格的にもわたしとの相性は悪くない。

 むしろ、根っこの部分がよく似ているような気すらする。

 加木さんのことがなければ、もっと素直に友達になれていただろう。


「……加木さん、嫉妬する女の子ってどう思います?」

「片瀬さんに嫉妬させる男なんて最低だな」

「あなたなんですけどね」

「だから何をした俺!?」


 エレミアさんと出会う前の加木さん。

 これは現実ではないとわかっていても、そこに可能性があったのだと知れたのは嬉しい。


 もし、通り魔事件の時に、わたしがもっとうまく立ち回っていたら。

 もし、加木さんが通り魔に間違われて殺されなかったとしたら。


 本当にちょっとした条件の違いで、未来が変わっていた可能性がある。

 選択予見の魔眼をもらったわたしは、そうした条件の違いに過敏になっているのかもしれない。


 わたしは仮想の加木さんと戯れながら、現実の加木さんが決着をつけるのを待つことにした。

すみませんが、新作の告知です。

『百万字書いたら異世界転生~俺の想像したチートで無双します~』

http://ncode.syosetu.com/n8679ef/

架空の小説投稿サイトの作者たちが異世界に転移・転生し、異能バトルを繰り広げるお話です。

よろしければぜひ。

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