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176 もうとっくに越えた過去

◆エレミア視点


 ボクは、突然暗闇の中に放り出されていた。


 変な話だが――見覚えのある暗闇だった。


 昏き森の奥にあった修行場。

 そこにあった「闇」だとすぐにわかった。


 ボクは闇から出ようと歩き出し、つまづきそうになる。


(……あれ?)


 ボクがつまづくなんてありえない。

 指先、足先は当然として、髪の毛一本一本の先まで、ボクは感覚で把握している。

 たとえどんな闇の中だろうと、さまざまな気配や直感から、足場の状態を正確に把握することもできる。


 しばらく、違和感を確かめながら闇の中を歩く。

 違和感はすぐに確信に変わった。


 ボクは鏡岩を押し開き、修行場から外に出る。

 薄暗い陽の光がボクの身体を照らす。


「やっぱり」


 ボクは――小さくなっていた。

 4、5歳くらいの身体だろう。

 ボクが昏き森にいた頃の身体だ。


「ボクはどうしてこんなところに……いや、なんでだっけ? 何かとても大切なことを忘れてるような気がする……」


 暗き森の最奥で修行をする。

 ボクのいつも通りの日課である。

 どうしてそこに疑問を持ったのかが理解できない。


 ボクは森の中を集落の方へ歩いていく。

 空は茜色に染まっていた。

 鬱蒼とした森の中にある昏き森は、この時間帯になるとほとんど日射しがなくなり、足元はかなり暗くなる。


(あれ……)


 いつもと歩幅が違うような気がした。

 いくら足を動かしてもなかなか進まない。

 自分はもっと速く歩けるはずだ。


 でも、どうしてそんなことを思ったのかがわからない。

 まるで、ボクが本来もっと大きい身体をしているかのような感じ方だ。


 首をひねりながら、ボクは集落へ帰り着く。

 ボクの家は集落の高台にあった。

 家に近づくと、中から人の気配がする。

 その数は、


(三人?)


 家には両親しかいないはずだ。

 父親は草を編んで作った椅子でくつろぎ、母親は食事を作っている時間帯。

 こんな時間に来客とは珍しい。


 その来客の気配を探って、ボクは首を傾げた。


「こんな気配の人、集落にいないよね。……あれ、おかしいな」


 ボクは、気配なんてものをそんなに探れただろうか?

 そりゃ、闇の中で修行していれば、人の気配には敏感になる。

 でも、こんなにくっきりはっきり、人の気配を識別することはできなかったはずだ。


 しかも、


「この気配を……知ってる?」


 里の人間ではないはずなのに、ボクは三人目の気配を知っている。

 その気配には特徴らしい特徴がない。

 だが、そのこと自体が特徴である。

 完璧に制御され、必要な分だけ注意深く表に出された気配。

 気配の主は、とんでもない手練(てだ)れだ。


 ボクは反射的に気配を消し、ゆっくりと家に近づいていく。

 扉の隙間から中を覗く。

 注意深い気配の主は、両親と向かい合って座っていた。


「持て余してるんだろう?」


 気配の主が言った。

 三十代くらいだろうか。黒い服を着込んだ精悍な印象の男だ。

 鋭いその目つきを見て、ボクは直感する。


(同業者だ)


 同業者?

 何のことだろう?

 ボクの同業者という意味だとして、ボクは何を「業」としているのか。

 ボクは昏き森の巫女なのに?


(人を殺すことをなりわいにしている人間の目、だね)


 その男と同業者?

 ボクはいつから暗殺者になったのか。


(待て……あの男……見覚えがある。いや、それどころじゃない。ボクはあの男の下で……)


 徐々に記憶が蘇ってくる。

 昏き森。

 脱走。

 誘拐。

 洗脳。

 暗殺。

 そして、


(エドガー君!)


 すべての記憶が蘇った。


(ボクは宇宙船に乗って物心溶融フィールドに突入した。ここはその中のはず)


 ボクが頭の奥でちりつく痛みに顔をしかめている間に、家の中で男が言う。


「おまえのところの嬢ちゃんには才能がある。昏き森の巫女にするのもいいだろうが、それには代わりがいるんだろう? 俺に売らないか?」


 男が、懐から革袋を取り出してテーブルの上に置いた。

 音からして、袋には金貨が詰まっている。


「……ふむ。悪くはない話だが、私たちとしてもあの子には投資している。巫女に仕立てあげるのも大変なのだ」


 父親が言った。

 その隣で母親が革袋を手に取り、その中身を確かめる。


 男はそんな両親を嘲るように笑っている。

 その男の顔は、ボクにとって忘れようにも忘れられない顔だった。


(暗殺教団〈八咫烏(ヤタガラス)〉首領、ガゼイン・ミュンツァー。ガゼインと、ボクの両親だって?)


 接点などなかったはずだ。

 ガゼインは、ボクが昏き森から脱走したところを捕らえ、〈八咫烏(ヤタガラス)〉に連れて行って暗殺者にするべく洗脳した。

 たしかに、同時期に近い場所にいたことは事実かもしれないが……。


「それでは不足か? やれやれ、俺だって教団を維持するのに資金がいるんだがなぁ」


 ガゼインが言う。


「私たちはあの子の親です。子をこんな金額で売る親がいますか」


 母親が言った。

 だが、


(嘘、だね)


 母親の表情や声音が、その言葉を裏切っている。

 何より、革袋の中に目を落としたままなのだ。

 母親は、ガゼインに、もっと金を出せと言っている。


 ガゼインは、邪悪に笑って言った。


「どうせ、他人の子だ。愛情なんて持ってないんだろう」

「そんなことは……」

「あのな、あんたらに交渉の余地なんてねーんだよ。俺は力づくでさらっていくこともできるんだ。今後の関係を考えて、穏便に済ませてやろうとしてるのがわからねーのか?」


 ガゼインがそう言って、両親をじろりと睨みつける。

 暗殺者の本気の殺意に、両親が怯んだのがわかった。


 しばらくの沈黙の後、父親が言った。


「……わかった。連れて行け。だが、これだけではあんまりだ」

「ふん」


 ガゼインが懐から別の革袋を取り出し、父親に投げる。

 父親はそれを慌てて受け取った。


「……それでいいか?」

「あ、ああ……いいだろう。どちらにせよ、扱いに困っていた子だ。闇への適性に優れているのはいいが、何もかもを見通すようなあの目が、嫌で嫌でたまらないんだ。こっちの後ろ暗いところなんか全部お見通しだと言わんばかりでな」

「本当に、不気味な子ですよ。あんな子をもらいたがるなんてどうかしてるわ。どこの誰だか知らないけど、まともな人とは思えないわね」

「その、まともじゃない人間に、実子じゃないとはいえ子どもを売ろうっていうあんたらもまともじゃないがな」


 ガゼインがそう言って立ち上がる。


 そして、いきなりこっちを見た。


エレミア(・・・・)。おまえは俺が貰い受けた。なってもらうぞ、俺の意のままになって人を殺す、暗殺のための人形にな」


 いつの間にかボクとガゼインたちのあいだにあったはずの扉はなくなっていた。

 家もない。ただのっぺりとした白い空間が、果てしなく続いている。

 残っているのは、両親と、両親が座っている椅子だけだ。


 ボクの身体も、4、5歳から現在の年齢に戻っている。


 ガゼインが、ボクに手を差し伸べながら言った。


「さあ来い、エレミア。おまえの手はもう血で真っ赤に汚れている。いくら男に抱かれたところで、その手は綺麗にならないぞ? エドガー・キュレベルだったか。あの正義感の強い男も、おまえがどんな殺しをやってきたかを知ったら見放すだろうな」


 ガゼインが嘲るように笑った。


「いいか、エレミア。思い上がるな。おまえに、そんな価値はない。まともな男に抱かれ、ともに日の当たる場所を歩んでいくような、そんな価値はな。見ろ、おまえの両親ははした金でおまえを売った。俺はおまえをさらったんじゃない。譲り受けたんだ。エレミア、おまえは、闇の中にいてこそ輝く黒い宝石だ。光の中のおまえは、ただの黒い石っころにすぎない。エレミア、あの男が好きか? それなら、あきらめろ。おまえのような闇を抱いていては、あの男もいずれ闇に溺れることになる。あの男のためにも、おまえは闇の中に戻るべきなんだよ……俺と同じようにな!」


 ガゼインの長広舌を、ボクはただ聞いていた。


 だが、ついにこらえきれなくなった。


 ――笑いを。


 ボクは思わず吹き出してしまった。


「こんなものを見せられて、ボクが動揺するとでも思ったのかな? ねえ、セカンダリ。あなたは神の如き存在だと言うけれど、こんな程度のことしかできないの? それじゃあ、エドガー君はおろか、ボクにすら勝てないよ?」


 宙に向かって言う。

 返事はない。

 が、目の前のガゼインが凍りついたように止まっていた。


「両親がボクを売った、か。うーん、辻褄が合わなくはないけど、無理筋なんじゃないかな」


 ボクが里から逃げ出したところをガゼインに捕まったことは事実だから、タイミングだけは一応合う。

 もっとも、里はボクを巫女として育てるつもりだったはずだ。ボクは里を維持するための歯車として必要だったはずで、そのボクをガゼインに売るというのはよくわからない。

 両親は修行についてはおそろしく厳しい一方で、日常生活では子どもを愛するふりをしていた。エドガー君風にいうならアメとムチだ。そこまでして、ボクを従順な巫女にしようとしていた。


「カタハルさんが言ってたね。レジェンダリーヒーローズがバーチャルリアリティなら、物心溶融フィールドはリアル・ヴァーチャリティだって。仮想が現実を侵蝕する空間、か。だとしたら、ボクがこれを真に受ければ、それが現実になるってことかな」


 ボク自身の履歴が、仮想によって書き換えられてしまうということだ。

 ボクが認めれば、ボクは義理の両親にはした金で売られ、暗殺者に仕立て上げられたかわいそうな女の子ということになる。

 そしておそらく、エドガー君に助けられたこともなかったことになり、ボクは闇から闇に生きて死んでいく、ただの暗殺者だったことにされてしまう。


 そんなことは認めない。

 ボク自身の価値なんてどうでもいい。

 でも、エドガー君が認めてくれたのだ。

 ボクだけを恋人にしたいと。戦いが終わったら結婚して一緒に暮らそうと。

 だから少なくとも、エドガー君が認めるだけの価値がボクにはある。

 ボクの中におけるエドガー君の価値は絶対だから、そのエドガー君がボクを認めるなら、ボクはボク自身を絶対的に認められる。


 ボクは、左手の薬指にはまった指輪をそっと撫で、三人に向かって言った。


「ねえ、いつまでこの猿芝居に付き合えばいいの?」


 両親が立ち上がり、ガゼインの左右に並んだ。

 両親の姿が蜃気楼のようににじみ、次の瞬間、「てれび」の「ちゃんねる」を切り替えたように、ガゼインになった。

 元からいたガゼインに加え、両親が変化したガゼインが二人。

 ガゼインが都合三人いることになる。


 三人のガゼインが、一斉に短剣を抜き放つ。


「わぁ、大変だぁ。エドガー君ですら苦戦した〈八咫烏(ヤタガラス)〉首領ガゼイン・ミュンツァーが三人も! こんなの、とてもボクの手には負えない! もうおしまいだぁ~……なんて、言うと思った?」


 腰の後ろから短機関銃を抜き、トリガーを引く。

 タタタンと軽快な音を立てて銃口が跳ねる。

 ガゼインのうち一人が、額に赤い穴を開けてどしゃりと倒れた。

 残り二人は、生意気にも銃弾をかわしていた。

 同時に【幻影魔法】を使って、それぞれ複数の分身を生み出している。

 本体と分身を合わせて、ガゼインは合計で七体になった。


「普段なら【幻影魔法】なんて弾けるんだけどな」


 今は魔法をかけられた感触すらなかった。

 物心溶融フィールド内では、幻影がそのまま実体になるということか。


「えっ? じゃあ、これは分身なんかじゃなくて、全部本物? ガゼインが七体かぁ」


 こうなってくると、油断はできない。

 もともとガゼインは超一流の暗殺者だ。

 スキルだのレベルだのを超えて、相手を殺すことに独自の嗅覚を持っている。


(さてどうしたものか)


 そう思っていると、ガゼインたちがさらに分身を生んだ。

 7体がそれぞれ数体を生み出し、合計で……ええと、19体? マジ?


「やっば。急いで倒さないと大変なことになる!」


 ポケットの中にはビスケットが二つ。叩いてみるとビスケットが四つ。

 そんな童謡をエドガー君が〈八咫烏(ヤタガラス)〉の子どもたちに聞かせていたことがあったっけ。


 ボクは短機関銃のトリガーを引きっぱなしにしつつ、銃口を横に薙ぎ払う。

 胸から額にかけて、斜めに跳ね上がりながらガゼインたちに弾痕が穿たれた。


 ボクは左手にナイフを抜いて振り返る。


 ぎぃんっ!


 ナイフで短剣を受け止める。

 いつの間にかガゼインの一人が背後に回り込んでいたのだ。


 ボクはナイフで短剣を絡め取ろうとするが、そこはさすがのガゼイン、短剣を引き、逆にボクの手首を狙ってくる。

 短剣がボクの手首を切り裂いた。

 噴き出す、血。

 だが、それらはすべて(・・・・・・・)幻影だ(・・・)

 ボクの本物の手が握るナイフが、ガゼインの喉に突き刺さる。


「ここで【幻影魔法】が有効だっていうなら、ボクだって使うさ」


 さすがに分身を出すのは難しいが、この程度のことなら十分できる。


「ガゼインのことは大嫌いだけど、偉大な暗殺者の先達として認めてはいるんだ」


 ナイフの握りをひねる。

 柄に仕込まれた強力なバネでナイフの刃が射出される。

 奥にいたガゼインの眼窩をナイフがえぐった。


「それが、この大安売りだ。あいつなんて地獄に落ちればいいとは思うけど、こんなふうに扱われるのは同情するね」


 ボクは短機関銃を薙ぎ払い、ナイフで切り裂き、魔法を放ち……ありとあらゆる手段でガゼインたちを駆逐する。

 さすがに、ガゼインほどの相手が大挙して押しかけてくるのは脅威だ。

 ボクは身体のあちこちに傷を負う。

 アルフェシアさんお手製のバトルウェアがなかったら深手を負っていた可能性もある。

 逆に、アルフェシアさん製のバトルウェアを装備しているにもかかわらず、このボクに手傷を負わせられるのだから、ガゼイン・ミュンツァーはやはり卓越した暗殺者だ。


「ボクとしても、いい機会だ。ガゼインはエドガー君が倒しちゃったからね。ボクはどこかであいつのことを引きずってたのかもしれない」


 自分をさらい、洗脳し、利用してきた相手だ。

 できることなら、自分の手で殺したかった。

 それに、


「結局、ボクも暗殺者なんだよね。ガゼインがボクに目をつけたのは正しかった。ガゼインの技術を受け継ぐことができるのは、ボクか、それこそエドガー君しかいないから」


 エドガー君のためなら、ボクは人を殺すことを厭うつもりはない。

 そこに、正義なんてありはしない。

 ボクは徹頭徹尾利己的に、エドガー君のために戦うのだ。


 正義を掲げるのはエドガー君の役割だ。

 エドガー君の正義に間違いなんてあるはずがない。

 いや、間違っていたところでかまわない。

 エドガー君がやりそこなって死ぬならボクも一緒に死ぬし、地獄に落ちるというなら喜んでついていく。


「それにしても……多すぎるね、これは」


 倒しても倒しても数が減らない。

 むしろ増えているかもしれない。


『エレミア。わたしを忘れてません?』


 当然、背後から声が聞こえる。


「あ、シエルさん。ごめん、すっかり忘れてた」

『まったく。エレミアはもう少しこの子のことを大切にしてくれてもいいと思うんですけど』

「ごめんってば。そうだね、広域殲滅戦ならこっちだった」


 ボクは背中から聖剣〈空間羽握(スペースルーラー)〉を抜く。

 次元を自在に利用し、次元ごと相手を斬り裂くこともできる、勇者の剣だ。


「正直、ボクには過分な道具だからね」

『そんなことはありません。聖剣自身が認めたんですよ?』

「どうしてエドガー君にしなかったのかな?」


 前から気になってたことを聞きつつ、ボクは聖剣〈空間羽握(スペースルーラー)〉で正面に次元の断層を作る。

 正面から迫っていたガゼインたちが断層にぶつかりのけぞった。


『勇者って何だと思います?』

「さあ。悪いけど興味がない」


 ボクはのけぞったガゼインたちを、〈空間羽握(スペースルーラー)〉で横薙ぎに斬る。

 剣のリーチを超えた距離だったが、次元ごと斬り裂けば関係ない。

 ガゼインたちが輪切りにされた胴をさらしながら、ぼたぼたと地面に落ちていく。


『己の信念のためにはどれだけ強力な相手であっても立ち向かうこと』

「ご立派だね」

『そうでもありません。それは単なる宿命の問題です。本人の内面は問われません。必要とあらば、頭を打ち付けてでも立ちはだかる壁を壊そうとする。その結果、自分の頭の方が砕けそうだったとしてもね。いい意味でも悪い意味でも狂った者でなければ、勇者とは呼べません』

「なるほど、ボクは狂っていて、エドガー君は狂ってないと。そりゃそうだ」


 聖剣を振るいながら回転する。

 ボクの背後から湧いてきたガゼインが数体まとめて斬り裂かれる。


 ボクはその場でジャンプし、「次元」を足場にしてさらに跳ぶ。

 ボクが直前までいた場所を、ガゼインたちの誰かが放った鋼糸が駆け抜ける。


『聖剣とは、歳を経た魔剣のことです。歳を経て少しは穏やかになった魔剣ですね。もっとも、〈空間羽握(スペースルーラー)〉にもともと備わっていた知能は、身体を杵崎に奪われたわたしが乗っ取ったわけですけど』

「そうだったね。でも、それが今関係あるの?」

『大有りです。今、わたしたちは物心溶融フィールドにいるのですよ?』

「なるほど! その手があったか」


 たしかに、ボク一人では手が回らないと思っていたところだ。

 ガゼインは倒せるが、その間に増える。

 こちらは手傷も負ってしまう。

 ボクには【疲労転移】のスキルがあるから、エドガー君と同じく疲れて動けなくなるという心配はないが、ダメージが蓄積すれば動きが鈍くなるのは避けられない。

 こちらがガゼインを殲滅する速度と、ガゼインが増殖する速度は拮抗している。

 今以上に殲滅速度を上げないと、いずれはボクが力尽きる計算だった。


 だが、


『〈空間羽握(スペースルーラー)〉でガゼインをたくさん斬ってください。ガゼインを構成するリアル・バーチャリティを利用して、わたし――勇者アルシェラート・チェンバースを再構築します』

「よぉし! シエルさんが復活すれば、ボクも勇者の肩書きとはおさらばできる!」


 ボクは、斬って斬って斬りまくる。

 ガゼインの死体が地面にうずたかく積まれていく。

 戦場は屍山血河の様相を呈してきた。

 血や贓物で足が滑りかねないので、ボクは〈空間羽握(スペースルーラー)〉を使って常時空中を蹴っている。

 縦に、横に剣を振る。

 剣で次元を操り、錐状(きりじょう)に成形してガゼインたちをまとめて貫く。

 次元の針を作り出し、全方位に射出して、ガゼインたちを足止めする。


 そして、


『十分です。行きます!』


 シエルさんの言葉とともに、聖剣〈空間羽握(スペースルーラー)〉が光りだす。

 ひとりでに浮遊しようとする聖剣を手放す。

 聖剣が空中に浮かぶ。

 次元と空間を司る聖剣は、その本来の握り手を再構築していく。

 光に包まれた人型が聖剣の柄を握りしめ、それを高らかに掲げた。

 光が消える。

 聖剣を握った女性が名乗りを上げる。


「聖剣〈空間羽握(スペースルーラー)〉の勇者アルシェラート・チェンバース! 義によりエレミア・ロッテルート・キュレベルに加勢するッ!」


 そこからは――もう、語るべきことがない。





「いやぁ、けっこう大変だったね」

「そうですね。まさかこんな展開になるとは思いませんでした」


 ボクが女性――シエルさんに声をかけると、聖剣に入っていた時と変わらない口調でシエルさんが言う。

 年齢は24、5歳くらい。褪せた金色の長い髪が、白い裸身を隠している。

 服までは再構築できなかったらしく、シエルさんは現在すっ裸だ。ガゼイン・ミュンツァーたちの返り血が全身を覆い、さながら赤いドレスを身にまとっているようだった。

 が、その表情は晴れやかで、凄惨な印象を与えない。美人というよりは、優男、あるいは男装の麗人といった雰囲気だ。男性よりも女性にモテるんじゃないだろうか。ボクはエドガー君一筋だけれど。


「前は転生者キザキトオルが化けてたんだっけ。本物を見るのは初めてかぁ」

「ずっと一緒にいたので、新鮮味はありませんけど」


 シエルさんがうなずく。


「それにしても、ボクでギリギリとなると、ミナギさんは大丈夫なのかな?」

「心配ですね。もっとも、彼女も魔剣に選ばれた存在です。魔眼まで持っているのですから、なんとかできると信じたいですが」


 シエルさんは、ボクと話しながら、両手を握ったり開いたり、軽くジャンプしたりを繰り返している。


「どう、身体を取り戻した感想は」

「なかなかですね。本当は、何歳か若返るようにイメージしたんですけど」

「ミナギさんみたいに?」

「ええ。ミナギさんはマルクェクトに渡る時の再構築で若返ったっていうじゃないですか! ズルいですよ! 意中の男に出会った時の年齢に戻るって、どんなメルヘンですか! 許せません!」

「そ、そう……」


 いきなりキレるシエルさんに、ボクはわりと本気で引いた。


(そういや、こんな人だったっけ)


 エドガー君は残念美人と呼んでいた。

 いや、あの時はシエルさん本人ではなく、キザキトオルがシエルさんに化けていたのだが。


「でも、こうして身体を取り戻したからには、勇者としての名声を利用して若い男を捕まえてみせます! 今回のことで、わたしはただの勇者ではなく、世界を救った勇者(のひとり)になったんですし!」

「うん、まあ、そうだね……」


 ボクは意気込むシエルさんから視線を外して周囲を見る。


 周囲は死体の山だ。

 それも、すべてガゼイン・ミュンツァーの死体である。

 暗殺教団の首領とはいえ、この扱いには同情を禁じ得ない。


(この光景を前に、色恋のことが考えられるシエルさんがすごいよ)


 シエルさん自身、返り血をかなり浴びている。

 その状態で「男を捕まえるッ!」と意気込んでいるさまを見て、近づきたいと思う男性はいないだろう。

 はたして、シエルさんを受け止められる度量のある男性がいるかどうか。

 もちろん、エドガー君を除いてだけど。


「それより、エドガー君だよ。なんとか助太刀に行けないものかな」

「ちょっと難しそうですねぇ。ここはまともな時空じゃないので、〈空間羽握(スペースルーラー)〉の力でも脱出できそうにないです」

「じゃ、待ってるしかないか」


 ボクはつぶやき、比較的きれいな地面を探してそこに座る。


「落ち着いてますね」


 シエルさんが聞いてくる。


「エドガー君なら大丈夫だよ」

「絶大な信頼ですねえ。やっぱり、彼と一緒になれたから?」

「な、何を言ってるかな。それとは関係なしに、エドガー君なら大丈夫だってば」

「実際、どうだったんです? ベッドの上では」

「そ、そういうこと聞くの禁止!」

「え~。どうせ暇なんだし、ガールズトークしましょうよ」

「ガール……?」

「こ、心はいつまでもガールなんですよ! エレミアだってもう大人でしょうが!」


 顔を真っ赤にしてシエルさんが怒った。


「ま、いいか。ボクののろけ話を聞きたいって言うならいくらでも話してあげるよ。シエルさん、そういう経験なさそうだし」

「な、ななな何を言ってるんです!? わたしは経験豊富ですよ! 男を手玉に取って操る悪女ですよ! ベッドの上でも〈空間羽握(スペースルーラー)〉ですよ!」

「大人の女性路線なのか永遠の少女路線なのかはっきりしてくれないかな……」


 しょうがないので、ボクはのろけ話をしながらシエルさんをからかい、エドガー君が決着をつけるのを待つことにした。

残念勇者さん復活。彼女はもっと活躍させたかったですね。

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