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173 その夜

「よっ、色男」


 美凪さんを抱えて途方に暮れる俺のもとに、ふよふよと妖精さんが飛んできた。


「メルヴィか」

「他に誰がいるのよ」


 見れば、プールからは人がいなくなっている。

 さっきまでいたはずの家族連れはいつのまにか引き上げたようだ。


 俺はため息をついて言った。


「参ったよ」

「あんたねー、もうちょっと説得のしようはなかったの? あんたが自虐したらミナギが素直にあきらめるとでも思った? 馬鹿なの?」


 ジト目……というより、心底から呆れたという目で俺を見る。


(いや、それどころじゃないな)


 めちゃくちゃ怒ってる。

 あまりに怒っているので、盗み聞きをとがめることすらできなかった。


 だが、俺にも言い分はある。


「じゃあ、どうすればよかったんだよ」


 あの思い込んだら命がけの美凪さんを、どうすれば穏便に説得できるというのか。


 が、メルヴィは明快に言った。


「あんたの態度がブレてんのよ。本気で怒らせてあきらめさせるのか、本気で向き合ってわかってもらうのか。どっちでもいいけど、どっちかには決めておくべきだったわ」

「ああ……そういうことか」


 俺は思わず納得した。

 メルヴィが言うのはこういうことだ。美凪さんをあきらめさせたいなら俺は美凪さんを怒らせてでも突き放すべきだった。逆に、説得したいのなら怒らせるようなことを言うべきではなかった。

 俺は、自分の気持ちを告白することで、美凪さんを中途半端に怒らせた。

 自分が悪役になる覚悟で美凪さんを怒らせ、俺を見限らせることもできなければ、誠心誠意向き合って納得してもらえるような説得の仕方もできなかった。

 悪役になろうとしてなりきれなかったのは、どこかで自分の気持ちをわかってほしいという思いがあったからだろう。


「美凪さんの真っ直ぐな気持ちに当てられたか」

「そうよ。むしろあんたの方がミナギに説得されたのよ。あんたはもう、ミナギの決意を聞かなかったことにはできないんだから」


 言いながら、メルヴィが美凪さんを預けろという仕草をする。

 メルヴィの身体ではもちろん支えられないが、魔法を使えば問題ない。

 俺は美凪さんから手を放す。

 美凪さんはふんわりと滞空し、メルヴィの前で横抱きされたような姿勢になる。


「でも……ま、いいんじゃないの?」


 メルヴィが眠る美凪さんを見ながら言った。


「どっちなんだよ」

「ミナギが自分で決めたならそれでいいでしょ。ミナギの人生はミナギのもの。もともと、あんたが待ってろなんて言えた筋合いじゃないのよ。結局それはあんたのエゴなんだわ」

「……それはそうか」


 うなずく俺に、メルヴィがため息をつく。


「エゴならエゴでよかったのよ。あんたが、ミナギの命を守ることを、ミナギの決意を尊重することより大事に思うっていうんなら、なんと言われようとあんたの決意を押し付けたってよかった。それをミナギが受け入れるかどうかはべつとしてね」

「そういうもんか……」

「来るかどうかはあなたの自由ですよ、私は知りません、なんて態度よりは、よほどマシだったと思うわ。ああ、いっそ、そういう態度を取った方が、ミナギもかえってあきらめがついたのかもしれないけど」

「そんな態度、取ろうと思っても取れないだろ」

「まあね。そんな態度をミナギに取るような奴だったら、わたしの方が願い下げだし」

「ままならないな」

「ミナギの固い決意を引き出したって意味では、よくやったと言ってあげてもいいわ。中途半端な義務感でついてくるつもりだったら、わたしやエレミアが反対してた。あんたの優柔不断も役には立ったわね」


 メルヴィの語気がすこし優しくなっていた。


「とにかく、ミナギはわたしが部屋に運んでおくわ。あんたは、お姫様のところに行ってきなさい。いーい? 散々待たせたんだから、優しくしてあげるのよ?」

「うっ……」


 俺は思わず言葉につまる。

 「お姫様」のことはもちろん好きなのだが、あっちの気持ちが大きすぎて、受け止めるにはいつも覚悟がいる。

 ある意味、美凪さんとはよく似ている。


「ま、覚悟なら決めたさ」

「今度こそ中途半端なことをするんじゃないわよ? 一世一代のことなんだからね!」


 メルヴィがそう激励してくれる。


 俺は、美凪さんをメルヴィに任せ、「お姫様」の部屋に向かう。





 エレミアの部屋の呼び鈴を鳴らす。


 俺の手には、バレンタインチョコが入るくらいの小さな紙袋がある。

 自分の部屋に寄って、用意していたものを袋ごと持ってきたのだ。


 見た目以上に存在感のある紙袋の重みを確かめていると、部屋のドアがいきなり開く。

 確認もしないで物騒な……などという感想は、エレミアにはふさわしくない。

 扉一枚を隔てた向こうの気配なんて、エレミアには読めて当然である。


「エドガー君」

「エレミア」


 ダークエルフの美少女が、気持ちいつもよりしおらしく俺を迎える。

 銀のショートヘアに褐色の肌。

 アメジストの大きな瞳が、俺のことを見つめている。


(大きくなったな)


 と、本人に知られたら怒られそうな感想を抱く。

 出会った頃のエレミアはまだ7歳だった。

 その時のイメージを引きずっていることが、エレミアの想いに応えるのが遅れた理由かもしれない。俺は転生時既に30歳だったし、ロリコンの気はないからな。

 もっとも、エレミアからすれば、当時7歳のエレミアより実年齢1歳そこそこ|(成長眠で見た目はそれより大きくなっていた)の俺の方がよほど小さかったということになるのだが。


「入って」


 エレミアが入り口から身体を引き、俺を中へと招き入れる。

 俺たちはそれぞれスイートルームを割り当てられている。エレミアの部屋も俺の部屋と同じくらいの広さだが、スイートルームらしく、部屋の趣向は微妙に異なる。俺の部屋がハワイアンテイストだったのに対し、エレミアの部屋はジャパニーズテイストの洋室だ。部屋割りの時に、エレミアが希望したのだ。俺の生まれ故郷に近い部屋がいいと。


「何か飲む?」

「じゃあミネラルウォーターをくれ」


 さっき美凪さんに強いカクテルを飲まされたので、水がほしくなっていた。

 エレミアが部屋の冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを二つ取り出し、片方を俺に渡してくる。

 俺とエレミアはただっぴろいリビングのソファに腰を下ろす。


 エレミアは、点けっぱなしだったテレビに目を向ける。

 やっていたのは英語圏の動物ドキュメンタリーだった。英語のナレーションは、俺が身につけたマギデバイスによってマルクェクト共通語に吹き替えられる。幻覚を利用した自動吹き替えである。日本語でもいいのだが、今では俺もマルクェクト共通語の方が理解しやすいくらいになっている。ただ、英語からマルクェクト共通語への翻訳は、サンシローがあっちで学習した範囲の語彙で行われているので、まだぎこちない部分があった。

 俺は魔法による干渉を反射的に弾けるように訓練してきたので、マギデバイスの干渉もつい弾きそうになって落ち着かない。エレミアもきっとそうだろう。


「この世界に来てから、驚くことばかりだよ。テレビも、サンシローも、マギデバイスも、バーチャルリアリティも」

「テレビ以外は、俺も驚いてるんだけどな」

「そっか。エドガー君もこの世界から離れて長かったんだもんね」

「思えばいろいろあったもんだ」

「いろいろどころじゃなかったけどね」


 エレミアが苦笑する。

 エレミアとは、かれこれ16年の付き合いだ。転生してからの大半を一緒にいたと言ってもいい。


「エドガー君は、この戦いが終わったらどうするの?」

「どうする、とは?」

「こっちの世界にいるのか、あっちに帰るのかってこと」

「帰れる手段があるのかどうかだな。美凪さんがマルクェクトに渡った時は、存在ごと再構築する必要があって、十年もかかったって話だし」

「アッティエラに頼めば送ってくれるんじゃないかな。今のアッティエラはかつてとは比べ物にならないほど強い力を持ってるっていうし」

「でも、さすがにこっちとあっちを気軽に行き来するようなことは難しいよな。アルフェシアさんは異世界渡航船を造るって言ってたけど、そう簡単にできることではないだろうし」


 もっとも、それでもやってしまいそうなのが発明狂のアルフェシアさんである。

 なんでも、セカンダリの物心溶融フィールドが二つ|(あるいは、二つ以上の)世界にまたがって存在できている以上、同じような手段で世界間の行き来をすることが可能なのではないかという。

 この状況でその発想力。アッティエラがおそれて封印したのも頷ける。


 ああ、エレミアの質問に答えてなかった。


「俺は、マルクェクトに戻りたいと思ってるよ」

「そうなんだ。意外」

「そうか? 俺はこっちの世界ではもう死んでいる。マルクェクトにはジュリア母さんやアルフレッド父さん、フィリアやステフも待っている。今のこっちの世界は興味深いけど、それだけだ。俺の心はマルクェクトにある」


 なお、フィリアというのは俺の妹だ。

 俺は南ミドガルド連邦成立以来実家を空け気味だったから妹とはあまり絡めていないが、素直で優しいいい子である。雰囲気は、どちらかといえばアルフレッド父さんに似ているだろう。ジュリア母さんの魔法の才はあまり受け継がなかったようで、戦闘に関してはそんなに才能がある方じゃない。

 だが、それはそんなに悪いことだろうか。むしろ、妹が戦闘の才に恵まれ、戦いに明け暮れたりしていたら、そっちの方が怖い。

 身を守るということなら、ジュリア母さんとアルフレッド父さんの夫婦に勝てる奴なんてマルクェクトにはほとんどいないと言っていい。今はステフも実家に戻って付いてくれているはずだ。ステフは俺についてきたがったのだが、万一に備えて残ってもらっている。


「そっか」


 エレミアが、少し嬉しそうに言った。


 俺は、エレミアを真っ直ぐに見つめて言う。


「――帰ったら結婚しよう」


 エレミアが硬直した。


「……えっ? お、おかしいなぁ~。今、エドガー君からありえない言葉を聞いた気がする……。あはは、戦いの前で神経が昂ぶってるのかな」


 エレミアが乾燥した笑いとともに頭を掻いた。


「いや、聞き間違いじゃないぞ。帰ったら結婚する」

「うひゃう!」

「あっちの世界じゃ、俺もエレミアももう結婚していい歳だ。だらだら付き合っててもしょうがない。早く一緒になりたいと思ってる」

「ひゃあああ」

「ごめんな、待たせて。でも、もう決めたから」

「ううう……」


 エレミアがうなりながら頭を抱えた。


「……ひょっとして、迷惑だった?」

「い、いや、とんでもない! こっちからお願いしたいくらいだよ! でも、急だったから心の準備が……」

「付き合いは長いから、一緒に暮らすことに違和感はないしな。むしろ、これまでと大差ないような気もする」

「そ、そんなことはないよ! 大違いだよ! 主にボクの心の安定が!」


 エレミアがぶんぶんと首を振る。


「結婚……ああ、夢じゃないよね?」

「現実だ」

「これで、もうエドガー君が誰かに取られる心配をしなくてもよくなるのかぁ」

「ああ」

「ミナギさんも割り込めないよね?」

「最初からそのつもりはない」

「やっぱりアスラも嫁にするとか言わないよね?」

「言わない」

「ステフさんが本命だったりは?」

「しない。ステフは俺付きだから、結婚した後も一緒にいてもらうことにはなるけどな」


 ステフがそれを望めば、だが。

 今となってはステフもマルクェクト有数の実力者であるので、本人が望めば宮仕えでも冒険者でもなんでもできる。

 それでもステフは俺に仕えたいと言ってくれている。


(それとも、ゆくゆくはステフも誰かと結婚するのか? ……あまり想像できないな)


 今のステフより強い男なんて、それこそ俺くらいしかいないという現実もある。

 腕っ節で男を選ぶわけでもないだろうが、メイド長としても最近はとても有能で、生半可な男では釣り合わないだろう。


(あれ……ステフが結婚できないの、俺のせい?)


 それはちょっと責任を感じるな。

 ステフはああいう奴なので、俺とエレミアが結婚することを祝福こそすれ、恨んだりはしないのだろう。そう思うとなおさらだ。


「はぁぁ……ついにここまで来たんだ……」

「そうだな。なんか現実感がないよな」

「ただでさえ異世界にいるから、ボクなんてもっと現実感がないよ。夢の国にいる感じ」


 エレミアにとっては地球こそが異世界である。


(夢の国か)


 そう聞いて思いついたのは、日本にある大型テーマパークだ。

 エレミアやアスラやメルヴィをあそこに連れて行ったら喜ぶに違いない。


(いや、これ以上は考えるのをよそう)


 決戦を前に、結婚だの夢の国だの、死亡フラグを立てすぎである。

 もっとも、その死亡フラグでエレミアが迷いなく戦えるならそれでいい。


 俺は、部屋から持ってきた紙袋から、小さな箱を取り出した。


「こっちの世界の風習なんだけど、これを受け取ってくれ」


 俺は黒い革の高級そうな|(実際かなりお高かった)小箱を開き、エレミアに手渡す。


 小箱の中には、クッションに埋もれるように、銀の指輪が入っていた。

 装飾の施されたリングには、いくつもの小さなアメジストが埋め込まれている。

 そのデザインは、アメジストの花が咲いているように見える。


「こ、これ……」

「結婚指輪という。もちろん、向こうに帰ったら、向こうの風習に合った求婚もするけど、今はこれで許してほしい」

「ゆ、許すなんてそんな! ふわぁ……綺麗……」


 エレミアは指輪をさっそく指にはめ、部屋の照明で輝くアメジストにうっとりする。


 マルクェクトにも優れた彫金師はいるが、やはり地球の技術はそれを軽く越えている。

 俺は、マルクェクトから持ち込んだ魔道具や素材の一部をセイメイ&クロウリーに売却して現金を作り、その金でオーダメイドのリングを作ってもらった。さいわい、オアフ島には腕のいいデザイナーが住んでいた。かなり急ぎでやってもらったのだが、とてもそうは思えない素晴らしい出来栄えだと思う。


「これから戦いに行くことを考えて、アルフェシアさんに不壊化処理をしてもらった。相手が相手だから絶対に壊れないとは言えないけど」


 協力してもらったアルフェシアさんとメルヴィにはさんざん冷やかされたのだが。


「命に替えても守るよ!」

「いや、命には替えるなよ。最悪、壊れたりなくなったりしてもまた作ればいいんだから」


 気負いこんで言うエレミアにそうつっこむ。


「そんなわけにはいかないよ! 同じ物だったとしても、エドガー君から今もらったのはこれひとつだけなんだから」

「馬鹿。そんなのどうでもいいんだよ。俺にはエレミアの方が大切なんだから」


 俺は立ち上がり、指輪をはめたエレミアを、ソファの後ろから抱きしめる。


「え、エドガー君……」


 エレミアが頬を染め、指輪と俺を交互に見る。


 俺はエレミアの頭を抱えてこちらを向かせ、その淡い唇に俺自身の唇を重ねた。


「んっ……」


 エレミアが小さくあえぐ。


 そのエレミアを、俺は優しくソファの上に押し倒す。


「あっ、そんな……」

「ベッドの方がいい?」

「う、うん……」


 俺はエレミアを持ち上げる。

 いわゆるお姫様抱っこである。


「わっ、じ、自分で歩けるよ」

「それじゃ風情がないだろ」


 俺はベッドルームまでエレミアを運び、ダブルサイズのベッドの上にそっと下ろす。


「今夜はふたりだけだ」

「あ、あわわ……」


 うろたえるエレミアに苦笑し、その唇を再び塞ぐ。





 その夜のことを、俺は一生忘れない。

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